第5話 精霊(?)少年に説得される
響輝は専属侍女として、キルエラという女性を紹介された。目が覚めた時、部屋に入ってきた女性だった。
彼女に寝ていた部屋に案内され、「御用がありましたら、これを鳴らしてください」と渡されたベルは魔法具らしい。
どうやら、こちらの世界では魔術を〝魔法〟と呼んでいるようだ。
部屋はバス、トイレ付で、リビング、応接室、書斎、そして寝室があった。寝室以外の部屋も広く、調度品も派手ではないが落ち着いた雰囲気のあるものばかりだ。
響輝はリビングにある――一番広い部屋だ――ソファに寝転び、借りてきたこの世界の歴史書を開いた。
(あの陣で言葉が通じて、文字の読み書きも加護で与えられる……こっちは便利だな)
〝掟〟が書かれた紙を見た時、読めないはずの文字が理解できたのには驚いたが、〈魔成陣〉――姫巫女たちは魔法陣と呼んでいた――の構成に見たことがない部分があったので納得はできた。
記録によれば、〝ゲーム〟が開始されたのは二千年以上前。
二百二十二年の周期の理由は分からないが、まだ十回ほどしか開催されていなかった。
勝敗は半々。〝ゲーム〟を行うごとに交代して〝境界線〟を治めていたが、エカトールは前回、前々回と二連敗していた。
姫巫女たちの様子から見ると、あまり世界情勢は良くない気がする。
〝ゲーム〟の勝者は二百二十二年間、〝境界線〟の権利を得るが、独占しているわけでもない。
それぞれ大使館を置いて交易を行い、それによって敗者もその恩恵を得ている。
ただ、多少、勝者に有利に進められているのは仕方ないだろう。〝ゲーム〟の勝敗は次がどうなるか分からないので、それほど顕著ではないようだが。
そして、〝ゲーム〟結果――はては、世界同士の関係でさえ〝掟〟に決められている。
ただ、それは無理矢理、個々の感情を抑えているに過ぎない。押し込められた感情は、何処に噴出するのだろうか。
「……はぁ」
パラパラと半分ほどめくったところで、響輝は本を閉じて勢いよく身を起こした。
異世界に来てまで政治や世界情勢に関わるとは思わなかった。
響輝は苛立ち、リビングからテラスに出た。気分転換にと、数時間前と同じように屋根の上に跳び乗り――
「………」
そして、蒼い少年と目が合った。
(まさか、ずっと居たのか?)
じっと目を向けてくる少年を無視して、響輝はその場に寝転んだ。魔素が虹色に輝いて響輝を覆い、吹き付ける風を左右に流す。重力に従って落ちようとする体も支えられた。
目を閉じ、頭の後ろで腕を組んで一眠りしようとしたが、
―――じぃーっ、
と。頭に視線を感じた。
「………」
「………」
「………」
「………」
「………っ」
無言の圧力に負けて目を開ければ、逆さまになった少年が顔を覗き込んでいた。
「何か用か?」
少年が近づいてきたのは分かっていたので驚きはないが、それなりに角度のある屋根の上で平然と立っているのは魔法だろうか。
それにしては、少年から魔力が動いている気配を全く感じない。
「お兄ちゃんは、どうしてココにいるの?」
「……は?」
「どうして?」
こてん、と人形のように力なく首をかしげる。
「無理矢理だよ……」
響輝は素っ気無く返し、左に身体を傾けて目を閉じた。
「でも、帰れるよね?」
「……へぇ?」
確信した少年の声に、響輝は身を起こして少年を見上げた。
「どうして、そう思うんだ?」
「帰る気満々だった」
「地下のやり取りを知っているのか……」
こくん、と少年は頷く。
「……ふぅん?」
片眉を上げ、少年の周りに目を向けた。
(魔素は……水属性か?)
