Taverna baciata dagli spiriti maligni. 悪霊が口づける酒場 II
「麦酒? それとも葡萄酒かな」
酒場の中央の席に座ったナザリオは、頬杖をつき尋ねた。
テーブルが数卓ほどのあまり大きくはない酒場。
席は半分ほど埋まっていた。食事をしている者やカード遊びに興じている者など様々だ。
店内の端から伸びる階段は二階の宿に通じていて、薄暗い中に部屋の扉が見えた。
「昼間は飲まん」
アルフレードは不快な表情でそう告げた。
「麦酒二つ。それとミネストローネとパン一つ、あとチーズと腸詰め」
ナザリオが店の主らしき男性に声を掛ける。
「勝手に頼むな」
「せっかくだからこの男に奢ってやれ。良家の当主が、そんな余裕もない訳ではないだろう」
テーブルに雑に置かれたパンをナザリオが千切って口にする。
「パンは相変わらず塩気がないな」
「何しに来た」
アルフレードは問いかけた。
「ここは私の故郷の街だ。来たも何もないよ」
「なぜ接触してきたと言っている」
「三百年も前のことを調べるなど難儀だろう。私に聞いた方が早くないかい」
ナザリオは行儀良くスプーンを持ち、ミネストローネを口にした。
食事をする仕草を見ると、なるほど庶民の出ではなさそうだ。
「お前が本当のことを喋るとは思えん」
「たとえ嘘でも、精査していけば真実が炙り出るものだよ。完全な嘘なら、矛盾が出る。真実に嘘を交えているなら、混じった真実を掘り出せば良い。特定の物事に誘導しているなら、目を逸らさせようとしているところに真実がある」
「始めから嘘をつくのが前提ではないか」
「それでも全く手掛かりが無いよりはマシじゃないかい?」
アルフレードは押し黙り、ナザリオが食事をする様子を眺めていた。
食べ終えると、不意にナザリオの目付きが変わった。
小振りの目を大きく見開き、上半身を捻って辺りを見回した。
「あ、あれ?」
元の御者の表情だった。
「若様、酒場?」
ナザリオが抜けたのか、とアルフレードは思った。
「若様?」
御者はこちらを向いた。
「フィエーゾレには何か用事だったのか?」
アルフレードは言った。
「えと、ちょっとお屋敷の使いで」
御者はおろおろとしながら言った。
「用事に戻っていい。付き合わせて悪かった」
「いや、あのあたし、ここに入った覚えが」
「疲れていたんだろう」
アルフレードは言った。
「そうなんですかね……」
御者は頭を掻いた。
テーブルに目を落とす。
「食事までしてたんすか」
御者は、居心地悪そうに言った。
「払っておく。気にするな」
「はあ……どうも」
テーブルの縁をスカートでなぞるようにして、派手な服装の女が近付いた。
大きく肩と胸元を出し、ごてごてと飾り立てたドレスの色はどぎつい紅赤色だ。
コツ、コツ、と勿体ぶったような足取りで近付くと、アルフレードの背後に回り、両腕を肩に回した。
二階の宿の客を目当てにした娼婦か、とアルフレードは思った。
きつい香水の匂いが鼻を突く。
御者は、ああ、という風に口を開けた。
「んじゃ、ども」
そう言うと、そそくさとその場を後にする。
何を誤解しているんだ、とアルフレードは眉を寄せた。こんな場末の娼婦を買う訳がないだろう。
娼婦は背後から顔を寄せると、真っ赤な唇をアルフレードの耳元に近付けた。
「お優しい若様。わたしにも奢ってくださる?」
「悪いが、もう出るので」
アルフレードは強引に立とうとした。
娼婦は、肩に回した両腕をアルフレードの首に絡め、絞め技のような形に固定させた。
「この女にも、お慈悲をくれてやったらどうだ、若様」
娼婦の口調ががらりと変わる。
「今度はこちらに憑いたのか」
アルフレードは緊く眉を寄せた。
ナザリオは喉を鳴らしてククッと笑うと、両腕を離した。
コツコツと靴のヒールの音をさせ歩き、アルフレードの隣の椅子に座る。
形のいい脚をわざとスカートから出して脚を組んだ。
「中年男と話すより、こちらの方が嬉しいかと思ってね」
「くだらない気遣いしていると、お前の大嫌いな精霊が来るぞ」
アルフレードは言った。
この様子を見られたら、また巨大な鎌が飛んで来るのではとヒヤヒヤする。
「その精霊は、私のことを何と?」
ナザリオは口の端をクッと上げた。
「うちの先祖の女性に乱暴をしたと」
「ああ、それは嘘だ」
ナザリオは言った。
「ルチアと私は、互いに想い合っていたよ」
アルフレードは目を眇めた。
「信じることは出来んな。乱暴をするような男がよく言う台詞だ」
ナザリオは、アルフレードが手を付けずにいた麦酒を飲んだ。
姿は娼婦であるのに、まるっきり男の仕草でぐびぐびと飲み干し、指先で口を拭う。
「あの精霊はその話を誰から聞いた」
「お前の……」
お前の娘、とアルフレードは言おうとした。
だが、そう言われてあの先祖の少女は気分が良いのだろうか。
それを否定したいからこそ、チェーヴァ家の方とばかり接触していたのではないだろうか。
「……チェーヴァの先祖のひとりだ」
アルフレードは言った。
ナザリオは頬杖を付き、表情を探るような目で見ていた。




