44.銀の泡沫
時を操る程度の能力ーー。
彼女......十六夜咲夜が人間達に忌み嫌われた原因。
その起源を知るには彼女がまだ幼い頃まで遡る必要がある。
※※※
彼女は比較的大きな街の郊外に住む両親の間に生まれた。
両親は靴屋を営んでおり、決して裕福な家庭では無かったが両親の愛を受けて特に何不自由無く幼少期を過ごしていた。
彼女のその数奇な運命の歯車が周り出したのは、彼女が八歳になる誕生日の日。
その日、彼女は母にお使いを頼まれて身の丈に合わない大きなバスケットを抱えながら転々と町中の店を回っていた。
「えーっと......にんじんとじゃがいもと......チーズももう買ったよね。後はパンだけかな。」
母から貰った“お使いリスト”の項目を一つ一つ指でなぞりながら確認し、まだ買っていなかったパンを買いに行くべく歩みの向きを変える。
今日の夜ご飯は何だろうな、と買い物リストに書いてある食材から推測しつつ彼女は街の東側を目指して歩く。
暫く歩いていると、彼女は”ある動物“が道に端で昼寝をしているのを発見した。
「わぁ......黒猫さんだぁ......!」
そう。黒猫である。
黒猫は彼女の視線に気がついたのか、上体を起こして大きなあくびを一つ。
後ろ足も起こして立つと、道の脇に立っていた家の裏を通って路地裏へと入っていった。
「あっ......猫さんがどっか行っちゃう!」
まだ完了していないお使いも忘れて彼女は慌ててそれを追いかける。
垣根を飛び越え、屋根を登り、抜け穴を潜り抜け......。
追いかける方の苦労も知らずに、黒猫は道無き道をずんずん進んでいく。
やがて、気付けば街から少し離れたところに位置する東の森の入り口に差し掛かっていた。
草木が鬱蒼と茂っており、昼間でも日光が届かないので薄暗い。
近年この森にて行方不明となり、後日不可解な死に方をした遺体が発見されるという報告が相次いでいるらしい。
両親にも決して近づくなと言われていたのを思い出し、彼女はやむなく黒猫を追いかけるのを諦めた。
「......猫さん行っちゃった。あっ、お使い忘れてた!さっさと終わらせて帰らなきゃ!」
元来た道を引き返そうとしたその時だった。
ーー縺後�縺阪繧�∈縺・縺帙¥縺�シ。
「えっ......?」
聞いたこともない雑音に似た発音の言葉が彼女の耳に入ってきた。
ーー縺オ縺オ縺、縺ヲ繧�縺�≠繧√∪縺�f縺・縺???縺弱縺ァ縺代縺 髮縺ク縺。
立て続けに頭の中に奇妙な文字の羅列が流れ込む。
「何なの......?」
恐怖を覚え、思わず後ずさり......。
彼女は“何か”にぶつかった。
「ッ!?」
鋭く息を呑み、振り向くとそこにはーー。
まるでその空間だけが切り取られているかのように真っ黒な“影。目を何度瞬かせても視界に映る影は消えない。
確かにそこに存在しているのだ。
人ならざる者。怪物。
ーー逃げなきゃ。
頭ではそう思っているのに身体が震えて動かない。
影はゆっくりと近づいてくる。
嫌。来ないで......。
抵抗もできず、彼女は影に容赦なく地面に組み伏せられた。
影は彼女の喉元へ手を伸ばしたかと思うと、その真っ黒な手で首を締め上げた。
「......くぅ......っ!」
息が出来ない。苦しい。痛い。
嫌......死にたくない。誰か助けて。
必死に心の中で叫ぶが、彼女の助けを求める声は誰にも届かない。
「か......はっ....」
嫌だ......嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
次第に暗くなっていく視界。
必死に抵抗してもがくが、まだ幼い少女が怪物に対抗できる膂力を備えているはずもなかった。
だが、消えゆく意識の中で脳裏に両親の笑顔が浮かんだその時。
突然怪物が苦しみ始めた。
見ると、無意識の内に怪物に触れた両手が光を帯びている。
「うぅ......!!」
最後の力を振り絞って彼女は怪物の腕や足を掴んだ。
白い煙を上げながら怪物が更に苦しそうに呻く。
遂に怪物は彼女から離れ、森の奥へと消えていった。
次第に呼吸が楽になるのを感じた所で、彼女の視界は暗転した。
「うぅッ......。」
次に彼女が意識を取り戻した時には、もう辺りはすっかり暗くなっていた。
意識が途絶える寸前の恐怖を思い出し、慌てて周囲を見回すがあの怪物はもう何処にもいない。
どうやらずっと森の入り口に倒れていたようだ。
側に転がっていたバスケットを掴み、彼女は恐怖で目から涙が滲み出てくるのを感じながら全力で走って家へ帰った。
心配する両親とは一言も言葉を交わさず、その日は家に着くなりバスケットを玄関に放り出して自分の部屋のベッドに潜った。
翌朝。
目が覚めてしばらくまどろんだ後、上体を起こす。
窓から日の光が差し込んでいるのを見て彼女は少しほっとした。
ーーあの影は何だったのだろうか。
思い出したくもないのにどうしてもあの影のことを考えてしまう。
でも、もう大丈夫。
ここは家の中なのだから安全だ。まさかあの影も街に現れたりはしないだろう。あの森に近づかなければ怖いことなどない。
信じてもらえないかもしれないが、両親にも少し相談してみれば心も落ち着くだろう。
彼女はベッドから出てリビングへと向かった。
「おはよう。」
返事はない。
いつもなら朝起きてリビングへ向かうと決まって母は朝食の用意をして、父は机に座ってコーヒーを飲んでいるはず。
珍しくこんな時間から何処かに出掛けているのだろうか。
否、母と父は確かにそこにいた。
だがまるで彼女の声が聞こえていないかのようだった。
母は皿を、父はコーヒーカップを手に持ったままの姿勢で微動だにしない。
「お母さん......お父さん......?」
今度は声を掛けながら二人を手で揺さぶってみるがやはり反応は無い。
「嘘......?」
彼女は急いで玄関の扉を開けて家を飛び出した。
ーー誰か大人の人を呼んでこなきゃ!
