3:壱號――遺跡へ
突然協力を名乗り出たブラックタグを持つ白い少女、『山茶花』の導きで兵器の捜索を始められることになった壱號。
お互いの名前に共通する『ニホン国』と呼ばれる閉鎖された島国の存在にかすかなシンパシーを覚える二人だが、山茶花には『ニホン国』よりももっと興味のあることがあるようだった。山茶花が自ら作ったという遺物を改造された機械からは、壱號が知らない音楽が流れ出す。
手首の拘束を外し、首元のベルトを緩めるとゴトリという音と共に武器が地面に落ちた。
確かに、これから先はこの武器では色々とやりにくいかもしれない。
かといって俺はこの武器以外を使ったことはないのだが……。
ベッドに腰かけると、ギシリとスプリングが跳ね返る。
……冷静に考えてみると、柔らかいベッドで眠るというのは初めての経験だった。
アジトではソファに座れるのもベッドで眠れるのもボスただひとりだったから。
物心ついた時からずっと硬い地面と薄汚れた毛布が寝床だった俺には、この尻の下の柔らかな感覚に違和感しか覚えられない。
しかし軽く弾むのが妙に面白くて、二度、三度と座ったままで跳ねてみる。
……面白い。
その時、不意にドアノブの回る音が聞こえて、俺は慌てて姿勢を正した。
「シャワー空いたよー……って何してるの」
「いや、何でもない」
短い髪をわしわしとタオルで拭きながら、タンクトップと下着だけの姿の山茶花がシャワールームから帰ってきた。
手に持つのは炭酸水の満たされた瓶。一口それを飲み、向かいに置かれたベッドに腰掛けた。
「案外子供っぽい所あるんだねぇ。意外意外」
ニヤニヤと笑いながらタオルを椅子の背もたれに掛け、再び瓶に口をつける。どうやら見られていたらしい。
「それより、下に何か履いたらどうだ。……その、一応異性の前だぞ」
「あぁ、それもそうか」
言われて初めて気がついたようで、ベッドの端にあったズボンを引っ張りだし足を通す。
外していたバングルを手に取り、手早く取り付けると穴の空いた水晶球を握りしめる。
……あれは魔力結晶の抽出機だ。黒の会でも使っている奴がいたのを思い出す。
しばらく握りこんでいると飴玉のような薄桃色の石がふたつ、転がり出た。
「ふむ、今日はふたつか。ちょっとマナを使いすぎたかな」
自身の結晶を革袋に詰めながら山茶花は耳慣れない鼻歌を歌う。
これもロックという奴なのだろうか。
……そういえば、以前から疑問だった事がある。
「山茶花。人間のマナには限りがあると聞く。それが尽きたら、どうなるんだ?」
「気絶、最悪は死んじゃうね。だからその日余ったマナをこうやって結晶化させて非常用に持ち歩くんだよ」
「その抽出機に吸い尽くされるという事は?」
「ないない! あったらこうやって市場に出回ってないでしょ。まぁ私は人より基礎放出量が多いみたいであんまり貯蓄できないんだけどねぇ」
「そういうものなのか」
「そういうものなんです。寝る前のマナの結晶化は魔術師の嗜みよね。闇市で出てるのは出所不明で気味が悪くて買いたくないし。それよりシャワー浴びてくれば?」
クロゼットからタオルを一枚放り投げられ、慌てて受け取る。
山茶花はごろりと寝そべり、あの自作の術式機械――山茶花は音楽プレイヤーと呼んでいた。――を耳に掛け、ふんふんと鼻歌を歌いながら板状のコンピュータとやらを弄っている。
あの画面一杯に出てくる文字列を全て理解しているのだろうか?
俺は首をひねりながらシャワールームに向かった。
シャワーを浴び終わり部屋に戻ると、山茶花は音楽プレイヤーを耳に当てたままベッドに横になっていた。
「山茶花」
……声をかけてみるか、反応はない。
そっと側に近寄ると、穏やかな寝息が聞こえてきた。
いくら中央都市が温暖な場所とはいえ、このままじゃ風邪を引いてしまう。
俺は彼女の足元で丸まっている毛布を広げ、そっと掛けてやろうとした。
しかし、不意に山茶花の胸元に目が止まってしまった。
無防備に眠る女の服の隙間。決して豊かとは言えないが、確かに主張する膨らみの谷間。
生白いそこに、刺青のような物が刻まれているのに気がついた。いや、焼印だろうか?
