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 女王陛下は、特別な警護などはつけず、たくさんの貴族たちと同じように並んで典礼にのぞんでいた。

 絵姿などではない、正真正銘の女王様だ。背筋をまっすぐにのばし、さげた両手を軽く前で握りあわせて儀式をみつめている姿には、まるで自分自身が加護を待つ子の母であるかのような情愛がにじんでいた。


 女王は、レントリアの星冠せいかんであるあかしとして、銀の台座に青い宝玉をはめ込んだ王冠を頭上にいただいていた。王冠の内側では、ゆたかな金髪が高く結い上げられている。

 深い瑠璃色のドレスが石造りの床まで届き、正式な典礼にふさわしく肩口に縫いとめられたマントは、複雑な文様の織りこまれた銀灰色の生地だ。

 けれど、目をひくような装飾は王冠以外には何もなく、いまの装いは、ミリアが何度も見たことのある即位式の絵にくらべれば、かなりひかえめだった。


 婚礼に招かれた来賓の衣裳は、花嫁を祝うためだけのものであるべきだというのが聖魔法院の考え方であり、たとえ王族であっても例外ではないということなのだろう。 


 でも、だからこそなおさら──。

 まじまじと見るのは失礼だとあせりながらも、どうしても目が離せずにみとれつつ、ミリアはつくづく思い知るのだった。本当に美しいかたには、豪華な衣装や飾り物なんて何も必要ないんだわ。身につけているご本人が、宝石みたいに輝いていらっしゃるのだもの。


 その思いは、女王のとなりに立っているふたりの姫君に目を向けることでさらに強まった。

 エセル姫の姉であるリデルライナ姫とセレスティーナ姫は、妹の婚儀にあわせて、母とともに王城からマリスタークまで足をはこんでいた。


 ふたりとも、袖口が裾のように大きくひらいた振り袖を膝元まで引いていたが、このかたちは姫君のドレスとしてはめずらしいものではなく、特別にはなやかとまではいえない。

 それがことさら目をひいて見えるのは、ドレスをまとう人たち自身がもちあわせている輝きのせいだ。


 リデル姫の淡青色の袖口からは金茶の裏地がのぞき、セレナ姫のやや緑がかった青の袖には、薄紅があわせられている。微妙な色調や差し色の効果から、それぞれの個性が伝わってきた。


 こんなに美しいかたがたをきちんと描くことが、あたしにできるかしら? 参列をうらやましがる友人たちに、絵をあげると約束してしまったけど、やっぱり軽はずみだったかもしれない……。

 後悔しはじめていたミリアの耳に、ふいに司教の声が舞い戻ってきた。両親と妹の名前が呼ばれている。いけない、あたしったら加護の儀をそっちのけにして、女王陛下とお姫様に見入ってしまった。


「ダン・エイムとミナ・エイムの娘、モニーですね」

 女王を前にして緊張しているようだった司教の声は、いまはすっかりいつもの落ち着きを取り戻していた。ミリアの父が、司教とは逆に緊張がましたような顔つきで答えを返す。

「はい。まちがいございません」


 問いかけられているのは赤ん坊だったが、答えられるはずはないので、父か母が応じるしきたりになっているのだ。

 ミリアはあわてて姿勢を正し、小さなモニーの加護の瞬間をしっかり見届けなければいけないと、気をひきしめた。


 加護の儀とは、生まれてひと月目にあたる赤ん坊が、大気の加護をさずかるための大切な儀式なのだった。

 蒼穹そうきゅうからおりてきた加護の光を聖水盤でうけとめ、その聖水に赤ん坊の身体をひたす。するとその子は、少なくとも二年あまりは重大な病気にかかることなく、すこやかに育っていくことができる。


 レントリアに限らず、すべての国がはるかな昔からさずかり続けてきた、聖なる魔法。天からあたえられる、すばらしい恩寵だ。


 この恩寵は誰もがひとしく──もちろん無料で──たまわることができたので、人生ではじめて体験する聖堂での行事が、加護の儀であるというのは、ほとんど誰もに共通するところだった。


 ただ……たしかにすばらしい贈り物にはちがいないが、この恩寵が期間限定であることが、ミリアにはつくづく残念だった。もう少し気前よく期限をのばしてもらえないだろうか。だが、あいにく延長はありえないらしい。


 聖書、つまり聖なる魔法の書では、こんなふうに説明されている。

 いわく、生後ひと月までに亡くなる命はもともと天のものだから、素直に天にお返しする。二歳を過ぎた子どもは自力で生きる力をそなえているから、加護をもって守らずとも、大地の守護の力だけで十分にやっていけるはずである。

