19. ハイハイは危険 3
趣味通りを抜け、暫く進むと、住宅通りに出る。文字通り死者が住む家が並んでる場所で、今までの通りより腐臭が強くなる。
無臭の死霊種と違って、死体種はどうしても腐ってきちゃうからね。魔術で腐敗を抑えている死体種もいないことはないけど、かなり少数派だ。
それもあって、住宅通りは3区画に分けられている。1つは死霊種用の区画。もう1つはスケルトンの区画。そして、その他の死体種の区画だ。死体種の区画はその腐敗具合で分かれていて、一番腐敗の少ない死体種が集まっている所が一番趣味通りに近く、腐敗が一番進んでいる死体種が集まっている所がスケルトンの区画と隣接している。そして、スケルトンの区画の反対側に死霊種の区画がある。
今日行くのは死体種の区画でも腐敗の少ない死者のいるエリアだから、すぐ近くだ。
えぇと、白い四角い建物・・・あったあった。外にある2階への階段を登り、扉を叩く。
『こんにちは』
「あら・・・どなた?」
『シルトです。少し、お邪魔しても良いですか?』
少し濁った声で良いわよ、と聞こえると同時に、扉が開かれる。中から現れたのは、艶のない茶色の長い髪を後ろで緩く縛った、青白い顔の女性だ。ふんわりと微笑む水色の瞳が周囲の空気を和ませている。
『お久しぶりです、ラナおばさん。突然お邪魔しちゃってすみません』
「いいのよ。丁度、今日はお休みだったし」
ラナおばさんはぎこちない動きで僕を部屋の中へと手招きした。お邪魔しますと言って、中に入る。
狭いながらも、中は人一人が苦も無く生活できる環境が整っている。向かい合って座ると、ラナおばさんは軽く目尻を下げた。
「何も出してあげられないけど・・・」
『おかまいなく。ちょっと相談したいことがあっただけですから。こちらこそ、押しかけちゃってごめんなさい』
ぺこりとお辞儀すると、ラナおばさんは柔らかく口元を笑ませた。
「良いのよ。知り合いの久々の訪問だもの。ところで、相談って何かしら?」
『実は・・・』
本当は、死者の街では生者の話をしないほうが良い。何処で誰が聞いているか分からないし、死者の中には生者を妬み、危害を加えるものも少なくないから、話に出てきた生者が襲われてしまうこともあるからだ。でも、ラナおばさんは生者にたいしてそこまでの妬みはないし、ソルテスのことだったら多分話しても平気だ。
そこで、ソルテスを拾い育てていること、育児で悩んでいることがあると話す。
「そう、珍しいことをしているのね。私で良ければ、力になるわ。これでも、息子がいるんだから」
ラナおばさんは思いっきりの笑みで応えてくれた。ラナおばさんの息子さん・・・オルンさんは確かまだ、生きてるね。
『ソルテスが活発に動き始めたので、部屋を増築しようかと思ったんですが、冬なので赤ん坊の身体に障ると思うとできなくて・・・。せめて春までは増築せずに過ごさせたいんですが、あんまりにもベッドに身体をぶつけるので、どうすれば良いかなって・・・』
「ああ、ハイハイが始まったのね。オルンはあまり動き回る子じゃなかったから、私はそのままベッドの上で育ててたけど、近所の奥さんは床に直接絨毯や板を敷いていたわよ」
『絨毯・・・ですか』
「ええ。そこだけは靴で踏まないようにするの。それでもあちこち行ってしまいそうな時は、絨毯の周りに衝立をしていたみたいね」
なるほど。部屋を増築するんじゃなくて、部屋の床を赤ん坊が這ってもいいようにするんだ。それは考えてなかったな・・・。
「絨毯を手に入れるのは、死者(私)達には難しいから、板の方が良いかもしれないわ」
『そうですね、試してみます』
僕が軽く頭を下げると、ラナおばさんは少し窪んでいた目尻を下げ、微笑した。
「・・・でも、羨ましいわね」
『?』
「今の私じゃあ、赤ちゃんには近寄れないから。シルト君が羨ましいわ」
『・・・・・・』
ラナおばさんはリビングデッドだから、赤ん坊には近寄れない。おばさんはどちらかといえば腐敗よりも乾燥が進んでいる身体だけど、赤ん坊にとっては致命傷となる菌を身体に持っているし、臭いで赤ん坊に嫌われてしまう。スケルトンなら、自分の身体を浄化すれば近寄れるんだけど。
ラナおばさん、子どもが好きだから辛いだろうな・・・。
「シルト君が気にすることじゃないわ。オルンが無事独り立ちするのを見届けたし、後悔はないわよ」
そう言ってラナおばさんはニッコリ笑った。
ラナおばさんはロクセルが内戦をしていた時の被害者だ。10年ほど前、たまたま住んでいた村が王家と敵対していた貴族の領地のすぐ側にあったため、敵の領地と勘違いした王軍の兵士達によって、兵糧を得るために略奪の憂き目に会い、滅ぼされたらしい。今は勘違いも溶け、生き延びた村人には充分な補償が与えられ、死者にも手厚い供養がなされている。本来なら、息子のオルンが無事成人したのを見届けたラナおばさんは昇天することが出来るようになってるんだけど、亡くなった日に狩をしに遠出した旦那さんにもう一度会いたくて、昇天を拒んでいるらしい。
でも多分生きてないだろうと、ラナおばさんは以前言っていた。
『・・・エッソさんでしたっけ。見つかったら、おばさんが待っていると伝えておきますね』
「ありがとう」
『また、お邪魔しても良いですか?』
「もちろんよ。ソルテス君のお話、聞かせてちょうだい」
部屋の出口の前で笑顔で手を振ってくれるラナおばさんに軽く礼をし、僕はラナおばさんの家を後にした。
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