16.怪奇は突然に
妖夢は目を覚ました。
視界に入る見慣れた自室の景色。
まだ外は暗く、月明かりが障子の隙間から差し込んできている。
月の高さから察するにちょうど丑の刻程か。
妖夢は自分が自室で寝ていたことにふと何か違和感を覚えた。
自室で寝るのは当たり前なのだが、自室で床についた記憶が全くないのである。
糸を手繰り寄せるように記憶を辿っていく。
確かレンさんに稽古をつけてもらって......
ああ、そうだ。レンさんの発言で大笑いして、笑い疲れてそのまま縁側で寝ちゃったんだっけ。
ーーん?
ちょっと待てよ?
どうして私は自室で寝ているんだ?縁側で寝落ちしたはずなのに。
まさかレンさんがーー。
そこまで考えた所で妖夢の顔は真っ赤になった。
顔から火が出そう、とはまさにこの事。なんなんだ私。縁側で寝落ちして寝床まで運んでもらうとか子供か!
重いとか思われなかったかな......。
どうしよう、みょんは恥ずかしくて死にそうです。
妖夢が恥ずかしさにのたうちまわっていると。
「.......厠行きたくなってきちゃった。」
布団を押し除けて立ち上がり、縁側へ出るために障子に手を掛けたその時だった。
「あ゛ッ......う゛ッ......。」
何処からか悍しい呻き声が聞こえてきた。
「えっ......?」
妖夢は驚いて障子から手を離した。
何だろう、今の呻き声は。
呻き声は次第に大きくなっていく。それを聞いて声の主が近づいてきているということを妖夢は悟った。
次の瞬間。
妖夢は障子に映った、呻き声の主のシルエットを見て恐怖した。
丈は一尺ほどで四つん這いになって床を這って移動しており、その目と口だけがぎらぎらと真っ赤に光っている。
その姿は明らかに魑魅魍魎の類のものである。
ーーちょちょちょ、こっち来ないで!マジ勘弁して下さい。妖夢が何したっていうんですか!?
そしてその怪物はこちらをギロリと見据え、妖夢の部屋に入って来ーー。
「にゃぁぁぁあぁぁぁあぁッ!!」
気づいた時には妖夢は悲鳴を上げ、障子を蹴破り、寝間着のまま縁側を全力で遁走していた。
自分でもびっくりするぐらいの全力疾走。
後ろにちらりと目をやると、先刻の怪物が凄まじい速さでこちらを追いかけてきていた。
「ひぃぃぃぃ〜ッ!!」
その恐ろしい姿が一層妖夢の恐怖を煽る。
と、とにかく誰かに助けを求めなきゃ!
恐怖に揺さぶられて思考停止しようとする脳を無理矢理回転させる。
幽々子の部屋と妖夢の部屋は白玉楼の東側と西側で丁度対称的な位置関係にある為、今いる場所からは結構遠い。
となれば消去法で逃げ込むのはレンの部屋、と妖夢の脳はコンマ1秒で結論を出した。
ついさっき縁側で寝落ちして恥ずかしい思いをしたばかりではあるが、この際なりふり構っていられない。
寝間着のまま大きな悲鳴を上げながら部屋に逃げ込んでまた恥ずかしい思いをしても命が助かるのならそれでいい。
......っていうかあんなバケモンに追いかけられたら誰だって逃げ込むって。絶対。
妖夢は悪くないもんっ!
追いかけて来るバケモノが悪いんだもんっ!
そうに違いないみょん!
自分の行動を自分で合理化して説得し、妖夢はレンの寝ている部屋へ一直線に走る。
ーー見えたっ!
レンが寝ているはずの部屋の障子が視界に入った。
後ろを振り向けば、怪物はすぐそこまで迫ってきている。
捕まったらお終いだ。
「うぉぉぉおぉぉッ!!」
正真正銘ラストスパートをかける。
あと三歩、二歩、一歩ーーー。
「ぃよいしょぉッ!!」
勇ましい掛け声と共に障子を全力で開け、部屋の中へ飛び込み、盛大に音を立てて全力で閉める。
「ふんぬッ!」
障子の横に置いてあった箪笥を横にど〜ん、と倒してダメ押しのバリケード。
これで少しは保つだろう。
そして度重なる妖夢の悲鳴が響いても尚呑気に布団で寝ているレンを叩き起こす。
「レンさんレンさんッ!起きてください、っていうか助けてください!お化けに襲われてます!」
「んぅ......?パンがいいなぁ。」
......は?
