17.春の夜、縁側にて
幽々子が空腹で暴走した夜から数日。あの後も色々あったがレン達はとても楽しい日々を過ごし、数日という時間はあっという間に過ぎ去った。
そしてレンが幻想郷へと出発する前日ーー。
レンは縁側に腰を下ろし、茶を飲みながら夜桜を眺めていた。
辺りを照らすのは灯篭の火と月明かりのみ。
余分な光源に邪魔されることなく漆黒の空には無数の星が瞬いている。
その夜空の漆黒色と対をなすかのように白に近い淡い薄桃色の花弁が夜風に攫われて舞う。
その光景は圧巻の一言である。
ランセルグレアにいた頃には特に桜を眺める趣味があった訳でもなかったのだが、この数日はこうしてここで茶を啜りながら夜桜を眺めるのが日課になっている。
庭に立ち並ぶ桜の木々は相変わらずその枝に美しい花弁をたたえていた。
だが儚い徒桜、とはよく言ったものでつい数日前までの満開の状態と比べるともう幾分か散ってしまったように思える。
湯呑みから立ち昇る湯気を惚けた表情で見つめながら彼は物思いにふけていた。
あれから胸が苦しくなるのでランセルグレアのことは極力考えないようにしてきたのだが、一人になるとふと気づいたらランセルグレアのことを考えているのだ。
あの後サラはどうなったのだろうか。モルトやリルはうまく逃げただろうか。ハグネは自分を殺した後ランセルグレアを征服すると言っていた。もし彼が本当に魔物を率いて人々を蹂躙したのならーー。
もう死んでどうしようもないことなのに頭の中にそんな嫌な思考だけが雪崩れ込んでくる。
「はぁ...........。」
湧き上がる感情をお茶で一息に喉へ流し込む。
今この瞬間にもあっちの世界では魔物から必死に逃げている人がいるかもしれないのに、自分はこんな所で何をやっているんだろうか。
本当に自分の無力さにイライラしてくる。
レンがそんな葛藤に苛まれていると。
「あっ、レンさん。ここにいらっしゃったのですか。」
妖夢が急須と湯呑みを乗せた盆を持ってとてとてと歩いて来た。
「お隣、いいですか?」
「ああ、構わない。」
良いところに来てくれた。少し話し相手になってもらって気を紛らわそう。
「よいしょっと。」
妖夢はレンの隣に腰掛けた。
「今日は星が綺麗ですね!」
「そうだね。晴れているからくっきり見える。」
「お茶、おかわりいります?」
「......じゃあもう一杯もらおうかな。」
妖夢はレンの湯呑みを取って、急須を傾ける。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう。」
妖夢から湯呑みを受け取って口をつける。
「レンさん、本当に明日出ていっちゃうんですか?」
「ああ。えっと.....紫さんだっけ?一応その人には恩があるからね。恩人の頼み事とあればきちんと果たさないと。」
「こんな事を言うのは不遜だとは思いますが、白玉楼にもうしばらく残るという選択肢も......。」
「そう言ってもらえるのは嬉しいしありがたいけど......昔から人の頼み事は断れない性分でさ。それに、幻想郷からこっちへは戻ってこれるんでしょ?」
「ええ。最近は冥界と顕界の間を隔たる結界も薄くなって来ているので......。その時にはいっぱいご馳走作って歓迎しますよ!絶対来てくださいね!」
「ああ、約束する。」
「約束ですよ?」
そう言いながら妖夢は小指をレンの前に突き出した。
「指切りげんまんしてください。」
「お、おう。」
言われるがままに小指をおずおずと差し出す。
妖夢は小指を絡めると指切りげんまんを鼻歌で歌った。
そして歌い終わるとちょっぴり恥ずかしそうに笑う。
「えへへ......こんなこと言うのも恥ずかしいんですが、レンさんが明日からいなくなると思うとちょっぴり寂しいんですよね.......。」
妖夢は赤面しながらも続ける。
「実は......ですね。妖夢には昔剣の師匠がいたんですよ。」
「へぇ......じゃああの剣捌きは師匠から受け継いだものなのか。」
「その師匠っていうのは妖夢の祖父だったんですけど、妖夢がまだ幼い頃は祖父がこの白玉楼の庭師で幽々子様の身の回りのお世話をしていたんです。勿論剣の腕は凄かったし、優しく時に厳しく妖夢にいろいろな事を教えてくれる人で......妖夢の自慢の祖父でした。ただ......」
妖夢はそこまで話したところで少し寂しげな表情になった。
