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東方星剣異聞  作者: くぅすけ
6章 白銀と幻想、幽し桜の夢
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89.ささやかな幸福




「うぅ......寒いな。」


霖之助は読んでいた本を閉じて、一つ身震いをした。


普段着ている服の上にさらに重ね着をしてはいるものの、やはり真冬の夜中となっては耐え難い寒さである。


「へくちっ......。」


刹那、魔理沙が可愛らしいくしゃみをした。


やはり夜空は一向に晴れる様子もない。


もうそろそろ引き際かな、と判断した霖之助は一つため息を吐いてから立ち上がった。


「一旦うちに入らないかい?空が曇っていて星も見えないし、このまま外で晴れるのを待ってても風邪をひいてしまうだろう。中からでも窓越しに空は見えるから、ストーブを焚いて暖かい室内から見ようじゃないか。」


「ああ、これ以上外で待ってたらほんとに風邪引いちゃうぜ。」


「丁度私もおんなじこと考えてたの。早く中へ入って暖まりましょう。」


霊夢と魔理沙は霖之助の提案に口を揃えて賛同すると、さっさと香霖堂店内へと入って行った。


「さあ、俺たちも早く中へ入ろう。......妖夢?」


レンも立ち上がって室内への退却を促したが、妖夢は体育座りしたまま動かない。


「あ......いえ、私はもうちょっとここで待ってます。せっかくならお星様を生で見たいですし、お願い事も考えてきたのでちゃんとお外で流星群にお願いしたいんです。」


「風邪を引いてしまうよ?」


霖之助も心配して声を掛けるが、妖夢はふるふると首を横に振った。


「お師さまも霖之助さんも風邪を引いてしまうといけないので中で待ってて下さい。あともう少し......ほんの少しだけ妖夢はここで空が晴れるのを待ってます。」


「じゃあ俺も一緒に待つよ。」


レンは再び妖夢の横に腰を下ろした。


「えっ......。妖夢は半分霊なので割と身体は頑丈なつもりですが、お師さまは人間のお身体でしょう?あんまり長い間寒い中にいるとお体に障りますよ?」


「いや......俺も大分普通の人間よりは風邪引きにくいと思うから安心してよ。」


「例えそうであってもお師さまに気を遣わせるわけには......」


「遣ってない遣ってない。俺もどうせなら外で星を見たいからさ。」


「ほ、本当ですか?」


「ほんとほんと。」


レンはにっ、と笑ってみせた。


ーー本当は寒いから室内に入りたい気持ちもあるにはあるけどね......。


でも妖夢一人だけ外に置いて室内でぬくぬく星が出るのを待っているのはなんだか後ろめたいと言うか......。


「うーん、参ったな......。あ、じゃあちょっと待ってて。」


そう言うと、霖之助は香霖堂へと入って行った。


数分ほどして戻ってくると、霖之助はレンと妖夢にそれぞれブランケットを手渡してくれた。


「気休めでしかないだろうけど......うちにあるものの中では多分一番暖かいやつだよ。」


「ありがとうございます。」


「ありがとう、助かるよ。」


「それじゃあ僕は室内に戻るから。お茶とか飲みたくなったら来なさい。くれぐれも風邪を引かないように。」


霖之助はもう一度こちらを振り返った後、香霖堂へと入って行った。


「......本当に中に入らなくて良かったんですか?お師さまもお寒いでしょうに。」


「まぁ寒いのは嫌だけど......妖夢一人だけ外に残して置くのもなんか嫌だなって思って。確かにどうせ星を見るならちゃんと外で見たいっていう妖夢の言い分もわかるからさ。」


