1:殺戮人形と白い女
彼らが根城にしていたのは、かつては自動車と呼ばれる巨大な機械を作っていた工場であった場所だった。
今では鉄くずがごろごろと転がり、壁を撫でれば砂のように粉塵が舞う。
人の命や物を奪うことで飯を食らう。それが闇ギルド、黒の会。
その最奥で毛布の塊がひとつ転がっていた。
「おい、壱號」
背の高い中年の男が、毛布の塊を蹴飛ばす。
毛布の塊は少し身動ぎ、気怠げに身体を持ち上げた。
「……なんだ」
「ボスがお呼びだ。お前に仕事があるんだとよ」
毛布から頭を出したのは、血で染めたように真っ赤な髪の坊主頭を覆うように光沢のある黒いバンダナを巻いた男だった。
年の頃は二十五前後。両頬に逆三角形の刺青を入れ、顔を横切るように一筋の傷跡が走っている。それは決して新しいものでは無かったが、無茶苦茶に縫合され、その跡も未だ生々しく残っていた。
切れ長の一重の奥の青い瞳は薄暗く、光を宿さず濁っている。
「殺しか」
「知らねえよ」
壱號と呼ばれた男はのそりと立ち上がり、傍らに置かれた『拘束着』に袖を通す。
拘束着の両手の先端には奇妙な形の刃物が取り付けられており、その服そのものが凶器であった。
首元のベルトを締め、刃物の持ち手を確かめるように数度握る。
「おい、殺戮人形の起動だぜ」
「今度は何人殺してくるのやら……真似できねぇよなぁ」
「妙な髪色の変異種の分際で黒の会トップクラスの殺人数。ボスのお気に入りなんだろ? そりゃあ重宝されるよなぁ」
同僚たちの噂話など耳に入らないように、壱號は背を向け、素足のままでボスの待つ部屋へと向かう。
表情のないその姿は、まさに人形そのものだった。
「来たか、壱號」
中肉中背の髭面の男が、スプリングの飛び出しそうなソファに腰掛けて待ち構えていた。
壱號は小さく会釈をする。
この髭面の男こそがこの組織のボスであり、壱號を育てた父親でもある。
壱號は扉を後ろ手で閉め、立ったままで男に問いかける。
「依頼はなんだ。殺しか」
「そう急くな。殺しではない」
「殺しではない?」
壱號の表情に一瞬怪訝の色が走る。
それじゃあ、何故自分が呼ばれたのだ。人を殺すしか能のない、この自分が。
ボスは腕を組んだままで壱號を見据え、言う。
「お前にはある兵器を奪い取ってもらいたい」
「盗みならもっと適した奴がいるんじゃないか?」
「あぁ、確かにそうなんだが、殺してでも奪いとってもらいたいとの事なんでな」
「殺してでも」
「そうだ。得意だろう?」
壱號が小さく頷くと、ボスは満足したように口元を綻ばす。
「しかしこの兵器、保管されていた場所は解っているんだが、ブツが消失していてな。何者かがすでに盗み出した後の可能性が高い」
「その盗みだした奴を探しだして、奪い取る」
「そういう事だ」
「それで、その兵器というのは?」
「あぁ、それなんだがな。どうやら旧世界に極秘に作られていた決戦兵器だそうだ。姿形は不明。ただ、恐ろしい程の破壊力を持ったモノだったらしい」
「……旧世界」
まだ魔術の存在が世界に大きく知られる前の時代。そんな時代に作られた兵器を今更欲しがる者がいるのか。
しかし、そんな事を自分が考えても仕方がない事だ。壱號は小さく頭を振る。
「旧世界のシロモノなら、盗みだしたのは冒険者である可能性が高い。そこで、お前には冒険者になってもらう」
ボスが手にしているのは、小さなドッグタグ型の冒険者の認定証。僅かにマナを投影すれば、そこには壱號の顔写真と名前、そして簡単なプロフィールが書かれている。
タグの色は白。新人の印だ。何度も仕事を繰り返し、名前が売れれば色が変わる。初めは銅、そして、銀、金、最終的には黒に。
そのくらいの事は壱號でも知っていた。
