Taverna baciata dagli spiriti maligni. 悪霊が口づける酒場 I
古代より続く街フィエーゾレは、高台の街なので先ほど来た道のりが見渡せる。
よく晴れているので、逆光で景色は少し霞んでいた。
さあっと吹きつける草の香りを感じながら、アルフレードは馬から降りた。
馬を引きながら、赤褐色の城壁を入る。
道沿いに建つ建物群は飾り気がなく簡素で、素朴な街並みだ。
近場なので何度も来ている。
ある程度の範囲は知っていたが、ナザリオの生家らしき所に心当たりはなかった。
三百年前に絶えたのなら当然か。溜め息をつく。
屋敷はとうに人手に渡っているだろう。
とりあえずは教会にと思った。
何かしら記録が残っていればいいが。
「あれ、チェーヴァの若様?」
固太りの体型の男が横から顔を覗き込んだ。
愛想のいい感じの中年の男だ。
誰だったかとしばらく考え思い出した。グエリ家の御者だ。
「ああ……」
アルフレードは、つい間の抜けた返事をした。
「あの時はご苦労だった。クリスティーナはその後どうしている」
御者は少し困惑しているような顔をした。
「んんと……」
「何かあったのか?」
「いや、何があったのか、あたしはよく分からないんですが」
御者は赤茶色の髪を掻いた。
「ここんとこ、ほとんどお部屋から出て来ないらしくて」
「怯えているのか」
アルフレードは問うた。
「怯える……」
御者は首をかしげた。
「怯えてるとは聞いてないんですが……何やら話が通じないとか何とか」
「木乃伊がどうのと言っているか」
「いえ、そんなことはおっしゃってないと思いますが」
アルフレードは眉をひそめた。
あの時の恐怖が残っているのだとしたら、ミイラに一番こだわると思っていたのだが。
「一緒にいた侍女はどうしている」
「ああ、あちらの方は特に何も」
「何でもないか」
アルフレードは尋ねた。
「屋敷に帰って来たときは何やら青ざめてましたけど、今はまあまあ普段通りで」
「そうか」
「むしろクリスティーナ様がお部屋に閉じ籠りっ放しなので、毎日お部屋の前で困り果ててまさあ」
アルフレードは、しばらく考えこんだ。
馬の蹄が石畳を歩く音がカツカツと響く。
「夢だとは言ってやったか」
「馬車の中では、一応そうお声掛けさせていただきましたが……何つうか。そういうことではないような」
御者は顎をなでた。
「あたしは、何かの折に遠くからご様子を見るくらいなので、よく分かりませんが……どうも表情がなさすぎるような」
アルフレードは無言で宙を眺めた。
予想していたものと御者から聞く話が噛み合わないので、なかなか様子がイメージ出来ない。
「ご当主殿はどう対応している。その後、お前に何か尋ねられたか」
「いえ。特に」
御者は思い出し笑いのように吹き出した。
「旦那様は、マリッジブルーだろうと仰ってるとかで。相手が一度死んだ男では、そりゃ不安にもなる、輿入れすればケロッと治るだろって」
御者は、ガハハと大声で笑った。
アルフレードと目が合い、ハッと笑いを止める。
「……い、いえ。ご無礼申し上げました」
「……いやいい」
アルフレードは答えた。
クリスティーナのグエリ家とチェーヴァ家は、過去の代で何度も婚姻している。
アルフレード自身も、グエリ家の当主は幼少の頃から知っていた。
いわば親戚だ。日常的に軽口に上っているくらいはあるだろうと思う。
「ところで若様、何かこちらでご用事でも」
「ああ……」
アルフレードは周囲を見渡した。
「フィエーゾレには詳しいか?」
「子供の頃ここに住んでましたが」
「三百年前に絶えた下級貴族は知っているか」
「はっ?」
御者はポカンとした。
「ええと、何という御家で」
困ったような顔をする。
確かにこれでは情報が少なすぎるなとアルフレードは思った。
「パジーニ家、とかいうのかな」
「パジーニ家ですか」
御者は周囲の街並みを見渡した。
「いや、パジーニという名は確かではないのだ。その家のことを何となく伝え聞いていた者が、そういう名だったような気がすると」
御者は、じっと街並みを眺めていた。
しばらく無言で道沿いの建物群を見ていたが、ややしてから立ち止まった。
何かあったのかとアルフレードも足を止めた。
御者は、くるりとこちらを向くと、ずいっと顔を近づけた。
「パゾリーニ家だよ、アルフレード」
アルフレードは目を見開いた。
明らかに口調も発音も変わっている。
気のいい感じの訛りのある話し方から、ゆっくりと言い含めるような低い発声に。
「な……」
何が起こったのか。
「探す家の名くらい、ちゃんと調べてからおいで」
御者は、ゆっくりと言い聞かせるような口調で言った。
「ナザリオ……?」
「首輪は相変わらずか」
御者に憑いたナザリオは、アルフレードの首元で何かをもてあそぶように指を動かした。
「貴様……」
「そこの店に入ろうか」
ナザリオは、道沿いにある酒場を顎で指した。