Labirinto di silenzio. 沈黙の迷宮 I
「あああアルフレード様!」
馬丁が中庭に姿を現した。
慌てた様子で駆けこんで来たが、いったん立ち止まり庭木の間で忙しなくあたりを見回す。
「こっちだ」
回廊の方からアルフレードは声をかけた。
馬丁は足をもつれさせるようにして近づくと、回廊と中庭の境の低い段差の前で屈んで息を切らした。
「あっ、あのっ」
「息が落ち着いてからでいい」
「ご親族の方々っ」
アルフレードは、女中の方を見た。
「水を持ってきてやれ」
女中は慌てて厨房の方に走って行った。
「ご親族の方々、誰もいらっしゃらなくて」
「誰もとは?」
「屋敷の中、どこまで行ってもガランとしてて。空っぽっていうか」
アルフレードは、無言で顎に手を当てた。
「あっ、あの、門番もいなかったんで、おかしいなと思って覗いてみて、その流れでどんどん入っちまっただけで、無断で入ったけど決して泥棒とか」
「誰もそんな所は咎めてない」
アルフレードは言った。
「サン・ジミニャーノの屋敷全体か」
「全部です。玄関ホールから食堂広間、応接室も厨房も、ご当主一家の私室のあるあたりも渡り廊下もあちこち探したんですけど」
「使用人か侵入者らしき者は?」
「誰もいませんでした。ともかくガランとしてて。静かで」
アルフレードは、顎に手を当てたまま宙を眺めた。
「何者かに襲撃された痕跡もなしか」
「屋敷の中どこ行っても綺麗でした。よく分かりませんけど、高そうな調度品もそのままで」
荒らされた形跡もなしか。
アルフレードは考えをまとめようと黙りこんだ。
「あと」
「ん?」
「三階の大広間の両側の鏡に、おかしなものが映ってて」
「両側に鏡? そんな箇所あったかな」
アルフレードは眉をよせた。比較的近場の屋敷なのでたびたび行っているが覚えがない。
「凄く大きな鏡です」
馬丁は両腕を広げ鏡の大きさを表現しようとした。
「三階の広間に大きな鏡はあったが……」
記憶では一枚しかなかったはずなのだ。もう片方は最近になり設置でもしたのか。
それにしても合わせ鏡とはとアルフレードは眉をよせた。あまり好き好んでやるものではないと思うが。
「そこに、死体っていうか、それっぽいものが映ってて」
馬丁が言う。
「誰の」
「分かりません。どれも埋葬布に包まれてましたから」
「どれもとは? 複数なのか」
「数え切れないくらいです。広間のどこにも死体なんか無いのに、鏡にはずらっと並んで映ってて。向こう側までずっと」
「奥まで延々と映っているように見えるのは、合わせ鏡だからだろう」
そうアルフレードは言ったが、そもそもの問題はそこではない。
「広間にないものが映る……」
アルフレードは呟いた。
合わせ鏡の理屈でも聞いたことはない。
「お前の姿は?」
「映ってました」
馬丁は答えた。
「普通にか」
「はい。俺の姿は、普通の合わせ鏡したときと同じっていうか」
「みっ、水!」
女中が柄杓に入った水を持って来た。
「水を飲んで休んでいい。ご苦労だった」
「あの」
馬丁は何か言いかけたが、持って来た柄杓を女中が差し出すと、とりあえず受け取り水を一気に飲み干した。
「あの、アルフレード様」
私室の方へ向かおうとしたアルフレードを、馬丁は呼び止めて駆けよった。
「あれ、何なんですか」
「私に分かる訳がないだろう」
アルフレードはそう答えた。
「落ち着いていらっしゃるから知ってるんだと思って」
「知らん。だが、お前はもう忘れていい」
ベルガモットなら何か知っているのでは。根拠のない臆測ならあった。
全く見当もつかないよりは、そう思うと心理的にはましというだけだが。




