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01/肉食系妖精、襲来

「せーんぱいっ、おっつかれさまでぇす!」

 今日の部活を終えて一人廊下を歩いていると、そんなハイテンションな声と共に、左腕に女の子一人分の重みが加わった。

「おっかし、おっかし、くっださっい、にゃあ~♪」

 そんな言葉が耳に届くと同時、腕を抱く力がぎゅうと強まる。

 本人的には女性の象徴たる胸を押し付けているつもりなのだろう。だが、いかんせん無い乳ではまるで猫のマーキングのようだった。口調も猫系だった。

「…なんで後輩にたかられてるかね、俺は」

 ちらりと視線をやれば、頭一つどころか二つ分ほど下に予想通りの顔。

 癖っ毛のショートヘアーにぱっちりとした悪戯好きの瞳。眉毛はまるで描いたように綺麗だし、唇なんてぷっくりと膨らんだ桜色で、思わず触れてしまいそうになるほどコケティッシュだ。そのくせ鼻筋は子供っぽく愛嬌を感じさせるもので、何とも庇護欲を掻き立てられる。

 そして何より、新体操で鍛えられた細くしなやかなその身体。小柄なのにいちいち動作が洗練されているように見えるのは、恐らくそれが活きているからなんだろう。チラリと目を向けてみれば、スカートの裾からは眩しすぎる太腿がすらりと伸びている。

 目を疑いたくなるほどに姿形の整った、十人居れば十人全員が振り返るだろうトンデモ美少女。

 そんな後輩が凡骨である俺の腕に身を預けていると言うこの状況。…周りからの視線で何とも居心地が悪い。

 俺が肩身の狭い思いをしているのを見取ったのか、周囲に笑顔を振りまいてから蒼が気楽に言った。

「堂々としてればいーんですよぅ。せんぱい、ただでさえでっかいんだから、それだけでもうバッチリ!」

「俺みたいな凡骨にゃ、んな図太い神経通らんよ」

「骨はガッシリしてるのにねぇ」

 抱いている俺の腕をグニグニと捏ねながら、後輩が悪戯っぽく笑う。

「あーでも、いーにおーい…。繊細だからお菓子作りも上手なのかにゃあ~」

 再びマーキングに戻った蒼は、期待するような声色でそう呟く。褒めてる心算なんだろうけど、男に向かって繊細ってのもどうだろうか。

「………」

「………せーんぱい♪」

 蒼の視線がぐさぐさと突き刺さるのが見ずとも解った。

 こっちを見上げているだろう輝かんばかりの瞳に耐え切れず、俺は重い唇を開く。

「今日は、めっちゃシンプルだぞ? スコーンとココナッツクッキー、合いのジャムが苺とマーマレード」

「ジャムもせんぱいの手作りなんですよね?」

「まあ、一応は」

「ふはぁぁんっ!」

 感極まったように蒼が鳴いた。

「あぁもうっ、あーもう! せんぱいせんぱいっ、私のお嫁に来てくださいよーっ!」

「嫁かよ。つーか婿だろ普通…って、いや違う、そうでなく」

「大丈夫! 私頑張って稼ぎますから! せんぱいは家でお料理してー、お掃除してー、お洗濯してー、三つ指とかしてくれれば、もうっ!」

 …何が、もう、なのか。

 ってかそれじゃあ専業主夫だ。しかもダダ甘すぎる。俺がやっちゃ絵にもならんし。

「趣味じゃないよ。俺ぁ適当に就職して、それなりに働いてだなぁ…」

 そう返しながら、絵になるであろう後輩でそのシーンを想像してみる。………が、何故だろう。留守番させていた飼い猫の散らかした部屋を片付けをしている自分の姿しか浮かばない。腕には当然のようにその猫をぶら下げながらだ。

