41.紅の霧
来る日も来る日も雨の降り頻る梅雨の季節も終わり、幻想郷に漸く夏が訪れた。
連日曇っていたのが嘘だったかのように晴れ渡っており幻想郷の上空には真っ青な空とそこにむくむくと立ち昇る入道雲......そして燦然と輝く太陽、というまさに夏空というべき光景が広がっていた。
そこかしこから忙しなく聞こえてくる蝉達の鳴き声も梅雨が明けたことを告げている。
「やっと梅雨が明けたみたいだな。空が綺麗だ。」
境内の掃除の手伝いをしていたレンは箒を小脇に抱えて夏空を見上げながら呟いた。
「ほんと素晴らしい快晴ね!ふふふ......今年の夏はいっぱい遊ぶわよー!!」
ここのところ雨ばかりで外に出られなかったので鬱憤が溜まっていたのかテンションが上がり気味の霊夢が手に持っていた箒でレンの頭にポカリと一撃ちょっかいを出した。
「痛っ......やったな!?」
レンも負けじと手に持っていた箒で反撃する。
「隙ありっ!」
「ふん、踏み込みが甘いわね!!」
箒を躱し、打ち込み、ちゃんばらじみたことをして遊んでいると......。
「天気がいいので遊びに来ましたー!!......って二人して何やってるんですかねぇ......?」
ふと背後から掛かった声に、二人の動きがピタリと止まる。
恐る恐る後ろを振り返ってみると、そこには緑色の長髪に、白と青を基調にした巫女服を着込んだ少女。
紅白じゃない方の巫女さんが立っていた。
めっちゃニヤニヤしてる。
「ゲフンゲフン......ゲッフゲフゲフッ!!」
途端わざとらしい咳払いをし始める二人。
ーーあ......これ恥ずかしいやつやん......。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
風祝の少女は顔を真っ赤にして机や床をバシバシ叩きながら小一時間ぐらい爆笑していた。
「お二人ともそんなにお気になさらなくても......ぷふっw、誰にでも恥ずかしい体験なんてあるものですよ......ふひっw」
「笑いを堪えながら慰めるのやめてもらっていいっすか!?」
彼女の名は東風谷早苗。妖怪の山に建っている“守谷神社”の巫女さんだ。聞いた話によると俺と同じく外の世界から来た人間で、神社とそのそばにあった湖もまとめて一緒に幻想郷へ入ってきたんだとか。
博麗神社に遊びにきたら先程神社の境内の掃除の時に霊夢と俺がちゃんばらして遊んでたのを目撃し、それからずっとこんな調子で笑っている。
おかげで霊夢と俺は顔を真っ赤にして俯くことしかできない。
「まぁ......お二人が仲睦まじいのは喜ばしいことですし?ねぇ〜?」
「は......はあっ!?べ、別にそこまで仲良くないし!!あんた今度同じようなこと言ったらアレよ、アレ!アレするからね!アレだからね!ほんと!」
霊夢は顔をさらに真っ赤にして机をバシバシ叩きながら否定した。
その動揺っぷりを見ていかにも楽しそうににやにやする早苗。
ーー......悪魔の笑みだ。
早苗がこんな風になってしまったのには理由がある。
早苗にお酒を勧めて飲んでもらってあわよくば先刻の出来事を忘れさせようと霊夢が言い出したのだ。霊夢は俺の制止を振り切って早速実行したのだが......。
この娘、一番肝心な部分を忘れてない。
しかもどうやら早苗は酒が入ると凄まじいSっ気の性格が出てしまうようだ。
先程からこんな風に霊夢を虐めて遊んでいる。
ただでさえドSな霊夢を虐める早苗さんって......やべえよやべえよ。
お酒はどう考えても逆効果です。本当にお疲れ様でした。
いつもの優しくて清楚なイメージはもう見る影も無い。
まあ俗に言う“ダル絡み”して霊夢に煙たがられてるのはお酒が入ってなくてもたまに見るけど。
......そういえば宴会の時は霊夢達にお酌するだけで早苗はお酒を飲んでいなかったな。
こうなるのを危惧して飲まなかったのか。
まあ今回は霊夢がさっきのことを忘れてもらう為に渋る早苗にお酒を勧めたわけなのだが。
これは流石の霊夢も予想外だったようで彼女も俺の隣で困惑している。
......標的が俺の方に向かない内にさり気なく話題を転換しておこう。
「そういえば早苗......今日はどうして博麗神社に?」
「せっかくのいいお天気なので何処かに遊びに行こうと思ったんです。そこで取り敢えず気軽に来やすい霊夢さんの所へ遊びに、と思ったんですが......まさかあんな面白い光景を目の当たりにできるとは......ふひっw」
ーーダメだ!!逃してくれねぇー!!
