1(加護の儀)
──こうして星の神様は、天にまします我らの父たち、また我らの母たちの切なる願いをお聞きとどけくださいました。
そして、もちろんそれは、星の神様ご自身の願いでもあったのです──
典礼用の黒いローブに身を包んだ司教が、敬虔な面持ちで立つ一組の男女と向かい合い、聖書の一節をおだやかに読み聞かせていた。
男女は、街で仕立て屋をいとなんでいる生真面目な夫婦だった。妻の腕の中には、生まれてちょうどひと月めを迎えた赤ん坊が、大事そうに抱かれている。司教はいま、この赤ん坊のために、加護の儀を開祭しているところなのだった。
司教と夫婦の間には、赤ん坊の身体がちょうどひたるくらいの大きさを持つ聖水盤があり、そこには清らかな水がたたえられていた。大理石を椀のかたちに彫り上げて、支柱と細い三本の足でささえた聖水盤は、ここマリスターク大聖堂だけでなく、国内のどこの聖堂でも、どんなに小さな礼拝堂でも、祭壇とならぶ要の聖遺物となっている。
──父たち、そして母たちの深き慈愛と絶えざる思いは、神様がお許しになられたとおり、蒼穹に満ちる大気となって地上を包んだのでした。大地の守護と大気の加護を、皆さんが同時にさずかることができるのは、こうした理由があってのことなのです──
聖水盤から少し距離をおいた周囲を、大勢の正装をした貴族たちが取りかこみ、おごそかな表情をうかべながら儀式を見守っている。司教の静かな声は、たたずむ彼らの胸にしみいり、神秘的な響きをともないながら、広い身廊のはしばしまでもしみとおっていくようだった。
でも──と、大人たちと同じように神妙な態度をたもとうと努力しながら、ミリアは考えずにはいられなかった。さすがの司教様も、今日はふだんよりちょっと緊張なさっているわよね?
だって、いつもよりも少しだけ……ほんの少しだけ、お顔が赤いように見えるもの。声だって本当にわずかだけど、ときどきうわずる気がするし。
もちろん、どんなにえらい司教様だって、今日という日にいつもどおりでいられるはずがないわよね……。
きっちり編んだおさげ髪をワンピースの胸にたらしたミリアは、いま聖水盤の前にいる夫婦の長女であり、抱かれている赤ん坊の姉でもあった。
加護の儀は家族みんなを招いておこなわれるので、ミリアも最前列の場所をあけてもらって儀式を見守っている。
しかも、ミリアの役目はそれだけではない。加護の儀に引き続いて開祭される婚姻の儀にも、赤ん坊の姉という理由で立ち会うことを許されているのだ。
婚姻の儀……その言葉を思い浮かべるだけで、九歳のミリアの胸は、あこがれと期待でいっぱいになった。
そう。今日は、ここマリスタークだけでなく、王国レントリアにとっても記念すべき喜びの日となるはずだ。
マリスタークの次期伯爵コンラート様と、レントリア王室の第三王女エセルシータ様。おふたりのご婚礼が、この大聖堂でついにとりおこなわれるのだから。
婚礼が決まったという話が町中にまで伝わったのは、ほんの二週間ほど前のことだった。だから、ついに、などという言葉はあまりふさわしくないのだが、参列するのを夜も眠れないほど楽しみにしていたミリアは、もう一年も、この日を待ったような気分だった。
あたしみたいなしがない仕立て屋の娘が、お姫様の結婚式に立ち合わせていただけるなんて……。こんな幸運が舞い込んだのは、ひとえに、九年ぶりの出産してくれた母と、元気に生まれてくれた妹のモリーのおかげだ。
レントリアでは伝統的に、加護の儀をうけた赤ん坊が、婚礼にあたっての証人となるという習わしがあった。
儀式を終えたばかりの赤ん坊は、星の神様にもっとも近い存在とされているので、これから神の御前で愛を誓う男女の証人としても、一番ふさわしい。そんな考えから、婚礼と加護の儀を組み合わせる形式は、典礼のひとつとして広く定着している。
そういうわけで、コンラート様とエセルシータ様のご婚礼に際しても証人が必要なのだが、マリスターク大聖堂の近くで生まれた乳児の中で、日取りが該当するのはなんとモリーだけだった。
身分の高低をちっとも気にしないなんて、レントリアって本当にすてきな国だわ。
王族や聖魔法院の寛大さに感謝しながら待っている日々の間に、ミリアは新郎新婦の姿を何度も想像してみようとした。
絵姿で見知っているエセル姫の若葉色のドレスを、真っ白なものに変えてみることで、想像だけは簡単にできる。九歳にしては絵心があると評判のミリアは、自分の想像力に自信があったし、実際にそれを画布にうつしてみたりもした。
ただ残念なことに、儀式に立ち会っているいま、ミリアの自信ははるか遠くまで吹き飛ばされて、かけらも見えなくなってしまっている。このまま一生、自信が戻ってきてくれないのではないかと、心配になるくらいだ。なぜなら……。
ミリアの視線は司教から離れていき、聖水盤をはさんだ向こう側の位置にいる人物まで吸い寄せられたところで、ぴたりと止まった。
視線の先に立っているのは、アデライーダ女王だった。




