8.死闘
レンは目の前の己がよく知る幼馴染の口から発された言葉に絶句した。
ーー冗談じゃない。偽りの神だって?
「う.....嘘だ。偽りの神は大昔にアレス=セルダレンに封印された筈だ!」
「復活したからここにいる。」
復活だと?
肉体ではなく魂だけが復活したということなのか?
......そんなことがあってたまるか。
「貴様......サラの身体を返せ!」
「サラ?あぁ、この身体の主か。魔力適性が非常に高い身体だったので憑依させてもらったよ。」
ーーやはり憑依されていたのか。
レンの心に怒りの念が募る。
「アレスの奴は確かに僕を完全に封印した。だけど、一つだけ過ちを犯していたんだ。僕の肉体は完全に封印しても魂までは封印出来なかった。」
「......。」
「お陰でこの近くの遺跡の地下深くで養生して......長い長い時間を要したが、ある程度力を取り戻すことができた。」
そういうことだったのか。
つまりは、今回調査団が派遣された理由であったセラ=ヴォル遺跡の最深部から発される強大で禍々しい魔力はこの偽りの神によるものだったのだ。
近年になって偽りの神が取り戻しつつあった強大な魔力や発される禍々しい瘴気に当てられて魔物達が凶暴になってきていたのだろう。
先程戦ったシアも、もともとこんな所に生息しているわけがない。ハグネが呼び寄せるなり召喚するなりしたと考えるのが妥当だろう。
「ただのひよっこ騎士見習いかと思えば携えているその剣.......忘れもしない。二百年前に私を封印した忌々しき星屑の剣ではないか。一体君は何者なんだ?」
レンは答えない。
いや、答えることができなかったと言った方が正しいか。
神話に出てくるような邪悪な神を前にして、恐怖ゆえにまるで上下の唇が貼り付けられてしまったかのような感覚を彼は覚えた。
「......まあいい。今は星剣としての力を失っているみたいだが、その剣を扱えるものを生かしておくと私にとって色々と不都合だ。だから......」
ーー今、ここで消えてもらう。
ハグネは左手を高く掲げた。すると、彼とレンの間とを隔てるようにしてぽっかりと大きな黒い穴が出現した。
見ているだけで吸い込まれてしまいそうなほどに真っ黒なその虚無の空間から黒い甲冑が這い出てきた。
「......黒騎士!?」
ーー黒騎士。
実際に見たことがあるわけではないが、学院の魔生物学の授業で習った。
その名の通り黒い甲冑を纏った偽りの神の近衛騎士である。纏った、といっても肉体があるわけではなく甲冑そのものに魂が宿っているのだ。“騎士”である為、剣の扱いは達人級である。
更に、その甲冑には耐魔の加護が常時かかっている。つまり剣による物理攻撃はもちろん、魔法攻撃も弾く。
レンにとってこれ以上ないほどに分が悪い相手だ。
「.....だけど、こいつを倒さないとサラを助けられない。」
覚悟を決めて愛剣の柄を握り、鋭い音を立てて抜き放つ。
「斬れぬなら粉砕するだけッ!!」
黒騎士が抜刀すると同時にレンは雨でぬかるんだ地面を蹴った。
下腹部の痛みなど忘れ、凄まじい速度で黒騎士に接近してなんの工夫もない真正面からの袈裟斬りを繰り出す。
案の定、黒騎士はそれを苦もなく剣で弾いた。
続けざまに黒騎士が繰り出した反撃の水平斬りをレンは身を低くして避ける。
次なる攻撃を繰り出すために剣を振りかぶったが、もうその時には既に黒騎士の剣はレンの頭上に振り降ろされかけていた。
ーー早い。
レンは攻撃を中断して剣を自分の頭上に持っていき、大上段からの攻撃を迎え撃った。
ギィィン!というような金属音が辺り一帯に響く。
辛うじて傷を負うことは避けたが余りに強い一撃をまともに剣で受けたので勢いを殺しきれず、身体が浮き上がった。
ーーまずい、斬られる。
咄嗟に身を屈めて追撃を避けようとしたが、もう遅かった。
黒騎士の剣がレンの肩口をばっさりと切り裂く。
「ぐぅッ......!!」
猛烈な痛みがレンの左肩を襲う。
「へえ.....今ので死んだと思ったけど......肩を斬られる程度に留めたか。ある程度は戦闘修練を積んでいるようだね。」
感心した、とばかりにハグネが呟いた。
「だが僕を倒したあのアレスとかいう若者には到底及ばない。君の剣の腕では僕はおろかその黒騎士程度にも勝つことはできない。」
どうする?どうすれば勝てる?