「もうあれからどれくらい経ったのか......まだ妖夢が幼い頃に悟りを開かれて......旅立って行かれました。いくら待っても祖父が帰ってくることは無く、どこへ行ってしまったのかの見当も付かず......現在に至ります。」
「............。」
何か言ってあげなければ、とは思うのだが何と言えば良いのかも分からず押し黙ってしまう。
レンが何も言えずに沈黙する中、妖夢は再び口を開いた。
「祖父が妖夢に遺していってくれたのは剣だけでした。唯一祖父から受け継ぐことのできた剣を置いて生きることは妖夢にはどうしても出来なくて。それでその日から毎日修行に励んできたんですけど......いつまで経ってもまだまだ半人前です。ただ.....ずっと一人で修行してきたからか、誰かに剣を教えてもらえるのが本当に嬉しくて......。」
「そっか......。」
レンは自分がそれ以上妖夢に掛けてあげられる言葉を見つけ出すことができず、悔しさに唇を噛んだ。
ーー自分も、妖夢と全く同じ境遇だ。
レンにも幼い頃は剣の師がいた。
出自や名前などの自分のことについては断固として閉口し、一度も語ってくれたことは無かったが間違いなくレンがこれまでの人生で会った人達の中でも一番の剣の使い手だっただろう。
当時村で唯一剣をきちんとした師匠に習っている身とあってとても鼻が高かったものだ。
だが彼の師匠もまた、ある日突然置き手紙一つ残して居なくなってしまった。
ーー”強くなれ。“
置き手紙には漠然とただ一言、そう書かれていた。
それから数日間、まさか本当に帰ってこないなどということは無いだろうと思い毎日素振りをしながら村の入り口で師の帰りを待っていたのだが帰って来ることはなかった。
身寄りのないレンにとって親代わりだった師が居なくなり、これから自分は一人で生きていけるのかと不安になったものだ。
いつかは師匠にまた会えるのではないかと心のどこかで思ってはいた。
帝都に行けば師に再び会えるのではないかと思ったから、というのも魔法を学んで帝都へ行こうとした理由の一つである。
ついに会えないうちに死んでしまったわけだが。
同じような境遇故に妖夢の気持ちは痛いほどよく分かる。
だがいざこういう話をされると気の利いた言葉の一つもかけてあげることができない。
全く自分でも嫌になる。
それから暫く重い沈黙が続いた。
何を話すわけでも無くただ二人、縁側に並んで座って茶を啜る。
「す、すみません。何か重い話をしてしまって。なかなか幽々子様以外の方とお話しする機会が無いので......なんだか心がスッキリした気がします。」
年頃の女の子らしい、柔らかい笑みを浮かべる。
やべえ。眩しすぎて直視できない。
「そりゃ良かった。話し相手になるぐらいだったらいつでも付き合うよ。」
気恥ずかしくてそっぽを向きながらレンはそう答えた。
「......妖夢は頑張ってるよ。女の子なのに、手がこんなになるまで修行してるんだし。少なくとももう半人前ではないと思うよ。」
妖夢の白い手をとり、覗き込む。その小さくて柔らかい手のひらには血の滲んだマメが沢山できていた。
「何日か前にも言ったけど俺、物心ついた時にはもう両親が亡くなっててさ。身寄りのいない俺にとっては小さい頃からずっと一緒だった幼馴染みだけが俺の家族みたいなもんだったんだ。」
横で鋭く息を飲む音が微かに聞こえた。
「でさ、頑張って魔導学校に入学して仲間が増えた。凄く嬉しくて、一生懸命頑張って何かあった時にも仲間を守れるくらい強くなりたいって思った。だから毎日魔導書を読みあさって何千回も素振りして......手も妖夢みたいに血まめだらけになってさ。ただひたすらに強くなれることを願って修練を積んだ。だけど......」
ふっとレンの表情が陰る。
「俺は............結局友達も、大切な人も......誰一人として救うことが出来なかった。何もかも失った。人を守るには俺はあまりにも.....無力すぎた。」
目を閉じる。
込み上げてくる悔しさに握りしめた拳の上に一粒、雫が落ちる。
守れなかった。
仲間達のことを思い出すたびに胸が苦しくなる。
彼の胸の中にある悔しさと虚無感が何度も彼を責め立てる。
その時。
彼は暖かいものに包まれた。
少し人間のそれよりも温度は低いが、それでも確かな温もりが伝わってくる。
ほんのり甘い、花のような香りが鼻腔をくすぐる。
目を開けると。
「っ......。」
妖夢の手が背中に回され、彼は抱きすくめられていた。
