第五話『臆病娘とドラゴンジュエル』
「学校にいる間は話しかけられても返事できないからね」
『言われるまでもない』
人通りのまばらな通学路を歩いている途中、肩に乗った白龍に小声で話しかける。
家から学校までの電車がオフィス街と運よく逆方向なのもあって、通勤ラッシュは避けることができるのは嬉しい。反対側の電車がいつも大変そう。背が低いからきっと押しつぶされると思う。
学校の周りを覆うように植えられた桜の木。すっかり緑の葉に覆われた木々は、柵に囲われた敷地内に並んでいる。
校門あたりまで来ると、同じ制服を着た生徒たちが増えてくる。
――あ、そうだ。奏波に借りてたノート、今日授業があるから一度返さないと。また借りることになりそうだけど。
結局昨日はいろいろあって――ありすぎて、借りたノートはずっと鞄に入れっぱなしだった。まだ授業内容も序盤だからなんとかなるかな……なったらいいなぁ。
校門から昇降口までの間には、幅のある道と円形の花壇がある。色とりどりのパンジーが日の光を受けて顔を上げていた。
その横を通り過ぎ、下駄箱で上履きに履き替えたとき――
「……?」
気になる後ろ姿を見つけた。
なにかが描かれたプリントを手に持ち、それと辺りを交互に見回している人物。男子制服を着ているから生徒だと思うけど……
――よく見たら校内地図だ。迷子? 困ってる……のかな?
いやでも知らない人に話しかけるのは――
『なんだあの人間。迷い人か?』
白い龍も気になったのか、赤い瞳を瞬かせてそちらを見る。
や、やっぱり困ってる人なんだよね……生徒のはずなのに校内で迷子になってる理由はわからないけど。
ひとつ息をついて、意を決して話しかけた。
「あの……」
「え?」
恐る恐るその背中に声をかけると、相手はゆったり振り返った。
頭一つ大きい相手だ。
模範的な短髪に、着崩れ一つない制服。けどそれ以上に……陶器のような肌に、赤みがかった薄茶の瞳。よく見ると髪も光を通して淡い色に透けている。
――男の人なのに綺麗な人……
一瞬視線を奪われたけど、本来の目的を思い出し、慌てて言葉を続ける。
「あ、なにか、困ってそうだったので……その、手伝えることがあったら、手伝いますが……」
連ならない台詞を絞り出し、なんとか文章として発した。
相手は最初不思議そうにこちらを見下ろしていたけれど、すぐに柔らかい目元を細めた。
「ああ、ありがとうございます。僕、学校に来るの久々で。職員室ってどこでしたっけ?」
「それなら二階の……あ、そこの階段を上がって右に行くとありますよ」
と、近くの階段を指差す。
「そうなんですね。ありがとう。ええと、君は一年生? 名前を訊いても?」
「えっ、はい。一年の凛堂です」
彼から突然の質問。びっくりしたけど即座に返す。
「じゃあ後輩さんだね、凛堂さんは。僕は二年の白銀――」
不意に言葉を切り、顔を背けて激しく咳き込む。口元にハンカチを当て、背中を屈めるほどの重い咳。
「だ、大丈夫ですか……!?」
急な変化に驚く。彼は飲み込むように咳を治め、さっきまでより少し弱々しいけれど、穏やかな笑みを浮かべる。
「ごめんね、大丈夫だから。それじゃあね」
白銀、と名乗った彼は、白魚のような手をひらりと振って、そのまま階段へ向かっていった。その姿を、見えなくなるまでぼんやりと眺めていた。
不思議な空気を纏った人だ。優しげで、でも儚い……触ったら消えてしまいそうな危うさも感じる。
ああ、『我』が求める宝玉はきっと……
『――ユエよ、我とはずいぶん態度が異なるのではないか?』
「へぁっ」
耳元で響く声に肩が跳ねた。
周りを一瞥し、人のいない階段下へ場所を移す。
「……そ、それは、いきなり襲ってきたあなたと違うのは当たり前でしょう?」
囁き声で反論するも、白龍はふいと横を向いてしまう。
『どうだかな。人間と言うものはすぐに心移りする生き物だ。大方、先の人間に恋慕でもしたのだろう?』
「それはないよ。人間はそんな単純じゃないよ」
穏やかに即答すると、龍はこちらに視線を戻す。
『そうか。だが貴様の目……宝を欲する竜の目をしていたぞ』
「え……」
思ってもみないことを告げられ、小さな声を漏らす。
――そ、そんなこと……ない、はず……
でもさっき。一瞬。私は、なにを考えた?
