チョコレイトディスコ⑤
翌朝、俺が起きた時にはもうセナはいなかった。
どうやら先に学校へ行ってしまったらしい。昨日のことがあって、俺と顔を合わすのを避けているのかもしれない。
朝食の時に謝ろうと思っていたのだが、学校から帰ってからになりそうだ。
トーストを一枚かじりながら、俺は学校へ向かった。
ーーーーーー昨日、登校直後に学校を飛び出してしまい、何も連絡しなかったので先生はカンカンに怒っていた。
俺が保護者のいない家庭のせいなのかもしれないが、普通の生徒よりも厳しくされている気がした。いや、入学して二日目でもう学校をサボったのだから、先生の怒りもわからなくもない。
ただ、先生は俺がイジメられていることは知っているのだろうか?
黒板は見たのだろうか?
まあ今までの経験で言うと、先生がイジメに気づくのは結構時間がかかる。イジメの加害者もそこらへんは頭を使っているのだろう。
イジメの話は一切でなかった。
取り敢えず、登校して早々、生徒指導室でこっぴどく怒られたあとに教室に戻った。
昨日あんなことをされたにもかかわらず、今日の俺は冷静だった。セナの”助ける”と言う言葉に、少しだけ勇気をもらったのかもしれない。
教室に入った時、クラスメイト全員がオレの方へ注目し、ヒソヒソと言うやつもいた。しかしオレは、それを気にもしないと言った感じで席に着き、授業の準備を始めた。
俺に話しかけてくる奴は誰もいない。
みんな次のレクリエーションの標的になりたくないのだろう。
わかる。俺も逆の立場だったら、同じことをした。だから無理に話しかけてくれとは思わない。
イジメの言い出しっぺが飽きるまで、気長に待とうと思う。
時間はかかるが、俺が我慢していればいいだけの話だ。
我慢強さなら自信がある。
セナにも心配はかけたくない。
今日帰ったら、不自然なくらい元気な俺を見せて安心させてやろう。そう考えながら淡々と授業をこなし、一人で売店のパンを食べ、一日を過ごした。
結局、誰とも一言も話さないまま放課後になった。
俺は教室に誰もいなくなるまで読書し、話しかけてくる優しいクラスメイトがいないか確認して帰るつもりだった。
「薬師寺ってお前か?」
急に声をかけられた。
普通なら、本日初めての会話ができることを喜ぶべきなのだろう。しかし声をかけたのは、かなりガタイのいいスキンベッドの男だった。
身長が以上に高く、見るからに不良だった。俺は、身の危険を感じてすぐに立ち上がり、教室を出ようとしたが、待てよ、と言う言葉と同時に髪を掴まれた。
痛い、動けない。
「やっぱりお前か。俺は二年の近藤ってもんだ。お前と一緒のクラスに俺の後輩がいてよお、色々聞いてるぜ」
「は、離してください。俺はなにもしてません」
痛い、痛い、痛い、痛い
髪を引っ張る力がどんどん強くなる。
今日一日、イジメらしいイジメがなかったのはこのためか。
「お前、昨日学校サボったらしいな。一年のくせに調子のってんじゃねえのか?おら、来い。あんまりイキがってるとどうなるか教えてやんよ」
そう言って、近藤は俺の髪を引っ張って無理矢理歩かせた。俺は痛さに逆らえず、ただただ近藤の行く方向に歩くだけだった。
ーーーーーー近藤は、俺の髪を体育館裏まで引っ張り続けた。
とにかく痛い。
頭がどうにかなりそうだった。
近藤は、目的地に到着するや否や、じゃ始めようか、と言ってまず俺の腹を殴った。頭の痛みがなくなり、一瞬だけホッとしたのもつかの間、腹に衝撃が走る。
例えるなら、鉄球をすごい速さでぶつけられたような感じだ。
息ができないし痛くて立ち上がることすらできない。
テレビで格闘技を見ている時に、腹を殴られてダウンする選手を少しバカにしていたが、今ならその選手の気持ちがわかる。
とにかく痛いし、苦しい。
胃液が逆流しそうだ。
近藤は、あまりの苦しさに手をついて悶えている俺の顔を、学生靴で蹴り上げた。俺はその重い蹴りに顔から吹っ飛ばされ、後ろの地面に大の字になった。
少し頭がクラクラするし、口の中を切ったのか血の味がする。
「どうした?薬師寺よお。お前、弱すぎるだろ。さては高校デビューだな。元は根暗のキモい奴が調子のってイキがるからこういうことになんだよ。わかったか?」
そう言って、寝転がってダウンした俺をさらに蹴った。
「そう言えばお前、自己紹介でスベったらしいな。まさかその自己紹介が原因でイジメられるとは、お前もついてねーよな。俺も可哀想になってきたぜ。ははは」
近藤は、笑いながら俺の頭に足を置いて、グリグリと踏みつけ始めた。
「やめてーーっ!」
近藤の踏みつけが止まった。
聞いたことのある声だった。そう、セナだ。
しかしなんでここに?