だが、家を飛び出して大通りに出た彼女が目にした人々もやはり皆固まっていた。
「何なのよ......これ......?」
一体何が起こっているのだろうか。
彼女以外の人間は誰一人として動かない。いや、人間だけでは無い。野良猫や建物の屋根にとまっている小鳥、噴水の水のように生き物でないものに至るまで一切の動きを見せない。
「......ッ!?」
嫌な気配を感じて振り返ると、昨日の影がそこにはいた。
影は笑っていた。
思わず叫び声を上げそうになった刹那。
再び世界は動き出した。
人々は大通りを練り歩き、野良猫達はじゃれあい、屋根の家の小鳥達は囀る。
まるで止まっていた時が動き出したかのように。
その日から、”時止め現象“は彼女の身の回りで度々起こるようになった。
「お、お嬢ちゃんいつもお使いえらいね。えーっと......ベーコンが二切れだから、銀貨三枚だね。」
「細かいのしかないので申し訳ないのですが......。」
「......。」
店主の返事は無い。
手を差し出したままの姿勢で動かない。
ーーまただ。
場所も時間帯もランダム。突然“時止め”現象は発生する。
「......お代、ここに置いておきますね。」
いつものようにカウンターの上に小銭を置いて店を出る。
突然世界の時が止まり、その間は彼女のみが動くので周りの人間から見ると彼女は突然消えたように見えるのだ。
やがて彼女は街中で気味悪がられ、彼女についての悪い噂が飛び交うようになる。
人々は彼女を指差して“悪魔の子”やら“呪われた家系の末裔”やら根も葉もないことを言って忌避した。
丁度その頃凶作や強盗に疫病、吸血鬼が近くの湖のほとりに棲み始めたという噂など世間によからぬことが出回っていたこともあって心が荒んだ街の人々は彼女を不満の捌け口にしていたのだ。
日に日にエスカレートしていく街の人々の嫌がらせに彼女の両親は耐えきれなくなり、遂にあれほどまで愛していた実の娘である彼女を虐待、勘当するようになっていった。
ーー貴方のせいで唾吐き掛けられたわ!
ーー俺なんかお前のせいで集団に暴力振るわれたぞ!
