82.妖話
......疲れた。
見回りを今日も無事に終えたレンは一つ大きな伸びをすると、道傍に据え付けてある縁台の上にうっすらと積もっている雪を払ってそこに腰を下ろした。
ひらひらと何度も翻りながら空から落ちてくる粉雪を眺めながら大きな欠伸を一つしたその時。
右手の方から深い深い溜め息が聞こえてきた。
見れば、初老くらいの年の男性が隣の縁台に腰掛けて頭を抱えていた。
なんだか相当悩んでいるようだ。
「妖怪に.....喰われ......ければ良い.....だが.....。」
途切れ途切れに聞こえてくる男性の独り言の中に“妖怪”という語が混じっているのをレンは聞き逃さなかった。
例え全くの他人であったとしても困っている人を放って置けない性分の彼は、躊躇うことなく男性に声をかけた。
「何か妖怪のことでお困りですか?」
男性は知らない者にいきなり声をかけられて一瞬きょとんとした表情になったが、すぐに笑い皺を作った。
「ははは......こりゃお恥ずかしい。口に出てしまっていたようですな。なに、老いぼれのつまらぬ独り言ですわい。どうか忘れて下され。」
「あっ、ちょっと......」
縁台から立ち上がって微笑みながら軽く会釈をすると、男性は歩いて行ってしまった。
「......。」
一体なんだったのだろう。
一人残されてなんだかきまりの悪くなったレンは縁台に座り直して溜め息を吐いた。
「レン様、レン様......」
肩を揺さぶられながら名を呼ばれ、ふと意識が現実へと引き戻される。
......どうやらぼーっとしているうちに縁台に座ったままうたた寝してしまっていたようだ。
レンが目を開けると目の前に立っていたのはどこかで見たことのある若い女性。
確か......阿求さんのところの侍女さんのうちの一人だったか。
「午睡中のところ申し訳ございません。阿求様の使いで貴方様をお探ししていた所でして......」
「いえいえ、お気になさらず。御用件の方は?」
「阿求様がレン様にご相談したいことがあるとおっしゃっておりまして。もしよろしければ稗田邸までお越しいただきたいのですが、お時間大丈夫でしょうか?」
「里の見回りも終えてちょうど暇していた所です。分かりました、すぐに稗田邸へ向かいましょう。」
そう答えると、レンはすぐさま稗田邸へと足を向けた。
※※※
「......あっ、レンさんよくぞいらしてくれました。ささ、どうぞこちらにお座り下さい。」
阿求は部屋に通されたレンを見るなり、筆を硯の上に置いて机をずらし、座布団を敷いてレンに座るよう促した。
「失礼します。」
レンは剣の鞘を剣帯から外し、座布団の横に置いて腰を下ろした。
「急にお呼び立てしてすみません。」
「いえ、お気になさらず。阿求さんにはいつもお世話になっているので。......して、いきなりで失礼を承知してお聞きしますが今日はどのような御用件でしょうか?」
「えぇ......単刀直入に申し上げますと、レンさんにしばらくの間、ある男の子の護衛を夜だけお願いしたいのです。」
「護衛......ですか?」
「はい。私も詳しい事情は聞かされていないのですが、里の北東の方のある家の男の子が夜な夜な丑の刻ごろになると一人で家を抜け出して里の外へ出ようとするようで、それを不気味に思ったその家の者から是非レンさんにその子の用心棒を頼みたいとお願いされたんです。」
それを聞いたレンは首を捻った。
夜中に里の外へ出るなんて、妖怪退治を専門とする者などでない限り自殺行為に等しい。
何故その男の子はそんなことをしようとするのだろうか。
まあいずれにしろ阿求さんは詳しくは話を聞かされていないみたいだし、直接本人に会って問うしかないだろう。
「分かりました。その子の護衛、引き受けさせてもらいます。」
