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 その後、ディーは口調をあらためて、そろそろ自分から質問してもいいだろうかとエセルにたずねた。

 彼女がうなずくと、彼はこれが本題だと思える内容について、ごく冷静な調子で話しはじめた。

「ラキスが大聖堂で告発とやらをしたことは聞いています。ドーミエの森で起きた殺人事件についても知っています。ただ、なぜラキスがコンラート卿を犯人だと決めつけたのか、その理由がわからない。姫様はご存じありませんか?」


 よく知っていたが、それを口に出していいのかどうか、一瞬エセルはためらった。マリスターク伯爵の配下である衛兵に、聞いたままの話を伝えていいのだろうか。

 自分はレントリアの第三王女、そしてコンラートはいまも──そう、いまも王女の結婚相手なのだ。本当なら、法廷でもないこんな場所で、彼の名を出すべきではないのかもしれない。


 だが、エセルは打ち明けたいと思う気持ちを止めることができなかった。コルカムでの生活をすべて知っている人に対して、かくすことなど何もない。むしろ、ラキスの考えをしっかり知っておいてもらいたかったのだ。

 ただ話すにあたっては、もちろんかなりの注意を払った。ラキスだけでなく彼女自身の考えも、こんなふうに織り混ぜた。

「当然だけど人違いに決まっているのよ。リドの上からちょっと見下ろしたくらいで、顔まで見分けられるはずないわ。見間違えたとしても、無理ないことだと思うの」


 あいにく、姫が力をこめて伝えた部分は、まったくといっていいほどディーの関心をひかなかった。それ以外の部分に気をとられたせいで、耳に入ってこなかったのかもしれない。

「見た? 現場を直接見たと、彼が言ったんですか?」

 コルカムの幼馴染は、話しているエセルをさえぎるようにして確認してきた。 

「ええ。でもきっと見間違い……」

「見たわけですね」

 眉宇をくもらせながら言うと、ディーは少しのあいだ口を閉ざした。それから、ため息をついて、たぶんひとり言だと思える言葉を呟いた。

「つくづくの悪い奴……」

「え?」

「それでそのあと、あいつ、ちゃんと食事してました?」

「食事? していたと……思うけれど……」


 あいまいになってしまったのは、急に話題が飛んだことに加えて、回答に自信が持てなかったためだ。

 ラキスは、インキュバスから解放されて王城に戻ったのち、しばらくは城内の一室で養生していた。が、その後は教練場の宿舎に移動したので、エセルと食事をともにする機会もなくなってしまったのだが……。


 でも待って、と、姫君は数時間前の記憶をさぐりながら考えた。

 彼が事件について語ったとき、たしかこう言っていなかっただろうか。マリスタークに書簡を届けた帰りにドーミエの森の上を飛んだ、そこで惨劇を目撃したのだと。

 書簡を届けたのは、教練場で教えはじめるよりも前だったはずだ。ちょうど季節の変わり目だったせいか、城内の一部で性質たちの悪い風邪がはやり、病欠の者も多かった。

 勇者様に伝令の役目がまわってきたのは、天馬で川を越えられるという利点とともに、人手不足だったという事情も大きい。


 だが、勇者様であっても風邪に勝てるものではないらしく、仕事を終えて城に戻ってきたとき、彼は木枯らしの中を飛び続けた人のように青ざめた顔をしていた。そして、天馬から降りたとたんにしゃがみこみ、押し出すようにこう言った。

「酔った……」

 庭先で彼を迎えたエセルは、めずらしいこともあるものだと驚いた。彼がリドに酔うなんて、考えてもみないことだったのだ。

 出て行くときは元気そうに見えたが、やはり流行りの風邪がうつっていたにちがいない。それに、もう少し養生して体力が回復してから仕事をはじめるべきだったのだろう。とにかく早く休ませてあげなければ。


 介抱するためにエセルが近づくと、ラキスはふらふらと立ち上がりながら顔を上げようとした。が、視線が彼女の下腹部あたりに来たところで、なぜか急に動きを止め、いきなりくるりと背中を向けてしまった。

