80.マヨヒガ
澄み切った冷たい空気。
吐く息は白く立ち上り、雲の隙間から差す僅かな月光を濁らせる。
三日三晩積もり続けて尚今も降り続けている雪は、吹き始めた強い風も相まって最早吹雪と化している。
そんな極寒に悪視界という最悪の環境の中、レンはーー
「腹減った......何処だよ、ここ.........。」
ーー現在進行形で道に迷っていた。
遭難した、といった方が正しいか。
今日、レンは山で妖怪によるちょっとした暴動が起こっているという情報を聞き付けて妖怪の山へ駆け付けた。
暴動の方は天狗達と協力して無事に鎮圧できたのだが、参ったことにその帰りで道に迷ってしまった。
もう日も暮れて辺りは真っ暗で、降る雪の勢いはどんどん強くなっていく。
この吹雪の中での巡回は危険と判断して今日は仕事を中止にしているのか、どれだけ歩き続けても哨戒天狗の一人すら会わない。
そりゃそうだ。
こんな猛吹雪の中で山を歩くなんて正気の沙汰じゃない。
天狗はおろか野良妖怪の一匹もいないのだ。
実は帰り際に天狗が山の麓までの見送りを申し出てくれたのだが、彼らも本心ではきっとこの寒い中里を出たくはあるまいと思って断ってきた。
遭難した今となっては断ったことを死ぬほど後悔しているこのザマである。
やはり多少気が引けるとはいえ山の麓までは連れて行ってもらうべきであった。
止む気配のない吹雪が吹き荒ぶ中、ガタガタ震えながら自分が今進んでいる道が麓へと続く道で合っているのかも分からないまま歩き続ける。
ーーやべえ、コレ俺生きて帰れるかなぁ。
一応生半可な身体の鍛え方はしてないので、魔導師として常人よりは丈夫な身体を持っているつもりだが、こうも凄まじい吹雪の中に何時間もさらされれば命の危険にも関わってくる。
実際もう既に冷え切っているからか、足先や手指などの身体の末端の感覚が殆ど無い。
だんだん意識が遠のいていくような感じ。
寝不足の日に感じる眠気によく似た感覚。
寝たらそれっきり命の保証は無いぞ、と頭では分かっていても身体がだんだんいうことを聞かなくなっていく。
ーーそして雪に足を取られて、慌てて逆足の方を踏み出したその時だった。
「......っ!!」
ーーしまった。
雪の下に氷が張っていたようで足を滑らせて踏み外してしまった。
道の脇は急な傾斜になっていて、レンはそのまま真っ逆さまに転げ落ちていく。
暫く身体が宙に浮くような感覚を味わった後、彼は地面に叩き付けられた。
と、同時に視界が暗転する。
ーー藍さま藍さま、こんな所に人間が倒れていますよ!!