「妖夢のわがままに付き合わせてしまってなんか申し訳ないです......。」


「いやいや、別に妖夢が気を揉む必要はないさ。俺が居たくて勝手にここにいるんだから。」


「でも......。」


「大丈夫。きっともう少ししたら空も晴れて星が見えるようになるよ。寒いけど、それまで一緒に待とう?」


「......。」


ーーやっぱり、お師さまは優しいですね......。


「妖夢?」


レンは何も言わなくなった妖夢の顔を心配そうに覗き込んだ。


「ふふっ......なんでもないでーす。」


なんだか腹の底がくすぐったいような心持ちになる。


彼女はどんよりと曇った夜空を見上げた。


......この静かな空間でお師さまと二人っきり。


ずっとこうしていられるなら、別にお星様見えなくてもいいかな。


「妖夢。」


「......はい?」


「寒くない?」


「はい、全然大丈夫です。今日は大分あったかい格好してきたので。」


「確かにそれもこもこしてて暖かそうだね。」


妖夢はいつもの青緑色のベストの上にふわふわした布地のポンチョを羽織っている。


蝶ネクタイもいつもの黒いやつじゃなくてちょっとおしゃれな柄のものに変わっている。


そしてその首元にはレンがこの前買ってあげたマフラーが巻かれていた。


「あっ、そのマフラー使ってくれてるんだ。」


「はい!えへへ、妖夢が初めてお師さまからもらった宝物ですからね。それはそうと、お師さまの方こそ寒くないですk......くしゅん!!」


「ほら、無理せずにこっちも使いなよ。」


レンは小さく笑うと、妖夢の膝下に自らの分のブランケットをかけてあげた。


「そんな......悪いですよ。お師さまも寒いでしょう?」


「いや、俺はローブ羽織ってるから大丈......ぶぇくしょい!!」


今度は妖夢が盛大に笑う番だ。


少しばつの悪そうな顔をするレンを見て、彼女はくすくす笑った。


「......お師さま、じゃあ一緒に温まりましょう。」


「うん......?」


妖夢は自分の膝にかけていたブランケットを、レンを包み込むように広げながら彼にくっついた。


柔らかな感触とふわふわとした温もりが伝わってくる。


「こうしていっしょに毛布にくるまっていればお互いの熱で暖を取れますし、どちらかが寒いなんてこともありません。」


「そ、そうだね。」


「えへへ、あったかいですね。」


「あったかいね。」


......あったかくて、ほんのりいい匂いがする。


これはこれで快適......だけど恥ずかしくて妖夢の方をまともに直視できない。


「そ、そんなに恥ずかしがらないでくださいよぉ......。妖夢だって恥ずかしいんです。」


「あはは......ごめんごめん。」


謝りつつ妖夢の方へ視線を戻すと、丁度彼女と目が合った。


翡翠色のまん丸な瞳。


無垢、純粋といったような言葉がぴったりな曇りの無いその瞳には少し恥じらいの色がうかがえる。


「あのぉ......そんなに堂々と見つめられても恥ずかしいです。」


「ご、ごめん。」


レンはそそくさと目を逸らした。


「そんな露骨に目を逸らされても妖夢傷付いちゃいます......。」


「ごめん......。」


......さっきから謝ってばっかりだ。


「ひょっとしてお師さまもこういうの慣れてないんですか?」


「ま、まぁね。今でこそだいぶ耐性付いて慣れたけど、昔は異性の子と話したりするの苦手だったし。」


「そ、そうだったんですか?」


「......恥ずかしい話、本当に小さい頃は一人親しい女の子がいたんだけどその子以外の女の子と喋ったことなかったからさ。ちょっと他の子に近付かれただけで顔真っ赤、みたいな。」