「お兄ちゃんっ!自己紹介失敗だったの?成功したって言ってたのに!それに、イジメ?そんなこと昨日は話してくれなかったっ!」
セナは泣いていた。
そしてそのまま、走ってどこかへ行ってしまった。
近藤から殴られたり蹴られたりした痛みとは違う、なにか体の内側から切り裂かれたような痛みが走った。
俺は、突然のことに力が抜けた近藤の足を払いのけ、急いでセナを追いかけた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーー俺はひたすら目的地に向かい走った。セナがどこへ行ったのか見当がついていたからだ。
セナは、いつも嫌なことがあるとそこへ行き、落ち着いたら家へ帰ってくるのだ。しかし、今はそう簡単に落ち着くとは思えない。
もしかすると、ショックで病気の再発も考えられる。
とにかく一秒でも早く到着しなければ。
俺はさらにペースをあげた。
目的地、車通りの少ない道路に面した建物と建物の間に、セナは体育座りで顔を伏せうずくまっていた。
「......セナ。ごめんな。お兄ちゃんウソついてた」
セナは顔を伏せたまま、違うの、と言った。
「お兄ちゃんは、セナを傷つけないようにウソついたんでしょ」
「............うん」
「それよりも......セナのせいで............セナのせいでお兄ちゃんがイジメられたのが......悲しいのです」
「そんなことないよ。セナは悪くない」
「悪いよ!セナが......セナが自己紹介を考えなかったら、お兄ちゃんは今頃......全部、全部セナのせいなの!」
セナは顔を上げ、涙を流しながらそう言った。
俺はセナの頭に手を置いた。
「セナ、お前は悪くないよ。セナが考えてくれた自己紹介は俺もいいと思った。確かに、クラスのみんなには受け入れられなかったけど、俺はそれでも全然構わない。セナが考えてくれた自己紹介が一番だと思ってる。たとえイジメられても、バカにされてもだ」
「本当に?」
セナは涙を拭いて、不安そうに言った。
「ああ、セナには感謝してるんだぜ。あ!そうだ!」
俺はセナの頭に置いていた手をセナの前に出し、軽く拳を握って、中指を上げた。
「ピースだろ?」
セナは目に軽く涙を溜めたまま、うん、と笑顔になり、自分の手を俺の手と対象になるように拳を作り、中指を上げた。
ーーーーーー俺らは立ち上がり、改めてセナのお気に入りの場所を見回した。
「それにしても、セナはここの何がいいんだ?ただの汚い路地裏じゃないか」
俺は前々から思っていたことをセナにぶつけてみた。
「もう、ここをバカにしないでほしいのです!ここは、MC GANのラップに出てくる歌詞にそっくりなのです」
「なんだ、そうなのか。でも本物じゃないんだろ?似てるってだけで。落ち着く場所とは思えないけどな」
「本物じゃなくてもいいのです。ここにいると、MC GANの歌詞と同じ世界にいるみたいなのです。辛いことがあった時にここに来て歌詞を思いだすと、セナにはまだまだ知らない世界があるんだなあ、って思って悩んでることが小さく見えてくるんだよ」
「そ、そうか。まあ人それぞれだもんな」
「あー、やっぱりお兄ちゃんバカにしてるのです!」
セナは、もうっ、とソッポを向いて路地の奥の方へ行ってしまった。
「セナー、戻ってこいよ。謝るから!帰ろうぜ!」
建物と建物の間なので、そこまで距離があるわけではないが、奥の方へ行くとまた違う道路に出てしまう。帰り道がめんどくさくなるのは嫌なので、少し声を張って言った。
セナは俺の声に反応するように振り向き、無邪気に手を振っている。取りあえず、セナとのしがらみは解消できて本当に良かった。
ーーーーその時、こちらを向いているセナの後ろに、黒いマスクを被った男が立っていることに気づいた。
一瞬の出来事だった。
男は、セナの口をあらかじめ持っていた布で抑え、暴れるセナの体を抱えたまま、奥の道路に出て行った。
俺は目の前で何が起こったのか全くわからなくなり、フリーズした。
動き出すのにワンテンポ遅れてしまった。
俺が奥の道路に出た時にはもう、セナを乗せた黒いバンは出発しようとしていた。
激しくバンが動き、中でセナが暴れていることが予想できた。
俺は動き出すバンになんとか掴まろうとしたが、思ったよりも初速があり、しっかりとどこかに掴まることができなかった。俺は、バンから振り落とされ道路に突っ伏した。体に激痛が走った。
しかし、ナンバーだけはしっかりと記憶に刻みつけた。