18.緋の反魂歌と蒼の鎮魂歌
深夜。
もう桜が散り始めるほど暖かくなったとはいえ、夜になればそれなりに冷たい風も吹く。
ふと一陣の冷たい風が白玉楼の縁側を吹き付けた。
普通の夜風ではなくどことなく不吉な魔力を纏わせた風だった。
顔に冷風を浴びて、魔導士の青年がむくりと起き上がる。
ーーどうやらあのまま泣き疲れて寝落ちしてしまったようだ。
今更ながら気恥ずかしい気持ちになったが、触れていた温もりがなくなっていることに気づく。
「ん、妖夢............?」
霞む目を擦り、少女の名前を呼んでみるが返事は無い。
「............。」
徐々に暗がりに慣れてきた目で周囲を見回してみても、やはりどこにも妖夢はいない。
と、その時だった。
「なっ......!?」
視界に映った物に、彼は絶句した。
「西行妖が咲いている......?」
一体どういうことなのだ。西行妖は封印されているから花を咲かせない、と妖夢は言っていた。つまり花が咲いているということは......。
封印が何者かによって解かれたということである。
嫌な予感を覚え、思考が結論に至る前に彼は走り出した。
西行妖と幽々子は密接に関わり合っている。西行妖の封印が解かれたと言うことは。
ーー幽々子が危ない。
「幽々子っ!何処だ!?」
楼内を走り回り、縁側に幽々子が倒れているのを見つけた。
「幽々子!幽々子ッ!」
「レ......ン...?」
嫌な予感は的中していた。
その白い肌は向こう側が見えるくらい透けてきており、今にも消えてしまいそうである。
「大丈夫か!?」
「私のことよりも......妖夢が...妖夢が.............」
「妖夢がどうしたんだ!?」
「妖夢が......西行妖に...」
息も切れ切れで苦しそうに喘ぎながらなんとか言葉を紡ぐ。
もうこれ以上は喋るのも辛いだろう。
「くそっ......!」
ほとんど効果は無いことは十分承知の上で初級治癒魔法だけ幽々子に掛けてからひとまず彼は自分の部屋へと向かった。
部屋に入るなり愛剣アルテマを掴んで再び走り出す。
ーー西行妖の元へ。
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幾重にも重なる緋色の弧と蒼色の弧。音速を超える速さで互いに交差する度に盛大な火花を散らす。
斬り上げ、旋回して下段斬り、受けに回って遠心力に任せて薙ぎ払いで反撃。
相手との間が空いたらすかさず剣で空間を切り裂き弾幕を生成して相手へと放つ。
相手の弾幕を躱したり剣で弾いたりしながら相手の懐へ素早く潜り込み、また剣戟戦の繰り返し。
最早軌跡が見えないほどに疾い攻防戦が繰り広げられており、傍から見ると二筋の閃光が激しくぶつかり合っているようにも見える。
その眼光は鋭く、互いに凄まじい殺気を放っており。
斬り結んでいるのは銀髪の少女と............同じく銀髪の少女。
だが片方は深緑色のスカートに、深緑色の衣服、銀髪には黒いリボンという出で立ちなのに対しもう片方は漆黒のスカートに漆黒の衣服、銀髪には緋色のリボンという対照的な出で立ちである。
目の色も妖夢は澄んだ青緑色なのに対して黒妖夢の目はまるで血のような濃い緋色。
似た容姿ではあるが、はたから見ても彼女らの優劣の差は最早明確すぎるほど明確だった。
黒妖夢は未だ全くの無傷なのに対して妖夢は無数の切り傷を負っていてその元々真っ白な頬や腕は血だらけ。同じく白いシャツには所々真っ赤な血が滲み、呼吸も乱れて苦しそうに喘いでいる。
「はぁっはぁ....っはぁ....がはっごほっ........。」
全身を焼けつくような痛みに蝕まれ、血を吐きながらも辛うじて再び立ち上がり剣を構え直す。
ーー負けられない。
ここで私が負けたら幽々子様が、レンさんが......。
まだ西行妖は七分咲き。
なんとしてもあの桜が反魂して満開になるのを止めなければ。
私が二人を守らなきゃ。
「何故邪魔をするの?」
不意に黒妖夢が問いかけてくる。
「......ではこちらも聞かせてもらおう。何故お前も同じ魂魄妖夢なのに襲い掛かって来る?」
「......ふふふ。決まっているじゃない?貴方が私の快楽の追求を邪魔するから、よ。」
「......その快楽とは?」
「もちろん人を斬ること。絶望に歪んだ表情を見たいわ。」
「幽々子様やレンさんには指一本触れさせない!」
「ならば貴方は私の敵。敵を斬り殺すのは当たり前でしょう?」
「........。」
これ以上の会話は無用だ。此奴は私を斬り殺したら確実に幽々子やレンをも殺しに行く。
自分が此奴をここで止めなければならない。
それに、此奴に襲われずとも幽々子はこのままでは消えてしまう。早く此奴を倒して西行妖をなんとかしなければ。
しかしながらこの斬り合い、些か妖夢にとっては分が悪い。何せ相手の方には西行妖の妖力が宿っているのだ。
その上相手は自分の半身である半霊。自分自身と戦っているようなものであり、彼女が本来得意とする人界剣や修羅剣の構えからの斬撃は全て見切られてしまうだろう。
故に純粋な剣力だけで黒妖夢に打ち勝たなければならない。
「ああ、そう。だんまりなのね......まあいいわ。」
次の瞬間、対峙する黒妖夢は低い姿勢での構えでぴたりと静止したかと思うと、残像を残す程の速さで斬りかかってきた。
初撃......大上段からの斬撃。 辛うじて見切り、躱す。
二撃目......足払い。 ぎりぎりまで引き付けて躱す。
三撃目......下段からの突き。 剣で左上から叩きつけるように弾く。
四撃目...... ーーここだっ!!
