24.人間の里
ーー幻想郷。それは夢と現実の境目に存在する、美しくも残酷な地上最後の楽園。
結界の外の世界で忘れ去られた者たちが集うこの世界は、幾つもの均衡が保たれることによってその存在を過去、現在、そして未来へと証明し続けている。
その均衡のうちの一つとして、人間と妖怪の相互関係性が挙げられる。幻想郷は元々外の世界と繋がっていたが、時代が進むにつれて人間達の科学技術等が発達、みるみるうちに妖怪達の力が弱まっていくのを危惧した八雲 紫が結界で山奥の地域を囲んだのが始まりである。
一見するとこの話に人間の関係性は皆無であるように思われるが、それは大きな間違いだ。それにはこの幻想郷において最も一般的な常識であり、基礎の基礎。どんな幼子でも知っていると言っても過言では無いある一つのルールが深く関わっている。
そのルールとは。
ーー妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。
妖怪は人間の恐怖心があって初めて存在できる“事象”である。故に人間を襲わなくては人々が恐怖心を忘れて妖怪は力を失うことになり、やがて消え去ってしまう。
元々それを防ぐ為に妖怪の賢者は幻想郷を創ったのだ。妖怪の弱化を防げなくては本末転倒である。
つまりここまでの話を要約すると、幻想郷の存在が保たれる為には一定数の人間が幻想郷に必要不可欠だということになる。
人間が減りすぎれば逆に妖怪も窮地に陥る。故に人間達が安心して生活できる安全圏が必要になった。その為に起こされた里がここーー
ーー“人間の里”である。
「やっぱ大きな集落だな。王都と同じくらい......いや、それ以上か?」
木造の和風平家が連なり、その真ん中に大通りが一本走っている。用水路の代わりなのか、里内には川も流れていて、橋の下の水面が日の光を受けて眩しく輝いている。
大通りの両脇には八百屋やら飲食店やらが並んでおり人々の活気で賑わっていた。
そんな賑やかな大通りを、練り歩く人々に混ざってレンは腕を組みながら歩いているのだが。
......やはり服装が珍しいからか、周囲の人々がチラチラとこちらを見ている気がする。
「もし、そこな御仁。その服装......この里の者ではありませんな。何処から来なすった?」
腰が曲がり、杖をついている老婆が不意にレンに話しかけてきた。
レンは警戒されているのかと思って少し体を硬らせたが、老婆の表情は穏やかで警戒している様子は微塵も感じさせない。
その様子に少し安心して胸を撫で下ろしつつレンは老婆の質問に答えた。
「えっと......一応外来人です。こことは異なる世界からやってきました。」
レンの答えを聞くなり老婆は目を丸くして、
「まあまあまあ、遥々ご苦労なことで。さぞかしお疲れになったでしょう?あぁ......心中お察しします。お可哀想に。これ、良かったら食べて頂戴。」
と言いながら涙を流し、手に提げていた買い物袋から林檎を一つ取り出し、彼に差し出した。
「い、いや。悪いですって。受け取るわけには......」
「いいのよ、これくらい。あぁ可哀想に。強く生きなさい。」
そう言って老婆は涙を手で拭いながら去って行った。
後にポツンと残された林檎とレン。
「な、なんかえもいわれぬ罪悪感が......。」
絶対あのお婆さんなんか勘違いしてたよね!?これじゃあまるで俺が物乞いしているみたいじゃないか。
一先ず有り難く頂戴した林檎を懐に入れ、その場を立ち去ろうとしたその時。
「ねえ、お兄ちゃん。可哀想だからコレあげる。コレ食べて元気出して?」
今度は小さな女の子がレンに向かって煎餅を一枚、差し出す。
「貴方、もし良かったら......」
「旦那、これ持っていきな!」
それを皮切りに、次々と里人がレンに“慈悲”のこもったお布施を渡していく。
「なんつーかその...........」
ーー俺、そんなにみすぼらしく見えます!?
※※※
「うぅ......罪悪感半端ないな。」
結局あの後も止まることを知らぬ”可哀想な外来人にお布施を恵んであげようの会“で延々と里人が集まってきて恵みの品を与えようとしてくるので、機会を伺ってこっそり逃げてきた。
今は逃げ込んだ茶屋で一服ついているところである。
特に里人達が想像しているほど酷い目にあったわけでも無いのに食べ物やらお金やらを半ば強制的に受け取らされ、終いには代々家に伝わる伝家の宝刀をあげる、なんて言い出す人もいて彼の中の良心をどんどん抉っていく。
まあ確かに度重なる戦闘を経て制服はあちこちほつれたり切り傷があったりでボロボロだが......そんなにみすぼらしいかな!?
全く、妖夢といい魔理沙といい里人達といい、幻想郷の人たちは人が少々良すぎるんじゃないか?幻想郷の人々の心が美しいのが紛れもない美点であることは確かだが。
ーー実に優しい世界だ。
取り敢えず今度妖夢に会ったら制服のほつれを直してもらおう、などと思いつつ茶を啜る。
「はい、お待たせしました。ご注文のお団子です。」
レンの目の前に団子の乗った皿が置かれる。
「頂きまーす。」
手を合わせるなり皿から串を取って団子に食いつく。
「うん、んまいんまい。」
白玉楼で食べた団子に負けず劣らずの美味しさだ。
口の中にほんのりと残る甘みを、お茶を飲んでさっぱりと洗い流す。
レンがお茶と団子の組み合わせを堪能していると......。
「じー。」
いつの間にか小さな女の子が、レンの向かい側の席に座って羨ましそうにこちらを見ている。
髪の毛は灰色で、黄色いリボンの巻かれた黒くて丸い帽子をかぶっている。リボンと同じく黄色のシャツに、下は緑色のスカートというような出で立ち。
何だか不思議な気質を感じる。気配も感じさせずに急に目の前に現れたけど、まさか妖怪だったりしないよね?
