32(捕縛)
ディーが操る栗毛の馬は、エセルシータ姫を乗せて駆け戻りはじめた。
姫の乗り心地を考えているらしく、駆け足にしてはゆるやかだったが、それでもマージとドニーの足よりはずっと早い。追いかけてくる二人の姿がちらっと見えたが、かまうわけにはいかなかった。
途中でディーが、何気ない口調で忠告した。
「理不尽かもしれませんが、我慢なさってください。いまだけですから」
「理不尽……」
「残念ながら、わたしもあまり力添えはできないんです。とりあえず指揮官の命に従う身分ですので」
歩いて来たばかりの道を逆走して、畑と草むらの間を通り過ぎる。木立を抜けて泥壁の家々が見えてくると同時に、多数の人々のざわめく声が近づいた。ざわめきには怒号が入り混じっていた。
「さっさと歩け!」
エセルは息を呑んだが、辻を曲がって様子が見通せるようになったとたん、さらにぎょっとした。いきなり戦地に入り込んだような気がしたのだ。
鎖帷子と兜で武装した、数十人の兵士たちが、四方の道をふさいでいる。右手には剣を構え、左腕には楯を装着して、まるでいまから攻撃を開始しようとしているような荒々しさだ。
その中央には騎乗した指揮官がいて、不届きな暴漢たちを苛立った顔つきで眺めている。後方では弓兵たちが、いつでも射かけられる体勢をとっていた。
だが彼らが取り囲んでいるのは、戦闘とはかけ離れた、いかにも純朴そうな村人たちなのだった。ジンクとサンガ、テグ……エセルは、皆が後ろ手に縄をかけられ、引っぱられている様子にショックを受けた。なんの武器も持たない村民相手に、こんな人数と装備だなんて……。
もちろん、縄をかけられた四人目の剣士だけは、それだけの人数で備える価値があるかもしれなかった。けれど、剣帯ごと剣を取られても逆らうことなく、黙って兵に従っている彼に、抵抗の意志があるはずもない。
「引っぱんなよ、牛じゃねえんだから」
我慢できずに文句を言っているのはテグだった。
「縄をはずしてくれ。逃げねえって言ってるだろ?」
「よさねえか、テグ。お行儀よくすることが肝心なんだ」
彼の前にいたジンクが、忍耐力の強さを見せてさとした。
「だってよ、頭領」
「テグ、我慢しようぜ。ちょっとの辛抱だ」
と、頭領の態度を見習ってサンガも言ったが、兵士が乱暴に彼の綱を引いたので、つんのめりそうになった。
捕らわれていない村人たちは、兵たちをよけて民家の庭先に寄り集まり、立ちすくんでいた。
有翼の老若男女、合わせて三十人程度の集団だ。チャイカを含めた子どもたちも、何か大変なことが起きているようだと驚きながら突っ立っている。
「手荒なことしないでくれよ」
皆の気持ちを代表して、ゼムが大声を出した。
「誰も逃げる気なんかないんだ。抵抗もしてないだろ」
「言葉だけでも十分抵抗だ」
馬上の指揮官が言い捨てた。
「文句を言うと、おまえも抵抗と見なして連れていくぞ」
エセル姫がここまで声をたてなかったのは、多少なりともディーの忠告が耳に残っていたからだった。
だが、もう我慢したくない。馬から降りようともがきながら叫んだ。
「失礼なこと言わないで。その人たちの縄を解いて!」
ディーの手も借りない勢いですべり降りると、振り返った指揮官が目を輝かせた。
「姫様! ご無事で何よりです」
自分もあわてて馬から降り、カチャカチャと鎧を鳴らしながら駆け寄ってくる。
「このたびは、我が領民が大変なご迷惑をおかけしました。なんとお詫びを申し上げてよいやら」
「あなたは?」
「わたくしはドーミエ男爵ビゴーの嫡男、ファゴ・オレフです」
王城の領主会のおかげで、エセルはビゴー・オレフとは面識があった。婚儀の席にも招かれていたが、どこか農民的でやさしそうな人物だった気がする。
しかし、その嫡男と会うのはこれがはじめてだ。居丈高な雰囲気で、あいにく父親の人柄を受け継いではいないようだった。