「ふふっ、なんだか可愛いですね。お師さま......妖夢にもどきどきしてくれてますか?」


「うん、正直言って今鼓動やばい。」


「えへへ......妖夢もどきどきしてます。」


手を胸に当てて、妖夢はちょっぴり恥ずかしそうに笑った。


夜空を見上げ、小さく息を吐く。


一瞬白くなった息は上へ上へと昇っていき、たちまち夜の帳に溶け込んでいった。


空にはまだ雲が立ち込めており、星は見えない。


暫く二人は無言で曇り空を眺めていたが、やがて妖夢の方から口を開いた。


「......お師さま、ちょっと聞いてみたかったことがあるんですけどいいですか?」


「ん、どうした?急に改まって。」


「お師さまは以前、元いた世界にいらっしゃったお師様にとって“大切な人”についてお話しされていたじゃないですか。その“大切な人”って、さっきの話に出てきた女の子のことですよね?その方はお師さまにとっては具体的にどのような関係の方だったのでしょうか?」


「ああ......」


ーーサラのことか。


ふと懐かしい記憶に触れて、レンはため息を吐きながら目を伏せた。


「あっ......もし思い出すのも辛かったのでしたら、気分を悪くさせてしまってごめんなさい。今の話は忘れて下さっても......」


「別にそんなことはないよ。大丈夫大丈夫。そうだなぁ、どんな関係だったかと聞かれると......。」


「親友ですか?幼馴染ですか?それとも恋人、とか......?」


「い、いやいや恋人だったわけではないよ?今妖夢が挙げた中だったら幼馴染、が一番近いかな。ちっちゃい頃から何をするにもずっと一緒だったよ。」


愛しい幼少期の記憶へと想いを馳せる。


そう、彼女とはずっと一緒だった。


死ぬときでさえも......。


「とにかく面倒見がいい子でさ。いっつも俺のことを心配してくれるんだよ。そんでもって村で一番可愛くて、頭が良くて優しくて......今思えばなんであんなに完璧な子が俺みたいな奴なんかに構ってくれてたんだろうな。」


あの栗色の長い髪に、空の色をそのまま溶かし込んだような蒼くて美しい瞳。


もう二度と見ることのできないだろうその姿を思うと、切なさに胸の奥がちくりと痛む。


レンが師匠の剣を勝手に持ち出した挙句誤ってへし折ってしまった時は涙目になりながらも一緒に頭を下げてくれたし、風邪をひいた時にはいつも風邪に効く薬草を手提げ籠いっぱいに摘んできてくれた。


