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殺人鬼は思いのほか饒舌だった。自分の主張を語って聞かせるという行為に、快さを見出したらしい。話は次第に熱を帯び、時おり声がうわずった。
主張の前半部分は目新しいものではなかった。魔物がいかに忌まわしき存在であるか、人々がどれほど苦しめられているか、悲劇を食い止めることをいかに皆が望んでいるか……。レントリアではお定まりの話だ。
だが後半部分は、どんなに魔物を嫌っている者であっても、ここまで話しはしないだろうと思われる内容だった。
半魔の娘ひとりの命など、魔物撲滅のためなら安い。胎児を調べることのほうが、娘の何倍も価値がある。肝心なのは、夢魔が生まれる可能性を事前に抹消することだ。その決断と実行力こそ、この国の平和のため、生粋の人々の幸せのためにどうしても必要なのだ──。
狂気をはらんだ男の声を聞きながら、ラキスは忍耐力のすべてを使い、沈黙を守っていた。
少しでも口をひらけば、こちらまでが狂人のように叫ばずにはいられなくなる。叫びながら、相手に突進せずにはいられなくなる。鉄格子の前で鎖に足を引っ張られ、無様に転ぶことだけは、どんなことがあってもしたくない。
そんな思いで歯を食いしばっていたのだが、黙って聞いていること自体がまるで拷問のようだった。
看守はどこだ、と彼は思った。ほかの独房の奴らでもいい。次期伯爵が犯行を認めるも同然の発言を続けているのだ。せめて、おれ以外の誰かがこれを聞いていて……そしてこの狂った声を止めてくれれば──。
だが、止めてくれる者は現れそうもなかった。彼はようやくこわばった唇を動かし、心に浮かんだ言葉を押し出した。
「化け物……」
それ以外に形容すべき単語がみつからない。
「貴様は化け物だ。そんな理由でよくもカーヤを……カーヤの尊い命を……」
「きみに言われる筋合いはない」
話に水を差されて、男の口調に苛立ちが混じった。
「自分がどんな姿でいるのか、わかっていないようだな。汚れた翼を生やしたその姿こそが魔物そのものだというのに」
「おれは化け物と言ったんだ」
強い視線を相手に向けて、ラキスが応じた。
「魔物よりもはるかに悪い。人間の皮をかぶっているという点で」
「黙りたまえ」
無表情だったコンラートの両眼に、ふいに憎悪の色がたぎった。
「魔性の血を引く半魔のくせに。魔物が諸悪の根源であるのは、レントリアのみならずどこの国でも自明のことだ」
男の身体が声とともにふるえたため、下げていたランタンの灯りが揺らぎ、影が大きくゆらめいた。
ラキスの脳裏を、かすかな疑問がふっとよぎった。マリスタークは川向こうのドーミエとは違い、歴史的に魔物が少ない地域だ。次期伯爵という、環境にも護衛にも恵まれた身分の者が、直接的な被害をこうむったとは思えない。それなのに、なぜこんなひどい執着を……。
だが、疑問を突き詰めることはできなかった。
執着心にまみれた男は、石壁から突き出ているランタン掛けに灯りを吊るすと、あらためて囚人に向き直った。一歩足を踏み出し、両手の指をひろげながら、ゆっくりと前に差し伸ばす。鉄格子をつかみ、触れんばかりに顔を寄せるとささやいた。
「インキュバスの仔がもし生まれたら、どんな悲劇が起きるのか……きみが一番知っているはずだろう、もと勇者殿」
ラキスは反射的に後ずさった。不本意だったが、鎖につながれた身の上では、本能的な防御反応を止めることはできなかった。
自分を閉じ込めている鉄格子が、いまは逆に化け物から身を守る役割を果たしている。できれば声も遮断してもらいたかったが、あいにく暗い声だけが、牢獄内に陰々と響いた。
「半魔であることをかくして王城に入ったのだな。その翼は出し入れできるとみえるが、それをいいことに正体を偽り平然と姫様に近づいたのだ」
「………」
「道理で女王陛下が婚儀を急がれたわけだよ。大切な姫をさらわれてはたまらないと、焦っておいでだったのだろう──無理もないことだ」
その焦りが女王陛下最大の失敗だ。ラキスは苦く考えたが、この考えも突き詰めることは不可能だった。殺人鬼が次に放った言葉が、あまりにも想定外だったからだ。
「姫はお若く純粋でいらっしゃる。きみのような男に言い寄られて、すぐに勘違いなさったことだろうよ。きみは顔立ちだけはきれいだし、その澄んだ緑の瞳などは、なかなかに魅力的だからな」
「……緑?」
思わず訊き返したあと、ラキスは唇を噛んだ。狂人の発言を真に受けてはいけないと思ったからだが、にもかかわらず、ふたたび口が勝手に動き出していた。
「いい加減なことを言うな。おれの目は、はしばみ……」
はしばみ色? と今度はコンラート・オルマンドが訊き返した。それから、壁に掛けたばかりのランタンをはずすと、親切にも鉄格子すれすれまで寄せて檻の中を照らし出した。
