7.偽民
真っ黒な夜空から、ぽつりぽつりと雫が落ちて来て乾いた地面を濡らす。
晴れて星の瞬いていた夜空はいつの間にか雨雲に覆われて月の光も弱まっていく。
次第に雫の数は多くなり、豪雨と化した。
夜も更け、闇がより一層濃くなる丑三つ時。人ならざる者達の時間。1日の中で最も不吉な時間である。
本来なら誰も外を出歩かないはずのこの時間に、レンの寝室に忍び寄る一つの影があった。ドアを静かに開け、姿勢を低くして音もなくレンの寝ているベッドに忍び寄る。
その手に握られているのは、刃渡り30センチほどの短剣。その不自然なほどにギラつく刃にはそれだけで人を死に至らしめるほどの猛毒が塗られている。
寝ている者を殺害するのに十分すぎる殺傷能力を持ったその暗器を握り直して侵入者は振りかぶり、
そしてーー
まさにレンの喉元に刃を突き立てて搔き切ろうとしたその時。
明かりが一切無いはずの暗室に一筋の閃光が走る。
閃光は寸分の迷いも無く弧を描いて侵入者の腕を根元から断ち切った。
「誰の命令で俺を殺そうとした?答えろ。」
一切の感情を感じさせない、レンの無機質な声が暗室に響く。
剣の切っ先を侵入者に向けながらレンは自分を襲撃した侵入者の姿を、暗闇に少し慣れてきた目で視認した。
見た所はただの村人のようだ。だが、次の瞬間。
シルエットが歪んだ。みるみるうちにレンが根元から断ち切ったはずの右腕が再生していく。忽ち長くて鋭利な爪を持ち、体が鱗に覆われた醜悪な姿に変わっていった。
「....クククッ、さあな。貴様に教える道理など無い。」
狡猾そうな笑い声がレンの耳小骨を揺らす。
「っ......シア!?」
シアとは、高い知能と戦闘力を持つ高位の魔物の種である。普段は鱗だらけの体に長くて鋭い爪を持った姿をしているが、その姿を自分で自由自在に変えることができる厄介なことこの上ない魔物である。
しかし、なんでこんな所にそんな高位の魔物が......?
その時。
外から悲鳴が聞こえてきた。悲鳴は続けざまにあちこちから聞こえてくる。
「早く俺を倒さないとお前の仲間たちが皆死んじまうぜ?」
「......くそッ!」
とにかくサラ達を助けに行かないと。
レンは抜いたままの剣を中段に構えた。
中段は剣術における基本の姿勢。故にあらゆる敵の攻撃に対して対処しやすい。
シアが右側から爪を振るってきた。凄まじい速さだ。
対するレンはギリギリまでそれを引きつけ、身を屈めてそれを躱す。
続く第二撃。左上から振り下ろされる爪。それを剣の鍔で右側へ受け流す。
ガラ空きになったシアの左半身にレンは袈裟斬りを繰り出した。
だが、さすがは高位魔物。凄まじい反応速度で体を仰け反らせて斬撃のクリーンヒットを避ける。
故にレンの剣の切っ先はシアの胸部の皮膚を浅く裂くまでにとどまった。
「まだだッ!」
下まで降り切った剣から右手だけ離して、のけぞった体勢のままのシアへ向けた。
「ミィル!!」
レンの掌から闇の魔力の塊が放たれる。
闇の塊は高速でシアの胸下へと飛びこんでいき、
シアにぶつかって爆散した。
凄まじい轟音とともにシアの身体が吹き飛んでいく。それに遅れてこれまた凄まじい衝突音が響いた。
今のところ起き上がって再び襲い掛かって来る様子はない。
「.............!?」
巻き上がった砂煙の中にゆらり、と影が見えた。嫌な予感がしたので直感的に右側に跳ぶ。
次の瞬間、嫌な予感は的中した。砂煙の中から鋭い爪を持つ手が伸び、レンに迫る。
直感的に横に跳んだことが功を成して直撃は避けることができた。が、肩が浅く切り裂かれた。
「ぐっ......!!」
鋭い痛みを感じて肩を抑えると、服に結構な量の血が滲んでいた。
「チッ......殺したと思ったんだが......掠っただけか。」
シアは露骨に不機嫌そうにその紅い眼でこちらを睨みながらそう言った。
「フン......その首跳ね飛ばしてやる。」
「首が飛ぶのはお前の方だ!」
シアの悪態に対して叫び返し、レンは再び剣を構えて対峙する。
今度は受けの構えを取った。
左側から切りかかってきたシアの攻撃を滑らかな動きで右側へ受け流す。
「もらった!!」
攻撃を受け流されて体勢を崩し、今度こそがら空きになったシアの首を狙って水平斬りを叩き込む。