今彼が作れる料理も、作り方はほとんど彼女から教えてもらったものだ。


......学院時代に夏の休息期間最終日まで俺が溜め込んでいた課題を徹夜で手伝ってくれたこともあったっけ。


手伝う、と言うよりは俺が課題を放り出して寝ないように監視していた、と言った方が正しかったけど。


思い返せば彼女にお世話になりっぱなしだったな。


「......きっとお師さまはその方のことが好きだったんですね。」


「うん......そうだったのかもしれないね。」


ずっと一緒だったから、彼女に会えなくなって初めていかに自分が彼女に頼りっきりであったかということに気が付いた。


あんなにお世話になったのに、彼女のことが好きだったのに。


......守ってあげることができなかった。


レンはほっと一つ息を吐くと、目を細めて俯く。


「......。」


ーーお師さま......。


師の顔にほんの一瞬だけ現れたその寂しそうな表情を、妖夢は見逃さなかった。


彼女はいつも笑顔を絶やさないレンが、ごく稀にこんな風に寂しそうな顔をするのを知っている。


......やっぱり。


これで憶測は確信に変わった。


やはり彼は未だに前の世界での記憶に苛まれている。


きっとどんなに笑っていても、心の奥底では大切な人を救えなかったことへの後悔とそれに付随する苦しみを背負い続けているのだ。


ずっと心に刺さったままの棘を優しく取り除いてあげたい。


大好きだからこそなんとかしてあげたい。


心の底から笑えるようになってほしい。


ーーでも、きっと私なんかじゃお師さまの心の空白は埋められない。


なんだか急に自分がちっぽけで無力な存在に思えてくるのと同時に、ある種の寂しさを彼女は感じた。


......私じゃ駄目なのかな。


「......お師さま。」


「ん?」


「何か辛いことや相談したいことがあったら、なんでも妖夢に言ってくださいね?」


「う、うん......。」


「妖夢で良かったらいつでもお話聞きますから。もしも言葉で伝えづらければ直接甘えてくれたって良いですよ。よしよししてあげます。」


「あの......妖夢?」


「妖夢はお師様のことが心配なんです。」


「......心配してくれてありがとう。あはは......この前霊夢にも同じようなこと言われたんだけど、俺そんなに疲れているように見えるかな?」


「いえ、まあ......皆心配なんですよ。お師さま、人のために色々と頑張ってますしね。」


道の掃除をしたり、問屋の荷物を運んであげたり、無償で用心棒を請け負ったり......彼が里守りの業務外の人助けも率先してやっているのを妖夢はよく知っている。


そういう風に親切な性格をしているからこそ彼は人里でも人気があるのだろう。


「それと心配といえば......お師さまは優しすぎていつか悪い女の子に騙されたりしないか心配です!」


「えぇ......?」


「安心して下さい。お師さまが(たぶら)かされたりしないように妖夢がお側にいる時は見守っててあげます。お師さまを誑かすような女狐は絶対にお師さまに近づかせませんよ!」


「お、おう。......ありがとう?」


「あとお師さま、あんまりむやみやたらに弟子増やさないでください!あ、いや、弟子を取るのはお師さまのご自由ですけどあんまり浮気されちゃうと妖夢拗ねちゃいますよ?」


「えっ......?俺新しく弟子なんて取ったっけ?」


「ほら、この前神社に来たって言ってたじゃないですか!」


あぁ......椛のことかな。


「いやいや、確かに遊びに来てはくれたけど別に弟子ではないよ!?今んとこ俺を師として仰いでくれてるのは妖夢だけだよ。」


「えぇ......本当ですかー?」


「ほんとほんと!」


......どうして俺は疑われているんだろう。


妖夢はジト目でレンを見つめてからふふっと小さく笑った。


「......お師さまはいっつも妖怪やら里の人やら誰かの所に引っ張りだこじゃないですか。お師さまが皆から人気なのは妖夢も嬉しいんですけど......たまには妖夢にも構ってくれないと寂しいんです。」


「そ、そんなことはないと思うけど......。まあでもまた今度人里で会った時には何か甘味食べに行ったり一緒に横丁ぶらぶらしたりしようね。」


「はい、是非是非!」


妖夢は嬉しそうにあどけない笑顔を浮かべた。


ーー今度は何処に遊びに行こうかな。


鼻歌を歌って、妖夢はるんるん気分。


たまには人里以外の所へ出向くのも良いな。景観が綺麗なところに雪景色を観に行ったりとか。


でもそうなると午前午後跨ぐことになるよね?


あらかじめ日程決めて約束したほうがいいかも。


......これってもしかしてデートのお誘いになっちゃうのかな?


夢中になってやりたいことや行きたい場所などをあれこれ思い描く。


「お師さまお師さま、里の南側に新しくできたたい焼き屋さんに行ったこと......ってあれ?」


妖夢はそこまで言いかけたところで隣に座っているレンがいつの間にかすやすやと静かに寝息を立てていることに気がついた。


寝ちゃってる......。


きっと毎日忙しくて疲れてるんだろうな。


なんだか幼い子供のように邪気の無い無防備なレンの寝顔を見て、妖夢は思わずくすっと笑ってしまった。


「お師さまの寝顔、可愛いなぁ......。」


ーー寝ている今のうちならぎゅっと抱き締めてもバレないかな?