あれは、数字? 1、0、……。
その時。
「……リオウ」
山茶花の口から零れ出た言葉に驚き、慌てて身を離す。
しかし、山茶花は軽く身動ぎをしたままで穏やかに寝息を立て続けていた。
なんだ、寝言か……。
特にやましい事を考えていた訳ではないが、額にうすく浮いた汗を拭い、改めて彼女に毛布をかけてやった。
妙なものが見えないよう、厳重に。
翌朝、山茶花は椅子で乾かしていたタオルを頭に巻きながら薄っぺらな古びたコートを羽織り、俺に尋ねた。
「そういえば壱號は遺跡に興味があるんだっけ? 何か目的があるの?」
「あぁ、ええと……」
ボスから言われていた遺跡の名前を思い出す。
確か……。
「術式研究所第三施設、という所だ」
「術式研究所? えらく近代の魔術研究施設だね」
「とてつもない兵器を作っていたという場所らしい。俺はその兵器に興味がある」
「ふぅん……。あそこは粗方発掘されつくしてるから、もう何も出てきやしないと思うけど……行ってみる?」
「付き合ってくれるのか?」
「新人の夢は叶えてあげなきゃね」
山茶花は壁に立てかけていた槍を手にすると、にぃっと笑った。
この女、変わり者だが、相当人がいいらしい。
「あれは西方都市の門から行ったほうが近いね。転移術師に頼んで飛ばしてもらおう」
山茶花は地図を広げながらうんうんと唸る。
指さしたのは中央都市から遥か西、海にほど近い場所。ここに術式研究所があるらしい。
確かにここから行ったら、馬車を飛ばしても二ヶ月はかかってしまいそうだ。
しかし、そこの最寄りの都市、西方都市からなら一週間程でたどり着けるだろう。
「山茶花は転移術は使えないのか?」
「アレ結構難しいんだよ。世界中の地理と座標を覚えてないといけないし、一度でもその場所を訪れてないと使えないし」
「……だから転移術師は老人が多いのか」
「そういう事。大昔にあっちこっち旅した冒険者が老後の副業でやってるんだね」
山茶花は機嫌よく槍を杖代わりにして歩きながら、俺を連れて転移術師の元へ向かう。
中央都市の中でも寂れたスラムに近い一角に、その家はあった。
扉を開けると乱雑に本が積まれた部屋の中央の魔法陣が敷かれている。
そのさらに奥に、濃紺のローブを纏った老人が座っていた。
……それにしても、魔術師の家というのは、どこもこう散らかっているものなのだろうか?
「爺さん、西方都市までひとっとび、頼むよ」
山茶花が金貨を一枚ちらつかせながら老人に言う。
老人は金貨を受け取ると無言で抱きかかえていた杖で地面に描かれた魔法陣をトントンと叩いた。
俺と山茶花は魔法陣の中心に立つ。
すると陣はぼんやりと発光し、足元から風が吹くような感覚がした。
老人が杖を振りながらなにやら詠唱を始めている。
「廻れ廻れ、風よ廻れ、空よ歪め、旅人を彼の地へ運べ」
目の前が滲むように歪んでいく。
思わず目を閉じると、次に感じたのは、とてつもない寒さ。
ゆっくり目を開くと、目の前に今にも崩れそうな壁がそびえ立っていた。
「相変わらず西方都市は寂れてるなぁ」
「……そうなのか」
「あれ、壱號初めて?」
「俺は中央都市から出たことはない」
「じゃあクリーチャーとも戦ったことないんだ」
一瞬、山茶花の目が何かを捉えたように輝いた。
俺の耳にも、それが届く。何かが地面を這いずる音。
「じゃあ、初戦闘になるね」
「あぁ」
「荷が重いようなら任せてくれていいんだよ」
「問題ない」
手の中の持ち手を強く握りこむ。目標は既に眼前にまで迫っていた。
後ろ足のない、巨大なトカゲのような生き物。
「サラマンダーか!」
山茶花が槍を構え、詠唱を始める。
しかし、サラマンダーの目的は俺らしい。大きく口を開け、こちらに飛びかかってきた。
「壱號!」
「問題ない。お前は詠唱を頼む」
身をかがめ、地面を強く蹴って走る。
飛びついてくるサラマンダーの股ぐらを潜る瞬間、右腕を大きく振りぬいた。
サラマンダーの腹から尾にかけて大きく亀裂が走り、生臭い血が飛び散った。
叫び声にもならない鳴き声を上げながら、サラマンダーはそれでもなお地面を這いずり、俺を食らおうとしている。
俺も踵を返し、今度は地面を蹴りあげその眉間を斬りつけた。
そのまま背中に飛びつき、二打、三打と刃を突き立てる。
「山茶花! 今だ!」
俺の声に山茶花は思い出したように詠唱を再開する。
「唸れ火炎よ、怨敵を焼き尽くせ!」
山茶花の持つ槍の穂先から火炎が迸る。
それを見届け、俺はサラマンダーから飛び退いた。
俺が地面に着地するのとほぼ同時に地を走る火炎がサラマンダーを焼きつくす。
不気味なオオトカゲが絶命の声を上げるまで、時間はそうかからなかった。
俺は刃についた血を払いながら、山茶花に歩み寄る。
「やぁ、壱號凄いじゃないか! 級で言えば銀は余裕で取れるよ」
「……そうなのか」
「うん、今度の選定会に出てみればいい。まぁ、武器はやっぱり考えた方がいいと思うけど」
これじゃハイタッチもできやしない。そう言って俺の手の甲を叩くと、山茶花は寂しそうに笑った。