4:壱號――怪物
ささやかなやり取りだが、お互いに理解を深めてゆく壱號と山茶花。
目的地である遺跡にほど近いと、老魔術師の転移魔術でたどり着いた西方都市で、二人はクリーチャーに襲われる。
二人の初めての共闘が始まった。
そして……
「たのもーう」
山茶花は大声で壁に向かって声を掛ける。
崩れかけた石におざなりにつけられた木製の窓が、音を立てて開かれた。
顔を出したのはくたびれたような顔の中年の憲兵だ。
「何者だ!」
憲兵は偉そうに大声を出す。
しかし山茶花はそれを受け流すように倒したばかりのオオトカゲを槍で突きながら叫び返した。
「中央都市で冒険者やってるモンですけど、寄ってきたクリーチャー、退治したんで処理の方お願いできますかねー? あと、買い物したいんで街に入れてくださいなー!」
やがて、鉄でできた扉が開かれた。憲兵はクリーチャーを検め、フンと鼻を鳴らし、硬貨の詰まったらしい革袋を差し出した。
「……サラマンダー一体か。350G、報酬だ。受け取れ」
「どーも」
革袋の中身を確認し、山茶花はそれを俺の胸に押し当てる。
「じゃあコレは壱號の取り分って事で」
「いいのか?」
「いいのいいの。初討伐だしね。そのお金で靴でも買いな」
「靴?」
言われて、足元を見る。そういえば俺は裸足だ。
今まで外に出る事はあまりなかったし、暗殺の際に靴音が出るのを嫌って履く習慣がなかった。
「これから古ーい遺跡に行くんだよ? 何が落ちてるかわからないのに、裸足ってのはちょっとね」
「……なるほど」
「納得して頂けてよかった」
山茶花につれられ、西方都市の中心街を歩く。
うすく風に香るのは潮の匂いという奴だろうか。
西方都市は都市というよりも漁村といった方がしっくりくる街だった。
遠くに漁船が見え、街角では干された魚を売る中年の女の姿が見える。
「この街の市場は品揃えは良くないけど、食べ物は新鮮で美味しいよ。なにせ海が近いからね」
「魚か……。あまり食べたことはないな」
「中央都市じゃ川魚ばっかりだもんねぇ。川の魚もいいもんだけど、海の魚も美味しいよ。ただ難点は防衛が流れの冒険者頼みって事かなぁ。おかげで交易もうまくいかなくて、ご覧の有様って訳」
やがで見つけた衣服店で、俺は生まれて初めての靴を購入した。
丁寧に鞣した皮製の靴は足にしっとりと馴染む。
本当ならば靴の前に靴下というものを履くべきらしいが、それはどうにも気持ちが悪かったので断った。
「うん、いい靴が買えたんじゃない? 動きにくくない?」
「問題ない」
「保存食も買い込んだし、じゃあ行こうか」
「馬車は借りないのか?」
「私達が悠長に遺跡散策してる間にクリーチャーに襲われちゃ可哀想でしょ。徒歩徒歩。なぁに、ちんたら歩いても一週間くらいで着くって」
西方都市の南門をくぐり、俺達はまた荒野に出る。
海から吹く冷たい風が刺さるように肌に打ち付けられる。
そんな中、山茶花は地面を槍でがりがりと引っ掻き、なにかブツブツと詠唱しだした。
「風よ廻れ。光よ集え。清き風により悪しき物から我らを隠せ」
「……なんだ、その呪文は」
「クリーチャー避けの呪文だよ。まぁ気休めだけど、ないよりはマシってもんだ。さて、荷物は半分持ってよね」
約二週間分の保存食の詰まった鞄を手渡される。俺は一度拘束着を脱いでいたので、拘束着を着た後でそれを背負った。
山茶花の鞄には水筒や酒が詰まっている。酒は水がダメになった時と、怪我をした時の消毒にも使える万能の水なのだと笑っていた。
それを聞いて、新たな疑問が湧いてくる。俺が言えた口ではないのは承知の上で訪ねてみた。
「山茶花、お前は酒を飲んでもいい年齢なのか?」
「平気だよ、冒険者だし、五年前から飲んでるし」
「そんなに小さい頃からか」
俺でも飲みだしたのは十五を超えた頃からだった。
やはり冒険者というのは自由な人種らしい。
しかし、山茶花は呆れたようにため息をつき、俺に言った。
「……あのさ、壱號君。私これでも二十一なんだよ」
「……何?」
「……まぁ、若く見積もられてる気はしてたけどさ」
……十六くらいかと思っていた。まさか成人を過ぎていたとは。
思っていたことを悟られたのか、失礼な男だな。そう言って山茶花は頬をふくらませる。
その姿を見るとますます幼く見えるぞ、とは言わなかった。
山茶花のクリーチャー避けの呪文が効いたのか、それからクリーチャーに襲われることはなかった。
日が暮れた後は俺が使える数少ない魔術である灯火の呪文で地面を照らし、日付が変わる頃まで歩き続けた。
夜半を過ぎたら火を焚き、保存食を食べ、交代で見張りをしながら短い睡眠を取った。
「この休息量でマナは回復するのか?」
「そんなに使ってないから大丈夫。これでもマナの量は多い方でね。まぁ音楽が聞けないのは辛いけど」
そういえば、彼女は自身から微量にマナを放出させ、あの術式機械を使っているのだったか。
