Il dio della veste nera. 黒衣の貴紳 I
玄関ホールに入ると、執事と女中がアルフレードを出迎えた。
古い城を改装した屋敷なので、先程までいたサン・ジミニャーノの屋敷の玄関ホールに比べると、広いが自然光の入る箇所は少ない。薄暗く重厚で、厳格な雰囲気だ。
アルフレードは、外した手袋を女中に渡した。
「破棄してくれ」
「破棄ですか」
妙齢の女中が、少々不思議そうに聞き返す。
「燃やした方がいい」
アルフレードそう付け加えた。
「サン・ジミニャーノのご親戚はお元気でしたか」
皺の入った面長の顔を綻ばせ、執事が尋ねる。
アルフレードはさりげなく顔を逸らした。
「ピストイアに行った者は戻ったか」
「いえ、まだですが」
執事が答える。
「一番若い馬丁はどうした」
執事は、馬屋のある方向を見た。
「馬屋におりませんでしたか」
「いま馬をつないで来たところだがいなかった。何か用事を言いつけたのかと思っていたのだが」
「何も言いつけてはおりませんが」
執事はそう答え、やや間を置いてから思い出したように続けた。
「あの馬丁をサン・ジミニャーノのご親戚の所に行かせたそうですが」
「行かせた」
アルフレードは短く返した。
「なぜ突然、親戚中にご機嫌伺いなど」
アルフレードは、しばらく黙って前方を眺めた。
どの程度まで話して、どの程度まで隠せば、使用人たちの動揺を一番抑えられるだろうか。
サン・ジミニャーノの屋敷のことは、隠しておく訳にはいかないだろう。
だがその他のことについては、どこまで説明したらいいものなのか。
「何というか……私は一度死んだことになっていたらしいからな。全快の報告のようなものだ」
「そうですか」
執事はそう返した。
「あのときは、わたくしも狼狽えました。まさか遠出した先で落馬なさるとは」
アルフレードは目を見開いた。
「は……」
執事の方を振り向く。
「頭の怪我も残ってはいないようですし、元通り馬にも乗られるようなので、安心致しました」
アルフレードは、執事の顔をじっと見た。
実際の死因である決闘はなかったことになり、みなそれぞれに異なった死因を語っている。
執事の記憶の中では、落馬したことになっているのか。
「……そのときの馬は、どの馬だったかな」
アルフレードは問うた。
「馬屋にまだいるでしょう」
執事は馬の特徴を言おうとしたのか、口を開きかけた。
だがややしてから顎に手をかける。
「どの馬でしたかな……」
「分かった。もういい」
アルフレードは手を上げ制した。
「ご機嫌伺いの件ですが」
執事が改めて言う。
「あんなマナーも知らない者を行かせたら、ご親戚にどんな無礼な振る舞いをするか分かりません。もっと重職の者を行かせた方が良かったのでは」
「重職の者が万が一欠けることがあれば、さすがに痛手が大きい。それに年配の者では、何かあった際に逃げ帰って来られない」
「逃げる?」
執事が復唱する。
「なぜ逃げる必要が」
「おいおい説明する。とりあえず休ませてくれ」
玄関ホール内をつかつかと歩きながら、アルフレードは妙齢の女中に尋ねた。
「あの年若い女中はいたか? ……こう、赤毛を切りそろえた髪の」
アルフレードは顔の横で手刀を前後に動かした。
女中があたりを見回す。
「そういえば、先ほどから見かけないですね」
「……あいつら。またどこかでいちゃついているな」
アルフレードはそう呟き、つかつかと私室に向かった。
扇状の階段を昇り、二階へと向かう。
私室の扉を手ずから開けると、アルフレードは部屋をすたすたと横切りながら上着を脱いだ。
上着と拳銃を寝台の上に置く。
寝台に背を向け、カフスボタンをつなぐ鎖を外した。
外しながら何気に方向転換したとき、視界の端に組んだ脚が見えた気がした。
反射的に、寝台に片膝で乗る。
上着の上に置いた拳銃を手に持つと、アルフレードは振り向き構えた。
振り向いた途端、漆黒の外套のようなものを着た人物の姿が、部屋いっぱいに広がっているように見えた。
外套の胸元についた金色の飾り紐が、天井から床へ緩い弧を描いて縦断している。
天井に覆い被さるようにして胸元が動き、視線は後頭部の方から感じた。
「な……?」
アルフレードは、拳銃を構えたまま立ちすくんだ。
思わず天井を見回す。
次の瞬間、低く重厚な声が手元の方から聞こえた。
「フリントロック式銃か」
寝台横のサイドテーブルに、男性が座っていた。
肩幅が広く長身、厳めしい堂々とした雰囲気がある。
精悍で整った顔立ちに長い銀髪。切れ長の目は、光を一切反射しないのかと思えるほど深い深い黒であった。
脚を組み、少し身を屈めて拳銃の銃口を覗き込むように見ている。
「この銃は、天候に左右される。もう少ししたら改善されたものが出るから、そちらにした方がいい」
「……もう少しとは」
「数十年先かな」
男性は銃口を指でなぞり、喉をククッと鳴らして笑った。
「……お前はナザリオか」
「あんな汚ならしい悪霊と、どこが同じに見えるのだ」
男性はやや不快そうな表情をした。
「見えるも何も……ナザリオは生者にも死体にも取り憑いて姿を変えられるだろう」
男性はゆっくりと銃口をなぞり続けながら、口の端をわずかに上げた。
「あの子に教えておいてあげよう。“お前の新しい下僕は相当の盆暗だ” と」
「あの子とは」
「顔は良いんだがな」
男性は、銃身を指先でつかんだままアルフレードの顔を眺めた。
「そこそこの顔が、人間臭くて一番いい。どこぞの砂漠の錬金術師など、綺麗すぎてこちらに呼びよせる気にもならん」
「何の話だ」
「蘇生した気分はどうだ」
男性は尋ねた。