 そうして結局、自分が台所に立ち食事の支度までしていた。…どういうことだろうね。

「サラリーマンのせんぱい…ってことはスーツ姿ですねぇ。ソソるなぁ…」

「ブレザーとそう変わらんだろ」

 ぺろりと下唇に舌を滑らせた後輩から、何となく目を逸らす。

 うちの高校はオーソドックスなブレザー。ネクタイも当然締めなきゃならんから、将来的に考えれば慣れることが出来て丁度良い。

「パテシエにはなんないんですか?」

 ふと、袖をくいくい引きながら、蒼がさも簡単そうに言ってくれた。

「パティシエな。なる心算だったら高校でなく専門に行ってるよ」

「せんぱいの作るお菓子、かなりイケてると思うんですけどねー。…あ、専門行かれちゃってたらせんぱいに会えなかったじゃないですか! 行っちゃ駄目っ!」

「行ってないよ。テンションおかしいぞ、ちょっと落ち着けな?」

「はーい」

 呑気な返事とともに、再び始まるマーキング。

 ………まぁ、無い乳と言ってもそこはそれ。女の子特有の柔らかさは確かにあるもんで。

 どうしてだか執拗に身体を寄せてくる後輩の態度には慣れてきた心算だったけど、やっぱり俺も健全な男なわけで。

「………」

「……う? せんぱい、どーしました?」

 思わず意識してしまい黙り込む俺を、蒼が不思議そうに見上げてきた。

「…いんや、相変わらず無乳だなぁ、と」

 気取られるのも癪なので、誤魔化すように軽い口調で返す。

 他の女子には絶対に向けられない内容だが、蒼はこういうのを気にしなくて済むから楽だ。

「むにゅう? お菓子作りの材料ですか?」

「無い乳と書く。貧乳の下位だそうだ」

 クラスメイト談。

「あいたたー、返す言葉がないやー」

 すりすりと身体を寄せながら、気にした風もなく蒼が笑った。

 全く無い胸が唯一の欠点と言えなくもないが、トコトンまで整った姿をしているとそれもプラスに働くワケで。

 セックスアピールの薄さからかメディアに凸高の妖精なんて銘打たれた後輩のバストは、本人いわく71のAA。

 自己申告だから当てにはならない気もするが、…というかそもそも俺にはどれがどんだけの大きさなのかよく解らない訳だが、まぁでもこの歳にもなってこのサイズってのは驚異的なのだと思う。逆の意味で。

「これがまたどういうわけか、まっっっっっったく、育ってくれないんですよね」

 俺の腕から身体を離して、蒼がぽんぽんと自分の胸を叩く。

 揺れるどころか服の上からではあるようにすら見えないそのバスト。

「ちゃんとバランス良く食べてるか? 運動……は問題ないだろうから睡眠足りてないとか」

「はっ、好き嫌いはありません! 昨夜は8時間ぐっすりでした! 牛乳もたくさん飲んでます!」

「日本人は牛乳の摂りすぎは良くないらしいな。吸収効率が悪いとか何とか」

「それが原因かもっ!?」

「いや、ただ単に腹壊すだけじゃないか?」

「…遺伝」

「かも知らん」

 蒼の母親はスレンダーな美人らしい。となれば遺伝の説が濃厚だが…。

「でもでもっ、体操やってる人って胸が大きい人少ない気がするんですよ。やっぱり関係あるんでしょうか!?」

「そりゃ知らん」

 そう聞かれても蒼に知り合う以前の俺は、新体操に対して「そういやそんな競技もあったっけなぁ…」程度の認識だったわけで、ぶっちゃけ今になっても体操界の女性は勿論、男性の名前一つとして浮かばない。胸のことなど論外だ。

 しかしまあ、何で俺は女の子と乳談義なんてしてるんだろうね。しかも学校の廊下で。

 女の人の胸って胸筋鍛えると減るんかな。…なんて、ふとそんな事を思った。我ながらアホ過ぎる考えだ。

「やっぱ揉んで女性ホルモンの分泌を促すしか……!」

 蒼が唐突に物騒なことを口にし始めた。

「………さて、今日は野菜が安かったはずだから急がないとな」

「せーんぱいっ?」

 矛先が此方に向かう前に距離を取ろうとして、あっさりと腕を抱え込まれる。

 言われなくても解るが、それに関しては此方だって同様だ。でも言葉にしないと伝わらないのが人間だから、言い分はしっかりと口にしよう。

「揉まんぞ。そういうことは彼氏か女友達に頼めよ」

「………、え゛」

 何気なく言った言葉に、蒼がビシリと身体を強張らせた。

 何かおかしなことでも言っただろうかと首を傾げる俺に、ギギギ…と長いこと油を差してないブリキ人形みたいな動作で蒼が見上げてきた。

「………ちょ、ちょーっと待って下さいねーせんぱーい?」

 いやいやまさか。そんな内心がアリアリと浮かんでいる顔。

 やっぱりこの後輩のことはよく解らないなぁ…なんて考えていると、蒼がくいくいと俺の腕を引きながら言った。


「あの、もしかしてなんですけど、ひょっとして伝わってません? 私、その…せんぱいのこと、好き、…なんです、けど……」

「……………え」


 …え。

 いやいや、いやいやいや。

 ちょっと待て。

「ちょっ、ちょっとーっ! なんですかその、え、って反応はぁーっ!!」

「い、いや待て馬鹿、落ち着け、馬鹿、何を血迷ってる!」

「ひどい! なんで馬鹿呼ばわりなのっ!? しかも二回! ってゆーか、今まで散々アピってたじゃないですかぁ!!」

「………」

 ひょっとして、あのマーキングのことを言っているのだろうか。

 っていうか良かった! 今丁度周囲の人影が途切れてて!

