61.永遠亭
妹紅の後ろ姿は次第に小さくなっていき、やがて竹の影に隠れて見えなくなってしまった。
ふうっ、とため息を一つ吐いてから踵を返し、レンは妹紅に言われた通りに道を真っ直ぐ歩き始めた。
竹林は奇妙な程に静まり返っていて、耳が痛くなるほどの静寂である。
「......っ!?」
刹那。
ふと何者かの視線が自分に向けられていることに気がついた。
数も多い。
反射的にアルテマの柄に手を掛けたが、いつまで待っても視線の主達が襲ってくる様子はない。
それどころか剣に手を掛けた瞬間気配は霧散してしまった。
どうやら逃げていったようだ。
妖怪だろうか?すぐ近くに来るまで気が付かなかった。
もしかして......竹林に俺が入って来た時から監視されていたとか?
それにしてもあれだけの数に襲われたらと思うと背筋に冷たいものが走る。
数十匹はいただろう。襲われたら馬鹿にならないほどの数だ。
何にせよ、永遠亭まであと少しだからといって気を抜かないようにしよう......とか思っているうちに大きな屋敷が視界に入って来た。
あたかも昔からそこに屋敷が建っていて、後から周囲を囲うようにして竹が生えて来たのかと思うほど自然に竹林に溶け込むようにして佇んでいる。
が、手入れがよく行き届いているのか建物自体の外観はつい昨日建てられたのではないかと思うほど綺麗だ。
何とも不思議なその光景に、レンは思わず息を呑んだ。
ーー兎にも角にも早く八意永琳という人物に会わなければ。
レンが目の前の建物に向けて一歩踏み出したその時だった。
めきめきめき、という嫌な音が響く。
それと同時に地面が消えた......否、レンの足元の地面だけが崩れた。
「ちょっ、えぇっ!?」
堪らず反射的にもう片方の足を踏み出したが、そちらもめこっ、という音を立てて崩れる。
「んぎゃーっ!!」
完全に支えを失った身体はそのまま地面にポッカリ開いた穴の中へ。
暗い穴の中、身体が宙に浮かぶような不快な感覚を感じながら下へ下へと落ちていく。
どこまで落ちるんだ!?深すぎだろ!?
ーーとか思った刹那。
底面に身体を思いっきり叩きつけられ、そこでレンの意識は途切れてしまった。
〜時を同じくして永遠亭の一室〜
「......ん?なんか今“んぎゃー”、とかいう悲鳴が聞こえてこなかった?」
耳をぴくりと動かしながら鈴仙は妖夢に問うた。
「うん。なんか聞き覚えのある声だったけど、聞こえて来たね。」
「......妖夢の知り合いの人だったりして。」
「あ、あはは。きっと気のせいだとおm......」
その時、襖を開けてその間からてゐがひょっこり顔を出した。
「......なんか入り口の方に作ってた落とし穴に誰かが引っ掛かったみたい。」
「えっ!?てゐ、貴方また悪戯して......誰か客人だったかもしれないじゃない!!貴方の落とし穴は深すぎて洒落にならないんだから......」
「わ、悪かったよ......。もう暫くは落とし穴は控えるからさ。」
「落とし穴以外も禁止!それに“暫くは”ってどういうことよ?未来永劫控えてよね。」
「へいへい。それよりもほら、落とし穴に掛かった人を回収してこないと。」
「......なんか納得できないけどまあいいや。ごめん、妖夢。ちょっと待ってて。」
「あ、いや、いいよ。私も手伝うよ。」
「ごめんね......うちのてゐのせいで。」
「気にしないで。丁度ちょっと外の空気を吸いたくなって来たところだし。」
縁側から庭に降りて、そのまま正面玄関の方へと向かう。
すると確かに玄関前の所にポッカリと大きな穴が開いていた。
誰かが落とし穴に落ちた形跡だ。
「わぁ......見事に引っかかってくれたな。」
「なんでそんなに嬉しそうなのよ。てゐ、貴方ちっとも反省してないでしょ......。」
「反省してます〜だ。いだだだだ!?」
舌をちろっと出してあっかんべーをしたてゐの耳を鈴仙はぐいっと引っ張った。
二人のいつもの如くやり取りを見ながらあはは、と笑いつつも妖夢は落とし穴の中を覗き込んだ妖夢は驚きのあまり固まってしまった。
「......えっ!?」
落とし穴の底でのびていたのは......見紛う筈がない、己の師であったからだ。
「お、お師さまぁっ!?」
「ん、どうしたの妖夢?」
「落とし穴に掛かってるの、私のお師匠さまだよ!!」
「えーっ!?ちょっとてゐ、よりにもよって貴方なんてことを......っていない!?さては逃げたな!?」
「とにかく早く運び出して差し上げないと......。鈴仙、ちょっと手伝ってくれない?」
「あ......うん、もちろん。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ふいに意識が覚醒し、ぱっと目を見開く。
頭の中がふわふわしてて思考が回らない。
徐々に霞みが消えて鮮明になってきた視界には、木目の天井が映っていた。
ーーそうだ、俺は落とし穴に落ちて......。
やっと頭が働き始めたその時、頭上から覗き込んで来た澄んだ青緑色の瞳と目が合った。
「お師さま、お身体は大丈夫ですか?」
ーー妖夢!?
