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この小さな箱庭の中で

約束の樹

作者: 猫柳

オラオルの樹、と呼ばれる大樹があった。


かつては集落の傍にあったものの、集落が滅びてからは、森に踏み入る狩人達ぐらいしか存在を知らない。ひっそりと、しかしひときわ強い存在感を放つその樹を、俺は親父に連れられてよく見に行ったものだった。


『この樹には、願いを叶えてくれる精霊が住んでいるんだそうだ。願いを叶え、この樹に誓った約束は必ず果たされる。昔は多くの人々がここを訪れ、この樹に願い事をしたらしい』


その樹の傍を通るたび、勇み足で森の中へ飛び込んでいこうとする猟犬達を引き止めて、親父は目を細めてその樹を見上げていたものだった。


人の願いを聞き入れてくれるという、御伽噺のような伝承。

本当に願いが叶うなんて、今は全く思ってもいないけれど。



 ◇◆◇◆◇



「エミール、うまく宿が取れたぜ」


ぽん、と右肩が叩かれ、俺は思考の海から顔を上げた。小さく首をひねって横を見れば、友人がクイッと親指で宿の方を指し示す。


「……あぁ、ありがとう。と、他の者は?」

「いくつかに別れて別の宿を取ってるよ。流石にこう小さい町だと大所帯をまとめて泊めてくれる宿はねーからな」

「……悪かったな、田舎に引っ張ってきてしまって」


俺がため息をつくと、友人――フレデリクは苦笑して歩き出した。数歩遅れて、俺は彼の背中を追う。


乾いた風に乗って漂う、野菜の甘みが溶け出した煮込み料理の匂い。これを嗅ぐと、あぁ、故郷に帰ってきたのだと思う。ここ数年この街はおろかこの国に立ち寄ることすらなかったのだから、余計に。

やや感傷に浸りながら馬を引いて日の暮れた街を進み、フレデリクが取ったらしい宿の馬小屋に愛馬を繋いで、重い荷物を引きずって部屋に入る。朝から駆け通しだった体は予想以上の疲労を溜め込んでいたようだ。荷物を寝台の脇に置くと、寝台に腰掛けて深い溜息をつく。


本当ならば、自分の為にも、部下の為にも、無理に依頼を受けず、一旦休養を挟んだほうが良いことは知っている。傭兵である自分達は所詮依頼で戦場を渡り歩いているだけであり、軍人とは違って依頼を受ける、受けないの選択権を持っているのだから。


「エミール、起きてるか?少し打ち合わせがしたい。ついでに夕食も取ろうぜ」

「……あぁ、今行く」


ぼうっと床を眺めていた俺に、扉越しに声がかかる。どうやらそう簡単に休めはしなそうだ。フレデリクの声に促され、俺は重い体を引きずり、再び階段を下りた。


宿の一階は酒場になっており、ちょうど夕食時であるために多くの人がごった返していた。食べ物の香りと酒精が混ざり合い、酒場独特の熱気の元となっていた。しかしここ数年内乱で荒廃しているこの国は、活気溢れる酒場であっても他国と比べてやや陰鬱な影がちらつく。この国の保護国たるリストール王国とは活気も豪華さも雲泥の差だ。俺達は酒場の端のほうの席を取り、いくつかの料理を注文した。しばらくすると別の宿に泊まっている仲間達が数人駆けつけ、俺達は小さなテーブルを囲んで広げた地図を覗き込むこととなった。


「現在革命軍と名乗る不届きな輩は、第一、第二防衛陣を突破し、破竹の勢いで進撃を続けているという。このままでは女王陛下の命が危ないだろう。俺達は南西にいる革命軍本体を迂回し、現在王城を狙っている先遣部隊の横面を叩く。女王陛下への援軍がリストール王国から派兵されたという話を聞いた。リストール軍がたどり着くまでいい。同志達よ、どうか力を貸してくれないか」


俺が改まった口調でそう言うと、仲間達から笑いが漏れた。皆疲労の色の濃い中、誰もが文句を言わず、俺の選択に賛同の意思を示す。


「返事なんて決まってるじゃないっすか、団長。今更何でそんなこと言い出すんですか。ヴェジアは俺達の祖国。訳の分からない貴族どもに、俺らの女王陛下を傷つけさせるわけにはゆきません。な?皆」

「あぁ。まったくだ!となると、一刻も早く進軍しなければいけませんな。少々危険ではありますが、この旧街道を遡ってみては?」

「いや、この道はあまりにも革命軍本体に近すぎる。斥候が居る可能性も高いだろう。途中で撃破され、たどり着けなければ元も子もない。やはりこちらの道を行くべきだ。そう思いませんか団長」

