第24話 夜の食堂にて
クキたちは依頼を終えた後も〝森〟を散策し、日が暮れる前に〝第一障壁〟――〝森〟に近い〝障壁〟――まで戻った。闇魔法の[影渡り]で一気に『アダナク』へ帰還することも出来るが、〝森〟に入った冒険者は全員〝第一障壁〟の門で確認されているからだ。
〝第一障壁〟の門で冒険者証の提示を済ませて通り抜けると、眼前には背の低い木々や岩山が散見する草原が広がった。二つの〝障壁〟の間は数クム(キロ)ほどあり、〝第一障壁〟が突破された場合の迎撃地帯だ。そのため、人は住んでいないが、ギルドに申請をすれば訓練場として利用できる。
門から少し離れた場所に簡易テントが張られ、〝森〟に向かう冒険者に対して店が開かれていた。日が暮れて『アダナク』まで戻る心配をしていないのは、〝第二障壁〟に宿泊施設――〝第一障壁〟には門番兼監視員の詰め所しかない――があるからだ。
辺りに人けがなくなったところで岩山の影で[影渡り]を使い、『アダナク』の外壁付近に移動した。城門で冒険者証を提示して、ギルドに向かう。
ギルドの中に入ると、依頼書が貼られた掲示板の前には多くの冒険者の姿があった。
(……何だ?)
クキは内心で小首をかしげつつ、受付の列に並んだ。程なくして淡い緑色の髪をした受付嬢の笑顔に迎えられる。
「お疲れ様です」
「依頼達成の確認をお願いします」
冒険者証と依頼品が入っている袋をカウンターに置いた。
「はい。少々お待ちください」
六つの袋をトレイにのせて席を外すこと数分。五分も経たないうちに彼女は戻ってきた。
(早っ?!)
査定の早さに驚いて、クキはカウンターの奥に目を凝らす。
ミッチェルはキルエラに報酬を渡し、エメラルドグリーンの瞳をクキに向けた。
「初めての依頼でしたが、いかがでしたか?」
「ん?」
唐突に問われて、クキはミッチェルに視線を戻す。
「……あーと、仲間の信用はガタ落ちですね」
「え?」
予想外の感想だったのか、パチパチと目を瞬くミッチェル。
「まだ怒っているのか?」
ギルの呆れた声に「ふんっ」と鼻を鳴らして答える。
「何か……?」
「たいしたことではないのですが……」
ミッチェルに問われ、キルエラは困ったようにクキとギルを見た。
「クキさん、初めて〝一角兎〟を狩ったので、毛皮のことで少し……」
簡潔な説明に「ああ」と納得したようにミッチェルは頷いた。
「常識だ」と言うギルを睨むと、キルエラとミッチェルは顔を見合わせて苦笑した。
「慣れるまで無茶はしないでくださいね。特にここ数日は魔物の出没が多くなってきていますから」
「そうなのですか?」
「はい。首都からの通達によりますと、北側の〝障壁〟に七等級以下の魔物が押し寄せているようで、今日の昼過ぎに緊急で討伐依頼が出されました」
「だから〝一角兎〟が早く見つかったのか…」
ギルの呟きにクキは掲示板の方へと視線を向けた。
(それで、こんな時間に……)
「原因の方は?」
キルエラの質問に「いえ、それはまだ」とミッチェルは首を横に振った。
「ただ、〝森〟の中心部から流れてきているよですね。現在、高位の冒険者に調査依頼を出していますので、すぐに原因は分かるかと思いますよ」
掲示板の依頼にさっと目を通して宿に戻ると、食堂にはちらほらと冒険者の姿があった。
(うわっ……もう飲んでるのか)
すでに出来上がっているテーブルを横目にクキたちはカウンターに向かった。
「ご苦労さん」
宿の主人にそれぞれに返事を返しながら、差し出された鍵を受け取った。
「すみません。一つ頼みたいことがあるんですけど」
クキは〝ディスタの鞄〟の中から〝一角兎〟の肉を入れた袋を取り出してカウンターに置いた。
「食材か?」
「〝一角兎〟の肉なんですけど、夕食にお願いできませんか?」
「かまわないが……何でまた?」
八等級魔物の肉にサルツは少しだけ眉をひそめた。
「冒険者として初討伐した魔物なんで記念に食べようかと。料理方法はお任せします」
「そういうことか。安くしてやるよ」
にやり、と笑うサルツに「ありがとうございます」とクキは礼を言った。
