53.蛍夜
それはある夜の事。
そろそろ子の刻も回り、丑の刻になろうかという頃合い。
霊夢は廊下を誰かが歩く音で目を覚ました。
「......。」
まだ外は真っ暗で、馬鹿みたいに蒸し暑い。
外からは虫達の鳴き声が聞こえて来る。
廊下を歩いているのは十中八九レンだろう。っていうかそうじゃなかったら怖い。
厠へ行くのかな?
......と思ったけど厠はレンの部屋のすぐ向かいだ。
霊夢の部屋は玄関前に近いところに位置するので厠に行くだけだったら絶対に霊夢の部屋の前は経由しない筈だ。
場所を間違えたとか?
......いやいや。もうあいつもここに住んで数月が経つんだし流石に家の中で迷うなんてことはないだろう。
お腹が空いたから台所へ行ったというのは......無いな。
台所はレンの部屋から見てこっちと逆方向だし。
やっぱり彼がこの部屋の前を通るのは玄関に向かう時だけの筈だ。
丁度その時、ゆっくりと玄関の鍵を回して戸を開ける音が聞こえてきた。
寝ているであろう霊夢に配慮したのかなるべく音を立てないようにしているようだったが、この静寂の中で耳を澄ましていれば耳に入ってくる。
外へ出た?
こんな真夜中に何処へ行くつもりなのだろうか。
レンの行方が気になってあれこれ考えているうちに完全に目が冴えてしまった。
......仕方が無い。追ってみるか。
このまま放って置いたら明日も気になって眠れないだろうし。
霊夢はかけていたタオルケットを押し除け、蚊帳から出た。
そして箪笥から紺色の丈の長いケープを引っ張り出してきて羽織る。
物凄く暑いが、寝巻き姿で外へ出るのは流石に恥ずかしい。
どうせこんな真夜中にこの辺を歩いている人なんかいないだろうけど一応......ね?
先ほどの足音は泥棒だった、という可能性もあるので念のためレンの部屋を見に行ったがやはりもぬけの殻だった。
境内に出てみたが、レンはいなかった。
もう神社の聖域から出てしまったようだ。
霊夢は目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。
そこら中に取るに足らないような小さな霊力を感じるが、多分ただの野良妖怪だろう。
......いた!!
少し離れたところに強大な霊力の存在を感じ取った。
気質からしても多分レンのものだ。
どうやら神社裏の森へ向かったようだ。
......本当に何しに行ったのだろうか?
首を傾げつつ、霊夢は霊力の反応があった方へと向かった。
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暫くレンの霊力を手掛かりに森の中を辿っていくと、少し開けた空間に出た。
空間の中心には泉があり、澄んだ水が絶えず湧き出している。
奥の方は崖になっており、その淵に腰掛けているレンの後ろ姿を見つけた。
何やらぼーっと遠くの景色を見つめているようだった。
「こんなところで何してるのよ?」
「うわっ!......霊夢!?」
レンは後ろから突然声をかけられてぴくりと肩を震わせた。
「悪い......起こしちゃったか。あんま音出さないように気をつけてたんだけど......。」
「ほんとよ、もう。折角気持ち良く寝てたのにあんたが廊下を歩く音で目が覚めちゃったじゃないの。......で?何してたの?」
「いや......別に特に目的があってここまできたわけじゃないよ。前にここに来たときに星空が綺麗だったからさ。たまにここに一人で来て考え事をするんだ。それにほら、今の時期は蛍も飛んでるし、綺麗だろう?」
レンの指差す方を見ると、確かに黄緑色の光がそこら中で忙しなくチカチカと瞬いている。
「本当だ......綺麗ね。」
ーー夏は夜。
月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし......。
空にも名だたる夏の星々が身を連ね、とても幻想的な光景だ。
「何を飲んでるの?」
霊夢はレンが右手に持っていたマグカップを指差した。
「ああ、これか。蜂蜜酒って知ってるか?」
「名前だけは聞いたことあるわね。」
「まあ名前の通り蜂蜜から作られるお酒なんだけどさ。前の世界にいた頃から飲んでて結構お気に入りだったんだ。この前人里に売っているのを見つけたから懐かしくて買ってみた。」
「美味しいの?」
「俺が昔飲んでいたのとはちょっと味は違うけど、これもこれでまた美味しいな。飲んでみる?」
そう言ってレンはまだ半分ほど中身が入っている緑色の瓶を放ってきた。
それを受け止め、栓を外すと蜂蜜のような甘い香りが鼻腔をくすぐった。中身は琥珀色の液体のようだ。
意を決して一息にぐいっと呷る。
結構甘味は強いが意外と後味はスッキリしていて、飲み干すと喉の辺りがかっと熱くなった。
蜂蜜独特のあのクセはあまり感じない。
「ん......結構美味しいのね。」
「でしょ?最近はここに来てそれをよく飲んでるんだ。」
「ふーん......。」
レンはまた視線を夜空へと戻した。
沈黙が続く。
