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助ける。でも選ぶのはお前だ ~救った結果、世界が止まったので壊すことにした~  作者: 慈架太子


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第72話:セレスティア決断 支配やめる

王都を包む夜は、もはや死んだような静止画ではなかった。

屋敷の広間。そこには目に見えない火花が散り、淀んでいた空気が熱を帯びて回転を始めている。

高所に立つセレスティアの瞳には、そのすべてが、残酷なまでに鮮明な構造体として映し出されていた。


見えている。

全部。


個々の感情のベクトル。

力の奔流が生み出す歪み。

そして、積み上げられた均衡が、どの順番で、どの方向へ崩れ落ちていくのか。

彼女の超越的な知覚は、数秒後の未来さえも決定的な必然として捉えていた。


手を入れれば、整う。

彼女がその指先を動かし、魔力や言葉で微細な調整を加えれば、この混乱は一瞬で収束するだろう。

破綻しかけた線を、再び美しく引き直せばいい。

人々を、あるいは彼女たちを、正しい「枠」の中へ押し戻せばいい。


簡単だ。

あまりにも、容易な作業。


(できる)

(私なら、この崩壊を食い止め、再び完璧な世界を再構築できる)


そう思う。

湧き上がる支配への誘惑は、甘美で、強烈だった。

混乱を嫌い、無秩序を恐れる彼女の知性は、何度も「修正」を求めて叫んでいた。


でも――。


「……やめる」


小さく、だが凍てつくような拒絶を込めて、彼女は呟いた。

自らの思考を、本能を、断固として切る。


調整のために伸ばしかけた指先が、空間でぴたりと止まった。

いつもなら、ここから世界を糸で操るように動かしていた、彼女の定位置。

そこから、彼女は一寸たりとも動かなかった。


(やれば、終わる)


理解している。完璧に。

支配による統治は速く、美しく、そして確実だ。

だが。

それは同時に、この場にあるすべての「生」を奪うことと同義だ。


自律しようとする選択。

過ちさえも引き受ける責任。

そして、昨日とは違う自分になろうとする変化。

支配を施した瞬間、それらはすべて「管理下の事象」へと成り下がり、魂の躍動を失ってしまう。


「……意味がないわ。そんなものには」


整っただけの世界。

無駄がなく、汚れがなく、ただ正解だけが並べられた世界。

それは、昨日まで自分たちが浸っていた、あの「アグナード依存の均衡」と何が違うというのか。

支配者がアグナードという「無」から、セレスティアという「知」に変わるだけ。

それでは、世界は一歩も進んだことにならない。


違う。

もう、そこには戻らない。

彼女は、自らの手による完成を、自らの意志で拒絶した。


セレスティアは、ゆっくりと視線を上げた。

彼女の眼下で、止まっていたはずの駒たちが、勝手に動き出している。


セリス。

騎士としての正義を再定義し、自ら泥を被って世界を動かした。

レオニア。

その流れに乗り、停滞を食い破るための熱量を爆発させている。

クラリス。

統治者の座を降り、対等という名の過酷な荒野に立った。

カレン。

奪うことをやめ、触れないままに愛し続ける苦痛を受け入れた。

リリス。

支えを失い、崩れながらも、新しい自分の形を必死に模索している。

マリア。

すべてを包み込み、壊れゆく者たちを、目に見えない慈愛で支えている。

エルナ。

真実を歌い、誰もが目を逸らしていた醜さを白日の下に晒した。


全部。

バラバラで、不揃いで、醜く。

それでも、確かに動いている。


未完成。

不安定。

歪な連鎖。


それでいい。

これこそが、彼女が今まで「非効率」として切り捨ててきた、生命の本質的な輝きなのだ。


(これが、流れ。淀みさえも、進むための力に変えていく奔流)


止めない。

整えない。

たとえ、これから訪れるのが凄惨な崩壊だったとしても。

たとえ、積み上げてきた秩序が瓦解し、無惨な姿を晒したとしても。

そのまま。

あるがままに、彼女たちの「生」を放流する。

そこから。

また新しく、誰も予測できない何かが動き出す。

そのプロセスこそが、世界が生きているという証明なのだから。


「……関与はするわ」


完全に手を引き、冷徹な観測者に戻るわけではない。

観る。

測る。

その変化を、一秒たりとも見逃さずに魂に刻み続ける。


でも。

決めない。

彼女たちがどこへ行くべきか、何を成すべきか。

その最終的な答えを、彼女の知略で奪うような真似は、二度としない。


セレスティアは、一歩。

中心から、支配の玉座から、後ろへと身を引いた。


「……支配は、もういらない」


はっきりと。

夜の空気を切り裂くような、透明な決意の言葉。


その瞬間。

彼女を、そしてこの場を縛り付けていた最後の一筋のかせが、音を立てて外れた。

空気が、劇的に軽くなる。

物理的な変化ではない。だが、そこにいた全員が、胸の奥を圧迫していた正体不明の重圧から解放されたことを、本能的に察知した。


ほんの少し。

だが、確実な変容。

誰も、セレスティアが何をしたのかは気づかない。

けれど、世界が「自分たちに委ねられた」という無言の感覚だけが、静かに浸透していく。


セレスティアは、静かに目を閉じた。

彼女の内側にあった「完璧への渇望」が、静かに凪いでいくのを感じる。


(これでいい)


完璧じゃない。

だからこそ、余白がある。

だからこそ、明日を創るための「続き」が生まれる。


目を開ける。

視線の先では、アグナードという中心軸を巡りながらも、もはや彼に縛られない個々の意志が、激しく火花を散らしている。


世界は――。

もう、誰にも止めることはできない。

セレスティアは、その不格好で、美しく、残酷な「変化」をただ受け入れるために、再び静かな、だが誰よりも熱烈な目撃者へと戻った。


夜明け前の王都に、新しい風が吹き荒れようとしていた。

均衡は死に、自由という名の過酷な再生が、今、始まったのだ。











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