クキは狭いシャワー室で、魔術で作った温水に浸かり――洗濯も魔術で行い――さっぱりとしてから一階の食堂に向かった。まだ二人の姿はなかったので、隅の方にあるテーブルのイスに腰を下ろす。ウェイトレスの女性が注文を取りに来たので「二人が来たら頼むよ」と断ると、水だけ置いて離れていった。
すでに出来上がっている冒険者のテーブルへ視線を向け、
(……絡まれると面倒だな)
認識阻害と音声遮断の〈結界〉を張り、暇つぶしに腰のポーチから一冊の本を取り出した。
題名は〝無属性の可能性〟――クリラマに借りたものだ。
本にはブックカバーをかぶせているので、周りからはどんな本を読んでいるかは分からない。
(著者は三世代前の〝勇者〟か……)
少し黄ばんでいるページをめくる。最初は魔法の概要から属性について書かれていたので読み飛ばした。
無属性の魔法陣――著者が開発したもの――について読んでいると、
「食堂で読書か……」
呆れ顔のギルが現れた。
ギルはテーブルの上の辺りを見て眉をひそめ、イスに腰を下ろした。
「しかも、妙な結界が張ってあるな?」
「暇つぶしだよ。〈結界〉はアレに絡まれるのも面倒だからさ」
クキは本をポーチにしまい、視線で盛り上がっている一角を指した。
ギルはそちらに目を向けて「なるほどな」と呟き、
「だが、階段から降りてきた時は普通に見えていたぞ?」
「あのテーブル限定だ。他からは見える」
「……本当に万能だな」
クキの説明に感心したように呟くギル。
「………」
ギルに簡単に魔術のことを説明したのは、冒険者として活動するに当たって互いの情報を知らなければ背中が預けられないからだったが――
(何だかなぁー……)
何よりも魔界でギルと手合わせをした時に直感したことが原因だった。
直感に従って魔王城の一室で〈結界〉を張らせずに身体を休ませ、ギルから聞いている同行の理由が真意の全てではないと疑いながらも探ることはしていなかった。
(〝魔界を治める王の器〟ってヤツなのか?)
その〝器〟に呑まれたのか、それとも何百年と生きる者への畏敬か――。
己の直感に戸惑い、内心でため息をつくと、僅かな感情の揺れに気づいたのか「何だ?」とギルは片眉を上げてきた。
クキは誤魔化すようにじと目を向け、
「……万能ではないことは分かっているだろ」
魔界での会話やその時のクキの様子、〝使い魔〟を授けられたこと――そして、魔術の特性などを聞いた今なら、その弱点も分かっているだろう。
問いには答えず、にやり、と意味深に笑うギルにクキはため息をついた。
「今日の様子を見るに〝使い魔〟との同調訓練が必要だな」
「俺の魔力感知と方法が違うんだよ……」
出発前夜に貰ったため、〝使い魔〟との同調――ウルから情報をスムーズに得ること――の訓練は行っていなかった。
〝森〟に向かった理由の一つだったので、さっそく試してみたが、クキとウルの魔力感知の方法が違う上に、クキの方法がウルの能力との相性が悪かったため、精度はかなり低くなってしまった。
「あの調子なら、明日も〝一角兎〟を狩るか?」
「いや、魔物が多く出没するのなら、色々と試した方が身になるんじゃないか?」
ギルドで確認した依頼書から明日に受ける依頼について話していると、「すみません。遅くなりました」とキルエラが現れた。
彼女が来たところで、ウェイトレスにつまみと飲み物を頼む。〝一角兎〟は煮込むため、もう少し時間がかかると言われた。
「何の話をされていたんですか?」
「クキとウルの同調訓練についてだ」
「全然慣れていないから、明日はそれを中心に練習しようと思ってさ」
「訓練となると……気配に敏感な魔物――第八等級なら〝一角兎〟が適していますが?」
「俺も〝一角兎〟を相手にしたらいいと思ったんだけどな」
「俺は魔物の出没が多いのなら、一つに絞らなくてもいいかなと思ってさ」
「……確かに経験を積むとなると、色々と相手をした方がいいですね」
「薬草集めのついでに発見や遭遇したら相手をする――とかはどうだ?」
「全てを相手にするのは面倒だが………避けるのも訓練にはなるか」
「だろ?」
「依頼を通さずに素材売買の場合、依頼分の報奨が減りますが、取り急ぎお金が必要というわけでもないですし――」
