64.九天の滝
人里を出たレンは猛スピードで空を飛び、川沿いを進む。
やがて前方に大きな山が見えて来た。
徐々にスピードを緩めていき、山の麓に降り立つ。
恐ろしく高い山だ。頂上の方は雲に覆われていてここからでははっきりとは見えない。
徐に川に視線を落としたその時。
レンは川岸の木の色が変色し、枯れていることに気がついた。
「これは......?」
あまりにも強い魔法毒が川の水に溶け込んでいるのでそれを吸った木が枯れてしまったのだろう。
そこかしこの木が同じように枯れてしまっている。
見上げれば、山の中腹あたりの木まで変色してしまっているのが見える。
魔法毒が川に放り込まれたのは昨日のはずなので、凄まじく速いペースで毒が回っているようだ。
......急がなければ山が死んでしまう。
レンは剣の柄をひと撫でしてから山道へと足を踏み入れた。
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険しい道を急ぎ足で進んでいく。
空を飛ぶと妖怪に見つかる可能性が高くなるので徒歩で登るしか無い。
それでも“妖怪の山”という名だけあって妖怪に鉢合わせる頻度は結構高い。
山に入って一時間ほどが経過したが、もう既に四回ほど妖怪に襲われた。
大して強い妖怪でも無かったので今のところは無傷で済んでいるが、体力的にはだいぶ消耗して来ている。
一休み入れたいところではあるが、人里で病人達は今も苦しんでいるのだし急がなければこの山も死んでしまう。一刻を争う事態なのだ。休みなど挟んでいる場合ではない。
ーーもう少し辛抱していてくれ、妖夢......。
額の汗を拭ったその時。
レンは背後から何者かの気配を感じ取った。
どうやら岩陰に隠れたりしながらつけて来ているようだ。
気づかないふりをしながらさりげなく剣の柄に手を添える。
一つ息を吐いた後、目にも止まらぬ疾さで抜剣。
気配のする方へと剣を突きつけた。
側からは一筋の閃光が走ったようにしか見えない。
「ひゅ、ひゅいっ!?光学迷彩スーツがっ!?」
「......。」
何もなかった空間に突然現れたのは大きなリュックサックを背負って緑色の帽子をかぶった水色髪の女の子。
身の危険を感じているのかその表情は強張り、脚はぶるぶる震えている。
......なんか思ってたのと違うな。
「こ、殺さないでくれ!私は谷河童のにとり。人間の盟友だよ!君に危害を加えるつもりはなかったんだ!!」
「じゃあ何で俺のあとをつけていたんだ?」
「それは......だって気になるじゃないか。山には滅多に人間なんて入って来ないんだし。もしも山に迷い込んで来てしまっているのなら危ないからこの先には進むなって忠告して止めてあげようと思って......。」
「......。」
見た感じでは嘘をついているようには見えない。
本当に親切心で俺の身を案じて忠告しに来ようとしていたようだ。
まあ姿を隠す必要はあったのかっていう話なんだけど。
「......それは悪かった。でも、心配無用だ。俺は迷い込んだんじゃなくて、この川の上流の方に用があって来たんだ。」
「川に投げ込まれた毒物を調査する為......かい?」
「あ、ああ。何で川に毒が投げ込まれたって知っているんだ?」
「知っているも何も、私たち河童は水辺で暮らすんだから川に毒が放り込まれたらすぐに気がつくさ。自分たちで発明した水溶毒分解マスクのおかげで何とか毒の影響を受けずに生活できてるけど。」
「発明?」
「私達河童は発明が得意なんだ。さっきの光学迷彩スーツも私の自慢の発明品さ。尻餅を着いた拍子に壊れちゃったけど。」
「な、なんかごめん。」
「いいよいいよ。隠れて脅すような真似した私が悪いんだし。......君の名前は?」
「まだ名乗ってなかったな。レンだ。」
「じゃあレン、話を戻すけど何で君が毒の調査をしているんだい?こういう異変じみたものを調べるのって霊夢の仕事だと思うんだけど。」
あっ!!