完全に寝ぼけてらっしゃる。
「なに寝ぼけてるんですかッ!?お化けですよ!?お・ば・け!」
「......妖夢?どうしたんだ、そんな鬼気迫っt......」
「お化けに襲われてるんです!助けてください!」
妖夢の必死の嘆願を見てレンは......。
「ぷっ......」
吹き出したが最後、爆笑し始めた。
「ちょ、本当に出たんですって!」
「妖夢も半分お化けみたいなもんでしょ......」
レンはひとしきり笑った後に呆れたようにそう言った。
まるで信じてくれていない。
「マ・ジ・で!マジで追いかけられたんですよ!何なら見せましょうか!?今そこにいますよ!?」
妖夢は膨れっ面で半分泣きそうな顔になりながら倒した箪笥の先にある障子を指差して訴えた。
「本当に?」
妖夢の必死に訴える様子を見てようやく只事ではないことを悟った様子のレンは部屋の角に立て掛けてあった木刀を掴んで障子の方へ近寄る。
横倒しになっている箪笥をどかし、右手に木刀を持ち構えながら左手を障子に掛けーー。
「「............。」」
あれ?
不思議な事に、先程妖夢が散々追いかけられた怪物の姿は何処にも無かった。
「......何もいないよ?」
「さっきまでは確かにいたんです!私が追いかけられたのが何よりの証拠です!あっ、今また笑いましたね!?」
「妖夢......いや、俺は別に信じてないわけじゃないぞ?ただ......」
「ただ?」
「妖夢ってすごく怖がりなんだなって思ってさ。」
妖夢の顔から火が噴き出した。
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「くくくっ。そりゃ確かに幽々子が悪いな!」
「でしょう!?なのに幽々子様ったら逆ギレして来て......」
妖夢がレンの部屋に飛び込んできてから30分程後。
怪物が怖くて自分の部屋に戻れず、かと言ってレンの部屋で寝ようにも恐怖で眠れない妖夢はレンに話し相手になってもらっていた。
「妖夢はそんなんだからいつまで経っても半人前なのよ!、とか言われたんですよ。」
他愛もない話をしているうちに、いつの間にか怪物の恐怖を忘れて妖夢はレンとの談笑に没頭していた。
ーー何だかこの人とお話していると安心する。
レンさんは嫌な顔一つせずに楽しそうに話し相手になってくれているけどもう眠いだろうし、もしかしたらいい迷惑かもしれない。
でも。
今はもう少しだけ自分の我が儘に付き合って欲しい。
何よりも、妖夢にとっては頼れる人がすぐ側にいる事がとても嬉しかった。
「妖夢ってさ、結構幽々子の愚痴言うけど実際の所幽々子のことどう思ってるの?」
「えっ......?」
急に不意打ちの質問を食らって妖夢は回答に悩んだ。
私は幽々子様のことをどう思っているのだろうか。
不真面目?
否。いざと言う時には普段の様子からは想像出来ない程真面目な顔をするし、とても頼りになる。
大食い?
う〜ん、当たってはいるけどなんかそれだけじゃない。
「幽々子様は......普段はだらだらしてたり盗み食いしてたりで“亡霊の姫君”というイメージとは程遠い感じですけど......。」
言うのが照れ臭くてついぎこちなくなってしまうが、懸命に言葉を探して繋ぎ合わせる。
「弾幕ごっこをやらせれば物凄く強いし、頭も結構切れます。だからいざという時にはとても頼りになる方で......その、お慕いはしています。」
正直な気持ちをどうにかして言葉に紡ぎ出そうとしてみたのだが何だか物凄く照れ臭くて妖夢は髪の毛を弄りながらそう言った。
実際妖夢は幽々子のことが大好きである。彼女を慕っているからこそ何時ぞやの異変の時も幽々子のために各地を回って春を集め、幽々子を守る為に異変解決をするべく白玉楼に乗り込んできた博麗の巫女や白黒の魔法使いらの前に立ち塞がった。
「良かった。妖夢はちゃんと幽々子のことを慕っているんだね。」
「まあ......一応そうですね。」
気恥ずかしくて目を逸らす。
「いつも自分のそばにいてくれる人は大切にしてあげた方がいいよ。その人がそばにいてくれることのありがたさは失くして初めて気付くものだから。」
「......?レンさん、それはどういう......」
「俺さ.......いや、やっぱりなんでもない。」
言いかけて、レンは話すのをやめた。