キルエラは頷いて、ギルを見た。
「私はそれでかまいませんが、ギルさんはどうでしょうか?」
「目的はこいつの訓練だからな。別にいいぜ。一応、明日も依頼を確認して、目ぼしいものがなかったらそうしよう」
「はい」
「了解」
ギルにキルエラとクキは頷いた。頼んだ料理が届き、クキはフォークで突きながら、
「あと、今日の反省点は――」
「お前の見た目だな」
「へ?」
炒められた黄色い野菜を口に入れたところで、クキはギルにフォークを突きつけられた。
「……一応、年相応には見えるだろ?」
魔術で髪と目の色だけでなく、顔立ちも少し変わっているはずだ。
「防具だよ、防具。やっぱり、そのままは目立つ」
「まだ気になるのか?……まぁ、確かに浮いてたけどな」
ギルが言うことも一理あった。ギルドにいた冒険者は、少なくとも胸当ては付けていたからだ。
「でも、魔法特化の冒険者は着けていないんだろ?」
「剣を持って前線に立つのにか?」
「あー……」
「防御力の高い服だとは聞いたが……魔物相手に突っ込んで行くのなら、少し不自然だぞ?」
「……試着はしたけど、動きづらかったから止めたんだよ」
「戦い慣れていたが、お前の世界では着けたことはなかったのか?」
「全然」
制服は特殊で、さらに自分でいくつもの防御魔術をかけていた。
そして、師匠には危機回避能力を鍛えられていたので、防具をつけるという考えはなかった。
「まぁ、篭っていたから調子を取り戻す意味もあるけどな」
あちらの世界で「溜まった書類仕事を片付けろ」と十日ほど部屋に押し込められ、久しぶりの外出という時に召喚された。それからも近衛騎士団副団長との模擬戦や魔界でのギルとの戦闘を除くと、部屋に篭っているばかりで緊張感の欠片もない生活だったのだ。勘は鈍り、身体の動きが悪くなるのも仕方がないことだった。
それを実感したのが〝一角兎〟との初遭遇の時で、掴んだ毛皮が剥がれるという予想外のことがあったとはいえ、攻撃への対処が遅かった。
早く勘を取り戻して身体の調子を整えるには、程よい緊張に身を置いた方が――あちらの世界と同じスタイルの方がいいだろう。
「アレで不調なのか……」
ギルは、ちらり、とキルエラを見て、彼女が何も言わないことを確認し、
「わかった。なら、せめて上に何か羽織った方がいい。見た目で舐めて絡んでくる奴もいるからな」
「その時は、その時だな」
にやり、と笑って答えると、
「………」
二人から無言の圧力を受け、堪らずにクキは視線を逸らした。
「分かったよ。とりあえず、上に何か羽織って周りの目は誤魔化す」
食堂にも客が増え始めた頃、やっとメイン料理がやってきた。
「〝一角兎〟のファエブ煮です」
ことこと、とそれぞれの前に深皿が置かれた。
一シム(センチ)厚さに切られた兎肉と独特の香りが漂う濃い茶色のソース。見たこともない野菜が添えられていた。
ウェイトレスの女性が離れたところで、
「ファエブって?」
「木の名前ですね。その木になる実を刻んでソースに加えることで、この独特の香りと肉を柔らかくする効果があるんですよ」
「一般的な調理法だな」
「へぇー」
ナイフで一口大に切り、口に運ぶ。噛めばほろりと肉がほぐれ、肉汁が口の中に広がった。濃い味付けのソースが食欲をそそり、ほんわりと甘い匂いがした。
(うまっ)
〝一角兎〟の肉を口に運び、拳大の丸パンをちぎってソースを絡めとる。
「気に入ったのか……」
勢いよく料理を口に運ぶクキに呆れたようにギルは呟き、キルエラは苦笑した。
ソースも綺麗にパンでふき取ったところで、
「いい食いっぷりだな、坊主」
サルツが現れ、クキの皿を見て笑った。
「美味いです」
「初めての獲物なら、ひとしおだろ?」
「まだあるが、食うか?」と尋ねてくるので、
「大盛りで」
クキは皿を差し出した。
主人公の興味は、テスカトリ教導院では召喚直後ということもあって『魔法>異世界の諸々』でしたが、現在は知識欲は(ある程度)収まったので『魔法<異世界の諸々』となっています。
食いしん坊キャラではない…はず。




