2.媒体は何処に眠る
「....もうそろそろ復活する頃かしら。」
レンが家を出発するのと時を同じくして。
境界の境目の空間、“スキマ”からその様子を覗き見る何者かの姿があった。その佇まいや気配からして相当な妖力を内に秘めているのが分かる。
彼女は薄暗い空間の中で”境界を操る程度の能力“を使ってレンの様子を覗きながら何やら思案に暮れている。
「....でも、まだ焦ることは無いわ。動くのはあの子がもう少し強くなるその時まで待ってからでも遅くはない....」
どこか焦燥を感じさせる複雑な表情を浮かべながら彼女はそう呟く。
そして彼女、妖怪の賢者はそっとスキマを閉じた。
「ーーもっと強くなりなさい。運命の子。」
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「か、かってえ....」
...固い。とにかく固い。
簡易的にとった朝食だけでは物足りず、レンは村の広場のベンチに座って、商店で買った丸いパンにかじりついていた。....が、予想以上のパンの固さに目を白黒させる。
歯がへし折れそうになりながらなんとか噛みちぎり、顎が外れそうになりながらなんとか咀嚼する。昨日の売れ残りのパンで安いから買ったのだが、やはり固すぎる。これがせめて焼きたてならばもう少しマシなのだろうが....
一瞬火魔法をパンにかましてみようかと思ったが、十中八九パンを灰にしてしまいかねないことが容易に想像できたのでやめておく。そんなことをしたら今度は食べることすら叶わなくなってしまうだろう。
レンが丸いパン片手に顔をしかめていると、誰かに背中をつんつんとつつかれた。
「ん?」
振り向くと、そこには見慣れた幼馴染の顔があった。
「何でそんなしかめ面しながらパン食べてるの?」
淡い光を帯びた艶のある美しい栗色の長髪と青く澄んだ瞳。レンと同じく、まだ若干あどけなさが残った可憐な顔つきをしており、頭の上には一本だけぴょこっとアホ毛が立っている。
彼女の名前はサラ。レンと同い年の幼馴染だ。彼女は攻撃魔法を駆使して戦う魔導師とは異なり、どちらかというと傷を癒したり、呪いを解いたりするような聖属性の魔法を操る白魔導師を目指している。
非常に優しくおっとりとした性格で、幼い頃に両親を失って身寄りのいないレンにとっては家族のような存在である。別れるのが寂しくなるので今日はできれば会いたくなかったのだが....。
「このパンめちゃくちゃ固いんだよ....とても食えたもんじゃ無い....」
そう言ってパンの表面をコンコン、と叩いて見せる。サラはくすっと笑ってからレンの横に座った。
「今日からメディウム探しの旅に出発するんでしょ?ちゃんとメディウム感知の呪文は使えるようになったの?」
その美しい栗色の前髪をいじりながらサラはレンに問いかけた。昔からサラは心配事などがあって気が落ち着かないと前髪をいじり始める癖がある。
「....まあね。昨日試しに唱えてみたんだけど南西の方角からメディウムの反応があった。だから、村を出たらまずは森を南西に抜けようと思ってる。」
テーヴェンの村はとても広い“リーデルの森”に囲まれている。まずはこの森を南西に抜けるところからレンの旅は始まるのだ。村周辺の森にはあまり強い魔物はいないが、森を抜けると魔物の強さが段違いになるのでその先は厳しい戦闘を強いられることになるだろう。
「小耳に挟んだ噂なんだけど、最近各地の魔物たちが異常に活性化し始めているらしいの。原因は未だ不明なんだって。そんな状況だから、本当ならあんまり今の時期に村を出て行って欲しくないんだけど......どうせ私が言ってもレンは聞かないでしょう?
サラのその言葉に、困ったように笑いながらレンはこくりと頷いた。
「無理は絶対にしちゃダメ。レンが戻って来なかったら私、許さないからね。」
サラは俯きながらぽつんと呟いた。目の端が少し潤んでいるように見えた気がしたのは気のせいだろうか。
「......。」
「ちょっと!ちゃんと聞いてる?」
サラはレンの頭を右手でペチペチ叩きながらさりげなく左手で頰を拭うような仕草をした。.......もしかして本当に泣いてる?
「とにかく!」
びしっと人差し指をレンの目の前に突き付けた。
「......お願いだから絶対に無事に戻って来て。」
「もちろんだよ。こんなところで死ぬわけにはいかない。俺にはいつか名門中の名門、デュケイオン士官学院に入るっていう夢があるし。」
「それ、昔っからレンの口癖だよね。」
二人は顔を見合わせて笑った。
「出発前にもう一度メディウム感知の呪文を詠唱して方角を確認しておいた方がいいんじゃない?」
「えぇ....そんなことする必要ないと思うけど。」
メディウム感知の呪文の詠唱には結構な量の魔力を要する。これからの魔物との戦闘に備えて魔力は出来るだけ温存しておきたいのだが。
「念には念を入れるものよ。森を抜けた後に方向が違うのに気づいたりとかしたら大変でしょ?」
「....それもそうだな。」
魔力を身体中に集中させる。大気中を漂う魔力の源をも取り込み、一気に全身から放出させるようなイメージをしながらメディウム探知呪文の詠唱をする。
「この世の何処かに眠りし我が魔器よ、汝、主が呼びかけに応えよ...... アンテ・クァム・アドヴィアッ!」
眩い紫色の閃光がレンを包む。....が、次の瞬間。その閃光はチカチカと点滅し始め、次第に弱くなり....消えてしまった。
「....え?」
たった今眼前で起こったことに、レンもサラも思考が追いつかない。
「あ、アドヴィアッ!......アドヴィアッ!!」
この後何度も詠唱を試したが、レンの呼びかけにメディウムが応えることは無かった。
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ー数日後、レンの家の裏ー
「ファイア!」
レンの手から放たれた炎の玉はカカシに着弾して、藁でできたその胴体を炎上させた。
「ッはぁッ、はぁッ......ふぅ......。」
あれから数日間、レンはろくに睡眠も食事も取らずに修行を続けていた。腹は空いたし、睡眠不足で頭がぼーっとする。魔法を撃ちすぎて、もはや指先の感覚がほとんどない。
もう限界は優に超えている。だが、あの数日前の出来事が悔しくてじっとしていられない。
「何故......なぜ応えてくれないんだ......。」
炎魔法を詠唱しすぎて、煤けて真っ黒になってしまった自分の掌をじっと見つめながらぽつんと呟く。
何故メディウムはレンの呼びかけに応えてくれないのだろうか。疑問の答えは分かり切ってはいるが認めたくない。
ーー“レンがまだ未熟だから”である。
だがそれでは何故この前一度だけ、数日前の出来事の前日には応えてくれたのかの説明がつかない。
「はぁ.........。」
ため息をつきながらその場に座り込んで徐に空を見上げる。もうすっかり暗くなってしまっていて、沢山の星と、美しい満月の控えめな月明かりがレンを照らしている。
数日殆ど寝ないでぶっ通しで修行をしたので相当疲弊してしまったのだろう。立ち上がった拍子によろけてしまった。
流石にそろそろ寝ないと死んでしまいそうなので重い足を引きずりながら家の中に入り、倒れこむようにベッドに寝転んだ。
尋常じゃない眠気に抗うことなく瞼を閉じると、レンは羊を数えるまでもなく夢の世界へ旅立っていった。