Misterioso duello. 謎だらけの決闘 I
「こちらだ。来い」
ベルガモットは、更に庭の奥に進んだ。
鋸壁を見上げながらアーチ型の入り口を入る。
暗く長い窓のない廊下を連れられ、やや明るい回廊に出た。
身長の二倍はありそうな巨大な扉の前に来ると、先ほどの精霊の女性のひとりが現れ、扉を開けた。
「入れ。許す」
ベルガモットは中に促した。
女性の部屋のようだった。
廊下と扉の重厚で幽々とした印象とは打って変わって、華やかな雰囲気だった。
艶やかな赤色系の敷物やタペストリーで飾られ、中央の小さな丸テーブルには白い花が飾られている。
「誰の部屋だ」
アルフレードは室内を見回しながら言った。
「この城には、わたしの部屋しかないぞ」
ベルガモットは言った。
「……許嫁がいる身なのだが」
「知っている」
ベルガモットは、長い黒髪を手で軽くまとめて胸元に垂らした。
背中を向けて首だけこちらに向ける。
「紐を解いてくれるか」
「は?」
アルフレードは周囲を見回した。
「何の紐だ」
「服の紐に決まっておるだろう」
アルフレードは視線だけを動かし、死の精霊のドレスを見た。
背中に、ドレスと同じ生地のリボンが結わえられていた。背骨に沿うように縦にいくつか並んでいる。
「脱がせろというのか」
「脱がせろとは言っていない。紐を解くだけだ。許可なく余計なことをしたら殺すぞ」
「その “殺すぞ” は君の口癖なのか」
アルフレードは眉をよせた。
死を司る精霊にしてみれば、ほのぼの日常語なのかもしれんが。
「ともかく、そういうのは断る」
アルフレードはそう告げた。
「紐も解けんのか」
「道徳の問題だ」
「使えんのう」
ベルガモットは息を吐いた。
少し間を置いてから、彼女の背後に先程の精霊の女性が現れた。白魚のような細い手で紐をするすると解く。
「始めから彼女に指示すればいいだろう」
アルフレードは顔をしかめた。
「新しい下僕を使ってみたいではないか」
黒い紐が一つずつ解け、背中の生地が少し緩んだ。アルフレードは目を逸らそうかとしたが、幸い服の中が露になる訳ではなかった。
「では女性を下僕にしろ」
「女は滅多に決闘をしないからのう」
ベルガモットは、黒いドレスをするりと脱いだ。
アルフレードは一瞬戸惑ったが、中に着ていた簡易的なドレスのみになっただけのようだった。
この程度の格好なら、身内の女性なら普段から見ている。ホッとした。
「決闘をした者でなくては、下僕に出来ない決まりでもあるのか」
「決まりはない。単なるわたしの好みだ」
ベルガモットは、部屋の奥にある豪華な赤い椅子に座ると、足を組んだ。
背もたれが大人の頭三つ分ほど高いだろうか。銀の細かい細工が縁を飾っている。
くつろぐための椅子というよりも玉座という感じだ。
「決闘で死んだ者というロマンが好きなのだ」
ベルガモットは肘かけにもたれかかり、うっとりとした表情をした。
「私は決闘などしていないが」
アルフレードは答えた。何かの例外ということか。心当たりはない。
「ああ、お前のは実際には決闘とは言い難かったが、お前の顔が気に入ったので良しとする」
黒いレースの手袋を着けた手を組み、ベルガモットは真顔で言った。
何だそれはとアルフレードは顔をしかめた。一体何から指摘したら良いのか。
「美しい顔の者など、他にいくらでもいるだろう」
「整い過ぎた顔は好きではない。そこそこが好きなのだ」
ベルガモットは、絹糸のような黒髪を指に巻きもてあそんだ。
「おお、そうだ」
何を思いついたのか、不意に顔を上げる。
アルフレードの横に白い精霊の女性が現れ、櫛を手渡した。
「髪を鋤いてくれぬか」
「は?」
「髪だ」
ベルガモットは、自身の黒髪をひと束持ち上げた。黒い目を艶っぽく細めて笑む。
「女性の髪など鋤いたことはない」
「何なら出来るのだ、お前は」
ベルガモットは紅い唇を尖らせた。
「わざわざ男に出来にくいことを並べて、からかうのが君の趣味なのか」
アルフレードは手渡された櫛を丸テーブルに置いた。
「ひねくれておるのう」
「君が母の死に関わったことは、今のところは追及する気はない」
アルフレードは言った。
「ひとつ疑問なのは、決闘とやらのことだ。した覚えもないのに、なぜ折々に会話に出て来る」
ベルガモットは肘かけに肘を付き、上目遣いでアルフレードの顔を見上げた。
猫が人の顔をじっと見るときのような、感情の読みにくい凝視だとアルフレードは感じた。
「どこから説明させたい」
ベルガモットは尋ねる。
「どこからとは……全くそんなことをした覚えがないのだが」
「全くか」
ああ、とアルフレードは答えた。
ベルガモットが、宙を眺める。
完全な黒目ではなく、瑠璃色の光彩が混じっているのだと気づいた。この際どうでも良いことだが。