落ち着け......落ち着くんだ私。


「なぁ妖夢、なんでそんなによによしてるんだぜ?」


「うっ、うわぁぁっ魔理沙!?」


「そ、そんなに驚くことないだろう。こっちの方がビビるぜ。」


魔理沙がいつの間にか後ろに立っていた。


彼女は不思議そうに小首を傾げている。


「しーっ、静かに!お師さまが起きちゃうよ。」


「先に大声出したのは妖夢の方だぜ......。っていうのは置いといて、なんでによによしてたんだ?それにそんなにくっついて......本当にお前ら仲良いなぁ。」


「べ、別にによによなんかしてない!それに寒いから一緒に毛布にくるまって暖を取ってただけだもん。なんで魔理沙はこっちきたの?」


「霊夢はストーブの前でぐーすか寝てるし、香霖は本読んでて構ってくれないしで暇だったからこっち来た。あと、お前らが寒いだろうと思ってココア淹れてきたんだが......要らぬお世話だったみたいだな?」


けっけっけ、と魔理沙は揶揄うように笑う。


「うるさいうるさい!魔理沙は中に入っててよ!」


「へいへい、邪魔なんかしやしないぜ。まったく......せっかく気ぃ利かせてココア持ってきてやったのに。ここに置いとくな。」


「う、うん......ありがと。」


「んじゃ、くれぐれもレンが隣で無防備に寝てるからって不埒なこと考えないようにな!」


「余計なお世話だよっ!!」


にっしっし、と悪戯っぽい笑みを残して魔理沙は香霖堂へと入って行った。


まったく、魔理沙はいっつもこんな調子なんだから......。


妖夢は寝ているレンの方へと向き直った。


べ、別に......不埒なこと考えてるわけじゃないもん。


でもよくよく考えてみたら寝ている間に、なんて我ながら卑怯にも程がある。


......ちょっとくっつくぐらいだったらいいよね?


「お師さま、失礼します......。」


彼女は身体をレンの方へと寄せると、ぴったりくっついた。


そのまましなだれかかるようにして頭も彼の肩に預ける。


「ふふっ、あったかい......。」


ほんのりと伝わってくる優しい温もりに、ほっと一息。


......お師さまはやっぱり私じゃ駄目なんですか?


静かに寝息を立てる彼の頬を、妖夢は優しく愛おしそうに撫でる。


私なんかじゃお師さまの心にぽっかりと開いた穴を埋められないのは分かってます。


私よりも霊夢とかの方がしっかりしていて素敵な女の子だということも十分理解してます。


でも、私だってこんなに貴方のことを想ってるのに。


貴方は全然振り向いてくれないじゃないですか。


結局お師さまの想い人は誰なんだろうか。


さっき言ってた幼馴染の方かな。


それとも......やっぱり霊夢?


この間神社に遊びに来てたっていうその天狗の剣士の娘も気になる所だ。


......きっと彼に好意を抱いている人達なんて、人妖問わずいっぱいいる。


もしかしたら人里の年頃の娘達の中にも、横丁で時折見かける彼に対して密かに恋心を抱いている子もいるかもしれない。


もちろん最終的に誰を想うかなんて決めるのは彼自身なのだし、現時点では本人がそういう類の感情を誰にも抱いてない可能性だってある。


自分なら彼に選んでもらえるなんてそんな自信は持ち合わせていないけれど、でももしかしたら......と心の中に淡い期待を持っている自分がいる。


自分から好意を伝える勇気が無いのに、彼が誰かのものになってしまうのがこの上なく怖い。


彼の一挙一動を目で追って、彼の視線が自分に向いているか否かでちょっぴり嬉しくなったり寂しくなったりする。


阿保みたいだなぁ......私。


人を好きになることがこんなに辛いなんて。


きっとここまで人を好きになったのは初めてだ。


「......。」


辺りは静寂に包まれていて、兎が草を踏む音一つ聞こえない。


真っ暗な中、顔を近づけて隣ですやすやと眠るレンの顔を見つめる。


ーーこのまま時の流れが永久に止まってしまえばいいのに。


下手に近づこうとしすぎて気まずい関係になってしまうくらいなら、いっそこの距離感のままでいた方がいい。


取り止めもなくくだらない話をして、一緒に笑っているような間柄でもいい。


彼が私の知らない女の子と話しているのを見かけて心がちくりと痛むこともあるけれど。


本当は独り占めしたいけど。


ずっと彼の側にいられるのならば......。


......“貴方の日常”に顔を出せるだけで、妖夢は幸せなんです。


ささやかな温もりに幸せを感じながら、妖夢はブランケットに顔をうずめた。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「っ......。」