「そうだな、たどり着けなければ意味がない。やや遠回りになるがこちらにしよう。となれば、今日はもう解散だ。明日の朝は早い。これからもきつい行軍になるだろうから、しっかりと体を休めてほしいと宿で待機している仲間達にも伝えてくれ」


了解しました、と歯切れの良い返事が響く。それからは緊張した空気も薄れ、各々が運ばれてきた料理に手を伸ばし、胃袋を満たすことに専念した。


「そういや、エミール。お前、実家に顔を出さなくていいのか?この村で育ったんだろ?」


不意にそう言ったフレデリクに、俺は苦笑した。


「残念だが寄る暇はない。それにこの状況だ、親父のことだからどうせ志願兵にでも名を連ね、とっくに王都に居るに違いないさ。あの人も何だかんだで女王陛下を信奉する一人だからな」

「あー、なるほどね。さすが親子」


俺は返事をすることなく、皿の上に残された最後の肉片を口の中に放り込んだ。空腹の満たされた体は、次は休養を強く望んでいる。俺は仲間達にも早々に休むように、と釘を刺し、自分の部屋へ早々に引っ込んだ。


今度こそ休もうと寝台に身を投げると、倦怠感が緩やかに俺を眠りへと誘おうとする。そのまま身を委ねてしまおうとした俺の脳裏に、ちらり、と銀の光が揺れた。


「―――――ッ……」


反射的に半身を起こし、光の揺れた場所を睨む。すると何てことはない、カーテンを束ねていた飾り紐の銀の装飾が風に揺れただけのことだった。小さく息をついて、それから落胆している自分に自嘲する。何を期待していたのだろう、自分は。

ボサボサの赤茶の髪を掻き上げ、寝台の上に座り込んだまま目を閉じる。さっきまであんなにも眠かったのに、今も未だ疲労は体に残っているにもかかわらず、何故かそのまま眠る気にはなれなかった。


「オラオル……」


銀の髪をした、美しい乙女。彼女の名を呟いて、俺はゆっくりと立ち上がった。




◇◆◇◆◇




木々の隙間から満月の光が差し込む薄闇の森を、幼い頃の記憶をなぞるように進む。

老婆のように腰を曲げた木の右手を曲がり、猪の茂みを追いかけて。崖の大欠伸を通り過ぎたら、あとは直進だ。

開けた場所に出ると、眩いまでの月明かりが俺の目を焼いた。目をそばめつつ、俺はゆっくりと広場の中央にそびえる大樹に近づく。


「……ひさしぶり。帰ってきたぞ」


幹に手を当て、ポツリ、と呟く。返答はないし、それを期待しているわけでもない。彼女がここに居るわけが無いと言うことを、何よりもおれ自身が知っている。


ここでかつて、俺は精霊のごとく美しき少女と出会った。月光を縒り合わせた様な銀の髪、瑞々しい若葉のような新緑の瞳。無邪気で無垢な笑みを浮かべ、大樹の太い枝からこちらを見下ろしていた彼女。

彼女は、この大樹の精霊の名である、オラオルと名乗っていた。しかし彼女は素直で嘘の苦手な少女だったから、彼女が本当に精霊オラオルでないことは誰の目から見ても明らかだった。

彼女はいつもこの樹の傍にいた。あまり出歩くことを許されていなかった彼女の行動範囲の中で、ここが最も居心地が良いのだとかつて彼女は言っていた。幼い頃、俺は彼女の為に愛らしい容貌の犬達を連れて、彼女と遊びに来たものだった。彼女は犬が好きだったのだ。

彼女の本当の名前を呼んだことはない。彼女の本当の名前を知ったのは、彼女と会えない状況になってからだった。


けれど、もうすぐ会えるだろう。この樹に託された願いは必ず叶えられなければならない。その願いには精霊オラオルの加護が掛かっているのだから。


「オラオル、精霊オラオルよ……。どうか、俺が無事に彼女の元へと辿り着ける事を祈ってくれ。そうすれば、俺は彼女の願いを叶えられる。……たとえ何があっても、彼女を見捨てないと。彼女を助けるという誓いを、守ることができる」


その願いを呟いた彼女は、奇跡を望んで、そんな願掛けをしたのだろう。

けれど、待つだけで生まれる奇跡などない。俺が彼女の元に向かおうと決めない限り、彼女を救えるだけの力を手に入れようと望まない限り、彼女の願いは叶えられないことを、俺は理解していた。