響輝が知る魔素の色は、黄金だけだった。あちらの世界では、こちらの世界で見るほど多彩な色はしていない。
少年に集まる魔素は水色――感覚的に、おそらくは水属性だと思う。
ただ、どこか違和感があるのが引っかかるが。
「成り行きで、帰るのが先延ばしになっただけだ」
「どうして?」
「さぁなぁ………しいて言うなら、姉貴たちのせいかな」
七つと五つ年上の二人の姉。幼い頃から身体に刻まれた理不尽とトラウマによって、「女性には紳士的に」が精神に叩き込まれた。
(あれは師匠並み……いや、師匠の弟子を続けていられたのは、姉貴たちのせいか)
姉二人に慣れていたので、非常識の塊である師匠の弟子でもいられたのだろう。
ふと、ある苦い記憶が蘇ってくる。
小学校に通っていた頃、同じクラスの女子を泣かせた時だ。それを下の姉に知られ、「女の敵め!」と問答無用で複数の魔術をくらい、ボロボロになるまで叩きのめされて謝りに行った。
そこまでは良かったのだ。
そのことを知った一部の女子から「姉に言いつける」と脅され、ヘコヘコと命令に従ってしまったことがいけなかった。
どこで知ったのか、下の姉が部屋に駆け込んできて「それでも男か!」とまた魔術の餌食に。
その後、姉は問題の女子の家に――自分でボロボロにした――響輝を連れて、殴りこんだ。
クラスメイトをパシリに扱う娘の映像と、響輝の姿を見た両親は顔を青くして――。
そこから、響輝の記憶はない。姉のしごきで気を失い、気がつくと家のベッドで寝ていた。
彼女の家で何があったのかは分からないが、お菓子の詰め合わせを食べてホクホク顔の姉二人と苦い顔をした両親の顔が強く印象に残っている。
三日ぶりに学校に行くと、その子に泣きながら謝れられた時は姉の鉄槌を思い出して生きた心地がしせず、半泣きになりながらその子を宥めた。
それからクラスメイトの女子たちに避けられることになり、上の姉に何があったのか事情を聞いた。
話によると、響輝が倒れたことで相手の両親が仰天して救急車を呼ばれかけたが、追いかけてきた上の姉と両親が何とかその場は治め、次の日、その子は両親につれられて謝りに来たのだという。
下の姉はこってりと絞られたようだが、表面上は懲りているようには見えなかった。
ただ、後々考えてみると両親や姉達の師匠が高名な魔術師なので、名を利用した可能性もあった。
そのことに気づいた時ほど、姉が怖いと思ったことはなかった。
上の姉に「どうすればよかったんだ?」と尋ねれば、三時間以上の説教コースへ。
その話をまとめると「女性には紳士的に。ただし、相手を考えよう」らしい。意味が分からない。
(よく、女嫌いにならないな……)
さすがに、あの姫巫女が魔法陣のある部屋で見せた表情には困った。
困惑、嫉妬、悲しみ、絶望など、色々な感情が混ざり合い、碧眼から涙がこぼれて倒れた時には、その身体を支えていた。
さらさらと流れる銀色の髪が魔術の光で虹色に輝き、涙で潤んだ碧眼が響輝を茫然と見つめていた。
華奢で予想していたよりも軽い身体に日の下に出ていないであろう白い肌、桜色の唇は悲しみで震えていて、柄にもなく、どきり、としてしまった。
見ず知らずの美少女を泣かせてしまい、反射的に「話を聞こう」と言ってしまったのは後の祭り。
本来、響輝は紳士とは真逆のタイプだ。男女平等。魔術師を極めてからは、その性格から嬉しくない二つ名までもらった。
その性根を無視して反射的に頷いたのは、姉たちの教育の賜物だろう。
本能が「地獄コース」だと叫んでいた。全くもって、嬉しくない。
例え、姉たちが知る可能性がないにしても、姉二人の女の勘ほど恐ろしいモノはない。
「少年は〝ゲーム〟の〝勇者〟は知っているよな?」
こくん、と少年は頷いた。
「なら、今回の教導院の〝勇者〟のことは?」
小さな手を挙げて、真っ直ぐに響輝を指す少年。
「いや、まだ決まってないからな」
その手をやんわりと下ろそうとして、
「どうして、しないの?」
響輝は手を止めた。
少年は淡々と尋ねてくる。
「お兄ちゃん、帰りたいの?」
「……そうだな。いなくなったら困る程度には必要だろうな」
そもそも、出かける直前だったのだ。三日経った今では、大騒ぎどころではないだろう。
善意も悪意も等しく受ける身ではあるが、居なければバランスは崩れてしまう。
(〈眼〉があるから、死んでないとは分かっていると思うが……)
