02/えんじぇー!
最近、暑くなるにつれて蒼のテンションが高くなって行くことに気が付いた。まあ台風が上陸する度に「せんぱーい! 台風来ましたよーっ!!!」とハイテンションでケータイに電話してくるような奴だったから、実際には七月に入って漸く気が付いたと言うのが正しいのだが。
……ちなみに、蒼は台風が来るととてもはしゃぐが、雷が鳴り始めると途端に震え出すという何とも難儀な性格でもあった。
「せんぱいせんぱい、もうすぐ夏休みですね! 海行きましょうよ海! せんぱいのためなら私、清楚な水着からえっちぃ下着まで、もうっ、何っっでもござれですよーっ!!!」
「………。ああ、成る程なぁ…」
屋上の一角で弁当を突付いていた俺は、本日も襲来してきた蒼の、より苛烈になってきたマーキングを受けながらそう得心する。
取り合えず、下着の件はスルーするとして。
海と水着。それ即ち絶好のアピールタイム。
「……えへ、えへへへへ…っ」
蒼の頭の中では波打ち際で恋人ごっこ(「あはは~まてよ~こいつぅ~」「うふふ、捕まえてごらんなさぁ~い」という例のアレ)をしている俺達が上映されているのだろう、可憐な顔が完全に欲望一色で染まっていた。それでもその美少女っぷりが全く崩れていないのだから、とんでもない話である。
「じゃあGストリングで頼む。それだったら俺もまあ覚悟を決めなくもないような気がしないでもないこともまた吝かではないのではなかろうかと思う時もある」
「ほっ、ホントですか!? 覚悟を決めるってことは、じゃあじゃあ、パラソルの下でオイル塗って貰ったり、ナンパされて庇って貰ったり、夕焼けの海岸で肩を抱いて貰ったり、そのままキスなんかもしちゃったりなんかしてオッケーってことですよね!? もしやその先なんてことも………や、やだ、もう、どうしようっ、鼻血出そう…っ!」
遠回しなご遠慮願いますは鮮やかなまでにスルーされた。
「………」
そして、いつも思うことなのだが、蒼はいったいどれだけ俺が好きなのだろうか…。
隙あらば骨までむしゃぶってやると言わんばかりのその態度は、正直な話、引く。暑さからではない汗が背中に浮いた気がした。
「今日帰ったら、早速そのじーすとりんぐってやつを調べてみますね!」
「種類に困ったらCストリングってのも良いらしいぞ」
共にクラスメイト談。
「なるほどー、じーすとりんぐとしーすとりんぐですね。聞いたことないなぁ、どんな水着だろ……じーすとりんぐ、しーすとりんぐ。じー、しー、すとりんぐ」
俺としてもそのGやらCやらがどんな水着なのか知らないのだが、まあ蒼ほどの美少女ともなれば何だって似合うに違いない。学校指定の競泳水着だろうが可憐なワンピースだろう派手なビキニだろうが、それこそ蒼の言葉通り、何でもござれというやつだ。
そうして何度か繰り返した蒼は、「よし!」と自信満々に頷いて反復を終えた。
「あっ! せんぱい今日はからあげなんですねー、一口下さい!」
そうして、くるくるとよく動くその瞳が次に映したのは俺の弁当箱の中身だった。
ただでさえ大きくて魅力的なそいつが零れんばかりに開かれて期待に輝き出すと、嫌だなどと言えなくなってしまうのだから、とんでもない話である。テイクツー。
「元から一口サイズだよ馬鹿者」
言って、ずいっと弁当箱を差し出した俺に、しかし蒼はその貴重なおかずを摘もうとはしなかった。
目を閉じて、軽く唇を開いて、僅かに身を乗り出して、
「あ~ん…」
蒼は、無防備にその唇を差し出した。
「ぐっ…!?」
今度は間違いなく、どばっと冷や汗が出た。
身を乗り出す際に軽く開いた太股の間に両手を置く、その格好。肩から腕のラインに掛けて出来た“しな”が、何と言うか……そう、堪らなくそそる。“狙った”のがありありと判るのに、桜色の唇から微かに覗く並びの良い白い歯が、付いた両手の左右で柔らかく形を変える健康的な太股が、俺の目をこれでもかと惹き付けるのだ。