「……俺のような戸籍もなにもない人間が、冒険者に?」
「冒険者は自由を愛する奴らの事を言う。氏素性は問いはしないさ。必要なのは、その身ひとつ。やってこれるか?」
「……ボスの命令とあらば」
「素直な息子で助かるよ。期間は一ヶ月だ。しっかり頼むぞ」
ボスに見送られながら根城を出ると、まだ空は日が高く目がくらむようだった。
考えてみれば、彼が日中に動くことは稀である。とにかく、情報を入手しなくては。
壱號は高い壁を横目に街へと向かった。
やってきたのは冒険者が屯している宿屋だった。ここには冒険者への頼み事や懸賞金のかかった殺人鬼、クリーチャーの情報が集まってくる。
黒の会は貴族や憲兵団とつながりがあるのでターゲットにはなっていないが、殺した量ならきっと自分にも多額の懸賞金がかかっていたに違いない。
壱號が扉をくぐると何人かの冒険者らしき男たちの視線を一挙に受けた。素足に、見慣れぬ異国の武器を縫い付けた拘束具。派手に彩られたその顔に、何人かの冒険者は顔を顰めた。
しかし怯む事なくカウンターに向かう。
この宿の主人らしき中年の男に、尋ねた。
「……旧世界の遺跡に係る仕事はないか?」
宿の主人は壱號をじっと見つめると破顔した。
「何言ってやがる、ホワイトタグのヒヨッコが。お前みたいな新人に回せる仕事なんざ、下水掃除が関の山だ。上物の仕事を取りたかったら、もっとベテランの冒険者と組んでくるんだな!」
そうか、新人には大物の仕事は回ってこないのか。しかし、自分には遊んでいる余裕はない。
……情報さえ手に入ればいい。どうすればいいんだろうか……。
「じゃあ私が組んであげるよ」
気怠げな声に壱號が振り向くと、目に純白の女が飛び込んできた。
白。何が白い? いや、何もかもが白かった。
肌も、古びたタオルに包まれた短い髪も。青いフレームに灰色のガラスがはめ込まれたサングラスの向こうの大きな瞳は、金色。首にかけられた千切れた首吊り縄が不気味に揺れている。
自分も異形だと思っていたが、声の主も負けず劣らずの異形。彼女もまた変異種なのだろうか。
しかし、それと同時に美しいと思った。
思わず声を失っていると、女は壱號の肩に手を置き、店主にニヤリと笑いかける。
「私のタグは黒だ。文句ないでしょ、マスター?」
「あ、あぁ……そりゃあ無いが、相変わらず物好きだな、山茶花は」
「夢見る新人君を応援したいだけだよ、私は。じゃあ、これからは彼と私はペアって事で」
壱號はハッと我に返り、女の言葉を遮った。
「ま、待て。俺はお前と組むとは」
その声に白い女は不満気に唇を尖らせる。
「何ィ、私じゃお相手には不満? これでもベテランだよ? 確かにお兄さんよりは年下だろうけどさぁ」
「新人、この人はこれでも凄い人なんだぞ。この若さで『焔の道化師』なんて異名のあるブラッククラスなんてそうそういやしない。せめてブロンズになるまでは面倒見てもらえ。パーティを組めばお前さんでも上級依頼も受けられるぞ」
……確かに遊んでいる時間はない。ここは、利用させてもらうに越したことはないのかもしれない。
白い女はニヤニヤと笑っている。左耳には旧世界の遺物らしき機械がぶら下がっている。そこから微かに音が流れ出ていた。
「……わかった。よろしく頼む」
「うん、よろしく。私山茶花。アンタは?」
「俺は……壱號だ」
「変わった名前だね。まぁいいや」
差し伸べられた手を、壱號は握り返す事はできなかった。
彼の両手には刃物がついているから。
それを山茶花は面白げに笑って許した。
「扱いにくそうな武器だねぇ。もっと取り外しやすいのに変えたほうがいいよ?」
――これが、俺と山茶花の出会い。
そして、この瞬間に仕事が終わっていたなんて、この時の俺は思いもしていなかった。――