レンは痛みに耐えながら頭を回転させる。
ーー 上手くいくか確証は無いが、もうあれしか勝てる可能性がある策がない。
レンは聖魔法で治療していた左肩から手を離し、立ち上がった。
そして、剣に左手をかざして上級魔法を唱えた。
「魔法剣技:ヴォルケイノ!」
途端、魔剣アルテマが燃え盛るかのごとく赤熱して炎の力を帯びる。
「ふぅん....魔法剣技か.....。」
またもや感心したかのようにハグネが呟いた。
ーー魔法剣技。
その名の通り魔法と剣技を組み合わせて放つ剣戟のことである。凄まじい量の魔力を消費するが、それ故にその威力は絶大である。
魔法を使える魔導師の中でもメディウムが剣である者にしか扱うことができず、その上相当魔法と剣技において塾達していないといけないので実質学院でも扱えるのはレンを含めて数人ほどしかいない。
灼炎を帯びた剣を右手に、レンは猛然と地を駆けて黒騎士に接近する。すかさず黒騎士が左斜め上から斬撃を放ってきたが、それを左腕の腕当てで受け止めた。
ダマスコ鋼の腕当ては黒騎士の剣の刃がレンの腕を切り裂くのを辛うじて防いでくれた。
腕当てにひびが入り、腕の骨が折れるような鈍い音がしたが、そちらには目もくれず、炎剣を黒騎士の右腹に叩き込む。
「......っ!!」
凄まじい熱を受けて黒騎士の鎧は赤熱するが、耐魔の加護の影響で砕ける様子はない。
「君は黒騎士の鎧には耐魔の加護がかかっているのを知らないのか?いくら魔法剣技を叩き込んでも無駄だ。」
ハグネの言葉には耳も貸さず、剣に今度は氷属性の上級魔法を宿す。
「魔法剣技:フィンブル!」
剣はたちまち淡い水色の輝きを帯び、冷気を放ち始めた。
どんなに物理攻撃に強くても。どんなに魔法攻撃を弾こうとも。黒騎士の鎧は言ってしまえば金属の塊であることには変わりない。
故に。
急な温度変化には脆弱なのだ。
火属性の攻撃を当てた後すぐさま氷属性の攻撃を当てれば
ーー黒騎士の鎧はいとも簡単に粉砕できる。
「これで終わりだァァッ!!」
レンは躊躇せずに氷剣を黒騎士のがら空きのの右腹に思いっきり叩き込んだ。
そして。
耳障りな音と共に黒騎士の鉄壁の鎧はあっけなく粉砕された。
粉砕されて転がる黒騎士の残骸には目もくれずレンは偽りの神に憑依された己のよく知る幼馴染の方をギロリとその漆黒の目で睨んだ。
「......サラを返せ。さもなくば....」
「......僕は君の力を少々低く見すぎていたようだ。流石はその剣に選ばれるだけのことはある。やはり君みたいなのは放っておくと後々厄介だ。今のうちに消す。」
そう言ってハグネが先ほどと同じように手を高く掲げるとまた空中にぽっかりと黒い穴が空き、そこから赤黒く輝く一振りの長剣を取り出した。
「......《冥星剣》ファヴニール。君の持つその剣と対をなす剣だ。」
直後、ハグネは無言でいきなり攻撃を仕掛けて来た。
恐ろしいほどの速さでレンへ迫ってくる。
繰り出された右上からの斜め斬りおろしを咄嗟に身をかがめて避ける。続く二撃目、三撃目は剣で受けた。
「ハグネ......貴様ァァァァッ!!殺す......殺してやるッ!!」
「いいだろう。殺してみろよ。ただし君がこの身体に傷をつけることが出来るなら、だが。」
剣での戦いは一方的なものだった。ハグネが繰り出す凄まじい連撃に対してレンは反撃せずに剣で裁くか避けるかするだけ。
レンが反撃しない理由は明確。相手がハグネに憑依されているサラだからである。幼馴染を殺すなんてレンには到底出来るはずがなかった。