「え?なんですか、言いかけて途中で切られると逆に気になるじゃないですか。」
ーーレンが戻って来なかったら私、許さないからね。
頭の中にあの声がよぎる。
やめろ、考えるな。
湧き上がる感情を無理矢理押さえ込む。
「レンさん?具合悪いんですか?」
妖夢が心配そうに顔を覗き込んできた。
「いや......大丈夫。もう眠くなってきたし、寝てもいい?妖夢はそろそろ自分の部屋へ戻る気は......」
「ないです。というか怖くてこの部屋から出たくないです。」
言い切っちゃったよ。
「そうか......まあいいや。妖夢はこの布団で寝るといいよ。俺はその辺の畳の上で直接寝るから。」
「えっ?それは流石に悪いというか......そう!自分は布団で寝といて、お客様を畳の上で直接寝かせるなんてことはできません!だから...えっと、その............」
「気にすんなって。俺なんか実質居候の身なんだし、ほら......女の子は畳の上でなんかじゃなくてきちんと布団で寝ないと。」
ということで。
結局妖夢が布団で寝る事になってしまった。
「そんじゃおやすみ。」
レンは部屋の端まで移動し、肘をついて横になった。
「おやすみなさい......。」
一緒に布団で寝るという選択肢は無かったのか......などと内心で少し残念に思いながら妖夢も布団の中へ潜った。
......あれ?なんか大事なことを忘れている気がする。
そうだ。思い出した。
「あの......レンさん。」
「ん?どうした?」
「その......か...か、か....」
「か?」
「厠に行きたいんですけど怖いので....」
「怖いので?」
「わ、分かってるのに意地悪しないで下さいよ〜っ!ついて来て欲しいんです!」
それを聞いてレンは畳の上を笑い転げた。
妖夢の顔から今度は爆炎が噴き出した。
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真っ暗でしーんとした縁側。
成る程、丁度丑三つ時だしこの雰囲気なら魑魅魍魎の類が出て来てもおかしくない様な不気味さだ。
もしかしたら本当に怪物が出てくるかもしれないな、などと思いながらレンは妖夢と一緒に厠目指して縁側を歩いていた。
「あの、妖夢?そんな引っ付かれると歩き難いんだけど。」
「こっ、これは寒いからくっ付いてるだけです!別に怪物が怖いとか......そういう訳ではないですよっ!決して!」
庭で桜が咲いてるくらい暖かいんですけど。
「あっ!あそこに青白い霊が......!!」
「ひゃあぁぁぁぁっ!!何処!?何処ですかッ!?空観剣、「六根清浄斬」ッ!!」
スペルカード宣言をしようとする妖夢を慌てて宥める。
「じょ、冗談だよ......。悪かったって。なにもそこまで怖がらなくても......」
「本当に泣きますよ!?」
半べそかきながら引っ付いてくる。
「えーっと......」
実際ここは冥界なんだし霊なんかいくらでもその辺に浮いてる。そもそも今妖夢と一緒に青くなって引っ付いてくる半霊の方も霊の一種じゃないか。
この子怖がり方が尋常じゃない。
それと引っ付かれて気づいたのだが......。
何が、とは言わないけど妖夢って結構平坦なんだな。
「ん?レンさん今なんかものすごく失礼なこと考えませんでしたか!?」
「き、気のせいだよ......多分。」
「多分!?」
目を泳がせるレン。
その様子を見て妖夢はジト目で睨みつけた。
妖夢のビビリ度はどんどん増していく。
厠に着いても。
「......レンさ〜ん?そこにちゃんといてくれてますか?」
「ああ、いるよ。」
扉の向こう側から聞こえてくる妖夢の声に応える。
「レンさん?ほんとにそこにいてくれてますか?」
「いるってば。」
「............ほんとのほんとに....」
「いいから早くしてくれ!」
ふぅ、とため息をつきながら妖夢が厠から出てきた。
「お待たせしてすみません。さ、戻りましょう。」
「ああ。」
二人並んで元来た縁側を歩く。
「なぁ、妖夢。」
「なんでしょうか?」
「なんで妖夢はそこまで怖がりなんだ?さっきも言ったけどお前も半分お化けみたいなもんじゃないか。何かトラウマがあったりするのか?」
「トラウマなんてありません。怖いものは怖いんですよ。」
妖夢は何故かふんぞり返りながらドヤ顔でそう言い切った。
