Sala grande allucinazioni. 幻惑の大広間 II
燭台の灯りで照らされたおりにしか見たことがなかった広間だが、昼間見ると記憶にあるよりもずっと広く、装飾品が繊細であることに気づいた。
天井は思っていたよりも高く、繊細な宗教画が描かれている。
「目眩がしてしまいそうですわね」
クリスティーナも同じことを感じたのだろう。踊るような足取りで大広間の中央に向かった。
アルフレードは大広間内をぐるりと見回した。特に死体などは見当たらない。
やはり馬丁の見たものは幻覚だったか。
奥にある大きな鏡を眺めたが、合わせ鏡になどなってはいない。片側の壁に一枚だけだ。
「つまらん女でも我儘を言うことがあるのだな」
遅れて入って来たベルガモットが呟く。
「無邪気なだけだ」
アルフレードがそう返すと、ベルガモットは声を上げて笑った。
「お前も馬鹿な男のひとりか」
「なん……」
「お前の得意なダンスは、カドリーユなどではなくウィーン風ワルツなのにな」
ベルガモットがそう続ける。
「……どこかで見たことがあるのか君は」
「知らん」
拗ねているようにも聞こえる口調だ。
ベルガモットは腕を組み、広間の奥の方をしばらく眺めていた。
不快そうに眉をよせる。
「本当にこれはナザリオの仕業かのう」
「何か違うのか?」
アルフレードは尋ねた。
「奴は、誰かに取り憑いて丁寧に殺すことばかりをやってきた。一気に大勢をということはなかったのだが」
ベルガモットは美しい黒い目を眇めた。
「やはりお前の存在なのかの……」
「私がどうかしたか」
ベルガモットは、クリスティーナの方をちらりと見た。
「ここではやめておく。厄介なことになるかもしれんのに、お前にまで動揺されたら目も当てられん」
「厄介なこととは?」
「アルフレード様、どうかなさいましたの?」
大広間の中央にいたクリスティーナがこちらに近づく。
両手でたくし上げたドレスの裾が、一瞬だけ不自然にまくれた気がした。
「クリスティーナ、何か下に」
「え?」
「左下」
「左ですか?」
クリスティーナは左右を二、三度交互に見てから、ドレスの左側を大きくたくし上げた。
「どうかなさいました?」
何もない。
床に落ちていた何かに、ドレスが被さってしまったかのようなまくれ方だったが。
「いや」
アルフレードは口を押さえた。
先ほど替えた手袋は、とうにラベンダーの香りが染みついてしまっている。
もう口を抑えることもしていなかったので、幻覚剤は確実に吸ってしまっているだろう。
まくれたように見えたのも幻覚だったのか。
クリスティーナはしずしずと近づくと、アルフレードの顔を見上げた。
「お疲れなんですの?」
そう言い苦笑いをする。
「お忙しいのにごめんなさい。つき合わせてしまって」
「いや……」
「もう帰りますわ。その前にひとつだけ」
クリスティーナは、アルフレードの腕を取った。
淑やかな足取りで、鏡の前に連れてくる。
「疲れたときやお悩みごとのあるときは、このおまじないが良いと聞きましたの」
クリスティーナは鏡に両手を付くと、顔を鼻先まで近づけた。
「あなたは誰?」
鏡に向かってそう尋ねる。
大きな鏡の前で顔を近づける様子は、瓜二つの人間が左右対称に寄り添っているようで不思議な光景だ。
「あなたは誰?」
もういちど鏡に顔を近づけ、クリスティーナが言う。
「変わった呪いだな」
アルフレードは苦笑した。
「占い師の方から教わりましたの」
「……ああ、そちらの屋敷近くに居たという」
「アルフレード様のことも言い当てておりましたわ」
クリスティーナはにこやかに言った。
「 “冥王との交渉で死地を逃れた方ですね”って」
「え……」
アルフレードは頬を強張らせた。
「冥王と交渉……?」
ちらりとベルガモットの方を見る。
ベルガモットもこちらを向いたが、すぐにそっぽ向くように窓の方を見た。
特に気にすることではないのか。
無駄に神秘的な演出をするのは、占い師やその類いの職業の者によくあることだ。
たまたまか。
「どなたかしら」
クリスティーナは呟くと、開け放したままの入口扉を振り向いた。
「誰かいたのか?」
「扉の向こうを通った方が鏡に映っていたのですが」
クリスティーナは扉を指差した。
アルフレードは鏡に近づき、繊細なレリーフの入る縁までをも含めて隅々まで眺めた。
鏡の位置は、角度的に扉が映る位置ではなかった。
映っているのは、扉の反対側にある大きな窓と、豪華な模様の壁紙。




