38.〈幕間①〉追憶の夢、恋心
ーー鯉口を切る。
峰を滑らせそのまま一気に抜刀。
空いている方の手を刀の柄に添え、半歩片足を引いて構える。
「......。」
一足一刀の間合い。即ち互いに一歩踏み出せば斬り伏せることの出来る距離。
......感覚を研ぎ澄ませる。
今彼女の意識の世界に存在するのは彼女自身、相手、そして刀のみ。
全ては最速にして最重の一打の為に。
ーーここだ!!
「せぁっ!!」
一筋の閃光と化した鈍色の刃が大気を切り裂き、轟と唸る。
精神統一の末に放った渾身の一撃。
常人ならば刀で受けることすら困難を極めるであろう。
だがその刃は相手の皮膚を切り裂くどころか相手の刃とぶつかり合うことすら無く、ただ虚しく空を切った。
ーー完全に見切られた。
彼女は刀を切り返し、次なる斬撃を放とうとするがもう遅い。
振り向き様にその華奢な肩に手を引っ掛けられ、空中に投げ出される。
そのまま視界はぐるぐると反転を繰り返し。
鈍い音、凄まじい衝撃と共に彼女は地面に叩きつけられた。
「いたた......。」
もう今日何度目か分からない打ち込み稽古。
身体中を走る痛みを感じ、彼女は自分がまた不覚を取ったことを悟ったのだった。
「......妖夢。まだまだ踏み込みが甘い。」
たった今妖夢を投げ飛ばしたのは白髪に白い髭を蓄えた老人。
白い袴の上に青緑色の陣羽織を羽織っており鍛え抜かれた身体やその顔に刻まれた傷、佇まいは彼が歴戦の強者たる者であることを物語っている。
彼の名は魂魄妖忌。
まさに”質実剛健“を具現化したような雰囲気を持った人物だ。
「はいっ!!......あの、お祖父さま。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「......言ってみなさい。」
「お祖父さまが妖夢にお課せになられた課題、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「鉄の延棒を断て、というものだったな。」
「はい。あれから毎日素振りなどの自己鍛錬をして参りましたがいつまで経っても斬れる気配が無くて。最早本当にあの鉄を斬れるようになる日が来るのかと思うようになってしまいました。どの様にすれば斬れるのか、少しばかり教えて頂きたいと......」
恐る恐る話を続ける妖夢。だが次の瞬間、彼女は妖忌の一喝の下に黙らされた。
「馬鹿者ッ!!技についての直接の教えは乞うなと言っている筈。技は盗む物だ。安直に教えたからと言って体得出来る物では無い。自ら考え、自らの手で自らの身体に落とし込んでこそ意味が有るのだ。」
「は......はい。申し訳ありません......。」
妖夢は怒鳴りつけられ、目の端に涙を浮かべてしょんぼりと俯いた。
そんなまだ幼い孫娘の姿を見て心が痛んだのか、妖忌は一つ咳払いしてから再び口を開いた。
「だが......そうだな。少しヒントを与えよう。いいか?真実は眼では見えない、耳では聞こえない、真実は斬って知るものだ。全ては斬らなければ始まらない。剣のみが真実へ導いてくれる。」
「剣が真実へ導いてくれる......のですか?」
「然り。だが妖夢、お前は幼いが故にまだ剣を握り始めてから日が浅い。これからも素振りなどの自己鍛錬を今のまま続けていればいつかは必ず斬れるようになるだろう。」
そう言って、妖忌は妖夢に微笑み掛けた。
「お前は筋が良い。上手く自分で稽古法を確立できてはいるのだからこれからもっと伸びるだろう。だからこれからも精進出来るよう一生懸命に稽古に励むのだぞ?」
「はいっ!!お祖父さま、妖夢がんばります!」
妖忌に頭を撫でられて嬉しそうにはにかむ妖夢。
ところが次の瞬間、彼女は思わぬことを妖忌の口から耳にするのだった。
「......ところで妖夢。お前はいつまで夢を見ているのだ?」
ーーえっ!?