流石に今度は体勢を崩されていたのでいくらシアでも避けようが無かった。
シアは首から下と胴体を断たれて悲鳴をあげることも出来ずに絶命。
呼吸を整えもせずにレンは空き家の外へ飛び出した。
「ッ.......!」
空き家を出ると、文字通り地獄絵図がレンの目の前には広がっていた。
大勢の魔物達が徘徊し、そこかしこに他のシア達に殺されてしまったのであろう団員の死体が雨でぬかるんだ地面に転がっている。
先ほどまであったはずの噴水も、村人の家々もない。レン達が止まっていた空き家の周りにはただただ荒野と沼地だけが広がっている。
最初から村など無かったのだ。村人達は全員人間に化けたシアで、村はシア達に見せられていた幻だったのである。そう考えれば村に子供が一人も見当たらなかったのも納得できる。
今こうしている間にも何処かでまた団員達が悲鳴を上げ、絶命していく。
「サラ達は........!?」
周囲を注意深く見回す。
「レン!」
後ろから声が聞こえたので振り向くと、モルトとリルの姿。
「良かった......お前達は無事だったか!」
「ああ。おい、一体どうなってんだこりゃ?目が覚めたら突然魔物に襲われるし外に出たら皆死んでるし......。」
「今はそんなこと考えてる暇はない。早く二人で村の外へ逃げてくれ。」
「レンはどうするの?サラもどこにいるか分かんないし......。まだどこかに生き残っている団員達もいるかも知れないんだよ?」
「俺はサラや生き残りの団員がいないか探してくる。大丈夫だ。すぐに追いつくよ。」
「なら俺たちも付いて行った方が......」
「いや、一人の方が見つかりにくい。それに......」
レンは顔を伏せた。
「確かに俺やリアはお前にとっては足手まといになるかも知れねえけど......友達を置いて逃げられっかよ.....。」
「別に、足手まといになるわけじゃない!ただ......その、俺だって友達を危険に晒したくないんだ。頼む、早く逃げてくれ......。」
「......分かった。だが、必ずサラを連れて帰って来いよ。二人とも帰って来なかったりしたら許さねえからな。」
「ああ、サラは絶対に連れて帰る。」
「気をつけてね、レン。」
そう言い残し、モルトとリルは茂みの中へと消えて行った。
さて。
これからどうやってサラを探そうか。大勢の魔物が徘徊しているので迂闊に動き回ることはできない。
ーーそもそもサラはまだ生きているのだろうか。
そんな不吉な考えが頭をよぎった直後。
「レン?」
聞き慣れた幼馴染の声が聞こえてきた。
幻聴だろうか。その声は確かにサラのものだった。
振り向いてみると、やはりそこには栗髪の幼馴染が立っていた。
「サラ......サラなのか?良かった......無事で......。」
二人とも同時に駆け出し、互いにひしと抱き合う。
「私、心細くて......。」
「モルトもリルも無事だったよ。もう大丈夫だ。さあ、一緒に逃げ......!?」
刹那、彼の下腹部を鮮やかな程の熱が貫いた。
「サ...ラ....?」
かすれ声で幼馴染の名を呼ばわり、下腹部を見下ろすとーー。
そこには己の血に濡れた短剣が刺さっていた。
反射的に後ろに飛び退ろうとして地面を蹴ったが上手く脚に力が入らず、着地した瞬間に地面に片膝をつく。
「う...ぐ....。」
手に思いっきり力を込めて下腹部に刺さった短剣を抜いた。
ーー熱い。
下腹部が物凄く熱い。まるで高温に熱した鉄の棒を下腹部にねじ込んでいるかのような痛み。
短剣はなんとか抜けたが、出血が止まらない。
鮮烈な痛みに耐えながら、相手の姿を視認する。外見はサラだが、注意深く観察すると身体から放っている気質や魔力は明らかに彼女の物ではない。
目もいつもの青く澄んだ瞳ではなく、赤い。まるで何者かに憑依でもされているかのように。
「.....お前は誰、だ?」
震える声で彼は問うた。
呼吸が上手くできない。
下腹部の文字通り刺されるような痛み故か、意識がぐらりぐらりと揺らいでいる。
レンはそれでも舌を思いっきり噛んでなんとか意識を保ち、見慣れた幼馴染の瞳に宿る知らない魂を睨め付けた。
そんな彼を嘲笑うかのように彼女......いや、其奴は口の端を曲げてほくそ笑む。
ーー僕の名は......ハグネ。君達人類が“偽りの神”と呼ぶ存在だ。