第1章 あの頃の少年少女たち ~その1~
1985年の夏は暑かった。
うだるような炎天下の中、少年少女たちもまた熱かった。
1983年に発売されたファイナリーコンピューター、通称『ファイコン』の全国大会が催されていたのだ。
使用ソフトはスターフォレストというシューティングゲーム。
こんな大きいイベントに俺、桜井遥斗が参加しないわけにはいかない。
まだ小学5年生の俺は参加を渋る友人たちを無視して、たった1人で最寄りの全国大会会場まで訪れた。
それでも電車を乗り継ぐ必要があったが。
学区のことなど、知ったこっちゃない。
全国各地を黄色い車両で巡り、何とか俺が行けそうな都市まで来てくれたのである。
文句など言ったら、罰が当たるというものだ。
受付が済み指定された場所へ向かうと、自分と同じ予選に挑む少年少女たちが1か所に集まっていた。
偉いもので、ロープをくぐり抜ける無法を行う者はいない。
「「「おお~っ!」」」
どこからともなく、どよめきの声が上がった。
名人と呼ばれている、少しぽっちゃりした体型の人物が姿を現したからである。
物凄く連射スピードが速く、
指でスイカを割った!
そんな映像があったりする。
まあ、もちろんネタなわけだが。
その見た目とは裏腹に名人は爆発的な子供たちの支持があり、圧倒的な人気を誇っていた。
「は、速い……」
名人のデモプレイを見て衝撃を受けた俺は、驚嘆の吐息を零してしまう。
スターフォレストの自機から発射される弾が、尋常ではない勢いだったのだ。
この当時はまだ連射機能という発想がなく、自らの手でボタンを連射せざるを得なかった。
丸いボタンのコントローラーなら問題無かったが、四角いゴムの仕様だとボタンが埋まってしまう悲劇が起きたりもする。
「すると、ここで」
プレイを一旦止め、名人は解説を始め出す。
「疲れてくると、ああやって休憩を取るんだよなあ」
俺のすぐ隣にいた、全く知り合いでも何でもない中学生と思しき少年が、したり顔で呟いた。
――そら確かに疲れるだろ!
そう思ったが俺は口を噤んだ。
小学生から見れば中学生というのは頭脳的に見ても、体格面でいっても異次元の存在である。
迂闊な事を言って揉めたりしたら、楽しみにしていたせっかくの大会が台無しだった。
そこで俺はどうしたかというと、
「なるほど……」
適当に相槌を打っておいた。
小学生なんて、そんなものだろう。
名人がデモプレイを終えると、いよいよ大会の予選が始まった。
緊張の面持ちで順番を待つ俺の目に意外な、いや、こんな所にいるのが場違いな少女の姿が目に入る。
それは女子の学級委員を務めている古式奈和だった。
ゲームばかりしている俺にも優しく接してくれる、稀有な同級生の女子だ。
アーモンドのような形をした瞳が印象的で、面倒見が良い女の子というのがクラスの古式評である。
俺がじっと見つめていると視線を察したのか、はたまた念が通じたのか古式がこちらに振り向く。
あっ!
と古式の口がそんな形をしたのがわかった。
そして、ぷいっと古式は顔を背けてしまう。
……意外と、俺は凹んだのだった。
だが、それは一時の事で俺は気を取り直し予選に集中した。
一番の懸念は黄色いジョイスティックのプレイを強要されることである。
残念ながら俺はレギュレーション規定の、黄色いジョイスティックを所有していない。
冷静に考えれば、それで勝てるはずがないのだが、このときの俺は何とかなると思い込んでいた。
そして予選における俺の番が、ついにやってくる。
始めて黄色いジョイスティックに触れ感動はしたものの、すぐにこりゃ駄目だと思った。
自機をまともに動かせないのだ。
「うわっ!」
自機が撃破されてしまい、両隣に予選を戦っている少年がいるにも関わらず、俺は無様にも呻き声を発してしまった。
――こんなはずでは!?
ろくにボーナスは獲れないわ自機はやられるわ、巻き返すこともなく、極めて短い予選の時間が、ただ過ぎていく。
「終わった……」
為す術なく俺の予選は、全国大会は終わりを告げた。
全国大会には魔物が住んでいる、ではなく何だ!
あのジョイスティックとやらは!