一方的に殴られ、蹴られる。
起き上がっては地面に叩き付けられてみるみるうちに泥だらけになっていく。
どうあがいてもサラを救うことができない絶望。もうとっくに倒れていてもおかしくないほどの傷を負い、全身がその壮絶な痛みに悲鳴を上げ、至死量を超える出血をしていようと彼は剣で攻撃をいなし続けた。
一体何が彼をここまで突き動かしているのだろうか。そう思うほどに彼はいつ死んでもおかしくない状況だった。
もはやレン自身も頭の中が朦朧として何故己が今剣を振るっているのか分からなくなってきていた。
なおも剣を振るい続けるレンの頭の中に、ふいに己のよく知る声が聞こえてきた。
ーーレ...ン......こ..ろ.....し....て.....。
切れ切れにサラの声がレンの頭の中に入ってくる。見ると、一筋の涙がサラのその白い頬を伝っていた。
「そんなこと......出来るわけがないだろう!?」
この手でサラを殺してしまうくらいなら今この場で自分の首に剣を突き立てて自殺した方がよっぽどマシだ。
息がものすごく苦しい。既に視界の半分が暗くなって来ている。
ーーもういっそ死んでしまおうか。
死んだほうが楽に決まっている。相手が悪かったんだ。偽りの神なんて神話に出てくるような化け物相手に最初から自分に勝機などなかったのだ。勝てるはずのない敵にこれ以上抗って何になる?
そうだ、潔く諦めよう。俺は負け犬。幼馴染を救うことができず、挙げ句の果てにはもう殺された方が楽なんじゃないか、なんて諦める負け犬だ。
ーーもうどうでもいいや。楽になりたい。
そんなことを考え始めた瞬間。途端に全身から力が抜け、レンはそのまま前のめりに倒れこむ。
「これほどの傷を受けていながらここまで戦えるとは......。殺すには惜しい存在だけど悪しき芽は早めに摘むに限るからね。」
ハグネはレンの身体を掴み上げると泥沼へと放り込んだ。
そして半笑いを浮かべながら靴底で彼の顔を踏み躙る。
「ぐ.......うっ......。」
「......どうだい?最愛の幼馴染に踏み躙られる気分は?どうやらやっと絶望してくれたみたいだねぇ。さっきから君の希望に満ちた輝きを湛えた目を見てイライラしていたんだ。」
レンの虚ろな瞳を見てにやりと笑い、ハグネは思いっきりレンの横っ腹を蹴り付けた。
レンはもう意識も朦朧としていて声すら出せない。
「じゃあ、さようなら。来世は苦痛の無い世界に転生できるといいね。勇者クン。」
そう言ってハグネは手のひらをレンへ向け、黒い波動のようなものを放った。
波動はレンの身体を穿ったが、もはや痛覚も働いていないのか、痛みすら感じない。
脳内に幼馴染の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
ーーごめんよ、サラ。
脳内には走馬灯が駆け巡り、徐々に視界が暗転していく。
あぁ、これが死というものなのか。想像していたよりも冷たくて暗い。
消え行く意識の中で。
レンは暁の空の彼方にそれはそれは美しく見事な桜を見た。
理想と現実の狭間に輝く幻想。きっと......いや、確実に幻覚だがそれは間違いなくレンが今までに目にして来た中で一番美しい光景だった。
あぁ、願わくば自分もその幻想へと連れていってほしい。自らもあの永遠に輝く幻想の一部となりたい。
腰の魔剣に手を触れさせながら、”流星“は静かに息を引き取った。
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