 そして、すぐ後ろにたたずんでいた天馬の身体に、顔を伏せてもたれかかった。

 一足遅れて出てきた侍従や侍女たちが、勇者様に手際よく力を貸して、城の中に連れていってしまった。


 取り残されたエセルは、印象的なひとつの事実をかみしめた。彼が弱っているときに頼った相手が、自分ではなくリドだったという事実である。

 でも、これはあらためて驚くようなことではない。そもそもリドに勝てたと思ったことなんて、以前から一度もなかったような気がするのだし。いいのよ別に。聖獣と張り合おうなんて、考えるだけでも馬鹿みたいな話だもの。


「……馬鹿みたい、じゃなくて馬鹿なのよ」

 いきなりエセルがうめいたので、ディーが藍色の瞳を見開いた。

「何がです?」

「あれが……あのときが事件を見たあとだったんだわ。わたしってなんて鈍いのかしら」


 エセルシータ姫は前向きで明るい気性だったので、自己嫌悪に打ちのめされた経験など数えるほどしか持っていなかった。

 その最大のものが、天幕であとずさりしてしまったことであるのはまちがいないが、いま二番手であろうと思われる瞬間がやってきた。


「リドにやきもち焼いてる場合じゃなかったんだわ。もっとちゃんと訊いてあげればよかった。何かひどいことが起きたんじゃないのかって」

 それに……いまディーに問いかけられるまで、彼女は当時のラキスの気持ちにまったく思い至っていなかった。悲惨な現場を目撃した本人が、そのことでどれほど打撃を受けたのか、考えようともしなかった。

 信じがたい殺人事件のあらましを聞きとるだけで精一杯だったのだ。


 しかも聞きとりはしても、きちんと受け止めていたわけではない。というより、受け止めるのが嫌だったため、それについて考えることさえ保留にしていた。

 村人たちとの交流で忙しかったおかげで、保留するのはたやすかった。当のラキスの話し方があまりに淡々としていたせいで、感情を読みとる気にならなかったという理由もある。


「でも……わたし十分に知っていたはずなのよ。あの人が、苦しいことを顔に出すような人じゃないってこと。それなのに……」

 自分を責めはじめた姫君を、ディーはしばし無言でみつめていた。それから、ふと口をひらいた。

「姫様。ひとつ助言を差し上げてもいいでしょうか」

「いいわ」

「ラキスの言動でいちいち悩まれることはありませんよ。はっきり申し上げて、時間と労力の無駄遣いですから」

「無駄」

「はい。無駄です」

 

 エセルは思わずディーの顔を見直した。彼は真面目な顔つきでうなずくと、とまどっている姫君をさとすように話しかけた。

「戻ってきたときに奴が何も言わなかったのは、よほど言いたくなかったってことでしょう。口にするのもごめんだったか、姫様にはどうしても聞かせたくなかったか……まあ、その両方ですかね」

「……」

「一人でも耐えられると判断したってことでもありますね。それなら黙っていたのは彼自身の責任で、姫様が気に病まれる必要はありません」


 そうかもしれないが……でも彼の場合、その判断基準があやしいのだ。エセルがさらに言い募ろうとすると、幼馴染の若者はふたたび彼女に問いかけた。

「ではうかがいますが、彼が具合を悪くしたあと姫様はどうなさったんですか? 無理やり起こして、討伐に行くよう指示を出したとか?」

「まさか、そんなことしないわ」


 エセルの記憶では、ラキスはそのまま自室で寝込んでしまい、翌日になっても食欲とはほど遠いようだった。

 そこでエセルは厨房と相談して、のどごしのいいスープやさっぱりした果物などを少量選び、彼の部屋に運んだ──天馬にはできないことをやってのけるために、みずから運んでみたりした。

 そのうちに彼が自力で起き出してきて、もう病人ではないことを示すように、軽い運動をしたり剣を振ったりしはじめた。寝ているより起きて動いているほうが、なぜか気持ちがよかったらしい。