「わっ!?」
「ちょっ、急に起き上がったら......痛っ!?」
驚いて急に起き上がろうとした拍子に互いにおでこをぶつけてしまった。
「いたた......お、お師さま、気を付けてくださいよ......。」
どうやら布団の上に寝かされていたようだ。
「ご、ごめんごめん。......ここは一体?」
「ここは永遠亭ですよ。妖夢はちょうど遊びに来てくれてたところだったんです。」
レンの問いに答えたのは妖夢ではなく、襖を開けて入って来た少女だった。
緋色の瞳に明るい薄紫の長髪。少女はブレザーを着ており、学院制服をいつも着ているレンからすると少し親近感が湧いたのだが......重要なのはそこじゃない。
少女の頭には兎のような長い耳が生えていたのだ。
「えっと......妖怪、なのかな?」
「ふふ......まぁ、そうですね。一応種族で言えば妖怪兎です。私は鈴仙・優曇華院・イナバっていいます。長いので鈴仙、って呼んで下さい。貴方は......レンさん、でいいんですよね?」
「あ、うん。」
「レンさん......本当申し訳ありません。うちの馬鹿てゐが悪戯で玄関前に落とし穴を仕掛けていたみたいで......。」
「その”てゐ“っていう娘も鈴仙の友達の妖怪兎なの?」
「はい......因幡てゐっていう娘です。あの娘、とんだ悪戯好きでして......。」
「あはは......凄い落とし穴だったな。全く気がつかなかったし、深さもなかなかのものだった。」
落とし穴で気絶って......情けないなぁ、俺。
「うぅ......本当すみません。」
半べそかきながら何度も何度も謝る鈴仙。
「べ、別にそんなに気に病まなくたって大丈夫だよ。罠にかかった間抜けな俺が悪いんだし......ね?」
鈴仙はいつもその“てゐ”っていう娘の悪戯のせいでこんな風に謝ってるのかな、と思うとちょっと可哀想に思った。
「それにしてもこんなところで妖夢に会うとは思わなかったな。永遠亭には頻繁に遊びに来てるの?」
「ええ。ここには人里で買い物をするついでによく遊びに来ます。鈴仙、私達仲良しだもんねー?」
「うん。......妖夢はよく遊びに来てくれるんですよ。私の愚痴とかも嫌がらず聞いてくれるんです。」
ふふ......と顔を見合わせて笑うのを見て、レンはそんな二人の様子を微笑ましく思った。
その時。
またもや襖が開いて、今度はちょっと背の小さな子が部屋に入って来た。
半袖のワンピースを着ていてる黒髪の癖っ毛の少女だ。
この娘も頭にウサ耳が生えている。
「はいはい、うどみょんうどみょん。」
「「う、うどみょん言うなし!!」」
二人の息の合った完全なユニゾンに、レンはほんの少しだけ笑ってしまった。
「レンさん、コイツです!コイツがてゐです!!」
鈴仙が黒髪のウサ耳少女を指差す。
「あんたがレンね。他のイナバ達から報告を受けたよ。」
「イナバ?」
「うん。ここにくる途中で兎みたいなのたくさん見なかった?」
ああ、永遠亭前で感じた多くの視線はその“イナバ”達のものだったのか。
「さっきは悪かったね。悪戯癖が抑えられなくてついつい、ね。怪我は無かったかい?」
「うん、大丈夫だよ。特に傷も負わなかったし、過ぎたことは気にしなくていい。......君が”因幡てゐ“か。」
「ああ、いかにも。ところでレン、あんたうちのお師匠様の八意永琳に用があるんじゃなかったの?」
「あっ、俺としたことが!!」
そうだ。完全に頭から抜けていた。
俺が永遠亭に来たのは八意永琳に会うためだった。
「そうだった......八意さんに会わせてもらえないか?」
「うん、勿論だ。先の一件のお詫びも兼ねて、私が案内しよう。付いておいで。」
手招きするてゐに案内してもらい、レンは永琳がいるという部屋へと向かった。
※※※
「お師匠様、客人をお連れしました。」
「構わないわ。通して頂戴。」
てゐに促され、レンは部屋の中へと入った。
「し、失礼します。あの......貴方が八意永琳さんでしょうか?」
「ええ、そうですとも。私が八意永琳。この永遠亭で薬の開発及び研究、診療を行っているわ。」
椅子に座ったままこちらへ振り返ったのは紺色の瞳の女性。
赤と紺のツートンカラーの特徴的な服を着ており、長い銀髪を後ろで三つ編みに纏めている。
立ち振る舞いから聡明さが滲み出ている......というか“頭脳明晰”という言葉が似合う。見た目からして頭が良さそうな人である。
「実はですね......」
レンはたった今人里で起こっていることを話し、永琳に人里へ来て欲しいという旨を伝えた。
「なんだか嫌な予感がすると思ったら里でそんなことが起こっていたのね。普段なら薬だけ鈴仙に持って行かせるんだけど......いいわ。今回は結構患者も多くて深刻な状況みたいだし、私が直接里まで診療しにいきましょう。」
