65.天狗の文記者
何なんだこいつは......?
剣を構え直した眼前の人間を睨め付けつつも、犬走椛は戸惑っていた。
遠くから千里眼を使ったら不審な人影が見えたので、今時山に入って来る侵入者なんてどんな奴かと思えば......。
悪意を持って山に侵入するような人格の持ち主には見えない。剣筋も心も真っ直ぐ、と言ったところか。
そこに憎悪のような負の感情の類は感じ取れない。この人間の気質はどちらかというと“善”だ。
前に侵入して来た巫女と同じ。
恐らく山に入り込んで悪事を働こう、とかではなく人を救う為、とか何らかのきちんとした理由ががあって山に入ってきたのだろう。
だが、こちらとて妖怪の山の哨戒天狗。
この剣と盾にかけて、如何なる理由があろうとも侵入者を通すわけには行かない。
......それにしても人間なのに何という強さだろうか。
まるで予め繰り出される斬撃の軌道が分かっているかのような身のこなしと鋭い剣戟。
なかなかに巧い。
現に自分は森の中で戦い慣れているからまだ戦えているが、きちんとした平地でこの人間とやり合ったら恐らく勝負にならないだろう。
よもや人里にまだこれ程の手練れがいたとは。
持っている剣も、刀身は細いのに実際に剣を合わせてみると大剣の如き重量感でなかなか奇妙なものだ。
生真面目な性格故普段は与えられた任務を淡々とこなす椛であったが、剣を扱う相手ということも相まってこの時ばかりは眼前の人間に少し興味を抱いた。
......自分では認めたく無かったが。
「お前は私達天狗の里へ行って何をしようというのだ?」
「川が毒によって汚染されて、人里に甚大な被害を及ぼしているんだ。この川の源流である天狗の里へ原因を突き止める為に行く。一言で言えば異変解決だ。」
「......何故博麗の巫女ではない?」
「霊夢を待っている時間は無い。急がなければ人里の大勢の人々が亡くなってしまう。山も死に掛けていることに君も薄々気がついているだろう!?」
「......詳しい事情は知らないがお前が悪意ある侵略者でないことはなんとなく分かった。」
「なら......」
「だが私とて哨戒天狗。立場上、お前をみすみす通すことなどできない。」
「......。」
「決着を付けよう、人里の剣士。天狗の里へ向かうのならばまずは私を倒して行けっ!!」
そう叫ぶと、天狗は持っていた盾を地面へ投げ捨てた。
両手持ちで剣をふりかぶってレンへと斬り掛かる。
対するレンも剣を肩に担ぐようにして天狗へと向かって行く。
二人が地面を蹴ったのは同時。
だが流石に疾走速度に於いては人間であるレンよりも天狗である椛の方が上だ。
姿が霞む程の速度で肉薄し、剣を振りかぶる。
タイミングをずらされたレンはまだ受けを準備する動作にすら入っていない。
ーーもらった!!
椛は己の勝利を確信し、大刀を振り下ろそうとした......が果たして彼女の刃がレンの身体を切り裂くことはなかった。
振り下ろした大刀は僅かにレンの頬を掠っただけ。
間合いは完璧だったが、レンの手が椛の手首を掴んで斬撃の軌道を逸らしていたのだ。
剣で受けるのは不可と判断するや否や相手の手首を抑えることによって斬撃を逸らす......なんという反応速度だろうか。
椛は逸らされた剣を引き戻し、追撃を狙おうとしたがそれよりもレンの反撃のほうが早かった。
最早剣で受けることも叶わない。
「が....はっ.........!?」
レンが放った剣の柄での突きが下腹部へと入り、椛の身体はその場に崩れ落ちた。
「......君の剣技は見事だった。気が向いたら博麗神社へ来るといい。再戦ならいつでも受けて立つ。」
薄れゆく意識の中でその言葉が耳に入って来た直後、椛の視界は完全に暗転した。
「ふぅ......。」
なかなかの強敵だった。
この先もこの子と同じくらい強い天狗達と連戦することになると思うと気が滅入るな。
レンは剣を鞘に納めた後、気を失っている天狗を木に背中を預けさせるような体制で寝かせ、着ていたローブを脱いで掛けてやった。
時間が無くて食べ損ねた、昼飯の竹皮に包まれたおにぎりも側に置いておく。
......ごめんな。
如何なる理由があろうと、天狗達からしたらレンは山に許可なく入って来ようとするただの侵入者でしかない。
命までは奪わず、気絶させただけとは言ってもやはり少し後ろめたい気持ちになる。
天狗に心の中で謝ってから、レンはまた川の上流を目指して登り始めた。
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「くっ......。」
傷を負った肩口を手で押さえながら木々の間をひたすら駆け抜ける。
レンは山道の途中で鉢合わせた数人の天狗に追われていた。
流石に天狗クラスの妖怪数人相手に視界の開けない場所で相手するのはきつい。
天狗は山地での戦いに慣れているが、こちらにとっては悪視界での戦闘を強いられる為不得手。
人数の差も考えてここは逃げの一手だ。
視界の開けた場所まで逃げて、そこで相手するのが無難だろう。
魔力を温存しておきたいので魔法も使わない。剣一本で天狗達に太刀打ちしなくてはならない。
うまく撒けたら何処かに隠れてやり過ごそうかと考えていたが、天狗達は圧倒的な足の速さで追ってくる。
これではいつまで経っても埒が開かない。
そのうち天狗よりも体力で劣るレンが力尽きて追いつかれるのが関の山だ。
レンは天狗達の視界を遮るべく背の高い植物の茂みの中へ飛び込んだ。
そのまま音を立てないように忍び足で移動し、大きな岩の陰に隠れる。
幸いにも天狗達はこちらを見失ってくれたようですぐに追ってくる様子はない。
だが、そのうちここまで探しに来たら隠れていてもすぐに見つかってしまうだろう。
取り敢えずなんとかそれまでに呼吸を整えなければ。
深呼吸をしつつ、肩口に負った傷を治す為に聖魔法を唱えていたその時だった。
背中を何者かにちょんちょん、とつつかれた。
はっとして振り向くと、そこには見覚えのある天狗の文記者の姿があった。
セミロング程の長さの黒髪、胸元に同じく黒いリボンの付いた白いシャツに対比するようなこれまた黒いスカート。一本歯で背の高い下駄を履いており、背中からは烏のような黒い翼が生えている。
名を、射命丸文。
確か前の異変解決の宴会の時にも神社に来ていた烏天狗だ。
「......っ!!」
レンは反射的に剣を鞘走らせたが、刀身を半分程覗かせたところでその手を文が扇子でピシャリと押さえた。
「おっと......私は天狗ですが、貴方を追い返すつもりはありません。寧ろ助けてあげようと思って近付いたのですが......どうです?一度騙されたと思って乗ってみませんか?」
「君が俺を助けて何の得になるというんだ?」
「あやや、そんなに怖い顔しないでくださいよ。私としては侵入者なんかどうでもいいんです。寧ろ貴方が良いスクープになってくれるかなと思いましてね。他にも理由はありますが。」
ーー天狗が俺を助ける?
罠である可能性も非常に高いが......正直言って追い詰められているこの状況から自力で抜け出せる可能性は非常に低い。
文の助けを借りるのも一つの手かもしれない。
「......分かった。助けてくれないか?君の手を借りたい。」
「ふっふっふ......。交渉成立ですね!まずはあの白狼天狗たちを撒かないと。さぁ、こちらへついて来てください。」
文に手招きされ、レンはその後について行った。




