91.端緒
夜ーーもうすっかり辺りも暗くなった酉の刻頃。
段々盛り上がってきて皆興に乗じつつある博麗神社の境内、宴会会場にて。
「もーっ、酷いよ!確かに助けてとは言ったけどもう少し気を付けてよ!!」
「わ、悪かったって!けど急に目の前にあんなのが出てきて助けてなんて言われたら誰だって慌てるだろ?」
「うーん......まあ一理あるけど。」
危うくフレンドリーファイアしかけた魔理沙に対して怒る妖夢。
そのやりとりを見て周囲の者達も笑う。
「妖夢は女の子だから苦手でも無理はないけどいくらゴキブリとはいえ虫くらいで悲鳴をあげるレンも情け無すぎない?」
と霊夢は横から茶化した。
「うっ......いやでもあれだけの数見たら誰だってびっくりすると思うんだけどな。」
「そうだよ霊夢!こんなに!こーんなにいたんだよ!」
両手で大きく輪っかを作って見せる妖夢。
「私だったら丸めた新聞紙持ってきて片っ端から叩き潰すわよ?」
「さすがは霊夢。妖怪にもゴキブリにも容赦無いな。」
今度は魔理沙が横からそんな茶々を入れたので、何だかおかしくてレン達は笑ってしまった。
「うーん......それにしても何でゴキブリ達は追いかけて来たんだろうな。」
「そりゃ住処を襲われたからだよ。虫達だって自分の家を襲われたと思ったらそりゃ怒るに決まってる。」
レンの独り言に答えたのは、近くに座っていた緑髪の少女だった。
髪は短く、白いブラウスにキュロットパンツという出立ちなのもあって中性的な印象を受けるが声でかろうじて女の子だと分かる。
「君は......いつもチルノ達と一緒にいる子だよね?」
「うん。私はリグル・ナイトバグ。蛍の妖怪だよ。別にゴキブリとはあんまり仲がいいわけじゃ無いけど......一応同じ虫であるよしみで彼らが脅かされるのをよしとするわけにはいかないからね。」
「ご、ごめん......。物探しをしている時にうっかり彼らの住処を刺激してしまったみたいで......。」
「いや、別にレンさんが直接何かしたわけじゃないみたいだし謝らなくてもいいよ。虫達から聞いた話では、彼らゴキブリの住処だった棚を揺らしたのは妖夢さんで、彼らを焼き払ったのは魔理沙さんらしいし。」
その声を聞いて魔理沙と妖夢がほぼ同時にぎくりと肩を震わせる。
「「す、すみませんでした......。」」
「全く......もうちょっと気を付けてよね。別にゴキブリ達とは仲がいいわけじゃなかったから大して思うところはないけど。一寸の虫にも五分の魂、ちゃんと胸に刻んどいてよ。」
あっ、大して思うところはないのね。
リグルは短めに説教をし終わると、チルノや大妖精達のいる方へと戻っていった。
「一寸の虫にも五分の魂、ねぇ......。」
「ちぇっ、逆にあの場面で焼き払う以外にどうすりゃ良かったんだよ。あのままじゃ私もゴキの大群に呑まれてたぜ。」
「妖夢だって怖かったんだもん!まあちょっぴりゴキブリも可哀想かなとは思ったけど。」
「失神してたしな。」
「う、うるさーい!魔理沙は余計なことは言わなくていいの!!」
恥ずかしそうに顔を赤らめる妖夢に、魔理沙達はどっと笑う。
「そういえば、今日は霊夢はお酒飲まないんだな。」
「ええ、まあね。せっかく新年迎えるなら酔い潰れて寝たりしないで起きていたいし、明日から色々と神事とかやらなくちゃいけないから二日酔いとかもできないし。」
「へぇ......ちゃんと巫女してるな。感心感心。」
「な、何よその言い方ー!ムカつくー!」
「あはは、痛い痛い。」
霊夢はべしべしとレンの脇腹を軽めに小突いた。
「霊夢さん今年は割とちゃんと境内掃除してましたもんねー。」
と、早苗も茶化す。
「うっ......まあね。レンに言われて渋々。」
「ですよねぇ......。」