「ありがとうございます!レンさんが護衛に付いて下されば、きっとあの子の家の者達も一安心でしょう。何やらその一件のことで結構疲弊している様子でしたので。なんだかレンさんに丸投げしてしまうような形で申し訳ありません......。」
「いえ、大丈夫です。早速その子の家に話を聞きに行きたいのですが詳しい場所を教えていただけませんか?」
「も、もう行っちゃうんですか?久しぶりに来てくださったんですし、幻想郷演技編纂のための取材も兼ねてゆっくりお話をお伺いしたいのですが......護衛を依頼されているのは夜ですし、もう少しゆっくりしていきませんか?」
「そう言っていただけるのはありがたいのですが件の話、少し引っ掛かるところがあって早めにその家を訪ねて話を聞いておきたいんです。......すみません。」
阿求が露骨に残念そうな表情になるのを見てレンは小さく笑ってしまった。
「うぅ......分かりました。すぐに案内の者を遣わせますね。」
「ありがとうございます。」
「いいえ、お礼を言わなければならないのはこちらの方です。急にお仕事を押し付けてしまってすみません。また今度、時間がある時にゆっくり遊びに来てくださいね?」
「はい!必ず。」
レンは深々と頭を下げ、部屋を後にした。
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「御免ください。」
侍女さんがそう声を上げながら戸を軽く叩くと、玄関口から女性が出て来た。
後ろでまとめた髪には白髪が混ざっており、だいぶ年配なのもあって落ち着き払った印象を受ける。
「阿求様の使いの者です。先日阿求様にご相談された一件について、護衛を付けることになりました故、用心棒の方をお連れしました。」
「お待ちしておりました。どうぞお上がりください。」
女性に家へ上がるよう促されたので、レンは軽く会釈をして戸をくぐり、ブーツを脱いで家に上がった。
「......ではレン様、私はこれにて。あとのことはよろしくお願いします。」
「ええ、案内の方ありがとうございました。」
侍女さんは一礼すると、静かに戸を閉めて家を出て行った。
「さあ、こちらへ。」
女性に促されるがままレンは廊下を進み、居間へ通された。
「粗茶ですが......どうぞ。」
「あ、ありがとうございます。」
出されたお茶を啜り、レンはほっと一息吐く。
「早速本題の方のお話をさせていただきたいのですが、その前に一応主人を呼んできますね。しばしお待ち下さい。」
そう言い残すと、女性は今を出て行った。
※※※
女性が居間へ連れて入って来た男性を見てレンは驚いた。
つい先程、縁台に腰掛けて深い溜め息を吐いていたあの男性ではないか。
「貴方は......」
男性の方もこちらを見て驚いたような表情を浮かべたが、すぐに先程と全く同じように笑い皺を作った。
きっと先程レンの呼び掛けを途中で遮って立ち上がって行ってしまったのもあって後ろめたさもあるのだろう。
その表情からは少しばつの悪そうな色がうかがえる。
「これはこれは。先程お会いした貴方がまさか用心棒の方でしたとは。先程は失礼致しました。妖怪が関わってくる話故あまり人様を巻き込んではいけないので出来るだけ内密にしたいと思っておりまして。」
「いえいえ、全く気にしていないので大丈夫ですよ。むしろ貴方の判断は正しかった......ん?」
とそこまで言ったその時。背後から視線を感じて彼は振り向いた。
すると小さな男の子が小さく開けた襖の間からこちらを覗いているのが目に入った。
相当幼い......まだ六、七歳といったところだろうか。
男の子はレンの視線に気づいたのか肩をぴくりと震わせると、襖を閉めてしまった。
「......?」
「どうかなされましたか?」
「い、いえ......襖の間から男の子がこちらを覗いていたので。」
「ああ、その子が件の護衛をしていただきたい男の子なのです。昔はあのようでは無かったみたいなのですがこの頃人見知りが激くて......。」
「......無かったみたい?」
