10:壱號――救出
壱號と別れた山茶花は再びルージィと対峙する。
ルージィは自分を迎えに来たとおどけて見せ、山茶花も茶化してそれに応える。互いに牽制しあうが、山茶花に以前の諦めはない。
ただの人間としてルージィと戦うと決めた山茶花に迷いはなかった。
夕闇の裏路地で、小さな決闘が今始まろうとしている。
一方、壱號は山茶花の窮地を知り……!
「山茶花をどこにやった!」
俺は生まれて初めて、育ての親の胸ぐらを掴みあげている。
今まで、こんな事をしようなどと考えたこともなかった。
この人は父親で、自分の上司で、恩人だった。
変異種で気味が悪いからと捨てられていた生まれたばかりの俺を、ここまで育て上げてくれた。
教えてくれたのは最小限の知識と殺しの技術だけだったが、それでもここまで生かしてくれた恩人だ。
その人に、俺は何をしているんだ?
「落ち着け、壱號。お前がなにをそんなに怒ることがある?」
「山茶花は……山茶花は、俺の……!」
俺の、なんなのだろう?
たった二週間一緒に過ごしただけ。
一緒に野宿をして、食事を取って、隣のベッドで眠って。
……一緒に笑いあった。いや、笑っていたのは山茶花ばかりだったが、俺も笑っていたのだと思う。
俺に笑う事を、怒る事を、教えてくれたのは……山茶花だ。
大事な俺の、俺の……。
「ボス、何事ですか!」
「壱號、貴様何をしている!」
ボスの護衛達が部屋に踏み込んでくる。
俺は咄嗟にテーブルを踏み越え、ボスの胸ぐらを掴んだまま、左腰からジャマダハルを抜き取りボスの首にそれを突き付けた。
自分でもなにをしているのかわからない。こんな事をするのは良くないと理性では解っている。
なのに、身体は勝手に動いていた。
もうどうとでもなれだ。
「俺はこの男と話をしている。出て行け!」
叫びながらもボスの身体揺さぶる。これじゃ小物の悪役そのものだ。
ボスはくつくつと笑いながら、護衛達に手を振った。
「心配いらない。ただの親子喧嘩だ。お前たち、出て行け。これでは落ち着いて話せないだろう」
「し、しかし……」
「構わん。出てゆけ」
渋々といった様子で出て行く護衛達。俺は荒い息のまま、動くことが出来なかった。
ボスの手がぽん、と俺の手に触れる。
「壱號。お前の気持ちはよく分かった。だから、落ち着け。お前の欲しい情報はくれてやる」
「……何だと?」
「ただし、お前は黒の会から抜けてもらう。……『人間』は、うちには必要ないからな」
ジャマダハルを握った手から力が抜け、だらりと下がる。
……黒の会から、抜ける?
なら、俺はこれから、どこに行けばいい?
……どこに帰る場所がある?
「ボス、俺は」
「お前は、冒険者になってしまったんだな。一時でも自由を与えたことが間違いだったようだ」
ボスは笑いながら俺の肩を叩く。
「お前は黒の会を抜けた。黒の会では、お前の首に賞金がかかるだろう。追われる覚悟はあるか? それでも、お前の友人を助けたいと思うなら、教えてやるぞ。お前の欲しい情報を」
俺は自然と頷いていた。
俺がどうなろうと構わない。それでも山茶花には自由であってもらいたかった。
山茶花には自由が似合う。いつだったか、山茶花が熱弁していた言葉が蘇ってきた。
「壱號、ロックっていうのはね、自由を叫ぶ音楽なんだよ。それが政治であることもあるし、恋愛であることもある。人生そのものである事もある。でも、いつだってロックは自由な音楽なんだよ。何にも縛られちゃいけないんだ。そんなの、ロックじゃないからね!」
そう、山茶花はロックが好きだったから。ロックな女だったから。
あいつは誰よりも自由でなくてはいけない。
その自由を縛る何かがあるのなら……俺がぶっ殺してやる。俺には、殺す事しかできないから。
「ボス、教えてくれ。山茶花はどこに連れて行かれた?」
「北の貴族街で行われる闇オークションだ。変異種の動物や女や子供が売買される。兵器はその商品のひとつとして出品される事になっている」