「…いや、人懐こいやつだなぁ…とは、……思ってたけど…」

「誰彼構わずくっ付きませんよ! 私はっ! どんな痴女ですかぁ!!!」

「す、すまん…っ」

 まあ、その、自惚れっぽくて嫌だけど、好かれてはいるだろうとは思っていたけど。

「いや、まさかお前が、なぁ…」

「なんでそんなに意外そうな顔するかなー。傷付くなー、もぉーっ」

「すまん。何と言うか、お前と並んでる自分が想像出来なくて」

「………並んでるじゃないですか、今」

 ぷぅ…と頬を膨らませて、蒼が顔を逸らす。

 …膨れっ面なのに不細工にならないのもスゴイ。

 なんて、感心してる場合じゃない。

「…そういう意味じゃあ、ないんだけどな」

「………解ってますけどね」

 上手い台詞が浮かばずそんな言葉を口にする俺に、蒼が溜息を吐いたのが解った。

「まー、ほら、あれですねー」

 そう置いてから、ポリポリと頬を掻きつつ蒼が続ける。

「私くらい可愛いと相手が遠慮しちゃうと言いますか…、こう、雲の上の人に接するみたいな?」

「…自分で言うかね。ともあれ、お前は神様の類だったのか」

「妖精。…なんて、大層な渾名が付けられてますけどねー」

 たはは…。とその顔に似合わぬ苦笑い。

 あー…何と言うか……失敗だ。かなり失敗した。馬鹿やらかした。

「で! せんぱい、お返事下さい!」

「………」

 そしてこの切り替えの早さ。

 ホント、この後輩は積極的だ。とても困る。

 見上げる瞳がキラキラと輝いている。俺が悪く思っていないと確信した目だった。

 こういう言い方はちょっとアレだが、蒼はかなり良い物件だと思う。

 少々ちんまくて胸が無いが、それを補って有り余るほどの美貌の持ち主。しかも、そんな自分の容姿を鼻に掛けることなく、明るくて人当たりも良い。ちょっとした下ネタも余裕で流せる器量まで持っている。