中にいる若者の見開かれた双眸が、先ほどよりもはっきり見分けられるようになる。こんなときに限って正気を感じさせる口調で、コンラートがありのままを教えた。
たしかに緑色をしていると。
ラキスは言葉を失って立ち尽くした。今日一日、実に様々なことが立て続けに起こったが、これが終着点であるように思えた。
緑の瞳。緑の──。
コンラートは、自分の台詞が相手に打撃をあたえたことを察したようだった。しばらく考えていたが、やがて打撃の理由に思い当たったらしく、楽しげともいえる口調で話しかける。
「気づかなかったが、もとは、はしばみ色だったのだな。つまり反転して色が変わったということか。いや、まだ反転途中……ドーミエの瘴気を吸い取って、ゆっくりと変化している途中なのかもしれない」
「ちがう。ふざけたことを言うな……!」
ラキスの反応を見ていたコンラートが、こらえきれないように笑い出した。笑い終えると憐れみの視線をよこし、その後、もうひとつの終着点である事実を、噛んで含めるように語って聞かせた。
──かわいそうな魔物。これできみは、完全にエセルシータ姫の対極だ。
姫様は、逢瀬の刻で守護聖獣に愛でられて、天つ御使いの翼をお持ちになった。その黒い翼とは大違いの、穢れなき純白の翼を。
コンラート・オルマンドと囚人との面談は、終わりの時間を迎えた。最後に、現れなかった看守と静かすぎるほかの独房についての、簡単な説明がなされた。
看守はただいま食事中で──なんと仕事熱心なことだ──ほかの独房は本日は閉店している。マリスタークは治安がいいから、独房の階はいつも案外すいているのだ。
「要するに」
と、去り際に次期伯爵が付け足した。
「わたしときみの会話を聞いた者は、ひとりもいない。裁判でいくらきみが語っても、信用されるわけはないから、無駄なことはしないほうがいいぞ」
「……聞いている者なら、そこにいる」
視線を落としていたラキスが、低い声で呟いた。
「何?」
「リンドドレイクとレヴィアタンが、そこに」
顎で示した先にあるのは、独房内の壁だった。囚人のための彫刻が、ランタンと鉄皿のろうそく、両方の灯りを受けていびつに浮かび上がって見える。
つられたようにそちらを見やった殺人鬼に、呟きがこう続けた。
「レヴィアタンは多分喜んでるぜ。自分たちの仲間を人間界でみつけたってな」
コンラートは人並みにかなりの不快感を覚えたようだった。
早くここから離れたいという態度で、短い捨て台詞をぶつけてから、足音だけは高らかに去っていった。
足音が小さくなり、ほどなく扉が開閉する音が響く。そして──あたりは静まり返った。
青ざめた顔でたたずんでいたラキスは、のろのろと身をかがめると右手を伸ばした。転がっていた丸椅子を引き起こし、疲れ切った様子で腰をおろす。
魔法剣がほしかった。没収されてしまったが、あれがいまここにあれば、炎は反応するだろうか。召喚した本人が、魔物に変わってしまったことを教えるために。
村人たちが完全に反転したところを目の当たりにしても、ラキスはなぜか、自分がそうなるとは考えていなかった。あの瞬間、たしかに衝撃は感じたのだが、非常に短時間だったし、その後まったく変化しなかったからだ。
ただ、瞳の色まで確認できたわけではない。変わるときには、必ず体感として何かを感じるものだと思っていたが、自覚が皆無なこともあるのだろうか。
いや、殺人鬼が本当のことを教えてくれたとは思えない。きっと出まかせで適当な色を……。
ふいにラキスは、自分自身が滑稽でたまらなくなった。翼が生えても案外冷静だったのに、この動揺の大きさは何だろう。
幼かったころに養父のカイルから聞いた言葉が、今頃になって強烈によみがえってくる。川から拾ったときは緑色の目だったと、たしかカイルは言ったのだ。それが人間らしく成長するにつれて、はしばみに変わっていったと、酔いがまわった拍子に口をすべらせた。
養母のリュシラが、口の軽い夫をにらみながら、麦酒のコップを取り上げたことも覚えている。たいしたことではないのだから気にしないよう、言い聞かせられたことも覚えている。
当時は本当に気にしなかった。そして、ついさっきまで、それを気にしたことはなかった。それなのに。
頭の中で様々な想念があふれ返り、もう誰もいないのに叫び出してしまいそうだった。次期伯爵から言われた言葉の数々が、一気に思い出されて止められなくなる。
このまま魔物に変わるのかもしれない、この暗い牢獄の中で。
もしもそんなことになったら、両親の努力は台無しだ。せっかく拾い上げてくれたのに。人間として育ててくれたのに。
ごめん、カイル。リュシラ。
そして……ごめん。命をかけて、おれを追いかけてきてくれた。青灰色の夢の中から、おれを助け出してくれた。
連れて行ってと背中にすがってきてくれた──。
エセル。