 熱があるわけではなかったし、スープも拒否することなく口にしている。剣士には剣士の回復方法があるのだろう。

 そんなふうに思ったエセルは、とりあえず好きなようにさせながらも、さりげなく様子を確認していた。無理をして疲れすぎては逆効果だったからだ。

 幸い逆効果にはならず、三日後には、剣士様はいつも通りの食事をとるようになっていた──。


「すばらしい。完璧です」

 エセルの話を聞き終えたディーが、賛辞の言葉を述べた。

「そう……かしら?」

 エセルが自信のない反応をすると、ディーは彼女をのぞきこんだ。そして安心させるようににっこり笑った。

「もちろん。三日程度で回復できたのは姫様のおかげですよ」


 エセルたちは、それほど時間をとらずに腰をあげ、あとはジンクたちの集落に向かいながらの会話になった。

 西の空はわずかに淡い色を残しているが、東には星々の光が目立ちはじめ、木々の影はすでに真夜中のように暗い。

 二人乗りには無理な時刻だったため、エセルだけが馬上の人となり、ディーは徒歩で馬を引いていた。彼がぶらさげているランタンの灯が、田舎道の心強い案内役だった。


 ディーは正規の炎の使い手だったが、ギルド内での位はまだ第五座だという。彼に言わせると、下っ端だからたいして役に立たない身分だそうだ。

 使い手のギルドであるステラ・フィデリスについて、エセルはあまりよくは知らないのだが、一番下が第六座だという知識くらいは持っていた。これはコレギウムを卒業すると同時に授けられる位らしい。

 ラキスより二つ年上のディーは、いまから位をあげていこうという段階なのだろう。

 とはいえ、昇格に必死なわけではないらしく、マリスタークで護衛兵などをしていたのも、気ままに仕事を引き受けていた結果だという話だった。


 彼の腰には二本の剣が下げられていたが、なぜ二本なのかという理由は察しがついた。

 魔物狩りだけをしている剣士ならともかく、衛兵となると不審者にも対応しなければならない。人を斬れない魔法剣だけでは仕事にならないのだ。一見重そうに見えるが、魔法剣のほうは実はたいへん軽いから、見た目とは負担がちがう。


 鞍の上で揺られながら、エセルは彼とラキスの関係について感じたことを口に出してみた。

「あなたたち、兄弟みたいなものなのね」

 ディーにはそれが意外、あるいは心外だったらしく、少し驚いたように振り向いてエセルを見上げてきた。

「まさか」

 弟扱いしたことはないし、まして兄扱いされたことなど一度もないという。

「じゃあ、親友?」

「それもまさか。一番近い言い方は……腐れ縁、でしょうか」


 そんなものだろうか。数年とはいえ少年時代の多感な時期を共有していたのなら、もう少し別の言い方がある気がするけれど……。

 エセルは首をひねったが、男の人の場合、こういう件については女性ほど濃厚に感じないのかもしれない。

 どちらにしても、彼がラキスを評した言葉には、ともに暮らした人にしかわからないような説得力があった。


「あいつは昔から、幸せになりたいっていう感覚が足りないんですよね」

 近づいてくる集落の明かりをみつめながら、ディーが言った。

「楽になろうって気持ちがあまりない。剣の鍛錬なんかに励むより、そっちの感覚を鍛えるほうが、よほど重要じゃないかって思いますよ」

 鞍の上でエセルは大きくうなずいた。

 まったくもって同感だった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ディー、いよいよ本格的にラキスに関わってきましたね~! 色々なことがあったのに、彼のラキスへのブレない感情! ベタベタ家族愛よりもずっと安定した関係で、彼はなんだかんだ言って絶対にラキスに…
[良い点] うん。此処でディー君登場とは嬉しいですね。 今後の展開を思えばワクワクしますし、彼の行動がラキスの+になれば良いなとも思います。 コルカムで共に生活していた頃も、なんだかんだと言いながら、…
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