「貴族街の闇オークション」
鸚鵡返しする俺に、ボスが小さく頷く。
「顔は隠していけよ。お前の顔は特徴的だ。いつもやるとおりに、やるなら痕跡ひとつ残さず、しっかりこなせ」
「……何故、そんな事まで?」
「黒の会の壱號が謀反を起こしたと思われたら、こちらにも泥がつく。それに、政府に目をつけられたらもう庇ってやれないぞ」
「……了解した」
俺は立ち上がり、窓に手をかける。
「壱號。気をつけろよ」
振り返ると、ボスは朗らかに笑っていた。
……まるで本当の父親のような顔で。
「ありがとう、親父」
窓の桟を蹴り、地面に降り立つ。そしてスラム街を突っ切り、一路貴族街へと走りだした。
道中、干されていたベッドシーツを拝借した。それを破って顔に巻きつけ、残りは身体にマントのように羽織る。
少々みっともないが、これで多少はごまかしが利くだろう。
貴族街の闇オークションの場所はあっという間に見つかった。
明らかに胡散臭い連中や、趣味の悪そうな貴族方が群がる一角があったから。
会場になっている小屋の裏手に周り、中を覗く。
檻のようなものがいくつか見えた。
中に入れられているのは、美しい女や、珍しい毛色の珍獣たち。山茶花の姿はない。
しかし、何者かがドアをあけて入ってきた。
こちらに気がつく様子はない。なにか麻袋のようなものを檻に放り込み、鍵をかける。その鍵を離れたフックに引っ掛け、何かを壁に立てかけて部屋を出て行った。
立てかけられた特徴的な形状の刃のついた槍をみて確信した。
あの麻袋の中身が、山茶花だ。
俺は窓を慎重に探る。防犯用の術式機械の類は見当たらない。
隔てているのはシリンダー状の鍵と硝子だけだ。
俺はジャマダハルを引き抜き、サッシの隙間に差し込むと軽く力を込めて引っ張った。
パキン、と鈍い音がして硝子が割れる。
……しばらく息を潜めるが、誰もやってくる様子はない。
砕けた硝子を引き抜き、錠前を開けると窓をあけて進入する。
「あっ……!」
進入した俺の姿を見て、女が声をあげそうになるのを人差し指を立てて静止する。
まず先にその女を逃がすことにした。掛けられた錠前を外し檻を開く。
女はペコペコと頭を下げ、窓から逃げ出した。
次は山茶花だ。檻を開け、音封じの呪符の貼られた麻袋を開くと、薄汚れたタオルに包まれた白い髪が覗いた。
「山茶花。……山茶花」
頬を何度か叩くと、白い睫毛がぴくりと動いた。よかった。息はある。
両手は拘束されているが、服も着替えさせられた様子はない。いつものあの薄汚れたコート、首吊りの紐、音楽プレイヤーもつけっぱなしだ。
しかし、目を覚ます様子はない。何か妙な薬を盛られたのかもしれない。
俺は山茶花の腕を縛る縄を切ると彼女をを担ぎ上げ、槍を手に持つ。……ふと、思いついたように獣達の入れられた檻も開放した。
そして通路に通じるドアを蹴破る。
そして俺は窓からそっと逃げ出した。
後は獣達が騒ぎを起こしてくれるだろう。俺はその隙にこの場を離れればいい。
走って、走って、東の果ての門が見えてきた頃、肩の上の山茶花が小さくうめき声を上げた。
「山茶花、気がついたか」
「あれ……壱號……? なんで……?」
顔や身体に巻きつけていたシーツを剥ぎ取り、山茶花の顔を覗きこむ。
山茶花は虚ろな目でこちらをぼんやりと見つめていた。
「黒の会を抜けてきた。だから、お前を助けに行けたんだ」
「だって……あのルージィって人が……」
山茶花はまだ意識が混濁しているのだろう。
言っている事が覚束ない。
けれど、そんなもの、あとでゆっくり話せばいい事だ。
「もう俺には関係ない。……俺は人間になったから、会にはいらないんだとボスに言われた」
「人間になった……?」
「山茶花が人間にしてくれたんだ。お前が俺に感情をくれた」
山茶花をそっと抱きしめる。しかし、俺には女を抱きしめる時の力の込め方がわからない。
山茶花は苦しいよ、と笑っていた。