「......妖夢が見た怪物ってどんな見た目だった?」
「それはそれはもう悍しい容貌でしたよ。あぁ、思い出すだけで鳥肌が立ちます......。全身真っ黒で、目だけ赤く光ってるんです。でもって近くにいるだけで肌がピリピリするくらいもの凄い霊力を放っていてですね....」
「......それってもしかして」
「?」
歯切れの悪い物言いをするレンの指差す方向に妖夢が視線を向けるとそこには。
目と口だけが赤く光っており、それ以外は真っ黒ーー
先刻妖夢が追い回された怪物が立っていた。
「ゔぅ......あ゛ぁ....」
妖夢はあまりの恐怖に泡を吹いて仰向けに倒れーーそうになりながらも辛うじて耐えてレンの背中に隠れる。
「あば、あばばばばばばば......」
妖夢のガクガク、という身震いが背中に伝わってくる。
「しっかりしろ!妖夢がさっき追い回されたのはアイツなのか!?」
「そ、そうです!見間違えるわけがありません!アイツです!」
「妖夢、ちょっと俺の腕から手を離してくれ!身動きできないよ!」
「そそそそそんなこと言われたって怖すぎて今レンさんの腕から手を離したら妖夢失神しちゃいますよ!」
「じゃあ目瞑ってればいいじゃないか!」
「おおっ!名案ですね!目を瞑っていれば怪物が視界に入ることは無......ってああああぁぁぁっ!」
「どうした!?」
「レンさん、大変です!目を瞑ったら真っ暗です!」
「............。」
妖夢ってひょっとしてその......あほの子なのかな?
妖夢の叫び声を聞くと、怪物はこちらを見て腰を低く落とした。
「来るかッ!?」
どう見ても宣戦布告としか取れないその動作を見てレンは妖夢の手を振り解き、持っていた木刀を中段に構える。
妖夢にしつこく持っていきましょう、と言われたので渋々持って来たのだがまさか本当に使うことになるとは。
だが、どうする。
仮にあれが本当に怪物だとしたら、木刀では致命傷が与えられない。故に命の危機が迫っても殺すことは愚か無力化することもできないわけだ。
屋敷の中で魔法を使うのは気が引けるが、最悪それしか方法は......
「お゛.....か.....すい゛ダァァァァ!」
レンが思考の結論に至るまでに堰を切ったように怪物が襲いかかって来た。
考えている暇などない。
先の事を考えるよりも今はまずこの怪物の攻撃を凌がなければ。
「フゥッ!」
床を蹴り、何の小細工もない正面からの袈裟斬り。
レンの木刀は怪物の頭を捉えーー。
怪物はよろよろとよろけて床に手をついた。
「ちょっとぉ!何するのよ、レン!痛いじゃないの!」
「「は?」」
レンも妖夢も素っ頓狂な声を上げた。
理由は単純。
木刀で殴られた瞬間怪物の全身からあの凄まじい霊力が抜け、幽々子の姿になったからである。
「お腹空いたから妖夢に何か作ってもらおうと思って呼び掛けようとしただけなのに、何でさっきから悲鳴上げて逃げたり木刀で殴ったりするの〜!?」
頭の上にできたたんこぶをさすりながら幽々子は抗議した。
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なんやかんやあって数分後。
幽々子は事の経緯についてこのように説明した。
幽々子は妖夢に今日一日修行のために家事をしなくていい、と言った。
だが自分で家事をこなそうとしても上手くできず、終いには空腹になってしまったので、修行が終わったら妖夢にご飯を作ってもらおうとしたのだ。
しかし妖夢が修行が終わり次第寝てしまったためにご飯を作ってもらうことができず、幽々子はやむなく妖夢の部屋へと向かって妖夢にご飯を作ってくれるように頼もうとしたわけだ。
その際あまりの空腹に耐えられず自我が暴走し、気がついたらレンに木刀で殴られていたという。
「何というか......」
「はた迷惑な話、ですね......。」
空腹に耐えられずに自我が暴走ってどういうこと!?
......っていうか幽々子は空腹の限界を超えるとあんなバケモンみたいになるのか。
「あの......私に非があったことは認めるし、悪かったと思うわ。だから、取り敢えず......」
幽々子は申し訳なさそうに上目遣いで言った。
「ご飯作ってくれない?」
春の夜更け、白玉楼に妖夢の深い溜息が響いた。