「はい。実はあの子は私たちが引き取った養子でして......。ついひと月ほど前に両親を亡くしてしまったらしく、誰も引き取り手がいないようでしたので子供もおらず少し余裕のあるうちが引き取らせていただいたのです。」
「あまりこのようなことを聞くのは憚られるのですが......ご両親の死因は?」
「私達も詳しくは聞かされていないのですが、恐らく......妖怪に襲われたのかと。」
「そうですか......。」
まだあんなに幼いのに親を無くしてしまった彼の悲しみは察するに余り有る。
その悲しみ故に精神に異常をきたしてしまっている、という可能性も少なからずあるだろう。
レンが暫く何も言えずに口をつぐんでいると、再び男性は話を切り出した。
「申し遅れました。私は農民の甚兵衛、こっちは妻の千代、そして先程の子が弥太と申します。」
甚兵衛が紹介すると、千代は頭をぺこりと下げた。
「俺はレンっていいます。一応外の世界の者でしたが、訳あって幻想郷へやって来て、今は里守りの職に就いています。以後お見知り置きを。」
「レンさんのことは前々から存じ上げておりました。里人の間で有名ですもの。先の異変を解決してくださったのですから。」
「そ、そうですか......。」
ーー別に俺はそんなに大したことはしてないけどなぁ。
レンは少し照れくさい心持ちになって、思わず頬を掻いた。
「阿求さんから大まかな話は聞きました。弥太君が毎晩毎晩真夜中に一人で人里の外へ出て行こうとするとか......」
「......はい、十日ほど前からでしょうか。毎晩夜半ばに起きては一人で家を抜け出し、里の外へ出て行こうとするんです。」
甚兵衛の話によると、弥太が奇行に走るようになったのはつい十日ほど前から。
真夜中に突然布団から起き上がり、家を飛び出して里の外へと出て行こうとするのだそうだ。
真夜中の人里の外は危ないから、と甚兵衛達が引き止めようとするとひどい時には弥太は気が触れたように叫び声を上げ、暴れ出す。
それはもうあの小さな身体のどこにあるのかというくらい凄まじい力で私達の手を振り払うので騒ぎを聞いて駆けつけた近所の大人たち数人がかりでやっと押さえつけるほど。
そして朝日が顔を出すと同時に死んだように眠る、というようなことがもう十日も連続で毎晩続いているらしい。
「あの子が毎晩心配で心配で......。あんな小さな子が真夜中に一人で里の外に出たりしたら、きっと無事に帰っては来られないでしょう。いつかあの子が妖怪に取って喰われてしまうかもしれないと思うと心中穏やかではいられないのです。」
老夫婦はそこまで話したところで深い深いため息を吐いた。
よく見れば俯きがちな二人の瞼の下には酷い隈が出来ている。
きっと毎晩弥太を心配して見張っているが故に相当眠れていないのだろう。
「......何故そのようなことをするのか、弥太君には聞いてみましたか?」
甚兵衛と千代は一瞬顔を引き攣らせたが、お互いに顔を見合わせたあと複雑な表情のままゆっくりと頷いた。
「あの子曰く......私や千代じゃなくて、あの子の本当のお父さんとお母さんがあの子を呼ぶ声が里の外から聞こえてくるんだそうです。」
「っ......。」
亡くなった人間の声など聞こえるはずがない。
それに弥太にだけ声が聞こえるというのも奇妙な話だ。
成る程、これは妖の類が関わっているに違いない。
阿求さんもこの件には妖怪が一枚噛んでいると睨んで俺を遣わせたのだろう。
兎にも角にも毎晩幻聴を聞く本人の話を聞かなければ進展はありそうにない。
「少し......弥太君とお話してきてもよろしいでしょうか。」
「ええ、勿論。ただ......先程ご覧の通り本人もだいぶ精神をすり減らしているようですし、人見知りの激しい子なので何か非礼を働いたとしても勘弁してあげてください。」
レンは立ち上がって一礼すると、居間を出て行った。