道すがら、彼女が音楽を聞くことはほとんどなかった。
そして、そんな旅を五日程続けた頃、ようやく地平線に建築物が見えてきた。
黒の会の根城よりも古めかしい、ところどころ鉄骨がはみ出した、四角い建物。
山茶花は錆付き壊れた鉄の扉を蹴飛ばして無理やり開けると、仁王立ちでそれを見上げた。
「ここが目的の場所だよ。術式研究所。第三施設はもう少し奥だね」
「……今にも崩れそうだな」
「これでも旧世界の遺跡の中じゃ比較的マシな方だよ……じゃ、いこっか」
灯火の魔法で照らしてもなお薄暗い廊下を歩く。
なるほど、今まで何人もの冒険者や盗掘者がやってきたのだろう。
遺跡は経年劣化も手伝って、あちらこちらと崩れていた。
元々何かの機械が繋がっていたのだろう、引きちぎれたロープ――コードというらしい――が寂しく伸びていた。
やがて、ひときわ広いフロアに辿り着いた。
砕けたガラス片が散らばり、大型の機械が転がっている。
兵器らしきものは、やはりそこにはありはしなかった。
「何もないな……」
「だから粗方発掘された後だって言ったじゃん。後残ってるのは、よっぽど高位の機工士じゃなきゃ手の追えない機械か、ゴミみたいな鉄くずか……」
「山茶花の機工術でどうにかできないのか?」
「ちょっと弄れば電力は通るかもしれないけど、ガーディアンの機工兵士が動き出すかもね」
山茶花は肩を竦め、曰くゴミみたいな鉄くずだという、すっかり壊れてしまっている機械のひとつに腰掛けた。
退屈そうにする彼女を尻目に、俺は周囲を注意深く散策する。
少しでもいい。兵器の痕跡と、盗掘した冒険者の情報がほしい。
「……書類でもなんでもいい、何か残っていないか……」
自然を口からこぼれていたらしい、俺の言葉を聞いて山茶花は首を傾げた。
「よっぽど興味があるんだねぇ。そんな兵器を手に入れてどうしようってのさ」
「………………それは、」
それは……なんと言えばいいんだろう?
俺は必死で言い訳を探す。
「……俺が興味があるのは、その兵器がどれほどの破壊力があるかという事だ」
「ふぅん……。この遺跡の解析書類なら、殆ど国防施設に持って行かれてるだろうけど……写し位なら冒険者ギルドに残ってるんじゃないの?」
「本当か?」
思わず山茶花に詰め寄る。山茶花は近い近いと言いながらも言葉を紡ぐ。
「まぁ、この施設となると閲覧権限は黒以上だし、持ち出しもできないから壱號には見られないけどね」
「……そうか……。機密書類……」
「それ目的で級を上げる冒険者も多いもんだよ?」
山茶花は慰めるかのように俺の肩を叩きながら笑う。
「山茶花は黒に上がったのはいつなんだ」
「二年くらい前かな。私も機密書類が見たくてね。まぁ、主にニホン国に関する本なんだけど」
「あぁ……なるほど」
「とりあえず壱號も仕事しながら次の選定会でも目指してみれば? アンタの腕があれば小さい仕事から始めても一年もあれば黒に登れるって」
「一年」
……それじゃ遅すぎる。
俺がボスから貰った期間は一ヶ月だ。
その時、部屋がぐらりと揺れた。
地震か? いや、違う。規則正しく響くこの地響きは、そんなものじゃない。
山茶花の顔に焦りの色が見えた。
ここは部屋のどん詰まり。逃げ場は一箇所。そして、そちらから何かはやってきている。
「……まずいな。長話しすぎたらしい」
「……クリーチャーか」
「それも大型だ。私が惹きつけておくから、壱號は逃げな」
「馬鹿言うな。女一人置いて逃げられるか」
「私は平気だから……って来た!」
部屋の入り口を派手に崩しながら、それは姿を見せた。
何本もの触手を持った、自分の何倍も巨大な異形の怪物だ。
全身を赤く染め、奇妙に蠢く姿は酷く不気味だった。
……こんなクリーチャーは今まで見たことがない。海から這い上がって来たのだろうか。
思わず意識を奪われかけたが、必死に我に返り武器を構える。
山茶花が詠唱に入るが、触手の一薙で吹き飛ばされた。
俺はどうにか受け身を取り、姿勢を正せたが山茶花は腹を強く打ち付けたらしい。
蹲ったまま動けない彼女の身体を、触手の一本が巻きつき、高く高く持ち上げた。
「山茶花!」
「痛ッいなァ……! この邪神モドキが!」
辛うじて自由だった左腕で槍を持ち直し、その薄紅色の触手に突き立てる。
しかし、その拘束は強まるばかりで解かれることはなかった。
山茶花は舌打ちをしながら再び詠唱を始める。
ギリギリと力は込められているらしく、その声は弱々しく息も絶え絶えだ。
「廻れ水よ、……廻れ土よ、光の渦よ、壁となりて……」
少しでも注意をこちらに向けられれば。
俺は刃を強く握り、怪物の触手の一本に斬りかかった。
ばっくりと肉が裂けるが、血が吹き出さない。
痛みを与えられているのかすら確証が持てず、俺は心の中で悪態をつく。
このバケモノめ……! どうやったら殺せるんだ、こんなもの!