逃がしませんよ?、とばかりに早苗はにやにや顔を今度はこちらへ向けてくる。
この人酒入るとほんと怖いな......。
「それにしてもレンさん、もうすっかり幻想郷の生活にも馴染めたみたいですね。」
この後も更に蹂躙が続くかと思っていたが意外にも向こうから話題の転換をしてくれたので少し安堵。
「まぁね。初めて博麗神社を訪ねた時に紅白の巫女さんに殺されかけた時はどうなるかと......ぐふっ!?」
隣に座っていた霊夢に小突かれる。
あっ......そうだった。コレ他言厳禁な話題だった......。
「えっ......殺されかけた?」
「い、いやいやいや何でもない。忘れてくれ。」
ちらりと霊夢の方を見やると不吉な満面の笑みをたたえていたので慌てて訂正した。
「へぇ......。」
またもやにやりと笑う早苗。
やべえ......会話一つするだけでも地雷踏みかけて殺されそう。
まあ今のは完全に俺が悪いんだけど。
誰か......俺をこの殺伐とした空間から助けてくれ!!
側から見れば他愛もない会話の筈なのにまるで異端審問にかけられているような気分で首筋を冷や汗が伝っていくんですが。
ーー......この際誰でもいいから遊びに来てくれ!!
と心の中で叫んでみる。
すると......。
「ちーっす、魔理沙さんが遊びに来てやったぜ......って、お?今日は早苗もいるのか。」
お馴染み、白黒の魔法使いさんが縁側から入ってきた。
ーー救世主が来た!!
「魔理沙ッ!あんたが遊びに来てこんなにありがたいと思ったことはないわ!!」
半泣きの霊夢が魔理沙に飛びつく。
「うおっ!?いきなりどうしたんだ霊夢......ってかさらっとヒドイなお前......。」
「御宅は後よ!早苗の酔いを覚ましてあげて!!」
「ん......?」
魔理沙が泥酔した早苗へと目を向ける。
「あっ、旧作の頃からガラッと口調が変わった魔理沙さんじゃ無いですか〜。あのセリフ、ちょっと言ってみてくださいよ。ほら......“魅魔様に勝っちゃった。うふ、うふ、うふふふふ”ってやつ。」
「うっ......なんだいきなり?随分痛い所を衝いてくるな!?」
......何の話をしているんだ?
レンにはさっぱり理解できなくて話の内容について行けない。
「早苗、無理矢理お酒を飲ませたらあんな風になっちゃったのよ。ほら、あんた前に酔いを覚ます魔法薬持ってたでしょ?飲ませてあげて!」
「それ、明らかに悪いのはお前らじゃ無いか......。まぁいいや。このままだと早苗が黒歴史ぶちまけまくりそうだし。」
そう言うや否や、魔理沙は懐をごそごそ。やがて乳白色の液体が入った小瓶を取り出した。
「ほら早苗、こいつを飲むんだぜ。」
魔理沙は小瓶の蓋を開け、早苗の口を(心無しかちょっと乱暴に)こじ開けて中身を流し込んだ。
すると......。
早苗は数秒間固まった後、再び口を開いた。
「......あれ?私は今まで何を......?」
「やっと正気に戻ったわね。」
「正気に戻った......?守谷神社を出てからの記憶が無いです......。」
「い、いや......無理に思い出そうとしなくてもいいと思うぞ!?」
ーー色々な意味で。
どうやら霊夢と俺のちゃんばらも記憶に無いみたいなのでできれば思い出して欲しく無い。
「さ、さぁ......そんなことよりお茶を飲みましょ!お茶沸かしてくるわね!」
「霊夢......茶菓子は戸棚に置いてあった栗羊羹がいいぜ!」
「何であんたがうちに置いてあるお菓子を把握してるのよ!?」
「酔い覚ましの魔法薬を提供したのは誰だったかなぁ?」
「うっ......分かったわよ。お茶と一緒に持ってくるわ。」
渋々とお勝手の方へ歩いていく。
何はともあれ、台風一過といったような心地で胸を撫で下ろした霊夢とレンであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
酔いが抜けた早苗は先程の言動が嘘のように優しかった。
いつもの清楚な早苗さんに元通りである。
まあ何かと霊夢にちょっかいを出したり揶揄ったりする癖はいつも通りなんだけど。
そのちょっかいにいちいち食って掛かる霊夢はなんだか見ていて面白い。
なんだろう、早苗さん霊夢のこと好きなのかな?
小さな男の子が好きな子にちょっかいを出すみたいなアレ。
それとも単純に神社に勤める同業者としてライバル視しているだけなのか?