「やっぱり霊夢は縁側で昼寝してるかお茶飲んでる方がよっぽど霊夢って感じするよな。」
「うっさいうっさい!」
その反応を見て魔理沙は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ところで妖夢、何で妖夢も今日お酒飲まないんだ?なんか理由があるのか?」
「うぐっ......。」
わざとらしく聞く魔理沙に、妖夢は露骨にそっぽを向く。
と、そこへ後ろから幽々子がやって来て
「前回の宴会で泥酔して、レンにべたべたに甘えて恥ずかしい思いしたからねぇ。妖夢ちゃんあの後、酔いが覚めて“もうお嫁に行けない”とか言って泣いてたのよ〜。」
扇子で口元を隠してくすくす笑いながらそんなことを言った。
「んあーーっ、幽々子様!それ言わない約束だったじゃないですか!?どうして皆の前で言っちゃうんですか!!」
妖夢の顔はさっきにも増して真っ赤っか。
これには再び周りからもどっと笑いが起こる。
ーーまあなんにせよ、今日は無理矢理酒を飲ませてくる奴がいなくてよかっt......。
「レンはもちろん酒飲むよなー?」
そう言って横から肩を組んできたのは......お酒好きの鬼、萃香だ。
その頬は紅潮しており、もうだいぶ酒が入っていることがうかがえる。
ま、まずい......この流れは。
「い、いや......霊夢達も呑まないんだし俺も今日のところは......」
「遠慮するなって〜。ほら、呑め呑め!!」
「遠慮なんかしてないよ!?」
「私の酒が飲めないってのかー?」
......アルハラの常套句だ。
「いや、ほんと勘弁してくだs......うぐぐ」
ちらりと視線をやれば、先ほどまで酒を飲まされていたっぽい鴉天狗の文が“ご愁傷様......”みたいな顔でこちらを見ていた。
霊夢と魔理沙は大笑い、師に危機が迫っていることを悟った妖夢はおろおろ。
それイッキ、イッキ、という掛け声が周りから聞こえてくる。
いやいやいや、見てないで助けて!?
どうしていっつもこうなるの......。
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「んっ、ふわぁ......。」
不意に夜風の冷たさを感じて、妖夢は目を覚ました。
「うぐぅ...重い......。」
魔理沙が妖夢の上にのしかかるようにしてすやすや寝ていた。
寝相悪すぎだよ、魔理沙......。
妖夢は彼女をちょっと雑に押しのけて、ぼんやりと曇る目を擦りながらむくりと起き上がる。
辺りは真っ暗だ。
月は夜空を煌々と照らしていて......その高さから察するに大体鼠の刻ぐらいだろうか。
年越したかな。
見回せば、宴会で酔い潰れて寝てしまった者達が多数。
ーーあーあ、こんなところで寝てたら皆風邪ひいちゃうよ。
「......くしゅん。」
かくいう妖夢も小さなくしゃみを一つ。
.....お師さまは大丈夫かな。風邪をひいたりしないといいけど。
毛布でもかけてあげようか、などと思いつつ師の姿を探すが見当たらない。
どこに行ったんだろうか。
母家で寝てるのかな。
「......。」
まだ寝起きでぼんやりとした頭を働かせるのが面倒臭くなった妖夢は思考を打ち切って立ち上がり、厠へと向かった。
※※※
「うぅ......寒いなぁー。」
雪こそ降っていないが吐く息は真っ白。
両手を擦りながら厠に入る。
戸の鍵を閉めて大きな欠伸をした時。
......誰かいる?
彼女は窓辺に取り付けられた格子越しに誰かの気配を感じ取った。
厠は神社の裏手に面する位置にあるので厠の中から格子越しに神社の裏側が見える。
ここから見える限りでは二つの人影。
どうやら本当に誰かいるようだ。
あれはお師さまと......霊夢?