「ダメ、壱號、無茶はするな! そいつは並のクリーチャーじゃないんだぞ!」
「くっ……! 山茶花を……離せ、怪物がッ……!」
俺はせめて触手の一本だけでも千切ってやろうと、裂け目に何度も刃を突き立てる。
クリーチャーはのたうちはするものの、叫び声ひとつ上げはしない。
「私は置いて行っていい、君は逃げろ!」
「女に死なれるのは……嫌だ!」
脳裏に、なにかが過った。
いつだったか、組織の中で俺と親しくしてくれた女がいた。
女は死んだ。俺の目の届かない場所で死んだ。俺は死体になった彼女を見つめる事しか出来なかった。
俺は泣くことも出来なかった。俺は人形だったから。
感情なんて、なかったから。
山茶花の言葉が、その女と重なる。
……もう、女に死なれるのは、女に庇われるのは、御免だ!
「……仕方のない奴だね、君は……!」
山茶花は左腕を持ち上げ、つけていたバングルに歯を立てた。
パチン、と軽い音を建てて、金具が外れる。
口を離すと、バングルは音も立てずに地面に落ちた。
それと同時に、凄まじい風の渦が部屋を満たした。
いや、これは風じゃない。マナの流動だ。
――山茶花を中心に、マナが凄まじい渦を巻いている。
山茶花はその真中で人差し指を立て、自身を縛る触手をやさしく撫でた。
一筋の線が走ったかと思ったら、次の瞬間には触手は地面に落ちていた。
地面に降り立った山茶花は、地面を這う触手を踏みつぶす。
あえなく霧散する触手と、いままでにない怯えのように、じりじりと後退を始めるクリーチャー。
「な……」
形勢はあっけなく逆転していた。
悍ましい怪物は恐れ慄き、少女のような姿の冒険者は人差し指を立てたまま、怪物ににじりよる。
辺りを渦巻くマナは、火気、水気、土気、風気を宿し、黒い闇と白い光を同時に纏う。
……俺は自分に問う。……怪物は、一体、どちらだ?
「理から外れた哀れな生き物は塵に戻んな」
山茶花はそうつぶやくと、立てた人差し指でくるりと円を描いた。
世界を構成するマナの全てが、クリーチャーに襲いかかったかと思うと、それは最初から何もなかったかのように姿を消していた。
これは、魔術じゃない。魔法だ。それにしたって、ありえない。
「え、詠唱なしで……」
俺が息を飲み込むのと同時に、山茶花がその場に崩れ落ちた。
俺は慌てて駆け寄るが、自分の両腕を見て歯噛みする。
自分の身体が傷つくのも厭わず、乱暴にベルトを解き拘束着を脱ぎ捨てると、彼女を抱き上げた。
「山茶花!」
山茶花の身体は冷えきっていた。マナの放出量が尋常じゃない。
通常、自然に発散されるマナで人は死ぬことはない。
しかし、この量で放出され続けたら……間違いなく、死ぬ。
魔術の素人である俺にでも、そのくらいの事は本能で理解できた。
「……拘束機……バングル……を……」
山茶花の口から溢れる声で、はっとして周囲を見渡す。
地面に落ちていたバングルを拾い上げ、彼女の左腕に巻きつける。
金具を止める音と同時に、マナの放出は通常レベルに落ち着いた。
しかし、山茶花の衰弱は著しい。
「これでいいのか? 他……他にできることは……」
山茶花の腰にぶら下がっていた布袋の中から魔力結晶を取り出す。
それを彼女の口に全て放り込んだが、全て一瞬で解けて消えてしまった。
山茶花の息はまだ荒い。まだ生命を維持する分に足りていないのだろう。
……どうすればいい。魔力結晶はもうない。
いや、魔力ならある。扱いようがない、持て余しているだけの俺の魔力だ。
身を屈め、女の唇に自らの唇を重ねる。
腹の奥から、彼女の口に向かって何かが移動していくのを感じる。
……生きろ、山茶花。
俺はお前に尋ねなくちゃいけない事が山ほどできた。