46(ドーミエ)
朝日が昇り切る前に領主館を出発した討伐隊は、総勢四十名に満たない程度の小隊だった。
マリスターク伯爵が擁する兵士たちで編成されているが、率いているのはベルター・ローデルクだ。炎の使い手、しかもそれが第一座ともなれば、指揮の権限は当然のように彼のものなのだった。
ドーミエの集落にはすでに地元の隊が詰めているし、たまたま近隣のテッサまで遠征に来ていたという王城付き討伐隊の一部も、今朝からそれに合流している。
遅れていくマリスターク隊では、後方支援のための水や食料、医薬品、弓矢や投擲用の槍などを運ぶ荷馬車が、かなり幅をきかせていた。
異なる荘園どうしでも助けあい、物資の補給も惜しまないのがレントリアという国の通例だ。
だが、今回の荷馬車の中身はいささか変わっていた。そもそもの大騒動の引き金となった人物が、裁判も待たずに現場に運ばれているのだから。
分厚い幌で、左右だけでなく前後までも目隠しされた馬車の中、荷物の木箱を椅子がわりにして腰かけながら、ラキスの心境は複雑だった。
屋外に出られてほっとしたのは確かだし、ドーミエに戻してもらえることもありがたかった。ジンクやチャイカ、マージたち……反転した村人たちの状況や安否が、ずっと気になり続けていたのだ。
現場に行けば、何か彼らの力になれることがあるかもしれない。
でも、皆が真性の魔物の群れと混じりあい、まったく区別できなくなってしまっていたら? 魔物狩りをしろというのは、要するに村人たちを始末しろという意味なのでは……。
ベルターという男が好意から出獄させてくれたとは、とても思えない。多少なりとも好意があれば、足枷くらい取ってくれてもいいはずだ。
木箱が大きく揺れるとともに、腰に伝わってくる振動が変化した。馬の蹄鉄が石面を蹴って進む音が、車輪の響きと入り混じる。隊列はレントール川にかかる長い石橋を渡っているらしい。
ラキスは息をつくと、浮かんできたろくでもない考えを振り払った。そして、膝にのせた魔法剣の鞘を、両手で強く握りしめた。
ベルターの思惑がどうであれ、彼は召喚者に剣を返してくれたのだ。それだけで十分ではないか。
炎が戻ってきた以上、もっとも正しいやりかたでそれを使わせてもらう。誰になんと言われても、気に食わないことのために使ったりはしない。
いまの自分にできるのは、それだけだ。
みずからの心を確認すると、にわかに気持ちが落ち着いてきた。横に積まれた荷物に寄りかかり、ラキスは静かに息をついた。
できるだけ眠っておいたほうがいい。どうせドーミエについたら、さんざん動かなければいけないのだから。
目を閉じると、暗くなったまぶたの裏に、ベルターの義弟の姿がふっと浮かんだ。ディーはどうしているだろう。まだドーミエに残っているのだろうか。
あいつがジンクたちをかばっていてくれれば……でもマリスタークと契約している身でそんなことをしたら、あいつの評価はがた落ちだ。
そうじゃなくても、おれのおかげで馬番に格下げされたとか言っていた。巻き込むつもりはなかったのに……。
ぼんやりとそんなふうに思いながら、意外に早く訪れた睡魔に思考を譲った。
だが──。
そのときのラキスは、編成された討伐隊の内訳を何も知らされていなかった。
もし少しでも知っていたら、とても落ち着いて眠ることなどできなかったにちがいない。
隊列は実は二つに分かれていた。分かれる予定ではなかったのだが、一部が準備に手間取ったため、三十人程度が先に出発し、残りの人数は遅れて追いかけるかたちになったのである。
遅れた分隊の先頭にいるのは、マリスタークの次期伯爵コンラート・オルマンドだった。彼の強い希望により、討伐に加わることが急遽決まったのだ。
花嫁を拉致した罪人が討伐に駆り出されているのに、自分がのうのうと領主館で待っているわけにはいかない。ぜひ討伐に参加して忌まわしきヴィーヴルの群れを駆逐し、エセルシータ姫を再びこの地にお迎えしたい──。
花婿になるはずだった男の言い分が、マリスターク伯爵やベルターに受け入れられたことを、拉致した本人はまだ知らない。
荷馬車をまじえた隊列は石橋を渡り終え、ドーミエ領内の街道を進みはじめる。
めざす集落に行くには、街道をそれて大森林の方角に戻らなければならないため、道程はまだ遠かった。
ベルター・ローデルクは、連行している罪人にコンラートのことを教えるほど軽率ではなかった。
それは、教えたらひと悶着あるに決まっていると思ったからだが、コンラートの存在自体にあまり興味がなかったからだともいえる。彼にとって次期伯爵は、品行方正な後継ぎ息子に過ぎず、それ以上でも以下でもなかったのだ。
聖堂で大掛かりな難癖をつけられてしまったから、手柄をたてることで、エセル姫や女王陛下の気をひきたいのだろう。ご苦労なことだ。
そんな貴族のことよりも、勝手に魔法炎を召喚した半魔のほうが、はるかに強くベルターの興味をひいていた。
彼は時おり、荷馬車の後ろが定位置の兵士から、半魔についての報告を受けた。なんの問題も起こさずおとなしく寝ていると聞いたときは、思わずこう唸った。