刹那、吹き荒れる風にさらわれた大量の桜の花弁が彼女の視界を覆い尽くしーー
ーー次に彼女が瞼を開けた時には、視界に映る景色は暗い寝室へと変わっていた。
「またあの夢か......。」
突如行方を晦ましてしまった祖父に稽古をつけてもらっていた幼い頃の夢を、妖夢は結構な頻度で見る。
ーー今はもう会うことすら叶わないのに。
だが、剣術の稽古をしている時は不思議と祖父の存在をより近く感じることが出来る気がする。
憧れだった祖父へ続く道と信じて。
そしてつい先日幻想郷へ向かった新たな師に想いを寄せて。
今日も彼女は刀を振るい、鍛錬に励む。
「う〜ん......よしっ!」
まだ布団から出たく無い欲求としばらく格闘した後、一つ大きな伸びをしてからもぞもぞと布団から出た。
まだ眠い目を擦りながら縁側を歩いて井戸へと向かう。井戸に着いたら井戸水を汲み上げ、その水で洗顔。
井戸水の冷たさが心を引き締めてくれる。
洗顔を終え、手拭いで顔を拭いたら再び自室へ。いつものシャツに腕を通してその上から青緑色のベスト、スカートを着る。
そして鏡の前で櫛をその白銀の髪の毛に通して梳かす。
最近ちょっと髪の毛を伸ばしてみた。このくらいの長さを外の世界ではセミロング、というらしい。
ーーお師さま、髪長めの方が好みかな?似合ってるって言ってくれるかなぁ?
「......はっ!?」
ーー無意識のうちに何を考えているんだ私は。
紅潮させた頬を自分でぱんぱん、と叩く。
梳かし終わった髪にいつものお気に入りの黒いリボンを結い、木刀を二本掴んで中庭へと降りた。
木刀のうちの一本は通常の太刀と大差無い長さだが、もう一本は短刀と同じくらいの長さである。
妖夢の剣術は基本二刀流であり、太刀である楼観剣と短刀である白楼剣を振るって戦う。
太刀の方だけを握って素振り千本、それが終わったら左手に太刀型、右手に短刀型の木刀を持ってひたすら二刀流の“型”の練習をするのが妖夢の朝の鍛錬だ。
彼女は毎日朝、昼、夜の三回剣の鍛錬を行う。
鍛錬の時間以外は幽々子の食事の用意や買い出し・家事・庭の手入れ。空いた時間があれば縁側に正座して瞑想または追加鍛錬をする、というストイックな生活である。
年中無休で給金ゼロという現代のブラック企業もびっくりな雇用形態だが、長年西行寺家に仕える魂魄家の人間にとってはそれが義務であり、妖夢に至っては幽々子に仕えることが生きがい。
更には鍛錬を積んで強くなれるのだからこれ以上に充実した生活は無い、と妖夢本人は思っている。
※※※
「妖夢ちゃん、お代わりー!!」
「はーい只今!」
幽々子から空になったボウルのような大きさの茶碗を受け取り、そこにもう何杯目か分からないお代わりのご飯をよそう。
「むぐむぐ。妖夢ちゃんむぐむぐ、最近あんまりむぐむぐ、ご飯食べてないんじゃない?」
ほぼ一口分のご飯しかよそわれていない妖夢の茶碗を指差す幽々子。
「食べるか喋るかどっちかにして下さいよ......。」
と、妖夢はいつもと同じツッコミを入れる。
......いつも思うんだけど、なんで幽々子様はこれだけドカ食いしても太らないのだろうか?
運動する機会もほとんどない筈なのに。
毎度食事の度にこれだけの量の料理がどこに入っていくんだろうか、と思うほど平らげた挙句、妖夢みたいに買い物に出掛けたり剣術の稽古をしたりせずひたすら部屋でだらだらお茶を飲んでいるだけなのに。
身体つきは華奢だが、最近ちょっと体重が増え気味で気にしている妖夢からすれば羨ましいことこの上無い話である。
......食べた物の栄養は全部あの豊かな胸に使われているんだろうか。
べ、別にまだ妖夢だって成長期だし!!もう望みが無いわけではないし?
「ごっくん。最近ぼーっとしてることも多いみたいだし......何か不安なことでもあるのかしら?」
そう言って幽々子は妖夢をジロジロと見る。
「べ、別に無いですよ......。」
「......妖夢ちゃん最近髪伸ばしてるの?」
「え、ええまぁ......。似合ってますか?」
「はっは〜ん......さては妖夢ちゃん、“男を知った”ってやつね?」
「ちっ、違いますよ!?」
かぁーっ、と顔が赤くなる。
ーー別にそんなんじゃ無いし!!
妖夢はお師さまをお慕いしてるだけだしっ!!