「………ッ」
理性vs煩悩。
その軍配は、……辛うじて、本当に辛うじて理性に上がった。
「……こういうことも、あろうかと、ミニフォークを入れてあるから、それを、使いなさい」
「………せんぱい、何だか最近つめたいですよね」
世間はこんなに暑いのに、なんてのたまう蒼に、
「慣れてきたんだよ……」
俺は大きく溜息を吐いた。
食後。
「ねえ、せんぱい」
「うん…?」
勝手に人様の身体を座椅子代わりにしている肉食系妖精が、首を後ろへ倒すようにして此方を見上げて来た。少し前に行われた衣替えによって、現在は男女共に生地の薄い半袖のワイシャツ姿になっている。開放的に緩められた胸元から見えてはいけない可愛らしいフリルが覗き、慌てて視線を横に逸らす。そうして目に映った短い袖から伸びる蒼の白い二の腕がまた妙に眩しくて俺は更に視線を逸らしたのだが、次はしなやかに伸びる太腿が目に……と何とも情けないというか男らしいというか、強力過ぎる蒼の吸引力にそんな不埒な悪循環に陥った。
ぶっちゃけ蒼は何処も彼処もが綺麗だったから、殆ど無意味な抵抗だった。
「そーいえば、前から気になってたんですけど」
俺の視線を迎え撃つ蒼の逆しまな素顔に、引っ繰り返っても美人は美人なのだなあ、と現実逃避気味にそんなことをぼんやりと思う。やろうと思えばキスの出来る距離だというのに、蒼は全く気にした様子もなく言葉を続ける。
「せんぱいってかなりでっかいですけど、身長は何センチくらいあるんですか?」
好奇心の塊のような瞳に若干気圧されつつ、数ヶ月前の記憶を遡ってみる。
「…えーと、確か春に測ったときは……189センチだったかな」
「でっかい!」
何だか物凄く嬉しそうにはしゃがれた。
「もーちょっとで190じゃないですか! もしかしたらもうなってるかも!?」
「かもなぁ…」
気を付けないと扉の上の縁とかに頭をぶつけるから、出来ることなら縮んで欲しいところである。
「そういう蒼は幾つなんだ?」
「私の身長は春に149センチでした。あと1センチくらい良いじゃないって思ったので間違いないです」
そう口にした蒼が、不満そうに頬を膨らませる。…押してみようか、なんて思った。無論、やらないが。
「そっちも150になってるかもな」
「あと10センチとまでは言いませんが、もう5センチくらいは伸びて欲しいんですよねー。中学の頃から、もう全然伸びてないんですよぅ」
そう口にした蒼が、タコのように唇を尖らせる。…摘んでみようか、なんて思った。勿論、やらないが。
「………、そうか」
…さて、そんな風に馬鹿げたことを繰り返し思うのには、勿論理由がある訳で。
俺達の通うこの高校は、俺達自身が屋上に出ていることからも判るように生徒達に屋上を開放している。夏とは言え、今日のように天気の好い日などは屋上で昼食を取る生徒が俺達も含めて多数居るのだ。
ならば、その屋上の一角で人目も憚らず、まるで恋人のように振舞う男女が居た場合、彼らの興味は当然のように其処へ向けられるだろう。
だが、それだけならまだ良いのだ。
もし、その二人が俗に言うバカップル的な行為をしていたとしたら、果たして周囲はどう思うだろうか。
「せんぱい? どーかしました?」
「………」
個人的には、とても見っともなく思う。
和を重んじる日本人としては、そういう接触というかイチャ付きというか、それらは公共の場では自粛して然るべきものであり、自室などといったプライベートな空間でこそするべきだ。大々的に愛を叫ぶといったグローバル的表現が世間に浸透するようになってからもう随分になるが、生粋の日本人である俺個人としては、やはりそれは粛々と育んでいきたいものだった。世間一般ではそれをヘタレだの草食系だのとのたまわれることもあるが、断じて違う。下品なのが嫌なだけだ。
「蒼、暑いから離れてくれ」
