Ice cube③
署へ着いた私は、裁判沙汰になりそうと聞いていた例の高校生の所へ向かった。
薬師寺クリス......
彼は薬物関連の事件に縁があるようだ。
この短期間に、よくもまあこんなに巻き込まれるものだ。
取調室の窓から中を覗く。
狭い空間に机だけがある部屋で、担当の警察官に彼は泣きそうな顔で事情を説明していた。
無理もないな。
家庭環境が良くないと聞いている。
裁判になれば、妹さんの面倒をみることは無理だろう。
私は、ガチャっとドアを開け中へ入った。
彼は目を見開いて驚いた表情で私を見ていた。
事情聴取をしている警察官に耳打ちする。
「この事件は、これから宗教団体関連の極秘事件として許可を取りにいく。よってここにいる高校生には事件のことを忘れるように言って、すぐに家へ帰してやれ」
「ですが青井さん、まだ許可を取っていないんじゃ......」
「大丈夫だ。絶対に許可はおりる。私が責任を持とう」
「それなら......」
私と警察官の内緒話に、薬師寺君は首をかしげていた。
しかし、警察官に「もう帰りなさい」と言われると、彼は一瞬ぽかんとしていたが、私の方を向き、なにか言いたげな表情をしていた。
私は彼に目線で合図を送る。
(妹さんのことを許してもらえるとは思はないが、私にできることはやったよ、薬師寺君)
彼もわかっているようだった。
私に軽く礼をして取調室を出て行った。
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「ヒエッ!違うんです!あの高校生を襲った時はあのアメを食べたばっかりで、正当な判断なんてできなかったんですよ!旦那!わかってくださいよぉ」
狭い取調室で、縦にも横にも大きい男が猫なで声で弁解している。
実に情けない。
「わかった。今から私が聞く事に答えてもらえれば、君を釈放しよう」
「本当ですかい!話の分かる刑事さんだなあ!何でも聞いてくださいよ。すぐにチンコロしますわ!」
この男は薬物関係で捕まった犯罪者の掟を知らないらしい。
売人の正体を喋ってしまったらお終いだ。
今までに何人もの薬物中毒者が、売人の情報と引き換えに釈放された。
しかしここで釈放されても、すぐに外で制裁を受けることになる。
制裁。
それは半殺しなどの生やさしい物ではないだろう。
売人の情報をリークして釈放された薬物中毒者は、大体三ヶ月以内に消えるのだ。
しかしだ。
今はこの男しか、あの宗教団体の情報源はない。
この男に『アメ』を売った売人のことを、喋るだけ喋ってもらったあとに、囮として活動してもらうのが一番の目的なのだ。
繁華街の裏道で起きた事件から一週間。
男が食べたと言うその『アメ』に含まれていた成分が解析された。
そのほとんどが『メタンフェタミン』と言われる成分によく似たもので、人を覚醒させる作用がある。
日本においてこの『メタンフェタミン』と言う成分は、戦前戦中に発売された『ヒロポン』と言う薬に含まれていたものであるが、その効能と依存性において法律で禁止されている。
主な効能は、疲労感を感じなくなり覚醒することだ。
薬物の効能が続く限り不眠不休で活動でき、食事をとらなくても問題ない。
投与した瞬間、ゾクっとする寒気に襲われるが、すぐになんとも言えない『無敵感』が身体中に広がるらしい。
体の隅々まで敏感になり、音楽や性行為が異常に良くなるそうだ。
しかし、それは薬物の副作用でしかない。
人は食べ物を食べ、睡眠を取らなければ生きていけない。
長い期間『メタンフェタミン』を摂取した者の体は、ボロボロになり最悪、死に至ることもあるという。
またこの薬物の怖い所は、身体依存は無いものの、非常に強い精神依存があることだ。
つまり、この大男のように『アメ』を食べて現実を忘れる事に依存してしまい、その負のループから抜け出せなくなってしまうのだ。
「それじゃあ、その『アメ』を売っていた売人の特徴を教えてくれないかね?」
多分だが、私には予想がついていた。
「へい。なんか若い女で、魔法使いみたいな黒いローブを着てました。顔はフードを被ってて見えなかったんですがあの口元から察するに、かなりの美人ですぜい!」
「ほう。そうか。一度見てみたいものだな」
私はイライラしていた。
まるで反省していないこの薬物中毒者は、なにか楽しいことでもあったかのように喋る。
常々、犯罪者はクズだ。
「旦那も一目見れば惚れますぜい!」
「で?」
「はい?」
「ほかに特徴はないのかと聞いているんだ」
「特徴ですかい?んー、あの女と会うときはいつも『アメ』を食べてましたからねー。記憶があんまりなくてー。あ!おっぱいは大きいですぜ!ローブの上からでも自己主張してましたんでい!」
「......はあ」
私は深いため息をついた。
この男に聞いたのが間違いかもしれない。
なぜ高校生を襲ったのかも、なぜあそこでその女が『アメ』を売っていたのかも、すべて記憶がないと言い続けるのだろう。
まあいい。
この男の仕事は釈放されてからが本番だ。
「そんなにため息をつかないでくださいよ刑事さん!一つだけ思い出した事があるんですわ!」
「なんのことだ?」
「俺が食べたのは、アメだけじゃないです!」
なんだと?
確かに、男の体から検出された成分は『メタンフェタミン』に似たものが多かったが、少量だけ違う成分も混ざっていた。
「何を食べたと言うんだ?」
「チョコレートですよ旦那!チ・ヨ・コ!」
「チョコレートだと?それも麻薬なのか?いや、それも黒いローブの女から買ったのか?」
チョコレート。
街では有名な薬物だ。
昔からあるが一向に足がつかない、幻のような存在になっている。
「ええ!かなりのキマリ方でしたぜ!なにせ、俺がぶっ倒れたぐらいですから!」
「そうなのか。で、黒いローブの女から買ったのか?どうなんだ!」
いいや、と言って大男はイスの背もたれにダランと背中をつけ、憎たらしい顔になってこう言った。
「あの高校生の男から貰いましたんで!」