「たいした度胸だな……ヴィーヴルの群れがうようよしている現場に向かおうというのに、昼寝とは」
まあ、冬季の間ずっと勇者様と呼ばれていた人物なのだから、並みの神経の持ち主ではないだろう。たとえ当時とずいぶん見た目が変わっていたとしても……。
とはいえ、有翼のあの姿で再召喚ができたという事実は、やはりどうにも受け入れがたい。ローデルク家の者として、自分には魔法剣の真偽のほどをしっかり確認する義務がある──。
ベルターがわざわざラキスを出獄させたのは、村人たちの討伐をさせるためではなかった。というのも、その討伐は、大聖堂で彼らを取り逃がしてしまった自分自身がやるべきだと思っていたからだ。
ラキスに対して彼が求めたのは、牢獄内で本人に話したその通りの内容だったが、なかでも重要なのが、本当に召喚できたのかという呟きだった。
魔法剣を使うことができるのは基本的に召喚者自身であり、ほかの人間が剣を振っても炎は外に出てこない。だから確かめようと思うなら、本人を魔物の前に連れていく以外に方法がないのである。
隊列はしばらくの間ドーミエの街道を直進し、やがて西に分岐している細い道を選んで方向を変えた。
整備されて快適だった路面がひなびた田舎道にかわり、進みにくくなってくる。街道沿いに並んでいた家々もなくなり、狭くなった道の両側から、春の盛りで勢いを増した草木があふれてくるようだ。
それでも交通量はけっこう多い道らしく、荷馬車の通る場所は石が弾かれ、しっかりと踏まれて固い。車輪と車輪の間に当たる部分には、そこだけ薄く草花が生えて、細々としたもう一本の道を生み出していた。
テッサから街道を下ってきた王城付き討伐隊は、とっくにこの道を通って集落に到達しているはずだ。予定より時間が遅れていることに気づいて、ベルターはわずかな苛立ちを覚えた。
それというのも次期伯爵が──ここでようやく彼の脳内にコンラートが登場した──突然参加を申し出て、出発するのを引き留めたからだ。
やはり断ればよかったかもしれない。一応鍛錬はしているようだが、場慣れしない貴族の息子が来たところで足手まといになるのは目に見えている。
大体、遅れて出たはずの分隊がまだ追いついてきてもいない。何をもたもたしているのだろうか。
いまさらのようにそんなことを考えたのは、ベルターの腰で魔法剣がちりちりと震えているからだった。炎がいつも魔性を察知するとは限らないので、そればかり頼っているのは危険なのだが、反応は使い手にもはっきりと伝わる。
そうでなくても、集落に近づくにつれてなんともいえず嫌な予感が立ちのぼるのを、彼は敏感に感じていた。
もちろんヴィーヴルの巣食う場所に向かっているのだから、嫌な感じがするのは当然だ。剣が反応するのも別に不思議ではないのだが、これはいったい──。
空を見上げると、朝は薄日だった日差しがすっかり雲に覆われている。天気が崩れかけているせいで苛立つわけでもないだろうが、早めに準備をしたほうがよさそうだ。
彼は草地が広がった場所で一同を止めると、まだ身に着けていない鎧や兜を装着するよう指示を出した。
討伐隊というのは通常、現地の手前に来るまで武装はしない。わざわざ早くから重たい鎧など着込んだりしたら、疲れるし動きづらいしで進度が遅くなる。戦力を見せつけたり威嚇したりする必要もないため、鎧類はまとめて荷馬車で運ぶのが常なのだ。
皆が素早い動作で荷物をおろし、装着しているときだ。早駆けの馬が後ろから近づき、あわてた様子の乗り手が飛び降りてきた。合流できていないコンラート・オルマンドの従者だった。分隊の影が遠くにちらりと見えている。
どこか青ざめた顔の従者は、ベルターに駆け寄ると、人目をはばかるような小声で言い始めた。
「たいへん申し上げにくいのですが、その……引き返してもいいでしょうか。実は……コンラート様が非常に動揺されていまして……」
「動揺? 魔物が怖くおなりで?」
「いえ、むしろ逆……興奮なさりすぎているのです。魔物狩りなどはじめてなので、混乱なさっているのかと。あれではお怪我をしてしまう。行かないように、ただいま説得している最中です」
さすがにみっともないと思ったのか、声がだんだん小さくなっていく。ベルター・ローデルクは心から答えた。
「どうぞ遠慮なく、お帰りを」
まわりの兵士たちも深くうなずいている。もともと次期伯爵を前線に立たせるつもりはなかった。後方で見学でもしてもらおうと思っていたのだが、なんともあきれたとしか言いようがない話だ。
真面目な従者が、あたふたと戻っていってしまったあと、ベルターたちは準備を終えて、再び行軍を開始した。
はるか後ろの分隊が、引き返さずにのろのろと進み始めたことはわかったが、注意を払おうとは思わなかった。嫌な予感がますます強まってきたため、勝手についてくる貴族のことなどどうでもよくなったのだ。
ベルターに嫌な予感をもたらしているものが、コンラートに──コンラートの名を騙ったシャズという名の男に、どんな作用をもたらしていたのか。禁断の黒魔術を吸い込んだ心が、どのように変化していたのか。
その場にいる誰ひとりとして、想像できるはずもなかった。




