47.射干玉の......
ーー暗い。
辺り一面の濃密な闇。一向に目が慣れて来る感覚は無い。何も見えない、感じられない。自分が今この空間に存在していることすら忘れてしまいそうだ。
ぴちゃっ。
不意に雫に水面が打たれるような音が静寂を破る。
ただ、それだけ。気を付けていなければ気づかなかったかもしれない位に小さな音だったが、霊夢は聞き逃さなかった。
「......。」
音のした方へ足を踏み出すそうとしたその時。
靴に何かがぶつかって転がる。
何だろうか。
手探りに足元のあたりを探り、落ちていたものを拾い上げる。
「......球?」
目元ぎりぎりまで近付けてもはっきりとは見えないが、触った感触からして何か球状の物体だ。
凹凸がまるで無く、表面はツルツルとしている。
諦め悪く、くっ付くぐらい目に近付けて何とかして球が何であるのかを判別しようと試みた。
次の瞬間。
突然球は眩い閃光を放ち、霊夢の視界も焼かれて真っ白になる。
「ッ......!?」
突然の出来事だったが、反射的に霊夢は腕で目を覆った。
閃光が消え、徐々に視界が真っ白から回復していく。
十数秒後。
視界は完全に元の状態に戻り。
彼女は草原の真ん中に立っていた。
見渡す限り木や山は無く、どこまでも続く真っ平らな草地は遥か彼方で地平線と繋がっている。
見たことも無い風景だ。
「一体何なのよ......。」
彼女の声に応える者はいない。
だが、少し離れた所に立っている人影を霊夢は見つけた。
あの漆黒の髪に同じく漆黒のローブ、そして紺色のバンダナは......。
「レン......?」
霊夢の声に少年は振り向いた。
にかっと破顔し、こちらへと手を振りながら歩いて来る。
......刹那。
少年の歩みは止まり、その顔からは笑顔が消え去った。
霊夢はその様子を見て己の目を疑った。
何度も何度も目を擦った。
だが、少年の腹部から突然生えた鈍色に輝く刃が消えることは無かった。
紅に濡れた鈍色の刃は引き抜かれ、少年の身体は力なく崩れ落ちる。
倒れた少年の背後に立っていたのはーー
ーー血に濡れた短剣を持った男。
フードを目深に被っていて顔は見えない。だがレンが倒れた直後、その姿はあたかも煙の様に消え去ってしまった。
残されたのは血溜まりと、地面に力無く横たわっている少年。
霊夢は悲鳴を上げることもできなかった。
数秒経って我に返り、急いでレンの元へ走り寄る。
「レン、レン!?しっかりなさい!!」
レンの表情は苦痛に歪んでいる。
霊夢は急いでローブを脱がせた。
ひどい傷だ。
背中から臍の下まで貫通している。血も止まらない。
でも大丈夫......きっとこのくらいなら私の祈祷ですぐに応急処置をすれば助かる筈。
苦しそうに喘ぐレンをそっと横たえ、手を組んで神に祈る。
どうか、神様。彼を助けてあげて下さい......と。
だが、祈祷を始めてから三十秒弱。
様子がおかしい。
普通の傷ならばもうとっくに血が止まっていてもいてもおかしく無い。
しかしレンの傷口が一向に固まる様子はない。
それどころか先程よりも更に苦しそうだ。ひゅうひゅう、と呼吸の音も少し変な気がする。
癒しの力は確かに彼に注がれている筈なのに。
ーーまさか......毒!?
あの短剣の刃には不自然な程の光沢があった。毒が塗ってあったのかもしれない。
万毒を消し去ることの出来る祈祷も存在するが大規模故に相当な霊力と神具を必要とする為、今すぐにこの場で行うことはできない。
従って、今この場で解毒を行う手段は......無いに等しい。
そう考えているうちにもレンの呼吸はどんどん浅くなっていく。
肩を強く揺さぶるが、レンはもうほとんど反応しない。
口を微かに開けて何かを言おうとしているが、支離滅裂で聞き取れない。
「何!?はっきり言ってよ!!聞こえないわ!!私はどうすればいいのよ......。」
「が...はっ......」
レンは大量の血を吐き、それを最後にぱったり動かなくなった。
「嘘、でしょ......?」
私独り......置いていかないでよ......。
レンは答えない。
ただただ穏やかな笑みを浮かべたまま彼は息を引き取っていた。
「ッ......」
涙がぽろぽろと頬を伝って流れ、霊夢の顔に付いた血と混ざってレンの顔へと落ちる。
ーー嫌ぁぁぁあぁあッ!!