まともに操作できず、参加する前に既に破れていたのである。
係員の指示に従い、俺はがっくりとうなだれながら退場した。
そして次の予選が始まる。
古式が普段見せないような真剣な表情で、スターフォレストに挑んでいた。
せっかくなので、俺は観覧可能な場所で最後まで大会を見学していくことにした。
たった1人きりの、あとから見れば2人きりの思い出づくりである。
「げ!」
またしても俺は呻いてしまった。
古式が高得点を叩きだし、見事に予選を突破したからだ。
俺が慄いた様子で凝視していると古式がこちらを一瞥し、ふっと鼻で笑った、気がした。
「なん……、だと……?」
今のは明らかに俺に対しての、馬鹿にした嘲笑に違いない。
勉強でもルックスでも勝てず、得意分野であるはずのゲームでも負けてしまうのか!
いや勉強できないのは、俺が全然勉強しないだけなのだが。
しかし、ゲームで負けちゃ駄目だろう?
屈辱で俺の全身はプルプルと震えてしまった。
だが古式がゲームの大会に参加するとは、思いも寄らない出来事ではある。
同級生に対する人当たりも良く、教師たちにも信用を置かれていた。
だから学級委員などの役職を、俺に言わせれば押し付けられてしまうのだが、無難にこなしている。
そんな古式が大会の予選を突破してしまうくらいゲームの腕に秀でていたとは、普段の生活を見ている者ならば絶対に想像できないはずだ。
現に俺も我が目を疑っている。
だからこそ、古式に興味が湧いてしまった。
これも大会を最後まで見ていこうと決めた主な要因の1つだ。
予選が全て終了し、高得点順に呼び出され決勝が始まる。
俺の目は古式に釘付けだった。
もちろん勝ってもらいたかったからだ。
予選よりは長い時間設けられた決勝はスターフォレストの上手い下手もあるが、ただでさえ緊張する中で精神力が耐えられるかどうかの勝負でもある。
その点、古式なら大丈夫だろう。
なんせ学級委員だ。
俺とは違う。
ほどなくして決勝が始まり、誰もが固唾を飲んで見守る。
名人の合いの手が入るのが邪魔なくらいだった。
「がんばれ、古式」
実際はわずか5分だったはずだが、濃密で体感時間は非常に長く感じる。
いつの間にか、俺は右手の拳を握りしめていた。
終わってみればあっという間で、決勝の順位は決した。
古式は中ほどの順位で、大会的には特に騒がれるほどでもないまま終わりを迎える。
それでも古式が名人とがっちりと握手を交わしたときは、正直に俺は羨ましかった。
当時としては激レアな女性プレイヤーで、そういう意味では注目を浴びたが。
古式は可愛いし。
せめて俺も決勝まで残らないと駄目だなあ。
予選で終わってしまうと、殊に今回のようなケースでは不完全燃焼の感が拭えないのだ。
古式を見ていて、俺は痛感した。
「桜井君」
その古式が駅に向かおうとしていた俺の足を止める。
まさか声をかけられるとは思っておらず、
「ん?」
と肩ごしに振り返るので精一杯だった。
「桜井君も参加していたのね」
スターフォレストに挑んでいたときとは打って変わって、教室にいるような雰囲気で話しかけてくる。
俺はどきりとした。
「ああ。古式も参加していたとは思わなかったけどね」
「その事なんだけど……」
困ったような迷ったような表情で、古式は俺の顔を覗き込んだ。
それで俺は古式が何を言おうとしているのか、大体把握できた。
「わかってるって。誰にも言わないよ」
俺は口外しないと請け負う。
今でもそうだが当時は特に、ゲームばかりやっている子は、あまり親から良い顔をされなかった。
俺にはどうでも良いことだが、優等生な古式には大問題なのだろう。
それに世間体もある。
学級委員が1人で学区の外に出てゲームの大会に参加していた!
なんて知れたら、どうなるか?
子供は残酷である。
同級生から非難轟々で、罵倒を浴びせられるに違いない。
俺の友達が参加に二の足を踏んだのも、それが原因だった。
だから古式が気にするのは無理からぬことなのである。
むしろ古式だからこそ、余計に人目を気にするのだ。
「ありがとう」
満面の笑みで古式は礼の言葉を述べた。
そして次の瞬間、
「一緒に帰ろう!」
さっと俺の手を取る。
古式は俺と手をつないだまま歩き出した。