思考を遮るように、頭を軽く振る。と、とにかく今は教室を目指そう。そうしよう。
「……変なこと言わないでよ」
ぼそりと呟く。さっき白銀先輩が上っていった階段に、私も向かった。
龍の赤い瞳が、静かにこちらを見据えていたのには気づかないふりをして――
◆ ◆ ◆
「勇絵~、昼飯食べよう!」
ショートカットのスポーツ少女・奏波は元気に声を掛けてきた。
「そうだね」
朝は肌寒かった外気も、昼を過ぎれば日差しもあって、春らしい暖かさが訪れていた。
「なんかあったかいし中庭行かない?」
「中庭? いいよ」
彼女の提案に、それもいいかなと思い同意する。
「昨日は訊くこと多くて忘れてたけど、外で食べるの久々じゃん? 入院してたんなら」
こちらを気遣っての発案なのだろう。奏波は優しい子だ。知ってるけど。
私達はお弁当箱片手に、教室を出た。
時計の長針が半分ほど進んだ頃、空になった弁当箱を包み直す。
「はー、食ったー!」
「奏波のお弁当いつも大きいよね。私の二倍くらいかな」
「運動部お腹空くんだよ。あと勇絵が小食すぎるんだって」
植込みを囲うように、レンガでつくられた石段の上に私たちは腰かけていた。辛うじて上履きのまま出ても大丈夫な範囲。日当たりが暖かい。
「――あ!」
奏波が突然声を上げて立ち上がる。
「ど、どうしたの?」
「やっば、次の選択授業あたし移動教室だ! ごめん、先に戻るね!」
手を合わせて頭を下げると、雑に弁当をまとめて校舎へ消えていく。その後ろ姿に手を振って見送った。
――か、奏波は元気だぁ。
スマホの時間を確認する。お昼休みももうすぐ終わり。
立ち上がろうとして――
『おい』
――っ!
びくりと肩を震わせる。つい慣れてしまってたけど、肩にはずっと白い龍がいるんだった。横目でそちらを見る。
「な、なに……?」
『人間は屋根もない地面で寝る習慣でもあるのか?』
――え?
龍が顎で示す先を見る。
校舎に沿って植えられた低木。その傍らに……人間の脚がある。
「ひっ……!?」
思わず腰を浮かした。弁当箱が膝から落ちる。
ズボンをはいた脚からして男子生徒だろう。上半身は低い木々に阻まれて見えない。
――倒れてる? 誰か、誰か呼ばないと
周りを見ても、ここは人通りの少ないこぢんまりとした中庭。運動場に面してもいない。
上履きのまま走り出し、倒れている人物に近付く。
「あの、大丈夫ですか!?」
「――う……」
うつ伏せに倒れた相手の肩をゆすると、小さく声を漏らした。手をついて起き上がる。
――よ、よかった……って。
「あ」
「あれ? 確か朝の……」
昇降口で出会った、色素の薄い先輩。目を丸くしてこちらを見る。
「凛堂さん、だっけ?」
「え、ええ」
「ああよかった」
ぱあ、と笑顔になった直後、ただでさえ白い顔色が真っ青になり――
「保健室、どこか……な……」
体が傾いだ。咄嗟にそれを支える。
――え、えええ……
困惑は拭えないけれど、とにかく緊急事態。足がふらつくのを踏ん張って彼に肩を貸しながら、保健室までの最短の道のりを考えた。
◆ ◆ ◆
午後の授業が終わり、帰ろうとしたけど……どうしても気がかりで保健室に足を向けた。もう帰ったかもしれないと思いながらも、そっと引き戸を開けると、ちょうどベッドに腰掛けながら荷物をまとめていた彼を見つけた。
「……もう大丈夫なんですか?」
白を基調とした室内を見渡しながら、寝台の横に歩み寄る。
「うん。もうだいぶ楽になったから。ありがとうね」
お昼のときよりも血色がよくなっている。よかった。
――そういえば。
「保健の先生は……?」
「ああ、職員会議があるみたいで、僕ももうすぐ帰るからさっき出て行ったよ」
他のベッドも空だ。今は私と白銀先輩しかいないみたい。
昼間のことを思い出し、ふと疑問に思っていたことを尋ねる。
「ところで、どうして中庭で倒れてたんですか?」
「ああ、昼休みの間に校内を見回っておこうと思って」
――見回る? 二年って言ってたけど……あれ?
「僕、実は登校したの今日が二回目なんだ。入学したときに一度来て、そのあとしばらく入院してて」
「えっ、そうだったんですか」
「勉強とかテストは病院で受けてたから、進学はできたんだけどね」
学校に不慣れな先輩の理由に納得した。
ふと彼が腕時計を見る。そして、赤みがかった瞳がこちらに向く。
「迎えが来るまで少しだけ時間があるんだけど、その……もし凛堂さんがよければ、学校のことを聞かせてくれないかな?」
「え……」
室内の壁時計を見る。時間は問題ない。だけど、私だって学校に入学してから日は浅いし、それに面白い話題なんて出せる気もしない――
「同年代の人と話すの、久しぶりなんだ」
どこか寂しそうに告げられる。
彼には私を無理に引き止めるつもりはないのだろう。でも……そんな顔されたら、断れないよ。
カーディガンに爪を立てている白龍は、相変わらず肩にいる。そちらに視線を向けると、勝手にしろと言わんばかりにふいと横を向いてしまう。
「――はい、大丈夫です」
近くに置いてあった丸イスに、鞄を抱えて座る。
なんでだろう。なんとなく、まだここにいたいと思った。はっきりとした理由はわからないけれど。
外から差し込む光は、徐々にその筋を伸ばしていた。