波一つ無かった水面に雫が一つ落ちたかのように、不意に意識が覚醒した。


手を挙げて伸びをしながら大きな欠伸を一つ。


妖夢と一緒に毛布にくるまっているうちに暖かくて寝てしまったようだ。


刺すように冷たい冷気を額に感じて、一気に微睡みから現実へと引き戻されていく。


妖夢はまだ横ですーすー寝息を立てている。


まだ霞む目を擦りつつ徐に夜空を見上げるとそこにはーー


「あっ......。」


満天の星空が広がっていた。


先程までとはうってかわって雲一つない夜空には、無数の星がちかちかと瞬いている。


刹那、その星々のうちの一つが美しい一筋の尾を描きながら遥か彼方の地平線へと吸い込まれて行った。


ーー流星だ。


「妖夢、起きなよ!流星が見えるよ!」


妖夢はレンの肩にしなだれかかったまますやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。


レンは優しめに妖夢を揺さぶった。


「ふにゅん......幽々子様、そんなもの食べちゃいけませんふみょふみょみょん......。」


......完全に寝惚けてらっしゃる。


どんな夢見てるんだろうか。


「妖夢ー?」


諦めずに妖夢を揺さぶり続けていたら、不意にぱちっと妖夢の目が開いた。


まだ夢見心地なのか、目つきはとろんとしている。


「流星群だよ、流星群!」


「ふぇっ!?あっ、ほんとだ!」


星空を視界に入れるなり妖夢は目を輝かせた。


せきを切ったかのように次々と流星が夜空を駆けていく。


小さいが、力強く輝きを放ちながら幾重にも光の線を描くその画はまさに幻想的だ。


「お、お願い事しなきゃ......!」


妖夢は両手をぎゅっと握って祈った。


ーー願わくば、皆が元気で楽しく幸せに暮らせますように。


......そしてこの楽しい日常がこれからもずっとずっと続いていきますように。


「お師さまは何かお願い事しないんですか?」


「えっ、俺?考えてなかったなぁ......。」


レンは困ったように頭をぽりぽり掻く。


「うーん......じゃあ妖夢のお願い事が叶いますように。」


「あははっ、何ですかそれ!!」


「だって急に願い事なんて聞かれたって色々ありすぎて決められないし......。俺の分の願い事妖夢にあげるよ。」


「えへへ......ありがとうございます。」


ーーこのささやかな幸せのある日常がこれからもずっと続いていきますように。


「お師さま、お腹すきませんか?」


「うん......減ってきた。」


「おにぎり作ってきたんですけど......食べます?」


「ほんと?食べる食べる!」


「はい、どうぞ。ゆっくりよく噛んで食べてくださいね?」


レンは妖夢から大きめのおにぎりを受け取り、大きく口を開けて齧る。


「んまい!」


「ふふっ、それは良かったです。まだ何個かありますから欲しかったら言ってくださいね。」


夢中でおにぎりを食べるレンを嬉しそうに眺めながら、妖夢は自分も籠から一つおにぎりを取り出して頬張った。


「お星さま綺麗ですね。」


「うん、綺麗だね。」


「......これからもよろしくお願いしますね、お師さま。」


「う、うん......?」


何故急にそんなことを言い出すのか分からない、とでも言いたげに彼は首を傾げる。


ーーこれからもずっとずーっと私の良き師であって下さいね、お師さま。


きょとんとした表情を浮かべる己の師を見て、妖夢はくすっと小さく笑った。





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