101.顕と冥の境界
ーー明くる朝。
ドアノブを捻り、押し開けるとやはりその先は見渡す限り一面の銀世界。
どうやら夕べから夜通し降っていたようで辺りには昨日までよりもさらに深々と雪が積もっている。
レンは相変わらずの刺すような寒さに身震いをし、ローブの首元の襟を引っ張った。
「やっぱりまだ降ってるわね。この吹雪の中本当に出て行くの?」
「止む気配も全くないし......誰かが異変を解決しないときっといつまでもこのまま降りっぱなしだからね。早く原因を突き止めて春を呼んで来なきゃ。」
「へぇ......。」
「......?どうかしたの?」
「いいえ、別に。まだまだ雪も降りそうだし気を付けてね。」
「うん、ありがとう。......そういえばまだちゃんとお礼を言ってなかったね。止めてもらった上にご飯まで食べさせてもらって。本当に助かったよ。あのままアリスの家に泊めてもらえなかったらこの極寒の中野宿することになってたし。」
「ふふっ、どういたしまして。また暇な時に今度は”友達として“遊びに来てね。」
「ああ、必ず来るよ。......それじゃあまた今度。」
「ちょっと待って、レン。」
背中を向け、歩き出そうとしたレンをアリスは引き止めた。
「どうした?」
「......春を見つけたいのなら”空の上“を探しなさい。」
「空の......上?なんで?」
「なんでも。行き詰まっているんでしょう?騙されたと思って雲の上を探してみて。」
「い、いや空の上を探すのは構わないんだけどアリスがそこに異変の原因があると睨んでいる根拠を教えて欲しい。」
レンはもう一度ダメ元でアリスの発言の真意を聞き出そうとしたが、彼女はただ微笑んでいるだけで口を割ってはくれなかった。
「......わ、分かったよ。助言ありがとう。」
腑に落ちない、といった表情で空へ飛び立っていくレンをアリスは手を振って見送った。
やがて雲に突っ込んで、レンの姿は地上からは見えなくなってしまった。
それでも尚しんしんと落ちてくる曇り空を見つめ続ける。
ーー春の来ない異変、といえばきっと冥界が絡んでいるに違いない。
異変が起こっていながら霊夢が動かないということは、彼女は何らかの理由があって今回の異変の解決をあの少年に任せることにしたのだろう。
ならば自分に出来ることはせいぜい彼に助言を与えることくらい、と思っていたのだが。
「......流石に助言の内容が唐突すぎたかしらね。」
訝しんでいるのを隠し切れない様子であった彼の表情を思い出して、アリスは不意にくすっと笑ってしまった。
これじゃあまるで最初から私が異変の黒幕を知っていて、彼に対して隠していたみたいじゃないか。
まあ事実大体予想がついているのだけれども。
「懐かしいわねぇ......。」
丁度今と同じように白い雪の舞っていた“あの春”を思い出し、彼女はその青い瞳を細めた。
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厚い雲の層の上......。
どちらを見渡しても白い雲が遠くまでまるで純白のカーペットのように広がっている。
幻想郷全域の空を覆っているのだろうか。
そしてその上には、淡く美しい水色の空。
まさに春の空のように優しく柔らかな水色であった。
不思議なことに、ここは遥か高い上空であるはずなのに真冬のような寒さの地上とは打って変わってとても暖かい。
言うなれば雲の下は冬、雲の上は春のようであった。
「......。」
目の前の景色に圧倒されて、思わず固唾を呑む。
これも異変の影響なのだろうか。
それとも異変の元凶に近付いているからだろうか。
いずれにせよ、異変調査が漸く終わりに近づきつつあることを彼は悟っていた。
辺りを捜索すれば何か手掛かりを得られるかもしれない。
どうやらアリスの助言通り上空へ来たのは正解だったようだ。
「......っ!?」
不意に何者かの気配を感じ取り、反射的にアルテマの柄に手を掛ける。
気配を感じた方を振り向いた刹那。
「春ですよぉ〜!!」
白いワンピースにとんがり帽子。
明るい茶髪の小さな妖精。
......前に何処かで見たことがあるような?
とか思っている場合じゃない。
「なっ......!?」
妖精は大量の弾幕を放ちながらこちらへ向けて猛スピードで突っ込んで来る。
「春でっすよ〜!!」
もう一度そんな声が聞こえたかと思えば、次の瞬間には彼は弾幕の嵐に飲み込まれていた。
密度の高い弾幕の中、なんとか軌道を予測してすり抜けていく。
もう一度、”春ですよー“と声が聞こえてきたかと思うとぱったりと弾幕がやんだ。
ーー......来るか!?
相手の攻撃に備えて身構えたが......果たして妖精が追撃をしてくることはなかった。
どこへ行ったのかと辺りを見渡せば、彼女はもう遠くまで飛んでいってしまっていた。
......いったい何だったんだろう。
敵意を持ってこちらへ向かって攻撃してきた、というよりは彼女の通り道にレンがいて轢かれた、と言った方が正しいだろう。
なーんか絶対前にも似たようなことあった気がするんだけど。
まあそれは置いといて......。
あの妖精は“春ですよー”、と連呼していた。
多分あれが以前霊夢の言っていた“春告精”ってやつだろう。
毎年冬が明けて春になるとどこからともなく飛んできて、春の訪れを告げていくんだそうだ。
さっきリリーホワイトが飛んでいたということは、雲の上であるこの辺りにはもう春が訪れている......ってことだよね?
......ひょっとして彼女を地上まで連れて行けば地上にも春が訪れるのでは?
それ以前に何故地上には来てくれないのだろうか。
直接本人に聞いて見たかったが、そう思った時にはもう既に彼女の姿は見えなくなっていた。
もしかしたら彼女が今回の異変の解決の緒になってくれるかもしれない。
でも彼女も結構な速さで飛んでたからなぁ。
今更追いかけたところで追いつけるかどうか。
「うーん......。」
追いかけるか否か決めあぐねていたその時。
ひらひらと白い何かが舞っていることに彼は気が付いた。
雪......のはずがない。そもそもここは雲の上なのだから雪など降るわけが無いのだ。
首を傾げつつ、頬に張り付いてきた“それ”をつまみとる。
「......花びら?」
そう、花びら。
広げた手のひらに乗っていたのは小さな花弁だった。
白に近い、淡い桃色。
見覚えのある色。
これは......。
「......桜?」
ーー何故、桜の花びらがこんな所に?
「こっちからか......。」
見れば、花びらは同じ方向から飛んで来ているようだ。
ひらりひらりと舞う花弁に逆らって、出所を追うように進んでいく。
※※※
「あれは......。」
ーーもう半里ほど移動しただろうか。
空と雲海の境目を飛び続けるうちに、彼は巨大な扉のようなものを見つけた。
結界と思しき魔法陣が貼られており、扉の前には四本の柱が浮かんでいる。
あれは確かーー
ーー......幽明結界。
初めて幻想郷へ来る時に潜ったんだっけ。
顕界と冥界の境目の役割を担う結界だ。
その扉のわずかに開いた隙間から不意に吹き出した風が、ひらひらと白い花弁を纏って虚空に浮かぶ雲海へと吸い込まれて行く。
どうやら花びらはこの結界から吹いてきているようだ。
この状況から察するに冥界に今回の異変の何かしらの手がかりがあると見て良いだろう。
いや、手がかりも何ももしかしたら今回の異変の主犯は......。
無意識のうちに脳裏にはあのどこか寂しそうな表情の妖夢の姿を浮かべていた。
ーー嫌な予感がする。
レンは一つ深呼吸をしてから、幽明結界へと飛び込んだ。




