5:山茶花――憧憬
兵器が眠っているとされていた西方の遺跡へと向かう壱號と山茶花。
ようやくたどり着いた遺跡に、兵器の痕跡は何もなく肩を落とす壱號だったが、山茶花はそれを知っていた様子。
やや張り詰めた空気の流れる中、ふたりの前に異様な大きさのクリーチャーが現れ――!!
世界がゆらゆらと揺れていた。
そっと首を持ち上げると、短くて黒い髪が頬を撫でる感覚。
黒い髪の持ち主は首を少し捻ってこちらを見ると、へらりと笑った。
「お、起きたか山茶花!」
「さざんか」
「そうだよ、山茶花。お前の名前だ! 俺の一番好きな花の名前だ!」
「……はなのなまえ?」
「そうだ、お前は綺麗だからな! 俺が一番綺麗だと思う名前をつけた! 今度字も教えてやるからな」
ゆらゆら、ゆらゆら、世界が揺れる。
リオウの背中の上で、私が揺れる。
さらさらと、白くて長い私の髪も揺れる。
「リオウの髪はみじかくていいね」
「山茶花の長い髪も綺麗だと思うがなぁ」
「……やだ。真っ白で、おかしいでしょう? 本当は私、おばあちゃんなのかな」
「んー、そんなに嫌なら切ってやるよ! お前は短くても似合いそうだしな」
「本当?」
「おう! 俺があと十才若かったら惚れてたな! ハハハッ!」
リオウの背中の上は気持ちがいい。
ずっとこうしていて欲しい。
「お前はマナの消費が激しいんだなぁ。だからそーやってすぐにぶっ倒れるんだなぁ。記憶まで飛ぶのはよく分からんが」
「うん、ごめんなさい」
「気にすんな! 今度お前に魔力抑制機を作ってやるよ。皮製でロックなカッコイイやつな! それつけてりゃ、こんな事はそうそう起きないさ」
「ありがとう、リオウはいい人だね」
「ははっ、お前の父ちゃんだからな! またニホンの話してやるからな」
「……うん」
ゆらゆら、ゆらゆら、世界が揺れる。
今、私を揺らしているのは誰?
眼を開くと、黒いバンダナと赤い髪が見えた。
顎をのせていたのは肩の上。素肌同士が触れ合って、くすぐったい。
「……壱號?」
「……気がついたか、山茶花」
壱號は私を背負って森の中を歩いていた。
森の中は比較的安全だ。大型のクリーチャーは入ってこれないから。
でも、今はいつなんだろう?
「私……どのくらい寝てた?」
「三日ってところだ。もうすぐ西方都市につく。心配ない」
「三日!?」
慌てて壱號の背中から飛び降りようとした。しかし、彼の腕がそれを許さない。
壱號の身体はすこしバランスを崩しただけで、構うことなくずんずんと歩を進める。
仕方がないので背負われたまま話を続ける事にした。
「三日、歩き通しなの? 私背負って?」
「問題ない。お前は軽いし、俺は一週間眠らず走り回った事もある」
「……はは、そりゃすごい」
体力オバケめ。本当に何をしてここまで生きてきたんだか。
そういえば、彼は何故タンクトップ姿なんだろう。
ずっとつけてたあの武器は?
「壱號、あんた武器は……?」
私が尋ねると、壱號は小さく肩を揺らした。
その拍子に私の身体がずり落ちそうになったのを、慌てて担ぎ直す。
別に下ろしてくれて構わないのに。
「捨ててきた。あのままじゃ、お前を背負えない」
確かに、あの武器は鞘もなければ仕舞う場所もない。
脱ぎ捨ててくるしかなかったのだろう。
「だからクリーチャーの現れにくい森を歩いてたんだ……。疲れるだろうに」
「あの場にいたままだと、またあんな怪物が現れるかもしれんだろう」
「私捨てて逃げたほうが良かったでしょうに、合理的に考えて」
「出来るわけないだろう、そんな事」
仲間なんだから、と付け加えて、壱號は再び沈黙した。
彼のまだ新しい靴が草を踏む音が聞こえる。
歩みは止まらない。壱號の首筋に汗が浮いているのが見えた。
「……助けるつもりが助けられたねぇ……」
「いや、助かった。……お前の力は、なんなんだ? お前は賢者なのか?」
「そんないいもんじゃないよ私は」
当然の疑問だろう。
話してもいいだろうか。
……いいか。彼になら。
なんとなくそう思える。
それに、彼には知らせておかなくちゃいけない。
彼の探しものは、私らしいし。
「……私、術式研究所の第二施設で生まれたんだ。いや、造られた、だね。多分だけど、不良品で破棄されたんだと思う。燃費、異常に悪いからさ」
「……第二施設か」
「第三じゃなくてごめんね。でも、私が生まれた……っていうか、五年前に目が覚めた時に『あった』のは私だけだから、壱號の探してる兵器がどこにいったかは分からないんだ」
「……そうか」
「ごめんね、黙ってて」
「謝る事はないだろう。お前は何も悪くない」