 考えるまでもない好条件の女の子だと言えよう。……周囲の視線さえ気にならなければ。

 蒼は将来を期待されている奴だ。

 体操の申し子とまで言われる運動能力とずば抜けたセンス。

 …以前強く頼まれて、一度だけ差し入れと激励に蒼の演技を見に行ったことがある。

 ずぶの素人である俺でさえ判ってしまった……決定的に違う、蒼と他の奴との空気。まだ一年だと言うのに、二歩も三歩も、蒼は同世代の選手達より先を行っていた。

 このまま行けば、蒼は間違いなく大成する。下手したら世界に羽ばたくかも知れない。

 コイツは、そういう女の子なんだ。

「せーんぱい、難しく考えてるでしょ?」

「む…」

 俺の思考を読んだのか、蒼が釘を差すようにそう言ってきた。

「そういうつもりは、無いんだけどな…」

 反射的にそう返しつつ、口篭るようになってしまう俺。…ハッキリと返せないってことは、そういうことなのだ。

 当然、聡い蒼がそれに気付かない訳がない。

 俺は思わず目を逸らしていた。

「………」

「………」

 …あぁ、嫌な沈黙をさせてしまった。

 蒼を傷付けたい訳じゃないのに、上手い言葉が頭に浮かんでくれない。

 だがそれでも、…それなのに、やっぱり心の何処かでは才気溢れる後輩に気遅れしてしまう。

 自分と蒼とでは、つり合わない。分不相応だと、思ってしまう自分が居る。

 それがずっと蒼が受け続けてきただろうジレンマだと予感していて尚、俺はそう思ってしまうのだ。


「じゃあ、せんぱい。たいそうやめたら、つきあってくれますか?」


 つたない、ひらがなが、こぼれた。

 その音は、ぞっとする程冷たく、俺の耳に流れ込んで来た。

「っ、馬鹿かっ!」

 その意味を理解すると同時、弾かれたように蒼の顔を見る。

「………」

 俯き加減で見上げるその表情。普段の蒼とは正反対の、陰鬱なそれ。

 …あぁ駄目だ。蒼にこんな顔をさせては。

 そしてそれ以上に、その言葉を使わせてしまったこと。その超ド級の反則技を、この後輩にさせること。それだけは絶対に、絶対に駄目なのだ。

 反射的に蒼の肩に手を置くと同時で、蒼の両手がするりと俺の首に伸びた。

 絡み、引かれた。

「私に目を付けられたのが運の尽き、です」

 呟くように、囁くようにそう言われて。

「むぐ…っ!?」

 ………あぁくそ、ちくしょう、やられた。

 唇を重ねて、してやったりな色を浮かべる蒼の瞳に、ただただそう思う。

 よくよく考えたら……と言うより考えるまでも無い。蒼が、この後輩が、そんな卑怯な手で関係を強要する筈が無かった。

 そんなことをしなくても……やろうと思えばいつでもだ、蒼は俺をモノに出来ると理解ってやがったのだ。

 これは、ここまでのフリは。

「っ…」

 ただ並んでいるだけでは決して届かない、此方の唇に到る為のもの。

「んふー」

 それを証明するように、セカンド、サードと啄ばむように連続して唇を重ねてくる蒼の表情は喜悦一色。

 蒼はちゃんと知っている。自覚しているのだ。自分の武器を。どう振舞えば、どう作用するのかを。

「ぷは…っ、…あと何回したら、ここは私専用になりますかねー?」

 言って、もう一度。蒼は唇を重ねてから、俺の下唇を甘く噛んだ。噛んで、噛んで、噛んで、じんと痺れて感覚が危うくなるまで噛んで、ちらりと俺の目を見上げてくる。

「う…ぐ…」

 積極攻勢。蒼には妥協の一切が無い。

「せーんぱい…」

 だのに、その潤んだ瞳は完全に此方へ決定権を委ねているのだ。

 …例えここで俺が蒼を振ろうとも、蒼はきっと恨んだりはしない。唇を重ねた事を盾にもせず、またアプローチを再開するのだ。俺に彼女でも出来ない限りは。

「きょ、きょうは…」

 ああくそッ、唇が痺れて上手く喋れない。ぐるぐると目まぐるしく意味無く思考が空回る。思わず蒼の細い腰に回してしまいそうになる手を叱責。

「今日は、そうだな、あれだ。ああ、何だかワッフルが作りたくなってきたな。うん、ジャムも丁度良いのがあるし」

 そうして、そんな俺の口から飛び出したのは男としてあまりにも情けなさ過ぎる逃げの一手。

 けれども蒼はそれを気にしない。

「きゃあん! 私、せんぱいの作るワッフル、大、大、大好きなんですよー! ください! 全部くださいっ!」

 いや、本当は気にしている筈なのだ。それでも蒼は俺の為に、俺に合わせて、その顔に笑顔を咲かせる。

 万人を魅了するだろう華やかなその笑みは、無論俺も例外ではない。

「…欲張りだなぁおい。俺が食べたくなったから作るんだよ」

 確実に薄れて行く罪悪感に、自己嫌悪。

「じゃあ私、良い子にしてせんぱいのお部屋で待ってます」

「っ…!?」

 そう言って見上げて来た蒼の瞳がギラリと輝いたような気がした。その瞬間、背筋がゾクッと震え、どうしてか、まな板の上の鯉だか、猫に捕まった鼠だかの気分になる。

 絶対防衛線。そんな言葉が頭を過ぎった。

「へ、部屋には絶対あげんっ!」

「ぇー…」

 形の良い眉をハの字にして、とんでもなく残念そうな顔をする蒼。妖精なのに肉食系とは是如何に……などと思いはしたが、蒼は妖精以前に猫だったので何ら間違いは無いことに気付く。

「………、蒼」

「どーしました、せんぱい?」

 色々ひっくるめて「すまん」と謝ると、「拒絶じゃないからいーですよ」と蒼は笑った。


************************************************************


「そーいえば、せんぱいって好みの女性はどんなです?」

「あー、っと……、まあ、なんだ、一般的な男が好むであろうアレというか…」

「一言にすれば、巨乳ってことですね!」

「違うわ! …いや、違わなくないが、大和撫子っつーか、しとやかな女性のことだよ!」

「私じゃないですよッ!?」

「なんでそこで驚愕するんだよ、お前は…」


こんなやり取りが適当に続いていきます。

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