だからこうした物言いも、決してヘタレて遠回しにしたのではない。オブラートに包んだのだ。
「え、嫌です」
「………、そうか」
「はいっ」
にべもない蒼の言葉に、俺は頭痛を覚えた。
仕方がないので、ハッキリと口にする。俺はノーと言える男である。
……尤も、
「蒼、周りの視線が非常にシンドイから早急に俺から離れて欲しいんだ」
「え、絶対嫌です」
蒼は全く意に介さないので、意味は全く無い。
「………、そうかぁ…」
「はいっ!」
再び始まるマーキング。すりすりと、まるで自分の匂いを擦り付ける猫ように、蒼の頭が俺の胸元に押し付けられる。蒼の頭の天辺でふわふわと跳ねる癖っ毛が開いた胸元を擽り、何ともこそばゆい。徐々に強くなっていく周囲の視線。好奇だの呆れだの嫉妬だのがたっぷりと混ぜ合わされたそれに、本日一番の溜息が零れた。
「フォローというわけじゃないんですけど、」
「んなッ!?」
そんな俺を見かねてか、ふと蒼が俺の右手を両手で取りながら、そう口を開いた。蒼は手に取った俺の右手をいとも容易く自分の胸元に押し当てると、それが何でもないことのように平然と言葉を続ける。
「これでもかなり、抑えてます」
「………な、なんだと…?」
驚愕の告白だった。
戦慄する俺を余所に、蒼は「はふ…」と艶っぽく吐息を零して、言った。
「ホントでしたらね、真正面から向かい合って抱っこして欲しいくらいなんですよ? 私はせんぱいの足に跨ってせんぱいの背中に手を回して、せんぱいはそんな私の腰を抱いて、ちゅ、ちゅってキスを」
「公序良俗に反するわっ!!」
思わず悲鳴のように声を上げてしまう俺。ぺったんこな癖に妙に柔らかな其処から、無理矢理手を引っぺがす。
慌てふためく俺に、蒼はくすくすと心底嬉しそうに笑いながらのたまった。
「イタリア式ラブちゅっちゅなんですよ」
「慎みある日本式にしてくれよ…」
がくりと肩を落とすのが既に日課となっている今日この頃。
俺は蒼がエスカレートしないよう必死にその手綱を握りながら、救いの鐘を待つことしか出来ないのであった。
その日の夜、夕食を終え食後の珈琲を口にしていると、蒼からメールが届いた。
題名、Gストリング。本文無し。
俺は訝しむようにケータイを開き、
「ぶっ!?」
添付されていたその画像を開いた瞬間、口から珈琲を噴き出した。
送られて来たものは、際どい、なんてレベルじゃない。水着としての機能の大半を放り投げたようなデザイン。水着というより帯と紐。それは、俺のような高校生のガキにはキツ過ぎる代物だった。
「あ、あんの馬鹿野郎…ッ!」
そうしてクラスメイトの一人に悪態を吐く俺のケータイへ、すぐさま蒼からの着信が届く。
「う……」
俺は神妙な気持ちと共に通話ボタンを押した。
「……も、もしもし?」
「せーんぱぁい…」
蒼の第一声はそれ。
甘ったるい……蜂蜜とバターと練乳を混ぜ合わせてバニラエッセンスで香り付けでもしたかのような甘ったるい声で、蒼が俺を呼んだ。
「…くふっ」
抑え切れない悦びと興奮に蒼が艶っぽく零して、言う。
「今度せんぱいのお家に行くとき、下着代わりにコレ、着て行きますね…?」
「……ッ!?」
じーとしーのどっちが…、と口走る蒼に耐え切れず、俺は通話を切りケータイの電源を切った。
…その所為で後日、蒼が両方持って来るなどという凶事に見舞われることになるとは、この時俺は予想だにも出来ないのだった。
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「NGワードは季節感!」
「…何を言ってるんだお前は。…しかしあれか、俺達は実に40センチほどの身長差になるのか……自覚してみると凄いもんだなぁ」
「そうなんですよー。だからキスするのがもう大変で大変で」
「背が高くて良かったなぁ」
「せんぱい、すごくつれないです…」
蒼はえろい子。