早く帰ることに越したことはない。こちらの世界に一年も束縛されると、一人欠けたあちらの世界はどうなっているのだろう。
「でも、それほど誤差なく送り返せるよ?」
「……みたいだな」
何で知っているんだ、と少年にじと目を向ける。本当に精霊か何かだろうか。
あの魔法陣の構成を見たところ、誤差は出るが多少の時間指定は可能のようだった。
これで引き受けない理由の三つのうち、一つは解消された。
「じゃあ、次は……正直、面倒だ。俺の生きてきた世界でもないから思い入れもねぇし、ちょっと政治関係がきな臭い」
一年余りでサヨナラする世界のために――報奨があるとはいえ――戦うことが面倒だった。
(叩き潰すだけなら、面白そうなんだけどなぁー……)
冷めた目で異世界を見る響輝に少年は淡々と口を開く。
「でも、異世界だよ?」
「はぁ?」
「異世界だよ、ココ」
「………つまり、俺にとって未知の世界ってことか?」
少年は大きく頷いた。
「いっぱい、知らないことがあるよ」
その言葉に響輝は目を丸くした。
〝ゲーム〟へ参加すること――〝勇者〟になることは、こちらの世界の今後に大きな影響を与えるという責任も負わなければならない。
まだ、召喚されて数日。目が覚めて数時間の中、それを二つ返事で頷くことは出来なかった。
だが、それを除けば――。
(確かに世界には興味があるな……)
特に、魔術に関して。
こちらの世界で魔法と呼ぶ技術、魔素の色の疑問、魔法陣の構成。
どれもあちらの世界にはないものだ。興味がない――わけがない。
〈眼〉を持つ者としては、貪欲にその知識を貪りたかった。
わずかに目の色を変え、にやり、と響輝は嗤った。
「未知なぁー。それは保留だな。………さて、最後は〝ゲーム〟に勝利した場合だ」
叶う願いは一つ。
ありきたりすぎるが、強制的に召喚されて利用した後は問答無用で帰還させることを考えると、それぐらいのモノがなければ手を貸す理由がないだろう。
善意で力を貸す者もいるかもしれないが、それが召喚した者すべてに当てはまると思うほど、響輝は生ぬるい世界で生きてはいない。
(……だが、〝勇者〟か?)
魔術以外に興味が薄い響輝でも、悪友の影響で少しずつ知識はあった。
救世主として、存在意義が決まっている〝勇者〟――他の五カ国なら、その通りだろう。
だが、帰還することが前提である教導院の〝勇者〟は異世界人であり、己の願いのために〝勇者〟となったのならば、意味合いが違ってくる。
それでも、姫巫女たちは〝勇者〟と呼んでいた。
そのことを頭の片隅で疑問に思いつつ、
「最後は願い事だが――」
富は一人で生きていくには十分あり、数人に増えたところで問題はない。
名声もいい意味でも悪い意味でも、そこそこある。
力には満足していないが、妥協点だろう。いきなり力を与えられても、さらに暇になってしまうので、じっくりと自分で鍛えていきたかった。
恋人はいないが、今のところ必要を感じない。
(しいて言うなら、相手になる奴が同類と【魔人】合わせて二十人もいないってことか……)
だが、暴れようとすれば、国際問題や環境破壊などの問題が多々出てくるので、仲間たちの口がうるさかった。
例え、好敵手を願っても、響輝たちのように色々な枷で雁字搦めになることは目に見えている。
「……特にないな」
相手には魔王がいるのだ。負ける可能性もあるだろう。魔術が効かなかったら響輝の手札はかなり限られてくる。
(こっちの魔王のレベルも分からねぇし可能性は………いや、魔王は参加できなかったか)
〝掟〟に「統治者は参加出来ない」と定められていたのは、強大な力のせいなのか。
王が無理なら、その子ども――王子や王女は参加するかもしれない。
「本当に?」
「ああ……」
「本当にないの?」
じっと見つめてくる少年。その碧眼を見返し、
(……っ?)
何故か、レティシアナと名乗った少女のことを思い出した。
召喚された部屋で再び会った時、彼女の瞳に浮かんだ感情。
期待と不安、そして――。
(……そういえば、久しぶりだったな)
恐れを抱かれなかったのは、久しぶりだった。彼女の後ろに控えていた護衛や他の者たちからは感じたが、レティシアナからは一切感じなかった。
響輝は少年から視線を外し、異世界に目を向けた。
未知の世界を――。
「………まぁ、いっか」
暇つぶしには、なるだろう。
目の前に広がる自由に、響輝はオモチャを与えられた子どものように笑った。