霊夢のことすっかり忘れてた......。
今頃急にいなくなった俺を探して怒ってるかなぁ。
「いや......ちょっと色々あってな。ところでにとり、この川は上へ辿っていくとどこに繋がっているのかわかるか?」
「話を露骨に逸らしたな?まぁいいや。この川の源流は山頂付近の天狗の里につながっているけど......本当に行くの?天狗はみんな外部の者に対して排他的だから見つかったらまずいよ?みんな強いし。」
「うん。毒の影響は人里にも及んでいてな。一刻も早く毒の元を断ちに行かなきゃ行けないんだ。にとり達も川が汚染されて困っているんだろ?」
「まぁね。それに山の木々も次々と枯れ始めているみたいだし。なんとなく山全体が元気が無いっていうか......。」
「やっぱりか。そっちも毒の影響なのか?」
「間違い無いね。毒が川に溶け始めたのは昨日の朝頃だったけど、それまでは異常は無かったのに毒が川に溶け始めてから急に山の木が枯れ始めたから。でもなぁ......やっぱり人間がこの先に進むのは危ないよ。」
ーー刹那。
新たに何者かの気配を感じ取った。
「......誰か来る。」
木々の間を縫うように凄まじい速さで走っているようだ。
「きっと天狗だ。多分レンがここにいるのが気付かれたんだ!悪い事は言わない。早く帰った方がいいよ!!」
「......折角の忠告だが、それは出来ない。今も里で多くの人が苦しんでいるから。......すまない。」
「そこまでいうのなら止めはしないけど、無事に帰ってくるんだよ?......心配だけどそろそろ行かないと。一応仮にも私は山の民だから侵入者であるレンと一緒にいるところを天狗に見られたりしたら睨まれちゃう。じゃあね、レン。またいつか。」
「ああ、忠告ありがとう。またいつか会おう。」
にとりはこちらへ向かって手を振った後そそくさと川の方へ走って行き、水の中へ飛び込んだ。
その僅か数秒後。
凛とした声が木々の間に響いた。
「そこにいるのだろう、人間。隠れていないで出てこい。」
「......。」
その声を聞き、レンは無言で岩陰から出て声の主と相対した。
白の和装に、赤の紋様の入った袴という出で立ち。
白い短髪からは犬のような耳が生えており、背後に尻尾が生えているのが見える。
腰には刃の厚い大刀と円形の盾を背負って、天狗は凛とした立ち振る舞いでそこに立っていた。
「人間が妖怪の山に何の用だ?手荒な真似をされたく無ければ早急に立ち去れ。」
「......出来ない。この山の上の君達の里に用がある。」
「もう一度言う......立ち去れ。」
「悪いが引くに引けない事情がある。そこを通してもらう。」
「......ならん、引き返せ。」
「ならば力尽くでもどいてもらう。」
「ほう、人間風情が天狗にかなうとでも思っているのか?......交渉決裂だ。悪く思うな。」
天狗は低い声で唸りながらそう言うと腰の大刀を抜き、盾を構えた。
「押し通る!!」
天狗の抜刀する音を戦闘の鯨波と捉え、レンも地面を蹴った。
地を疾走しながら腰の鞘から剣を抜き放つ。
刃同士がぶつかり合い、甲高い金属音が周囲の空気を揺るがした。
互いに拮抗するような形で鍔迫り合いになる。
「ぐっ......。」
ーー想像していた以上に剣戟が重い。
天狗の剣は刃が厚いので重量がありそうだとは思っていたが、実際に剣を合わせてみると想像していた以上だ。
だがレンの剣、アルテマとて刀身は細身ではあるものの常人では持ち上げることすらままならないほどに重い神器だ。
故に尋常では無い重さを感じるのは剣のせいだけでは無いだろう。
この天狗もまた、妖夢のように並々ならぬ修練を積んでいるに違いない。凄まじい膂力である。
真正面からかかって来る剣圧に耐えきれず、次第に押し込まれていく。
レンは刀身を傾け、相手の剣を逆方向へ滑らせて飛び退った。
天狗は間髪入れずに距離を詰めて追撃して来る。
前手構えの切り上げ、下段突き、真一文字の薙ぎ払い。
両者の間に凄まじい速さで幾千もの剣閃が燦く。
脇目も振らずに相手の斬撃を読み、躱し、自らの斬撃を打ち込む。
成る程、にとりの言っていた通り天狗はそこらの妖怪とは一線を画す強さだ。
この天狗の身のこなし、剣の腕前はなかなかの物。
盾の使いこなしも上手い。
巡回を行っている天狗でこの強さとなれば、天狗の里の守護者達は更に凄まじい猛者に違いない。
出来れば敵に回したくない相手だが......そんな悠長な事は言っていられない。
今も里で危篤な状態にさらされている人々が大勢いるのだ。
不意に、布団に寝かされている妖夢を心配そうに見つめていた幽々子の姿が頭をよぎる。
ーー頼んだわよ......レン。
......負けられない。
確かに天狗は強い。それに天狗達からしたら俺は今、山へ入り込もうとしているただの侵入者だ。
でも、俺にだって背負っているものがある。
こうしている間にも一人、また一人と人里の病人達が亡くなっているんだ。
引けと言われても引けない理由がある......!!
振るう剣がぶつかり合って盛大に火花を散らし、両者大きく後退する。
レンは剣先を相手の首にピタリと合わせ、剣を構え直した。