「あっ......」
畳み掛ける様に鳴く蝉達の声。
障子の間から覗く夏の朝日。
いつも通りの自室。
ーー何だ......夢か。
にしても嫌な悪夢だった。
無意識のうちにほっと安堵のため息を吐いた。
布団から這い出て母屋の裏手にある井戸へと向かう。
冷たい井戸水を汲み上げて柄杓で掬い、口に一気に流し込んだ。
頭がガンガンする。もの凄く痛い。二日酔いだ。
......昨日はやけになって飲みすぎたか。
昨夜のことを思い出して胸の辺りがちくりと痛む。
何なのだろうか、この痛みは。
ただレンとレミリアが二人で楽しそうに喋っていただけなのに、何だか胸の辺りが凄く苦しくなった。凄く腹が立った。切なかった。
何故あんなに私は怒っていたのだろう。自分でもよく分からない。急にかっとなってしまって、それでレンだけを置いて帰ってきてしまった。
あの時湧き上がってきたのは今までにあまり持ったことのない......馴染みの無い感情。
ーー嫉妬......してたのかな、私。
......いつも。
いつも私は素直になれない。
レンは勿論、紫や魔理沙......その他人妖諸々。本当は皆が遊びに来てくれたり宴会に来てくれたりするととても嬉しいのに素直に面と向かって照れくさい話ができない。だからかついついきつく当たってしまったりもする。
自分の思いを全部相手に伝えることが出来ない。いや、思いの伝え方が分からない。
私はもうちょっと他人に対して素直になった方が良いのかな............というのは置いといて。
とりわけ特殊な、自分でもよく分からないレンに対して抱いているこの感情。これが恋心というものなのだろうか。
つまり私はレンのことが......
と、そこまで考えたところで霊夢は顔を真っ赤にして首をぶんぶん横に振った。
何を考えてるんだ私は!?そんなわけ無い無い!!......まぁ確かにあいつのことはそれなりに嫌いじゃ無いけど......
「......な、なぁ霊夢。さっきからそこで一人で真っ赤になったり悶えたりして何やってるんだ?」
「はっ!?」
振り向くと、そこにはちょっと引き気味の表情をした魔理沙が立っていた。
「な、何よ!!別にレンのこと考えてたとか、そういう訳じゃないんだからね!?」
魔理沙は一瞬驚いた表情になったが、すぐににやにや顔に変わった。
「あっ......。」
「ほ〜?レンが何だって?」
やってしまった。
霊夢の顔は更に燃える様に赤くなった。
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「ふーん......そりゃ霊夢、正真正銘恋ってやつだ。お前はレンに馴れ馴れしくするレミリアに妬いてたんだよ。」
「......あんた、本当に誰にも言わないでよ?約束だからね?」
「へいへい分かってるって。巫女さんの恋愛事情なんか言いふらしたりしませんよーだ。言いふらしたりしたら私の命が危ないもんな。」
魔理沙はそう言ってけけけ、と楽しそうに笑う。
......まあ魔理沙はこう見えて意外と口が固かったりするし大丈夫だろう......と信じたい。
「しっかし驚いたな。霊夢にも恋愛感情なんてものがあるんだな。」
「な、何よ!?別に私だって女の子なんだし人を好きになったりぐらいは......って違う違う!別にまだ好きと決まったわけじゃ無いし!未遂だしッ!」
ん?なんか未遂ってちょっと意味違う気がするけど......まあいっか。
「まぁあれだな、霊夢。レンに好かれたかったらお前はもうちょっとあいつに優しく接した方がいいってこった。」
「何言ってるの?博麗霊夢ちゃんはいつでも誰にでも優しく振る舞う素敵な女の子よ?」
目をパッチリ開いて可愛くポーズをとって見せる霊夢。
「お前さぁ......鬼巫女が何言ってるんだぜ?」
「うっさいわね!そりゃ幻想郷の秩序を守るために厳しい顔をしなきゃいけない時もあるのよ。あ〜本当巫女って大変だわ。」