「あ......ありがとうございます!!」
「わざわざ人里からここまでご苦労だったわね。てゐの悪戯の被害に遭っちゃったみたいだし、少し永遠亭で休んで行ったら?」
「いえ、大丈夫です。色々お手伝いとかしたいし里人達のことが心配なので俺はすぐに里へ戻ります。」
「そう......分かったわ。私は色々と準備があるから、貴方は先に里へ戻っていなさい。......鈴仙そこにいるのでしょう?隠れてないで出てきなさいな。」
永琳が襖の方へそう呼びかけると、顔を赤くした鈴仙が出てきた。
「い、いえ......お師匠様、決して盗み聞きする気は無かったんです!たまたま部屋の前を通りかかっただけで......」
「......まあいいわ。この人を竹林の入り口まで連れて行ってあげなさい。」
「はい、分かりました。お師匠様もお出掛けですか?」
「ええ。今話は聞いていたでしょう?」
「は、はい......すみませんでした。......ではレンさん、行きましょうか。」
「う......うん。」
「では永琳さん、また後ほど。」
ペコリと頭を下げてから、レンと鈴仙は部屋を出た。
「うぅ、お師匠様絶対ちょっと怒ってた......。」
「あ、あはは......鈴仙も別に盗み聞きしようとして隠れていたんじゃないんでしょ?」
まあ別に盗み聞きされたらまずいような話でもなんでもないんだけど。
「えぇーっと......すみません。さっきは反射的に嘘ついちゃいました。本当は何を話しているのか気になって、ずっと襖に耳を当てて聞いてました......。多分師匠は私が嘘ついてるって速攻で見抜いたんだと思います。」
「ああ......だから怒ってたのか。」
っていうか速攻で嘘を見抜く永琳もすごいな。最初から鈴仙が聞き耳を立てていたのに気付いていたってことか。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、向かい側から一人の少女があくびをしながら歩いて来た。
桃色の和風仕立てのドレスのような服と赤いスカートを着ている美しい少女だ。その射干玉の如く黒く、長い髪にはまるで絹のような艶がある。
「ふわぁ......ん?鈴仙、この方は?」
「あっ、姫様......こちらは人間の里から来られたレンさんというお方です。」
姫様、と呼ばれたその少女はレンの前まで来ると、興味深げに顔を覗き込んできた。
美少女に顔を近づけられて、思わず心臓が跳ね上がる。
そんなレンの心情を知ってか知らずか、少女はふっ、と微笑んだ。
「初めまして、レン。私は蓬莱山輝夜。この永遠亭の主よ。」
「は、初めまして。」
絶対緊張してんのバレてんじゃん。恥ずかしい......。
「......貴方、”竹取物語“ってお伽話知ってる?」
「いや、すまない。知らないな。」
「......やっぱり。」
何かに納得したかの様に輝夜は頷いた。
「何が“やっぱり”なんだ?」
「貴方が元はこの“幻想郷”でも”外の世界“でもない世界の住民だった、って話よ。竹取物語っていうのは”外の世界“や幻想郷“に住んでいるのならば知らない人はいないほど有名なお伽話なの。」
「へぇ......そうだったのか。いかにも、俺はその”外の世界“でも幻想郷でもない世界の住民だったんだけど......でもなんでほぼ初対面なのにそんなこと分かったんだ?」
「うーん......なんかこう、特殊な気質が滲み出てるのよね。」
気質だけで住んでいた世界が違うとか分かるのか。すげぇな。
「ねぇ、私今退屈してたの。折角永遠亭に来たんだし、元々住んでいた世界のお話でも聞かせてくれない?」
「わ、悪い。今から人里へ急いで戻らなきゃいけないんだ。」
「むぅ......つれないわね。まぁでも、事情が事情なだけに仕方が無いわね。また今度、機会があったら永遠亭に遊びに来て頂戴。その時は貴方の世界のお話を聞かせてね。」
「あ、あぁ......。」
それだけ言って、輝夜は長い廊下の先へと消えてしまった。
人里の事情を話したわけでも無いのに知っている様な口ぶりだった。
まさか鈴仙と同じく盗み聞きをしていたのではあるまいだろうし......不思議な娘だなぁ。
「あっ、お師さま。もう帰っちゃうんですか?」
続いて廊下を歩いてきた妖夢とばったり会う。
「うん。人里が大変なことになっているから急いで帰らないと......。」
もうこれ言うの何回目だろうか......?
「じゃあ妖夢も一緒に帰ります!!......って、えっ!?今人里が大変なことになっているって......」
「ごめん、ここでゆっくり説明してる暇もないから歩きながらでも構わないか?」
「わ、分かりました。」
「じゃあ鈴仙、道案内を頼む。」
「はい、お任せ下さい。」
レン達は靴を履くと、玄関の戸を開けて永遠亭を出た。