夢か現か、そんな声が微かに聞こえたのを最後に、そのまま穏やかな眠りにつくように彼の意識は虚無へと沈んでいった。
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「......遅い。」
霊夢は吹き荒ぶ吹雪の中、博麗神社の鳥居前に立ったままそう呟いた。
止む気配のない吹雪に、暗くなってもレンが帰ってこないというこの状況。
まさかとは思うが嫌な予感を覚える。
探そうにもこの吹雪の中では空は飛べない。
それにレンが何処へ出掛けたのかも詳しくはよく分からない。
知っているのは今日は彼が午前中から何やら妖怪の山へ行っているということだけ。
その帰り道、山の中で迷ってしまったというのも......ありえる。
この吹雪の中山で行き倒れてしまったのかも、と考えるとぞっとする。
「もう......あいつは一体何やってるのよ。こんだけ人を心配させておいて帰って来なかったりしたら許さないんだから。」
ーーあいつがそんな簡単に死ぬもんか。
きっともう少ししたらいつものあの飄々とした顔で帰って来る筈。
もしかしたら吹雪があまりにも強いから今日はもう守矢神社に泊まる事にしたのかも......。
とにかく自分に今できるのは、お風呂を沸かして、ご飯を作って、部屋を暖かくしておいて彼の帰りを待つこと。
霊夢は諦め悪く彼の姿が見えないかもう一度神社前の石段の遥か下の方を一瞥してから母屋へと戻って行った。
※※※
「っ......。」
ふと目を覚ますと、彼は見知らぬ部屋の真ん中に敷かれた布団の上に横たわっていた。
和室であるようだが見た所では白玉楼や博麗神社の和室とは少しばかり間取りが異なっている。
寝起きでまだうまく頭が働かないようなふわふわした心地で寝返りを打つと、仄かに畳の香りが鼻腔を擽る。
開け放たれた障子の合間から外の様子が垣間見えた。
小鳥達が囀っており、先程の猛吹雪がまるで嘘であるかのように空は晴れ、暖かな日差しが部屋の中へ差し込んできている。
ーー俺は......守屋神社から帰る途中で遭難して、猛吹雪まで吹き始めて、道から足を踏み外して転げ落ちたんだった.......かな?
一体ここは何処なのだろう。
今の今まで気がつかなかったが、身に纏っている服も意識を失う前まで着ていたいつものあの学院制服とローブではなく白い袴に変わっていた。
上体を起こし、周りを見渡す。
改めて見てみると白玉楼に負けず劣らずの豪華な装飾が施された部屋だ。
壁にかけられた掛け軸などにも大層貫禄があるように思える。
と、感心しながら部屋を見回していたその時。
視線を感じたのでそちらの方を振り向くと、明るい茶色の瞳と目が合った。
「「あっ......。」」
緑色の独特の形をした帽子に赤と白を基調とした中華風なワンピースというような出で立ちの少女。
驚くべきことに少女のお尻には尻尾があり、瞳と同じ色のショートヘアからはぴょこっと猫のような耳を覗かせていた。
身長はフランやチルノ達と同じくらいか。
あどけない顔立ちも相まってだいぶ幼い印象を受ける。
「あっ、あの......」
「うわぁぁぁ!!」
猫少女は数秒間固まった後いきなり悲鳴を上げると、レンが話しかける暇もなく物凄い素早さで逃げるように部屋を飛び出して行った。
「えぇ......?」
あまりに突然の出来事に困惑するレン。
ーー俺、なんか驚かせるようなことしたかなぁ......。
「藍さまーっ!あの人目を覚ましましたよ!!」
暫くした後、恐らくさっきの子のものと思われる声が聞こえて来た。
すると誰かがこちらへ歩いて来るような足音。
「良かった......意識は戻ったみたいだね。」
襖を開けて部屋に入って来たのは先程の猫少女ではなく道教の法服のようなこれまた中華風の独特な着物を纏った女性。
髪や瞳は金色で、腰から扇のように広がりながら生えている九本の狐のような尻尾も同じく金色。
背はすらりとしていて、目測だがレンよりも少し高いくらいか。
彼女からは幽々子や紫と似た、なんだか底知れない魔力を感じる。
この人は妖怪、と判断していいのか......?
「君が......レン、でいいんだよね?」
気圧されたレンはただ首を振ってこくこくと頷いた。
ーーなんでこの人は俺の名前を知っているんだ?
「私は八雲藍......八雲紫様の式神だ。」
「紫の......?」
「ああ、そうだとも。この子......私の式神の橙が道端で倒れているのを見つけて来たんだ。」
藍はそう言って彼女の後ろにひっついたままレンの方を恐る恐る覗き込んでいる先程の猫少女の頭を撫でた。
「気を失っているようだったからひとまずこの“マヨヒガ”まで運んで来たんだけど......どうだい、身体に異常はないかい?」
その”マヨヒガ“っていうのが何かわからないけど......なんとなく察するに紫が住んでいる屋敷、ということで合ってるのかな?