一瞬戸惑ったが、こんな状況で抗えるはずがない。
抱く妖夢の手にさらに力がこもる。
「......自分が無力だなんて、そんなこと言わないでくださいよ。」
ぽつりと妖夢は呟くように言った。
「レンさん、ここに来た時から時折凄く暗い影のある表情になるのでずっと気になってたんです。やっぱり生前に凄く悲しい思いをしたんですよね。」
細くしなやかな指がレンの頭を優しく労わるように撫でる。
「どんな悲しい出来事があったのか妖夢は存じませんが、たまには全部投げ出して思いっきり泣いてもいいんじゃないでしょうか。恥ずかしながら妖夢もたまに思いっきり幽々子様に抱きついて泣きますけど、泣き終わった後とても心がすっきりするんです。」
妖夢にそう言われずとも、もう既にレンは泣いていた。
今までせきとめていた何かが崩壊したかのように、感情と共に止めどなく涙が溢れてくる。
白玉楼に来てから約一週間。なるべくランセルグレアのことを考えないようにしてきた。
考えたところで今更自分が何かできるわけでもないし、自ら前に進み生きようとする勇気を失ってしまうから。
だがどれだけ強がって、魔導の道に秀でていようと剣が強かろうと彼もまだ所詮十六、七の少年。
故郷や友人を失った悲しみはとてつもなく大きくて深い。
故に自分の心の中だけに留めているには限界があった。
この瞬間だけは。
何もかもを忘れ、委ねて、小さな子供のように泣きたい。
いまだけは嗚咽を漏らして無様に泣いてもいいじゃないか。
彼の置かれた境遇を詳しくは知らずとも、妖夢には大切な人と会えなくなってしまう苦しみが痛いほどよく分かる。
自分だってもう随分昔の話だが、慕うと同時に一人の剣の師として尊敬もしていた祖父が消息を絶ってしまった。もう二度と会えないかもしれないと悟った時には幽々子に抱きついて散々泣いたものだ。
「......気が済むまで泣いて下さい。レンさんが泣き終わるまで妖夢もここにいますから。」
暫くの間、妖夢はそのまま子供のように泣き噦るレンの頭を優しく撫で続けていた。
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泣き噦るレンとそれを抱きすくめる妖夢。
その一連の様子を角に隠れて見守る者達の姿があった。
「見ていて微笑ましいわねぇ、あの二人。」
幽々子は扇子を口元に当ててくすくすと笑った。
「ねぇ、紫......。」
幽々子はすぐ横でお茶を呑んでいる旧友の名を呼んだ。
「何かしら?」
「本当に彼を神社まで送ってあげなくてもいいの?もし途中で死なれたりしたら、それこそ幻想郷も滅亡の運命を辿ることになるんじゃないの?」
「まぁ、道中で死んでしまったら彼はそれまでの存在だったってこと。その辺の妖怪に負けるような実力だったら、とてもじゃないけど例の奴になんか勝てる見込みもないわ。これは軽く彼を試す試験みたいなものなのよ。もし仮に彼が神社に行くまでの途中で命を落としてしまったら......私達も覚悟した方がいいかもね。まあ私はそうなっても諦めるつもりはないけど。」
「ふふ.....貴方らしいわね。でも、妖夢も彼のことを気に入ってるみたいだし無事に神社まで辿り着いてくれるといいんだけど。」
「大丈夫よ、多分。貴方も彼の剣と魔法を見たでしょう?よほど強力な妖怪に襲われない限りは死なないわ。」
「よほど、ねぇ......。」
妖夢達の方にちらりと目をやると、いつの間にか二人とも縁側に寝っ転がって寝ていた。
二人仲良く並んで寝ているその微笑ましい光景を目にして幽々子は頬を緩ませる。
「それじゃあ私はそろそろお暇するわね。」
「えぇ〜?紫、もう帰っちゃうの?」
「こっちはこっちで色々としなければならないことがあるから。また今度お話ししましょ、幽々子。」
そう言って紫は腕を一振りして“スキマ”を開き、その中へ入っていった。
「私はもう少しゆっくりここでお茶を飲んでから寝ようかしらね。」
ぽつりと呟いて、湯呑みに口をつける。
ーー刹那。
凄まじい立ちくらみが彼女を襲った。
「うっ......」
胸がちくちくと痛み、呼吸がどんどん浅くなる。
まさか。いや、そんな筈は......
そして幽々子は気づいた。
自分の身体が少しずつ透けてきて消えかかっていることに。
思案する暇もなく彼女はそのまま縁側に倒れ込んだ。
朦朧とする意識の中で、彼女の視界の端に映ったのは花を咲かせた西行妖だった。