「そう。ではファゴ殿、彼らの縄を解いてあげてください。逃げない人たちを縛る必要はないわ」
「いや、しかし罪人はあのようにする決まりが」
「罪人なんかじゃありません。決めつけないで」
縛られた四人がいる場所は、エセルとはかなり離れていたのだが、ちゃんと会話は聞こえていた。木こりのテグが喜んで声をあげる。
「ほら、お姫様がああ言ってる。縄をはずせよ」
「しゃべるな。言葉だけでも抵抗だと……」
ファゴが言いかけたとき、エセルの横に並んだディーが、やんわりした調子で口をはさんだ。
「はずしてもいいのではありませんか? 彼らは絶対逃げませんよ。裁判に出る気満々ですから」
姫の抗議を止めるつもりはない、あるいは止めても無駄だと思ったのだろう。もちろんオレフ家嫡男は、ステラ・フィデリスの下っ端の発言を一蹴した。
「第五座は無駄口を叩かなくていい。おまえは姫様を早くあちらにお連れするのだ」
あちらに、と言いながら彼が指差した方角には鳩小屋があったが、そのもっと向こうに馬車が停まっているのが見えた。天蓋つきの立派な馬車で、二頭立ての大きさだ。エセルシータ姫を迎えるために、わざわざ用意してきたらしい。
ということは、昨日、別の集落まで捜索をしに行ったときも馬車を伴っていたのだろう。ずいぶんご苦労なことだが、当然ながら姫君が感謝するわけはなかった。
「馬車があるのね。じゃあ、彼らをあれに乗せてちょうだい」
「は?」
「四人いっぺんに運ぶにはちょうどいいじゃないの。わたしはディーの馬で行きます」
ファゴは眉を寄せて、珍しいものを見るようにエセルを見下ろした。それから、このお姫様は相当に風変わりだと結論づけたらしく、苦笑いを浮かべながら言いきかせた。
「おたわむれを、姫様」
「たわむれ?」
「罪人なんぞを乗せたら馬車が穢れます。ましてや半魔。魔物の翼を持った者など、本当は口をきくのも汚らわしいところですよ」
「……」
エセルは言い返さなかった。あまりにも驚き過ぎて、言葉が出なかったのだ。
領地をあずかり、すべての領民を守る立場であるはずの次期領主が、こんな発言をするとは信じられなかった。
しかし、その点についてそこまで驚いたのは、姫君ひとりだけだった。ほかの人々はみな口がきけたため、一斉に「罪人扱いすんな」「半魔の何が悪いのさ」「あたしらは魔物なんかじゃないよ」などと叫びはじめる。
その中でひときわ大きく、頭領の怒った声が響いた。
「もう一度言ってみな。誰が汚らわしいだと?」
「ジンク!」
このときはじめて、ラキスが鋭く口をひらいた。
「ジンク、取り合わないでくれ。時間の無駄だ」
捕らわれ人の中で一番年下の若者は、頭領のかたわらで、いままで沈黙を通していた。だが年齢にかかわらず、こうした扱われ方にもっとも慣れているのは、まちがいなく彼だった。
コルカムにいたときもコレギウムで学んだときも、その後剣士として各地をまわっていたときも──こういう差別的発言をする者が必ずいて、いちいち親切な口出しをしてくれたのだ。おかげで、いまでは怒る気にもなれないほど耐性がついてしまっている。
なんとなく王城のカシム副長を思い出す口調だな……などと考える程度に、このときのラキスはまだ冷静だった。
ただ、ドーミエ男爵の息子が、このファゴのような人物だということは、かなり予想外だった。ここは寛大な土地だと思っていたし、その点では安心してしまっていたといえる。
そして、捜索隊の先頭に立っているのがこの男だということも、予想とはちがっていた。これはディーも同意見だったのだが、冷静なマリスタークの隊列が、姫を迎えに来るだろうと思っていたのだ。
ところが、あらわれた武装集団の先頭にいたのは、ドーミエの名誉を回復しようと意気込んでいるファゴだった。たしかに地元民のほうが土地勘があるので捜索しやすいのだろうが……嫡男がよほど情熱的に申し出たにちがいない。




