ようこそ、クロークアパートへ(運命)
過去に縛られ続ける人生に嫌気がさし、真夜中衝動的に家を飛び出した「僕」。
暫定目標地点の北三不に向かうが灯りもない夜道で不安や自責の念に駆られ塞いでいたところ声をかけられ・・・。
「こちらです、あと少し」
数時間前、孤独と闇夜に心を呑まれかけていた僕の前に現れ丑三つ時を朝とする楊貴妃並みの美女・黒瀬さんのたおやかな声が早朝の空気に馴染んで心地よい。
僕は今現在、北三不のメインストリートにあたる通称「北道」からオフィスビル群の隙間を縫うようにして路地に入り黒瀬さんに手首をつかまれ、ぐいぐいと急かすように引っ張られている。ある場所へ僕を連れて行くためである。なぜこのような展開になったのか?
回想。
挨拶代わりに突っ込んだことで緊張が解れたが、なぜこんな時間に出歩いているのか?と考えると訳もなく不安になった。
否、訳はある。真夜中に外灯もない道路で女性が出歩いているだけでも十分な訳だ。・・しかし何か訊きにくい。すると不安が顔に出てしまっていたのか彼女が察して答えた。
「あ、走ってたんです。朝から体を動かすと気持ちいいので」と回答。
「そうなんですか。健康的でいいですね」
納得・・はできないけどジャージ着てるしなぁ、てゆうか朝は曲げないんだ。仕方がないな会話を続けてボロを誘うか。
「ジョギング、僕もやりますよ。あとフットサルとか草野球も好きですね。」と言ってみるインドア派。
「スポーツは良いですよね。あ、でも私ジョギングじゃなくてトライアスロンをしてるんです」
「水泳、自転車を終えてそんなに息が整ってるやつがいますか!」その華奢な体のどこにそんな体力があるんだ・・。
「います。私です。」と平然と当然のように言う。それが本当ならもうテレビを通して僕が一方的に知っているだろうに。見た目がいいとプライドも人一倍なのか?と思考の方に気をやっていると「そんなことより」と続けて彼女が言う。
「どちらに行かれるんですか?」と質問がきた。思えばこの質問、遅いくらいだ。彼女も怪しいが彼女からみれば僕の方が怪しいだろう。この状況を男性警察官がみたら僕の方に10%職務質問、90%は射殺を選ぶに違いない。
「・・・北三不まで。」嘘には嘘で対応しようとしたがこちら側の方向では北三不以外の町はもう自転車で行く距離ではないため無理な嘘はやめて素直に答えた。彼女にも見習ってほしい。
「ご旅行ですか?・・荷物はずいぶん少ないようですけど」と彼女。この質問にも素直に答えたかったが、僕の人格上それは無理だ。理想の自分を求めて旅にね、とか僕がニヒルを気取りながら言っても癪に障るだけだろう。
「ツーリングですよ。ただ自分とゆう人間の限界を試したくて財布、携帯、弁当各種一つづつしか持たずにやってるんです」考えて話したのに変な言葉になってしまった・・。ふっ、元の出来が悪いとこんなものか。と心の中でニヒルった。
「ふふ。私の前で嘘を言っても無駄ですよ。嘘を見抜くのは得意ですから」つくのは下手だけどなと言おうとしたが続けて「それに、誰にでも逃げたくなる時はあるのものです」と言われて固まった。嘘処か真実まで見抜かれた。「え、あっ」と言葉に詰まってしまう、そんな動揺が隠せない僕を見て彼女が言う。「あ、すみません。冗談のつもりなんですけど・・。」お澄まし顔だった頬を少し赤らめている。可愛らしい。
・・・冗談ならいいが、この程度でびくついている僕もやはりダメダメだ。
「ってあって数分のあんたに諭されたくないわ!」今更遅いが突っ込みを入れて動揺を処理した。動揺なんてして他人に付け入る隙を与えてはいけない。経験上そう思う。
「いえ、私には万物を諭す権限が役場より認可されています」「万物!?役場にそんな力はないですよ!創造主だけ!」「怒鳴らないでください。遺伝子組み換えますよ」「諭してもないにしジャガイモ扱いじゃないですか!」そんな会話をしていたら彼女が微笑んでいるのに気が付いた。それを見て僕も気が付いた。自分の心が解れていって彼女の心と解け合うような、妙な感覚だ。
でも。
嫌いじゃない。もっと浸っていたいような・・これが繋がる感覚なのか?彼女も感じているのだろうか?この感覚を。微笑んでくれているということはきっとそうなんだろうしそうであってほしい。そして僕から切り出す。
「名前を教えていただけませんか?」
ただ夜道ですれ違った他人ではもうないはずだ。偶然にしろ必然にしろこの感覚を覚えたのは、こんな気持ちにさせられたのは初めてだ。今までの人生でこんなことはなかったんだ。だったら、僕なんかでもつい信じてみたくなってしまう。
「黒瀬です」
運命というやつを。
回想終了。