妖夢は相手が一瞬見せた隙を見逃さず、渾身の袈裟斬りを繰り出した。
楼観剣の刃が黒妖夢の肩口へと迫る。
ーーもらった!!
刹那。
黒妖夢の緋あかい楼観剣があり得ない超反応で妖夢の蒼い斬撃を弾く。
妖夢は背筋が凍るような悪寒を覚えた。
.........楼観剣の刃は相手の肌を擦りもしなかった。
がら空きになった妖夢の腹に正面から黒妖夢の拳が入る。
「がァっ....ッ........!!」
肋骨が何本か折れるような不快な音が耳小骨を振動させた。
衝撃にひとたまりもなく吹き飛ばされ......
そのまま地面に思いっきり叩きつけられて無様に転がる。
「うぅ........。」
尚も立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。
ーーもう立てない。
最早彼女には剣を握る力すら残されていなかった。
目線を上げると、地面に横たわる妖夢の前には黒妖夢が緋あかい楼観剣をまっすぐ頭上に掲げて立っていた。
「なっ......!?」
反射的に飛び退ろうとするが、やはり脚に力が入らない。
......もうダメかもしれない。
半人半霊の私は、斬られたらどうなってしまうんだろう?
半分だけじゃなくて全部幽霊になる?
身体ごと消えてしまう?
それとも普通に死ぬ?
どちらにせよただでは済まないし、凄まじい苦痛を味わうことになるのは明らかだ。
朦朧とする意識の中、額に手を触れる。
途端走る鋭い痛み。
指にべっとりと付着した自分の血を妖夢は眺めた。
その華奢な肩は恐怖で小刻みに震えている。
ーー嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
助けて御師匠様、助けて幽々子様!
誰か助けてよ......。
絶望で顔が歪む。
「嫌あぁぁっ!!」
その細い喉元に脅すように紅い凶刃が突き付けられる。
「はい残念。ふふっ、いい声で鳴くね。虐めたくなっちゃうけど......魔導師の方が駆けつけてくると厄介なことになっちゃうし......さっさと斬っちゃおうかな♪」
妖夢の耳元で黒妖夢はそう囁くと、刀を振りかぶった。
頭上から一切の躊躇無く振り下ろされる緋色の楼観剣。
ーーもう終わりだ。
ごめんなさい、御師匠様。
私、幽々子様を守り切ることができませんでした......。
目を瞑った刹那。
剣と剣がぶつかり合う音が響く。
凶刃が妖夢の首を撥ねるーーー
ーーことはなかった。
ゆっくり、ゆっくりと目を開くと。
黒妖夢の前に立ちはだかるようにして黒髪の青年が立ち、妖夢の首を断たんとして振り下ろされた緋あかい楼観剣を、その手に握る鞘から数寸程覗かせた刀身で受け止めていた。
青年はそのまま緋色の楼観剣を弾き飛ばし、相手諸共後退させる。
「チッ......。」
黒妖夢は飛び退き、心底面白くない、とでもいうように露骨に不快そうな顔で舌打ちをした。
「あ........あっ......」
直前まで感じていた恐怖と安堵と驚きと。
最早喉からは言葉にすらならない掠れ声しか出ない。
様々な感情がごちゃごちゃに混ざって妖夢の胸に押し寄せ、瞳から止めどなく涙が溢れて来るのを感じた所で彼女の視界は暗転した。
「妖夢......よく頑張ったな。」
気を失った妖夢の身体ををぎゅっと抱き寄せる。
数秒抱き締めた後、レンは妖夢に治癒魔法と魔法結界を施した。
これでレンが死なない限りは魔法結界の壁が妖夢を守り続ける。
妖夢の身体をその場にそっと横たえて、彼は再び立ち上がり黒妖夢と対峙した。
恐らくあの黒い妖夢は妖夢の片割れ......正しく言えば半霊の方だ。西行妖の妖気に当てられておかしくなってしまったのだろう。
つまりあれも魂魄妖夢本人なのである。
同じ魂魄妖夢なのだから剣の力量は全く同じなのだろうが、何せ向こうは西行妖の妖力をも纏っているのだ。妖力にそんな段違いな差があればこちらの妖夢の方が不利に決まっている。
ついでに言えば、幽々子が消えてしまいそうになっていたのも西行妖が原因だと見て間違い無いだろう。
ならば幽々子を助けるには西行妖をどうにかして再封印する必要がある。
問題はどうやって黒妖夢を無力化するか、である。妖夢は気付いていないだろうが、黒妖夢も魂魄妖夢の一部なのでもし黒妖夢を殺せば本体の方の妖夢も消えてしまうだろう。
「......邪魔者の処理にも邪魔が入りましたね。」
「............どうしてこんなことを。」
「人を斬りたくて身体が疼くんですよ。人を斬ること、虐げること以外に興味はありません。」
黒妖夢はそう言いながら刀に付着した血液を指で拭い.......
「レンさん......ふふ、やはり来ると思ってましたよ♪ .........たっぷり可愛がってあげますからねっ?」
ぺろりと指先を舐めながら嗜虐的な笑みを浮かべる。
その恍惚とした表情の黒妖夢の口から発せられるどこか甘い響きの声は全身の毛を逆撫でるような迫力を孕んでいた。
「いいだろう。かかって来い........その刀、へし折ってやる。」
レンは鋭い音を立てて愛剣を鞘から引き抜き、緩やかな動きでその切っ先をぴたりと黒妖夢の方へ向けて静止させた。




