Trecento anni di ossessione. 三百年の執着 II
薄紅色のドレスをたくしあげ、少女は膝を屈めて挨拶した。
「来たか」
ベルガモットは言った。
「全て話しても良いか?」
少女はゆっくりと頷いた。
「ご先祖殿とか」
アルフレードは一歩前に進み出た。
「先日のご助力に感謝致します」
少女に手を差し出しす。
「御名は」
少女は、無表情でアルフレードの顔を見上げた。
アルフレードと同じ鉄紺色の、大きな瞳だった。
「名は無い」
ベルガモットは言った。
「無い?」
「赤ん坊の頃に死んでいる」
アルフレードは、僅かに目を見開いた。
だが赤ん坊の死亡率は低いとはいえない。昔であれば更に言えることだろう。
「洗礼は」
「受けてはいない」
「それすら間に合わなかったのか」
「その前に始末された」
アルフレードは、ベルガモットの方を振り向いた。
長い時代続く貴族の家に、そういった話の一つ二つあることくらいは分かってはいるが。
「話とはそれか。そんなことで別に動揺はしないが」
ただ、仕方がないと済ますほど冷淡でもないつもりだ。アルフレードは少女の方に向き直った。
「墓はいずれに」
ベルガモットは、脚を組み直した。
「無い。屋敷の地下に放置されたが、その骨もとうの昔に風化して消えたであろう」
アルフレードは、自身が住む屋敷の構造を思い浮かべた。
数百年前に建てられた屋敷を、時代ごとにいくらか改築しているので、地下は殆ど封鎖されたような扱いになっていた。
入り口はまだあるだろうが、おそらくかなり長い間誰も入ってはいない。
「そうか」
アルフレードは息を吐いた。
「では、私で宜しければ、現在の当主として墓を用意させていただくが」
「それはそれで良いのだが」
ベルガモットは言った。
「話はそこではない」
ベルガモットは細い手を組み直した。
「この者の母親は、三百年前のチェーヴァ家当主の娘、ルチア」
そして、とベルガモットは続け、非常に不快そうな表情で眉を寄せた。
「父親は、ナザリオだ」
「なん……」
アルフレードは絶句した。
「どういうことだ。チェーヴァ家の娘と婚姻していたなら、ナザリオもチェーヴァ家に連なる者ということか」
「婚姻していない」
ベルガモットは言った。
「ルチアの意思に反してのことだ」
分かるであろう、と続けた。
「だから、この者は始末された」
少女は、表情のない顔でまっすぐ前方を見ていた。
「ナザリオは、その咎で当時のチェーヴァ家の男子どもから数年間追われた」
「当然だろう」
アルフレードは眉を寄せた。
「余所の地方に逃げ込んだところで例の病に罹かり、脳が溶けて死んだようだ」
ベルガモットは、肘置きに頬杖を付いた。
「その後、霊となって現れ、チェーヴァ家にチマチマと復讐をしていた」
「逆恨みではないか」
アルフレードは言った。
「逆恨みだな」
ベルガモットは黒髪をゆったりと掻き上げた。
「わたしも気付かなんだ。ただ思い付きで生者を混乱させて、面白がっているのだと思っていた。標的は常にチェーヴァ家に連なる者だったようだ」
「何だそれは」
アルフレードは苛々と言った。
「君はそのチェーヴァ家との経緯は知っていたのか」
「この者から先日聞いたばかりだ」
ベルガモットは少女の方を視線で指し示した。
「ご先祖殿、なぜ今頃」
少女は、鉄紺色の瞳でじっとアルフレードを見た。
「……いや。今までチェーヴァ家に、あなたの言葉が通じる者がいなかったのは想像がつくが、彼女に訴えることは出来たのでは」
「責めてやるな。冥界の者が生者の世界に介入するのは、そう容易ではない」
ベルガモットは言った。
「それより、問題にするべきは、ナザリオのこれからの行動だ」
ベルガモットは、目線をアルフレードに向けた。
目が合った。
「お前が現れたことで、一気にチェーヴァ家を潰しにかかって来たのかもしれん」
「なぜ私だ」
「蘇生で、冥界の管轄下のものが見える身になったからだ。先日のように邪魔されては敵わんからだろう」
「分からんな」
アルフレードは言った。
「では、ナザリオは、私の存在が無かったらチェーヴァ家をどうしたかったのだ」
「さて」
ベルガモットは、上体を捻り横を向いた。
「血筋が絶える様を、もっとじわじわと時間をかけて楽しむつもりだったのかもしれんのう」
「陰湿だな」
アルフレードは眉を寄せた。
「ナザリオに関して、何か生前の記録の類いはないのか」
「調べてどうする」
「分からんが。何か行動の傾向が掴めるかもしれん」
庭の方から微かに馬の嘶きが聞こえる。
アルフレードは、そちらの方を見やった。
「それは、お前の方が調べやすかろう」
脚を組み直しベルガモットは言った。
「奴の生まれはどこだ」
「フィエーゾレの下級貴族の家だ。血筋はとっくに絶えている」
「絶えたのか」
「当時のチェーヴァ家が、経済面でも追い込んで取り潰したらしい」
「なるほど」
アルフレードは呟いた。
「フィエーゾレか。近いな」
「ここから直接行くか? 出口をフィエーゾレにしてやるが」
すっ、とベルガモットが前方を指差す。
「いや……」
アルフレードは迷いながらも言った。
「後日出直す。いろいろありすぎた。今日のところは、いったん休ませてくれ」
「では、出口をお前の私室に」
ベルガモットは何でもない日常の行為のような仕草で、宙を指した。
「……街の手前にしてくれないか」
「どうした」
ベルガモットは怪訝な表情をした。
「私室なら、すぐに休めるであろう」
「出掛けたはずの当主が、いきなり私室に馬と現れるのか。屋敷の者が混乱するからやめてくれ」
「何だ、そんなことか」
ベルガモットは僅かに眉を寄せた。
「そんなことで混乱せんよう躾ておけ」
「躾の問題ではない」
「面倒な奴だの」
ベルガモットは深紅の唇を尖らせた。椅子の傍らに現れた配下に問う。
「馬は」
配下は、承知したというように小さく礼をし消えた。
「街の手前に出るようにしてやる。馬を連れて帰って休め」
アルフレードは、軽く溜め息を吐いた。
強引に連れて来た次は、話が終わったから帰れか。
ふと、先祖の少女がいなくなっていることに気付いた。
いつの間に消えたのか。
廊下から、乱れた蹄鉄の音がした。
ベルガモットの配下の女性たちが、慣れない手つきで馬を引き連れて来る。不快そうに首を上下した馬が、乱れたリズムで石の床を打ち付ける。
アルフレードは駆け寄ると、手を伸ばし手綱を受け取った。
「ありがとう」
女性たちにそう言う。
背後から、舌打ちのような音が聞こえた。
次に瞬きしたときには、馬とともに街の手前の丘陵地にいた。
なだらかに連なる丘の先に街の城壁が見える。
遮るものの殆どなく吹き抜ける風が、やや強く頬を撫でた。
「唐突だな……」
アルフレードは呟いた。
移動すると予告くらいしてくれても良いものを。
馬に飛び乗ると、城壁を目指した。