「さっき言ってた考え事って、前の世界についてのこと?」
「まぁ......概ねそうかな。」
少し寂しそうな顔をしてレンは一つため息をついた。
霊夢は普段あまり見ない彼の表情に少々戸惑った。
「......前の世界が恋しいの?今でもできるなら戻りたいって思ったりする?」
レンは少し考える素振りを見せた後、少し間を置いてから答えた。
「そりゃまあな......俺の故郷なわけだし。力及ばず守りきれなかったけど......友達だって沢山いた。」
「そう......。」
「本当は今も向こうの世界に魔物にいつ殺されるか分からないような状況の中で逃げ回っている人もいるかも知れないのに。自分の側にいた仲間さえ守りきれなかった俺なんかが別世界でのうのうと生きてて......何してるんだろうな、ってよく思うんだ。ほんと......無力だよ、俺って。」
掛けてあげられる言葉が見つからなくて霊夢は押し黙ってしまった。
いつもけろっとしているように見えるけど、実はきっといつも心の奥底で彼は激しく自分のことを責め続けているのだ。
彼は考えごとをするときによくここへ来ると言った。
きっと自責の念に耐えきれなくなった時に頭を冷やすためにここに来るのだろう。
ーー違う。
貴方だけのせいじゃない。
貴方は自分一人で全て抱え込もうとするような人間だから、自分が無力だったが故に仲間を失ったとか思っているのかもしれない。
確かに友達を失い、故郷を滅ぼされた悲しみは霊夢には想像も付かないほど大きなものだろう。
もっと自分に力があれば、と考えてしまうのは仕方のないことだと思う。
だけど少なくとも私からすれば貴方は無力なんかじゃない。
現にこの間だって貴方はその偽りの神とかいう奴の手下を打ち倒したではないか。
私は絶対に貴方無しでは勝てなかったと今でも確信している。
貴方は人里の人々の命を救ったの。
里の人達だって皆貴方に感謝してる。
......貴方はみんなにとっても、そして私にとってもかけがえのない存在なの。貴方は必要とされているのよ、と。
そう言ってあげたいのに恥ずかしくて言えない。
あぁ......やっぱり自分は他人に本音を話すことができない、気持ちの伝え方が分からない。
ままならないな。
どうしてこう、自分は不器用なのだろうか。
ーーとそこまで霊夢が考えたところで。
レンはでも......、と続けた。
「ランセルグレアも恋しいけど俺は幻想郷も好きだな。自然は豊かで美しいし、里の人々も優しい。妖夢や魔理沙達、それに霊夢だっている。」
レンはそう言いながら霊夢の方を見てにっ、と笑った。
真正面から笑いかけれられて赤面する霊夢。
「だからこそ、絶対に幻想郷を偽りの神から守って見せるんだ。その為だけに俺は今生かされてるんだと思ってる。」
レンはぐっと拳を握り締めて見せた。
ーーまただ。
またそうやってレンは一人で抱え込もうとする。
前向きなことを言っているが、ついさっきまでの寂しそうな顔を見たらいくらなんでも強がって取り繕おうとしているのがバレバレだ。
何とかしてその負担を少しでも取り除いてあげたいけど、言葉ではうまく伝えられない。
ならば......。
「レン、ちょっとこっち来て。」
「ん?急に何だよ霊夢?」
「いいからいうこと聞く!!」
「は......はいっ!!」
レンは言われた通り少しだけ霊夢の方へ身を寄せた。
霊夢がその身体をぎゅっと抱きしめる。
「ちょ、ちょっと霊夢!?」
「うるさい!し、暫くそのままじっとしてなさいよ!!」
「......うん。」
どことなく甘いような、良い匂いがする。
なんだか暖かくて柔らかい。
霊夢の吐息が耳に掛かるのを感じて心臓が跳ね上がる。
レンは何故いきなり抱きしめられたのか理解できなかったが、何だかとても暖かい気持ちになった。
抗ったら怒られそうなので、霊夢が離すまで言われた通りじっとしていることにした。
「......あんま無茶しないでよね。苦しかったら私にも愚痴溢しなさいよ。話し相手くらいにだったらなれるから。」
......言えた。
ちょっとぶっきらぼうな物言いだけど。
このくらいが私が彼にしてあげられる精一杯の励まし。
自分には抱きしめてあげることくらいしか出来ないけど。
今はそれでいい。
彼も急にどうしたんだと聞いてきたりはしなかった。
代わりに、
ーーありがとう。
至近距離にいる霊夢ですら辛うじて聴きとれるかどうかくらいの小さな声でそう言い、ぎゅっと強く抱き締め返した。
「ふふ......これからも幻想郷を頼むわよ、魔導師さん?」
「巫女様の命とあらば......なんてな。」
二人で顔を見合わせて、思わずくっくっくと笑ってしまう。
或いは二人とも恥じらいを隠したかっただけのかもしれない。
こうして腹を抱えて一緒になって笑える、ただそれだけのこと。
でもこの小さな小さな幸せは偽りなんかじゃない。
お互いに手を伸ばせば触れられるところにいる。
偽りには変えさせない。変えさせたりなんかするものか。
この小さな小さな幸せを、温もりをーー
ーー何としてでも守り抜く。