雨の降りしきる街角。居場所をなくした彼女は傘も持たずに階段に腰掛けて蹲っていた。
寒い。お腹も減った。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
拭えども拭えどもぽろぽろと目から涙が零れ落ちる。
彼女は世の中に失望していた。
“妖怪の賢者”が彼女の前に現れたのはそんな時だった。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。」
そう言って八雲紫は彼女を幻想郷へ連れて行き、そこで彼女はレミリア=スカーレットという名の吸血鬼に出会った。
そこからまた色々とごたごたがあったが、そのゴタゴタの末に彼女は“十六夜咲夜”という名を与えられ、晴れてレミリアの従者として仕えるようになった。
その後暫く年月が経った頃に紅霧異変を起こし、霊夢にこっ酷く退治されたわけだが。
彼女は今でもレミリアに感謝している。突然身に付いたこの奇妙な能力故に周囲の人間から忌避され、ついには両親にまで捨てられた自分を拾ってくれた。
故に彼女のレミリアへの忠誠心は絶対だ。元より両親にさえ見放されたこの命。自分の身が朽ちてしまおうとも、その時まで彼女は主人のために戦うと誓った。たとえその戦いが主の戯れの余興に過ぎないものであっても。
※※※
手元の懐中時計のスイッチを入れた。
途端彼女を除くこの世に存在する全てのものが動きを停止、
途端彼女を除く世界の全てがあの時のように微動だにしなくなった。
大量のナイフを投げてレンと霊夢の周りに移動させる。
人々に忌み嫌われたこの力。本気で振るえば負けることなどあり得ない。
「......解除。」
懐中時計のスイッチを戻し、能力を解除。
世界は再び動き出す。
すぐ目の前まで迫ったナイフを前に魔導師の少年と巫女の少女は為す術無く敗北を喫する......筈だった。
だが、時が動き出した瞬間。咲夜が予想だにしなかった現象が起こった。
「ヴォルテ!!」
術が解除され、口が自由に動くようになった少年は雷魔法を詠唱。
狙ったのは咲夜ではなく......エントランスホールに立っていた鉄製の柱。
柱にはいつの間にか大量の札が巻かれていた。
「ッ!?」
ーー何かがおかしい。
直感的にそう感じ、咲夜は投げたナイフを回収しようとしたがもう遅かった。
レンの放った雷魔法が柱に命中。超高圧の電流が鉄製の柱の隅々まで流れると。
咲夜が放った大量のナイフは一本残らず柱の方へ引き寄せられて柱の表面にぴったりと張り付いた。
「あっ......!?」
同時に霊夢の懐に入っていた針も何本か咲夜のナイフに混じって柱へ引き寄せられる。
「何これ......?」
驚いて絶句する咲夜。
すかさずレンと霊夢は床を蹴って疾走。レンは剣を、霊夢はお祓い棒を丸腰の咲夜へと突きつけた。
「......電磁石って知ってるか?鉄の芯にコイルを巻いて電流を流すと磁石になるんだ。」
ーーそう。
鉄でできた柱を鉄芯に見立て、そこに逃げ回りながら咲夜に気づかれないようにこっそりコイルの代わりに霊力を込めた霊夢のお札を巻く。霊力は電気を伝達する性質を持っている。霊力を帯びたお札もまた然り。
そこにレンの魔法で高圧電力を流すと、巨大な電磁石が完成。強力な磁界が発生し、咲夜のナイフや霊夢の針が引き寄せられたというわけだ。
「......何故レンの剣は引き寄せられないの?」
「ああ......アルテマは多分磁石に引き寄せられない金属か、金属でない他の物質で出来ているんじゃないかな。」
磁石に引き寄せられない特殊な金属もある程度存在する。金、銀、銅等の反磁性体がそれに該当する筈だ。
つまり......お嬢様の戯れの付き合いだからといって鉄のナイフを持って来るのではなく銀のナイフを持って来ていればこの策には嵌らなかったということだ。
戯れの余興、という任せられた仕事を心の何処かで軽んじていた時点で咲夜の負けは決まっていたのである。
ーー申し訳ありません、お嬢様。
「降参。私の負けよ。」
彼女は二人に両手を上げて見せた。
「あら......案外潔く降参するのね。」
「軽く弾幕ごっこをして、負けたら奥へ通しなさいってお嬢様に言われたの。」
......それって言っちゃダメなやつじゃない?
「きーッ!最初から遊ぶつもりで異変を起こしたってわけ!?ますます苛立って来たわ......レンッ!」
「はっ、はいっ!!」
「さっさとレミリアをぶちのめしにいくわよ!ありったけのお酒と食べ物ふんだくってやるわ!!」
喚き散らし、霊夢はつかつかと屋敷の奥へ歩いていく。
わー、巫女様ご立腹。
レンはちらりと咲夜の方を見たが、自分の主から物をふんだくってやるとか物騒なことを言っている霊夢をさして気にする様子もない。っていうかよく見たら口の端が微妙に上がってる。
......ちょっと楽しそう?
「お、おい咲夜......本当に俺たちを通しちゃって良いのか?あの様子だとお前んとこのお嬢様、散々な目に合わされるぞ?」
「良いのよ。そもそも霊夢の言う通り、今回の異変はお嬢様が退屈凌ぎのために起こしたものなんだから。私の仰せつかった役目は戯れの余興。もう私の役割は終わったのよ。」
「は、はぁ......?」
咲夜はちらちらと周りを見てレンと咲夜以外の者が誰もいないことを確認し。
「うちのお嬢様の我が儘に付き合ってもらって悪かったわね。後で霊夢を連れて食堂に来て頂戴。お詫びに賄いのお料理でも振る舞うわ。」
そうレンに耳打ちすると、エントランスホール右手に伸びる廊下の奥へと消えていった。
本当あのメイドさんも何考えてるか分かんないや。
案外霊夢ぐらい感情の起伏が分かり易い方が一緒にいて楽なのかもしれないな。
レンは右手の剣を鞘に納め、霊夢が進んでいった方を追った。