「あーん......」
「じーー。」
「あー......」
「じーーーー。」
レンが団子を食べようと口を開ける度に羨ましそうに見つめる少女の目の輝きが強くなる。
凄く食べづらいんですが......。
「......食べる?」
仕方が無いので団子を一本少女へ差し出す。
「え?いいの?」
「うん、あげるよ。」
「やった!おにーさんありがと!」
少女は団子を受け取るなり嬉しそうに食べる。
......可愛いからいっか。
「ねぇ、君は......」
......あれ?
レンがもう一度顔を見上げた時にはもう少女はいなくなっていた。
そんなバカな。
皿の上には確かに少女に渡した団子の分の串だけが転がっている。
ーーおにーさん、ごちそうさま。
ふいにそんな声がどこからか聞こえてきた気がした。
......不思議なこともあるもんだな。
或いはあの少女は妖怪だったのかもしれない。
奇妙な気分も、お茶のお代わりを飲み終わる頃には忘れていた。
「ご馳走様。」
「また来てくださいねー!」
「いやー食った食った。」
看板娘の声を背に受け、団子と茶で膨れた腹をぽんぽん叩きながら暖簾をくぐって茶屋の外に出る。
「にしてもコレ、どうするかなぁ......」
結構な量の小銭が入った小さな袋を手の中で遊ばせる。
どうやら魔理沙は結構な額のお金をくれたようで、あれだけ団子を食べたのにまだまだお金は残っている。
「制服もボロボロになってきているし服を買うっていう手もあるが......」
“呉服屋”と書かれた看板をちらりと見やるが、すぐに首を振る。
和服はあまり着慣れてないし自分に合わないかもしれない。着慣れていない服を身に纏っているせいで動きが鈍ってしまっては困る。
「となると......」
今、次に欲しいのは先日の黒妖夢との戦闘で亀裂が入ってしまった籠手だ。だがこの里で腕甲なんてもの売っているだろうか。
一先ず探してみないことには始まらない。何処かで防具を売っている店は無いか探すべく、彼は歩き始めた。
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ーー幻想郷の何処とも知れぬ場所に位置する屋敷にて。
「藍、件の少年の動向は?」
手に持った扇子で口元を覆い隠しながら八雲 紫は問うた。
「魔法の森を抜け、人間の里に到着した模様です。直に博麗神社にも辿り着くかと。」
「......そう。で、どう?彼の戦闘を見て。」
紫の目が妖しい輝きを帯びる。
彼女ーー九尾の妖怪、八雲 藍は少し考え込んだ後、慎重に言葉を選びながら答えた。
「率直に言ってなかなか腕が立つ......というか“疾い”です。妖怪達が飛びかかろうとした時にはもう彼は剣を振り抜いていて.......その辺の野良妖怪では相手にならないような感じでした。剣裁きも中々のものですが......」
「が?」
「筋力はあまり無いようです。敵の首を撥ねる時も、あまり力を込めずに足りない膂力の分を技で巧く補って肉を断っているように見えます。あれではある程度以上硬い装甲や鱗を持った敵に対しては通用しにくいかもしれません。」
「へぇ......。」
それを聞いて紫が納得したように頷く。
「確かに体細いしねぇ。筋肉はあまり無さそうだわ。藍はいい観察眼してるわね。」
「恐縮です。」
「......まあ彼には筋力も含めてまだまだ強くなってもらわないといけないわね。」
「あの、一つよろしいでしょうか?」
「何かしら?」
「紫様はどうしてあの少年にそこまで固執するのですか?褒めておいてなんですが、あのくらいの強さの人間だったら他にも幾らでも居ると思うのですが......」
「......やっぱりまだまだ甘いわね藍。私が理由もなく適当にあの少年を選んだとでも思う?」
「いえ......ですが..........。」
「確かにあの少年はまだ常軌を逸するほど強いわけでは無いわ。剣の腕は相当なものだけど多分現状じゃ藍にも勝てないでしょうね。」
「では何故?」
「一つ目は才能よ。あの子は伸び代に関しては常軌を逸しているわ。もっと鍛えれば誰よりも強くなる。」
先刻までとは打って変わって真剣な光を目に宿しながら紫は更に続ける。
「そして二つ目。どっちかっていうとこっちが本命ね。あの子が持っている剣......あれ、結構特殊な力を持っているのよ。今は何故か封印されてて本来の力を発揮できないみたいだけど。その力がこの上なく重要なもので、あの剣を扱えるのが彼しかいないってわけ。」
「そうなんですか......彼以外のものが使おうとするとどうなるんですか?」
「恐らくまともに振るうこともできないでしょうね。弱い者ならば触れただけでも気絶や痙攣、最悪の場合は死んでしまうかも。」
藍は絶句した。そんな代物を何故彼は持つことを許されたのだろうか。
見かけも凡庸な少年。
剣の腕が立つとは言え藍から言わせれば彼の強さはまだ常識の範疇だ。
「それだけ強力な呪いがあの剣には掛けられているのよ。」
「あの剣は神器ではないのですか?」
「いや、神器であることは間違いないわ。あの剣は確かに神代に神によって造り出されたもの。彼が元いた世界で過去に強力な魔物を討つのに用いられたんだけど......その際にその魔物の血を吸ったせいで刀身が呪われてしまったみたい。」
そこまで言って紫はひとつため息をついた。
「......取り敢えず、幻想郷の存続は彼の双肩に掛かっているの。だから今後ともしっかり監視を頼むわよ。」
「御意。」
手を胸の前で組み、了解の意を示す。
その様子を見て満足そうな笑みを見せた紫は、別の隙間を開きその中へと消えていった。