 星の神様は、人間たちにそれができることを、ちゃんと知っていらっしゃる──。


 生まれて今日がひと月目となるミリアの妹は、取りかこむ人々の注目の中、母の腕から聖水盤の横の台上に移されていた。いつもはうんざりするほど泣きまくっているのに、いまは安心したように手足を小さく動かして、ごきげんの様子だ。


 司教が赤ん坊に両手を添えると、くるまれていた亜麻布からそっと身体を抱き上げた。そして、生まれたままのはだかの姿を大切そうにみつめてから、声をあらためて式文をとなえはじめた。


「祝福されて生まれきたりし尊き命よ。一条の光と聖なる水によりて、そなたにさらなる恵みをあたえん。末永くこの地の上に、この星の上にあらんことを祈って──」


 司教が視線を上げるのにつられて、ミリアも思わず上を仰ぎ見た。

 大聖堂の身廊から内陣にかけて並んでいる、彫刻のついた白い支柱。支柱と支柱をつなぐ石造りのアーチと、その上に美しくつらなる二段目の小さなアーチ。

 視線はさらに上へ、はるかに高く暗い大天井へとのぼったが、天井そのものまではいかず、少し手前の場所で止まった。


 影に沈んだ壁の一部に、正方形の木板が留めつけられているのが見える。加護の窓、と呼びならわされている、とても小さな窓だ。

 かなり高い場所であるにもかかわらず、窓の真下までせまい歩廊が続いていて、そこには二人の助祭が、窓をはさむ位置をとって立っていた。


 彼らが窓をひらく役目であることを、下で見守っている人々はみな知っていた。戸板は両開きの扉であり、司教の声をうけて開けられることになっているのだ。

 そしていま、司教の声が下方から助祭たちのほうに向けて、おごそかに響いた。

「光あれ」


 二人の助祭の腕が同時に動く。両側から戸板をひらくと、さえぎられていた陽光が、細い光の束となってたちまち流れ込んできた。

 光はほの暗い大空間をつらぬき、床近くの聖水盤まで達すると、たたえられていた水のおもてに当たってはじけた。


 水面が恵みの光に満たされ輝いた。その輝きをのがさず、司教の手が赤ん坊の身体を聖水にひたして、すぐにまた引き上げる。

 盤上にかかげられた小さな身体が、光に濡れてきらめく様子を、ミリアは息を呑んでみつめていた。


 この光景を見るのはこれで何度目になるかしら? いつ見ても本当にすばらしい。これを見ていると、この地上が慈愛で守られていることが……そして、この世界がふしぎな魔法に満ちていることが、よくわかる……。


 加護の儀は、聖堂に出入りするすべての人に対して公開されているものだったので、開祭する時間を知ってさえいれば誰でも自由に見ることができる。

 ミリアは聖堂の近くに住んでいたので、典礼を気軽に見に行くことのできる一人だったのだ。


 本当にふしぎなもので、聖水盤も赤ん坊の濡れた身体も、まぶしいほど輝いているのはほんの一瞬だった。小さな小さな右足の裏に豆粒ほどの印を残して、光は大気に吸い込まれていくように、まぶしさを消していく。


 ふつうの明るさに戻った水面の横で、モニーはていねいに水をふきとられ、真新しいおしめと産着をあたえられて満足そうだった。

 ほっとした顔の両親が、なでたり頬ずりしたりして、彼らにできるかたちの祝福を赤ん坊に追加した。


 ミリアはあらためて周囲に目をやり、取り囲んでいる貴族たちがみなやさしく笑っていることを知って、うれしくなった。

 中でも、女王陛下がミリアのほうに目を向けて、心からお祝いをするように微笑したときは、加護の光がおりてきたときと同じくらい胸を打たれた。

 そしてにわかに、このあとに引き続く儀式を思い出し、いま体験したばかりの感動が早くも遠のいてしまうくらいのときめきを覚えた。

  

 司教の声が、天に感謝する式文をささげて、加護の儀を締めくくろうとしている。加護をたまわったばかりの妹が、いまから婚礼の誓いの証人となる……いよいよなのだ。


 ふいに、いくえにも重なりあった楽器の音色が、空気をふるわせるように美しく響きはじめた。北側に設けられた楽廊で、楽師が奏ではじめたパイプオルガンの音だ。

 今日の佳き日を祝う、おごそかでありながら晴れやかな旋律が、婚姻の儀がはじまることを集まっている人々に告げていた。



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