「うん......斜面を転がり落ちたみたいだからあちこち痛みはするけど、特に骨が折れていたり関節が動かなかったりとかは無いみたい。」
そこまで言った所で、レンは先程”橙“と呼ばれていた少女の方へ向き直った。
「君が俺を見つけて助けてくれたんだね。」
「う、うん。レン......さん?大丈夫?お怪我はない?」
おずおずと橙が差し出したその小さな手のひらに載っていたのは絆創膏だった。
「これ......使う?」
......優しい子だなぁ。
ついつい癖で頭をぽんぽん撫でたくなる衝動に駆られるが、ここは歯を食いしばって抑え込む。
ーー落ち着け、俺。
そんなんだから犯罪者とかロリコンとか言われるんだよ。
「いやいや、大丈夫だよ。ありがとう。」
レンがそうお礼を言うと、橙はふにゃっとはにかんだ。
彼女はそのままぺこっとこちらへ頭を下げてから部屋を出て行った。
「橙が人見知りしないなんて珍しいな。」
「そうなのか?さっき目が合ったときはものすごい勢いで逃げられたんだけど......。」
「それは多分逃げたんじゃなくて君のことが心配だったからいち早く私を呼ぶために駆けていっただけだろう。」
「そうなのかなぁ......。」
明らかに悲鳴を上げながら逃げてたような気がするんだけど。
「それはそうと、さっき藍はさっき紫の式神......とか言ってたよね?一体何なんだ、その式神っていうのは?」
「既存の妖怪や妖獣に術を憑けて使役することができるようにしたものを式神と言うんだ。外の世界風に言うと、パソコンにソフトウェアをインストールするみたいなものだな。」
「そふとうぇあ?いんすとぉる?」
聞いたこともない言葉のオンパレードに、レンは首を傾げた。
「ああ......悪い悪い。君は厳密には外の世界じゃなくて異世界から来た人間だったな。えーっと、まあ単純に使い魔の一種だと思ってもらって構わない。」
「へぇ......。で、さっき藍は紫の式神でさらに橙は藍の式神って言ってたけど......」
「ああ、そうだよ。言うなれば橙は式神の式神だね。」
「なんかお母さんのお母さんみたいだな......。」
とレンが呟いたその時。
「その表現は頂けないわ。そうねぇ......お姉さんのお姉さんって言って欲しいわね。」
そう言いながら襖を開けて部屋に入って来たのはレンをこの世界......幻想郷へと連れてきた張本人、八雲紫だった。
「紫......?」
「久しぶりね、レン。最後に会ったのは......異変解決の宴会の時かしら。」
「ああ、確かそうだったな。最近はなかなか紫が神社に遊びに来ないって言って霊夢がちょっと寂しがってたぞ?」
それを聞いて紫は扇子で口元を隠しながら嬉しそうに微笑んだ。
「あら、そうなの?ふふ......実はたまにスキマを使って神社の様子を覗いてみたりはしてるんだけど。」
「えっ......!?」
「このあいだ貴方達が炬燵でイチャイチャしているのもばっちり見てたわよ〜?ふふっ、初めて会った時は犬猿の仲って感じだったのにねぇ?」
「そ、そんなことしてない!あれは事故だったんだ!!」
顔を真っ赤にして否定するレンを見て、今度はくすりと悪戯げな笑みを浮かべる賢者様。
やばい......この調子だと私生活を全て紫に覗かれていると考えてもおかしくはない。
おいおいプライバシーもへったくれも無いなぁ。
「あんまり人の私生活覗かないでくれよ。」
「はーい、分かりましたー。」
にやにやしながら返事をする紫。
ーー絶対分かってないでしょ......。
「さて、少しお茶でも飲みながらお話ししましょう?藍ー、お茶淹れてきてくれない?」
「はい、すぐに淹れて参ります。」
藍は正座から立ち上がると、襖を開けて部屋を出て行った。