「分かってるわよ。レンのこと気になってるんでしょ?頑張って妖夢ちゃん!私は応援してるわよ!」
「だ、だから違いますって......!」
「“違う”......?じゃあレンのこと嫌いなの?」
「いやっ!?そんなことは決して!!」
ぶんぶん首を振る妖夢を見て幽々子はニヤニヤ。
ぐぬぬ......弄ばれてる気がする。
「いい加減にしてください!泣きますよ!?」
「あ、あわわ......妖夢ちゃんごめんねぇ?ほら、後で豆大福買ったげるから許して?」
「......約束ですよ?」
「ええ、約束よ。」
妖夢は鼻歌を歌いながら食器を下げ始めた。
「ふふ......妖夢ちゃんも単純ね。」
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ーー夕方。
綺麗な夕焼けが、空をオレンジ色に染める。
妖夢は居間で幽々子と一緒に茶を飲んでいた。
「妖夢ちゃん、豆大福美味しい?」
「はいっ、おいひーれふ!!」
幸せそうに豆大福を頬張る妖夢。
「それは良かったわぁ。」
二人とも黙々と茶を飲み、豆大福を頬張る。
「......幽々子様、一つお聞きしても良いでしょうか?」
「何かしら、妖夢ちゃん?」
「初恋......ってどんなものなのでしょうか?」
「初......恋......?」
......まずい、ニヤニヤが止まらないわ。
極力ニヤニヤした顔を見られないようにそっぽを向く幽々子。
澄まし顔を作り、妖夢の問いに答える。
「.....ふふ、妙なことを聞くのね。」
「みょん、でしょうか......?」
「私は忘れてしまったわ。そんな昔のこと。でも......」
「でも?」
「今すぐにでも会いたいって思ったり、その人のことを思うと胸が締め付けられるような......そんな感じがしたら、もしかしたら恋、してるのかもしれないわね。」
「そうですか......。」
深い溜め息を一つ。
お茶を飲み終わった妖夢はそわそわ、どこか落ち着かない様子。
レンが白玉楼を出て幻想郷へ向かってから早いものでもう約一ヶ月。
あれから一ヶ月間、妖夢はずっとこんな調子だ。
だが普段から妖夢は禁欲的というか、主人である幽々子の前ではあまり自分のしたいことや欲しいものを見せようとせず、寧ろ主人にそれを悟られまいと隠そうとするような性格なのでちゃんと妖夢にも恋する乙女としての一面が垣間見えて幽々子は少し安心していた。
寄せる想いが強すぎるあまり、仕事が手に付かなくなってしまうのは困るが。
妖夢は机に頬杖をつきながらその白い頬を赤く染めてぼーっとしている。
「逢いたいが情、見たいが病......ってやつかしらね。」
「ん、なんですか幽々子様?」
机を挟んだ向かい側でその言葉を聞いていた妖夢が首を傾げる。
「いいや、なんでもないわよ......おや、あれは“月橘”かしら?」
幽々子が庭に咲いている小さな白い花を指差す。
「あぁ......結構前に里の園芸店で苗を見つけて、庭に植えた覚えがありますね。」
妖夢の話を聞くなり幽々子は立ち上がって庭へ降り、沢山咲いているうちの一本を摘んで妖夢の元へ持ってきた。
「......良い香り。月橘はね、恋愛において非常に縁起のいい花とされているのよ。なんでも、部屋の東南や東......それから南西の方角に置いておくと恋愛運が上がるらしいわ。花言葉は確か......”純真な心“。」
「へぇ......そうなんですか。べ、別に興味は無いですけど......幽々子様、東ってどっちの方でしたっけ?」
それとなく方角を聞き出してまじないを実践する気満々の妖夢。
その分かり易すぎる妖夢の様子を見た幽々子は思わず吹き出してしまった。
「えっ、ちょ、何で笑うんですかッ!?」
「だって......妖夢が......ふふっ、分かり易すぎて......」
「幽々子様......私だって女の子なんですよ?恋ぐらいしますよ。」
「〜〜〜っ!!」
「わわっ、急にどうしたんですか幽々子様!?」
ーーうちの妖夢可愛すぎかー!!
幽々子はばたばた手足を動かして抗う妖夢をお構い無しにぎゅっと抱き締めた。
「......じゃあ、そろそろ行きましょうか。」
「え?行くって何処へですか?」
「博麗神社よ。異変解決の宴会が開かれるみたい。今回の主役は霊夢とレンらしいわよ。」
「わぁっ!本当ですか!?流石はお師さま!幽々子様、そうと決まれば早く行きましょうよ!!」
「はいはい、そんなに急ぎなさんな。宴会は逃げはしないわよぉ?」
嬉しそうにはしゃぐ妖夢。
幽々子はその様子を微笑ましく思いながら見守っていた。