「......霊夢はルックスは良いんだから中身も優しければ完璧なんだけどな。」
顔を少し赤くしてそっぽを向きながら魔理沙はそんなことを言ってみた。
「な、なあ......霊夢?」
「ん?なんか言った?お団子食べてて聞いてなかったわ。」
「......。」
こいつ......肝心な所聞き流しやがって......。
はぁ、と深いため息をつく魔理沙。
「そういえば魔理沙、今回の紅霧異変ではなんで解決に動かなかったの?赤い霧が出ているのを見たらあんたならすぐに紅魔館に突っ込んでいきそうなのに。」
「まぁな......ちょうど魔法研究の最中でさ、手が離せなかったんだぜ。三日三晩火加減を調節しながら煮込み続けていた鍋を放って異変解決に行くわけにもいかないだろ?それに霧は数時間もしないうちに消え去っちまったし、今回の異変には気づかなかったってやつもいるんじゃないかな......っと、お?」
突然魔理沙が立ち上がり、境内の真ん中の方へと歩いていく。
「ん......、どうしたのよ魔理沙?」
魔理沙が歩いていく方に視線を向けると、そこには小さな黒猫がちょこんと座っていた。まだ子供なのだろうか。あどけない顔つきをしており、そのくりくりした瞳は穏やかで警戒心が感じられない。
黒猫は魔理沙がすぐ目の前まで近づいても逃げなかった。それどころか自分から魔理沙に近づいていき、魔理沙の足にそのふわふわの顔を擦り付ける。
「あはは......人懐っこいな、お前。どっかの飼い猫か?よっと......」
魔理沙は黒猫を抱き上げて霊夢の座っている縁側の方へと連れてきた。
「わぁ......ちょっと魔理沙、あんただけずるいわよ!私にも触らせなさいよ!」
「へいへい、ほらよ。」
魔理沙から黒猫を受け、抱っこさせてもらう。
「ふわふわだぁ......。」
黒猫はとても大人しい。くりくりした目でこちらを見つめてくる。
やばい。可愛すぎる。
黒猫はみー、と鳴くと霊夢の腕からするりと抜けて魔理沙の方へと歩いていった。
「あっ......。」
「クロは霊夢よりも私の方がいいみたいだな。」
魔理沙は嬉しそうに笑った。
もう勝手に“クロ”とか名前つけてる。黒猫だからって安直すぎるでしょ......。
「むぅ......なんで魔理沙なのよ?」
「昔から魔女の相棒は黒猫って相場が決まっているんだよ霊夢くん。」
「巫女は?巫女はなんか縁のある動物無いの?」
「......聞いたことないな。お前にはレンがいるだろ。」
「あいつはどっちかっていうと猫じゃなくて犬よ、犬。放って置くとすぐに無茶するし常に首輪付けとかないとどっかいっちゃうんだから。」
「お前なかなか酷いな!」
「先にレンを動物扱いしたのは魔理沙でしょ?」
「ちげえねえ。くくく......」
「ふふふ......」
二人は可笑しくて思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「はぁ......しっかしあっちぃなぁ......。」
とんがり帽子でぱたぱたと仰ぐ魔理沙。
「......ねぇ、魔理沙。」
「ん、なんだよ霊夢?」
「レンが帰ってきたら、今度川にでも遊びに行かない?」
「おっ、いいな!この時期はやっぱり水遊びに限るぜ。妖夢や早苗辺りも誘ってもいいかもな。」
「お酒も沢山持っていくわよ!!」
霊夢はうぇ〜い、と拳を突き上げる。
「程々にしろよ......?」
早く帰ってこないかな......。
ーー特にいつ帰ってくるとかは聞いてないけど......今日か明日あたりには帰ってくるよね?
「......。」
なんて自分勝手なんだろう。昨日はもう帰って来んな、みたいな感じで置いてきたのに今はもう彼の帰りを心待ちにしている。
昨日の今日でコロッと感情が変わる自分が少し恥ずかしくなった霊夢であった。