......なんにせよ元に戻ってくれて本当に良かった。
お酒が人を呑むとはまさにこのこと。
お酒って怖ぇな。
あの後は四人で茶を飲みながら他愛もない世間話をして、夕方になる頃には早苗も魔理沙もそれぞれの家へと帰って行った。
「やれやれ......とんだ災難だったな。」
「まさか早苗がお酒を飲むとあんな風に豹変するとは思いもしなかったわ。」
「......早苗には悪いことしたな。今度和菓子でも買って持って行ってあげようかな。」
「そうね。本人は覚えていないんだろうけど......。」
そう言って外に目をやるともう真っ暗。
今日は晴れているので夜空に浮かぶ月もよく見える。
「今日はもうこれからご飯作るのは無理だな。何か里に食べにいくか。」
「いいわね!飲み屋でも入ってパーッとやりましょ!」
「おいおい......今日の一件で酒には少し懲りろよ!?」
「うっさいわね......そんなこと言ってもどうせレンも飲むんでしょ?付き合いなさいよ。」
「うっ......まあな。でもあんまり飲み過ぎないように。度を過ぎた飲酒は身を滅ぼすよ。」
霊夢はへいへい、と適当な返事をしながら縁側に出したままだった靴を履き、境内へと出た。
「......。」
石畳の上に立つ霊夢。可憐な容姿が冴え冴えとした月明かりに照らされてその様子はなかなかに様になっている。
不覚にも美しい、と思いレンは息を呑んだ。
「何してるのよ。早く行きましょ?」
「あ、ああ。悪い、月が綺麗だなと思って。」
......頬が多分赤くなってるけど辺りは暗いし、バレてないよな?
「ん......本当ね。ここのところ雨続きで夜空も雲に隠されて見えなかったし、こんなに綺麗に見えるのは久しぶりかも。」
腰に手を当てながら霊夢も空を見上げた。
「......あんた、空好きだよね。いっつも空の話してない?」
「えっ!?そうかな。」
「ふん。確かに綺麗だとは思うけど......空なんか見て何が面白いのかしら。すぐ綺麗綺麗って......お酒を飲む方が何倍も楽しいわよ。」
ーーレンはいつも口を開けば空か妖夢の話ばっかり。もうちょっと私のことを見てくれてもいいじゃない。
「空を眺めるとなんかこう......気分が落ち着くんだよな。案外楽しいと思うけど。」
ーー霊夢は見てくれはいいっていうか可愛いんだけど中身が怖いんだよなぁ。
まあ時折ちらっと彼女の心の奥底にある思いやりや優しさが見え隠れしたりもするんだけど。
「ほらっ、空なんかぼーっと見てないで早く飲みに行こ?」
そう言って霊夢はレンの手を引いた。
「な......別に一人で歩けるよ!」
「何よ、恥ずかしがってるの?ノロマなあんたを待ってたらきりがないわ。こうやって無理矢理にでも引っ張ってやらないと。それにこうやって首根っこ掴んでないと私の見ていないところですぐに無茶するし。」
「俺は子猫かよ!?」
「いや、どっちかっていうと犬に近いわね。犬を一匹飼ってる感覚。」
「俺そんな風に扱われてたの!?ひっでえな!?」
冗談よ、と霊夢がくすくす笑う。
「さ、今度こそ出発しましょ。早く行かないと帰るのが遅くなっちゃう。」
「あぁ、そうだな。」
そう一言返事を返し、地面を飛び立とうとしたその時だった。
突然空の彼方から現れた紅色の何かが凄まじい早さで幻想郷の空を覆い尽くしていくのを彼らは見た。
それは......不気味な程に赤い、紅の霧。
夜の帳は真っ赤な紅色に塗り潰された。
「......おい霊夢、あれ。」
「......言われなくても分かってるわよ。異変ね。」
新手の神魔軍将による異変だろうか?つい二、三ヶ月前にヴェルディウスを倒したばかりだというのに。
ちらりと霊夢の方を見ると、霊夢は顔を伏せて肩をわなわなと振るわせていた。
......霊夢も怖いのか。
そりゃそうだ。
霊夢だって博麗の巫女である以前に一人の少女なのだ。
普段はツンツンしているけど異変が起これば胸中に恐怖の感情が渦巻くのは当たり前である。
「霊夢......。」
だが、心配したレンが何か言って安心させてやろうと口を開きかけた刹那。
「バカたれぇぇっ!!」
「......へ?」
「あのお子ちゃま吸血鬼......性懲りも無くまたやりやがったわ!!」
えっ......?なんか巫女様すごくお怒りなんですけど。
「ど、どうしたんだ一体?」
「どうしたもこうしたも無い!!レミリアのやつ、前に赤い霧が出る異変を起こした時にとっちめてやったのにまた同じような異変起こして......!」
ーーえぇ......(困惑
「何だ......俺はてっきり神魔軍将が侵攻して来たのかと......」
「ふふふ......私のお酒を飲む時間を潰すなんていい度胸してるじゃ無いの......。」
満面の笑みを浮かべて手をバキボキと鳴らす霊夢。
怖いよ......霊夢やっぱ怖いよぉぉ......。
「レンッ!!」
「はっ、はいっ!!」
「五分で支度しなさい。紅魔館に殴り込みに行くわよ!!」
「......了解です。」
最早レンには激昂した霊夢に逆らう気など湧いて来るはずもない。
準備に取り掛かるべくそそくさと自分の部屋へ戻るレンなのであった。