彼女が姿を消してから、俺は信頼できる仲間と傭兵団を立ち上げた。あまり大きいとはいえないが、優れた戦士達の揃った精鋭団だ。すべては彼女を守る為、俺自身が掴み取った力。


「俺は必ず……願いを叶える。だからどうか待っていてくれ……メアリー陛下」





◇◆◇◆◇





どこかで、名前を呼ばれた気がした。


足を止め、背後を振り返る。しかし、シンと静まり返った回廊に、声の主らしき姿はない。


「どうなさいましたか、女王陛下」


隣の近衛が怪訝そうに顔を覗き込んできたので、私は再び前方に視線を向ける。


「……あなた方、今私の名前を呼びましたか?」

「いえ。陛下の御名前を呼ぶなどと、恐れ多い」

「そうですか……」


小さくため息をつくと、近衛たちはおずおずといった様子で「陛下、このような開けた場所に長居するのは危険です。早く移動しましょう」と私を促した。

随分と、私は疲れてきているのかもしれない。聞こえるはずのない彼の声を聞いたような気がしてしまったのは、きっとそのせい。

促されるままに、私は歩を進める。このように自分の意思で歩くことは、いったい後何日可能なのだろう。


つい数刻前、敵軍が最終防衛線へと押し寄せてきた。

現在は自分の仲間達の奮闘により押さえ込まれているが、それが破られるのも時間の問題だ。リストール王国からの援軍はまだ来ない。それ以外、援軍の心当たりもない。絶体絶命だ。

彼女が今、とるべき道は一つ。兵の反対を振り切り、私は今、前線へと向かっている。自ら戦うためではない。この首と引き換えに、最後まで私についてきてくれた仲間達の助命を請う為だ。もちろんそうしたら首と体の永遠のさよならか、もしくは冷たい牢屋での生き地獄の始まり。私の未来はない。


(結局、私の願いは叶えられることは無いのでしょうか……)


かつて共に森の中で駆け回った青年。心のどこかで、彼が駆けつけてくれることを、私はずっと待ちわびていた。けれど、そんな奇跡は起きない。私が森の中での隠遁生活を終え、王族の勝手な都合でこの城に呼び戻されてから、彼とは一度もあっていない。彼が私の本当の正体に気付いているかすら分からない。彼の前では、私はただの森の少女、オラオルだったから。


「女王陛下!大変です、女王陛下!」


不意に大きな声が聞こえ、私は思考の海から意識を引き戻した。遠くから伝令の兵がかけてくる。私はすっと青ざめた。


「何事ですか!まさか、何か悪い知らせが……」


血相を変えて走って来た兵は、私の青ざめた顔を見ると慌ててかぶりを振った。


「いいえ!それが、援軍です!つい先ほど、正体不明の傭兵団が革命軍の側面を急襲、革命軍は体制を崩し、一時後退いたしました!」

「傭兵団……?」


何者かは分からないものの、これは思わぬ幸運だ。ほっと胸を撫で下ろすと、伝令を運んできた兵が更に付け足す。


「それで……その傭兵団の団長が、女王陛下に会見を申し込んでおります」


その言葉に、控えていた兵の一人が顔をしかめた。


「陛下、敵の罠かもしれませぬ。味方と見せかけ、陛下の首を取ろうという目論見である可能性があります。その者は、ほかに何か言っていなかったのか」

「は、その……オラオルの約束を果たしにきたなどと……訳の分からぬことを申しております。どうなさいましょう、陛下。……女王陛下?」


オラオル、という言葉を聴いて、泣き出さなかった私を、褒め称えたかった。


胸を突く。喜びが、暖かいものが溢れてくる。


―――約束は、願いは、果たされた。


「会うわ……会います。その傭兵団の団長は、恐らく赤い髪の男でしょう?彼は味方よ。あぁ、精霊オラオルよ……!」


『エミール、お願いです。あなただけはわたしを見捨てないで』


幼い頃、まだ何の事情も知らない彼に無理やり結ばせてしまった約束。それを、彼は守ってくれた。

私は兵達を置き去りに走り出した。外聞を取り繕う余裕もない。ただ、彼の元へ。




『約束は、必ず果たされる』


誰かの優しい笑い声が、聞こえた。

本当はオラオルさん出すつもりだったけれど雰囲気壊しそうなのでやめました。

奇跡は精霊に頼ることなく、自らの手で掴み取るものです。

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