壱號の声は平坦だ。どんな気持ちで話してるのかわからない。
もしかしたら、何も考えていないのかもしれない。
壱號の背中も広いな。リオウみたいだ。
リオウは話す時、もっと感情豊かだったけど。
「ねぇ、兵器を見つけて、どうするつもりだったの」
「……依頼人に引き渡すだけだ。俺は、その為に冒険者になった」
「あぁ……もしかして、黒の会?」
「知ってるのか」
黒の会は良くも悪くも有名だ。
金さえ支払えばなんでもやる闇ギルド。
冒険者ギルドにも似た側面はあるけれど、違う所は違法なことも請け負う事。
政府とも根深く関係していて、彼らが法的に裁かれることは決して無い。
その代わり、どんな依頼も断る事ができないし、必ず成功させる事がギルド員のルールだ。
失敗した人間には、酷い叱責が待っているという噂がある。死を持って償う事もあるだとか。
「長く冒険者やってるとね。……そっか。黒の会のエージェントなら、強いし体力もあるよねぇ」
「あぁ、だから心配するな」
「それで、私を依頼品として持っていくの?」
壱號の足がぴたりと止まった。
しかし、再び歩き出す。さっきまでと同じ歩調で、変わりなく。
「俺が受けた仕事は、第三施設から盗まれた兵器を奪い取る事だ。第二施設じゃない」
「黙ってたらわかんないんじゃないかなぁ……」
「お前の胸の焼き印でバレる」
「あー……そっかぁ……。そこまで考えなかったなぁ……」
森を抜けると、赤茶けた、崩れそうな壁が見えた。
西方都市だ。……帰ってきたんだ。
「とにかく、街に入って宿を取ろう。ゆっくり休め。お前のマナ、まだ全快してはいないだろう?」
「んん……それが、結構平気。三日も寝てたからかな? それにしたって、ここまで回復しないと思うんだけど」
「……お前の手持ちの魔力結晶を全部食わせたから、それが効いたんだろう」
「……そっか」
壱號の耳が、赤く染まっているのに気がついた。
それで、何が起きたのかは想像できたけど……言わないでおくことにした。
とにかく、お互い休息が必要なのは間違いないから。
宿屋についても、壱號は私を下ろしてはくれなかった。
もう平気なのに、と何度言っても聞いてくれなくて、結局ベッドまで運ばれてしまった。
シャワーを浴びたいとワガママを言い、どうにか自分の足で歩くことを許されたが、三日ぶりの地面に一瞬ふらりと身体が傾いだ。
「大丈夫か」
「大丈夫、大丈夫だから。それにシャワールームまでは介添えできないでしょ」
「それは、まぁ……」
「上がったらちゃんとベッドに横になるから」
脱衣所にタオルを置いて、手首のバングル……リオウから貰った魔力抑制機を外して服を脱ぎ、シャワールームに入るとコックをひねる。
流れ出るマナを最小限に控えるように務めながら、頭から熱いお湯をかぶり、手早く全身を石鹸で泡立てていく。
私の身体は変化しない。食事も取るし排泄もするが、女特有の月のものはないし、髪も切ったっきり伸びてこないし抜けもしない。
……けれど、涙はこぼれてくる。私を作った人は、どうしてこんな余分なものをつけたんだろう。
どういう意味かわからない涙がぼろぼろこぼれてくる。
リオウの夢を見たから? 壱號が優しかったから?
コックを再びひねり、お湯を止める。
タオルで雫を全て拭い、バングルとシャワーを浴びる前に売店で買ってきた新しいシャツと下着をつけて部屋へと戻る。
シャワールームを出て部屋を見るが、壱號がいない。
……どこにいったんだろう? と首をひねっていると、廊下の方からノックの音がした。
はい、と返事をすると、壱號の声が返ってくる。廊下に出ていたのか。
「服は着たか?」
「あ、ごめん。まだ」
「この宿には備え付けの寝間着があっただろう。早く着ろ」
「はーい、お母さん」
「……お母さん?」
私の軽口を真正面で受け止める壱號がおかしかった。フリーサイズの寝間着を羽織り、ドアを開ける。
壱號は私の冗談について真剣に考えていたのだろう。不思議そうな顔をして立っていた。
「壱號もお湯浴びておいでよ。きっと私より汚れてるんだから」
「あぁ、そうさせてもらう」
壱號がシャワールームに消えるのを見届け、私はベッドに横になった。
椅子にかけたコートから、音楽プレイヤーを引っ張りだす。
……少しくらいなら聞いてもいいかな?
しかし、やめておいた。
今、私の中に巡るマナには、壱號のものも混ざっている。
それを使うのはとても勿体無い気がした。
毛布を頭まで被り、目を閉じる。
身体を巡る壱號のマナを感じていると、音楽が無くても気持ちよく眠れるような気がした。