こんな時間に二人で何をしているのだろう。
妖夢は無意識のうちに息を潜めてバレないように格子越しに二人の様子を覗いていた。
二人とも地面に座って何か話しているようだ。
声を発しているのは分かるのだが、ここからでは会話の内容を聞き取ることはできない。
ーー二人とも眠れないからお話でもしてるのかな。
二人から目線を外そうとしたその時。
霊夢はすっと前へ出るとレンにくっついた。
そして彼の肩にその華奢な腕を回し、顔を近づけゆっくりと押し倒すーー
「っ......。」
妖夢は息を呑んだ。
そしてすぐさま目を逸らす。
......これ以上は見ていられない。
妖夢は震える手で耳を塞いだ。
友達の......霊夢の嬌声を聞きたくなかったから。
あれって......。
脚から力が抜けて、その場にへたりと座り込んでしまう。
ーーやっぱりもう二人はそういう関係だったんだ。
もしかして、とか勝手に舞い上がっていた自分が馬鹿みたい。
そりゃそうだよね。
私なんかよりも霊夢の方が可愛いもんね。
......私じゃ駄目なんだよね。
きっと私にとっての生き甲斐である貴方と過ごす時間は貴方の中では物語にすらなれない。
全部私の独り芝居だったんだ。
視界が徐々に滲んでいく。
勝手に涙がぽろぽろと溢れる。
私は一人で勝手に舞い上がっていた可哀想な脇役。
でも......こんな風に泣くのは良くない。
友達の恋が実ったのだから喜ぶべきことじゃないか。
無理矢理口角を上げようとしても、健気な妖夢の心とは裏腹に止めどなく雫が頬を伝っていく。
何やってるんだろ、私。
彼女は膝を抱えると、その場に蹲った。
******(霊夢、レン側)
「痛っ......。」
「じっとしてなさいよ。もう少し......はい、終わり。」
「しっかしなんだか恥ずかしいな、この姿勢。もし誰かに見られでもしたら勘違いされそう......。」
か、勘違いって......。
「し、仕方ないでしょ!暗くて顔を近づけないと良く見えないし、肩を押さえとかないとあんたはふらふら動くんだから。......バーカ!!」
「な、なんでちょっと怒ってるの?」
「怒ってないっ!」
......怒ってるじゃん。
なんか表情もムッとしてるし。
刹那、暗闇から結構大きな虫がぶぶぶ、と派手な音を立てて飛んで来た。
「......きゃっ!?」
「うわっ!?」
驚いて反射的にレンに抱き付く霊夢。
その拍子にレンもバランスを崩し、耐えようと踏ん張っては見たもののそのまま仰向けに倒れる。
「ぐふっ......。」
背中が土の地面と軽く衝突する感覚。
霊夢が上から覆い被さるような形で止まった。
「「......。」」
二人とも気恥ずかしさに、至近距離で見れば暗闇の中でも分かるほどに顔を赤くする。
誰かに見られたらそれこそ誤解されるような状況だろう。
その体勢のまま互いの間にしばらく沈黙が続いたが、やがて思い出したかのように一言小さなもごもごした声で“ごめん”と言うと、霊夢は漸くレンから離れた。
ーーレンの身体、温かかった。
まだ余韻のように温もりが残っている。
「......ひ、昼間のゴキブリがまだ残ってたんだね、はは。」
気まずさを誤魔化すためにレンはそんなことを言ってみたが、霊夢の反応は無かった。
再び沈黙が訪れる。
レンは絆創膏を貼ってもらったばかりの自分の頬を撫でた。
「......結構痛いな。」
「あんたも馬鹿ねぇ......。何もないところで転ぶなんて。」
「あはは、ちょっとお酒で酔い過ぎてたのかもな。」
つい先ほど厠へ行く途中で足元をふらつかせ、石畳の上でコケてしまったのだ。
頬からだらだら血が出て割と痛かった。
そこへ眠れずに散歩をしていた霊夢が丁度やって来たので、傷口を消毒して応急処置だけしてもらったというわけだ。
「ん......?」
「どうしたの?」
「いや......なんか厠の方から誰かが啜り泣くような声が聞こえたような気がして。」
「ふふっ......私はそういう怪談の類は全然平気だって分かりきってるでしょ?」
「いや、怖がらせようとかじゃなくて本当に......まあいいや。」
「......?変なの。」
二人は境内正面の方へと戻っていった。




